下北沢通信

中西理の下北沢通信

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熊川哲也+K Ballet「白鳥の湖」

熊川哲也+K Ballet「白鳥の湖(神戸国際交流会館こくさいホール)を観劇。

芸術監督・演出・再振付:熊川哲也
原振付:マリウス・プティパ/レフ・イワノフ
舞台美術・衣裳デザイン:ヨランダ・ソナベンド/レズリー・トラヴァース
照明:足立恒
指揮:アンソニー・トワイナー
演奏:グランドシンフォニー東京

オデット(康村和恵)、ジークフリード王子(熊川哲也)、ロットバルト(スチュワート・キャシディ)、オディール(長田佳世)、王妃(天野裕子)、家庭教師(トム・サプスフォード)、ベンノ(アルベルト・モンテッソ)、荒井祐子、芳賀望、小林絹恵(パ・ド・トロワ)・・・K−BALLET COMPANY

 最近はすっかりご無沙汰だったバレエをひさびさに見た。前売券が完売で当日券の立ち見である。関西にはバレエは「白鳥の湖」しか来ない時期がしばらく続いていたことがあって「白鳥」はちょっと食傷気味と思っていたのだが、熊川の演出バージョンはなかなか面白かった。キャスト表をよく見てなかったため、オデットが康村和恵だというのは分かっていたのだが、オディールとオデットを別のダンサーが踊っているのだということにうかつにも気がついてなかった。そのために2幕の舞踏会の場面で登場したオディールを見て、雰囲気がオデットの時と全然違い、これまで見た康村和恵の踊りと比べて、さすがにオディールだときびきびと切れのある動きもするのだなと感心していたら、これは長田佳世の方だったことが後から分かった。後ろの席で幕間にやはり見にくいので慌てて、会場でオペラグラスを買ったので2幕はよく見えたのだが、1幕はダンサーの動きは分かっても顔などはよく分からなかったのだ。とはいえ先入観というのは恐ろしいものだ。
 康村和恵も長田佳代もほかの作品では見たことがあったので、気がつきそうなものだが、4幕の最初にオディールが登場して「あれ、どうして」とびっくりして、それでもこれは歌舞伎によくあるような早代わりみたいな演出で、別人がオディールを少しだけ演じているんだろうと思い込んでいて、その後、オディールがオデットと同時に登場して、一緒に踊りだした時にはじめて手元にあったキャスト表を座席の下の照明で素早く、確かめてやっと熊川版はそういう演出なのだということが分かったのであった。
 「白鳥の湖」ではオディールとオデットという全く性格の異なるキャラを1人のバレリーナが演じ分けるところが、表現上の見せ場なのだが、元々、モスクワの初演ではオデットとオディールはそれぞれ別のダンサーが踊った。ところがペテルブルクで改訂版が上演されたときに、レニャーニというバレリーナが1人2役を演じ、これが評判をよんで以降は両方踊るのが通例となった。
 このため、オディールはオデットとそっくりで王子は見間違えたという解釈などが後づけで生まれてきたのだが、ここのところは「白鳥の湖」のいろんなバージョンを見ていて、いつも気になっていたところでもあった。というのはオデットとオディールが元々王子が見間違えるほど似ていたのだとすればロットバルトは娘そっくりだということを知ったうえで、オデットに迫ったことになるが、これってひょっとして、擬似的な近親相姦?とかそういう疑問がふつふつと湧いてくるわけだ。
 熊川演出ではそこのところは別に似ていたからというわけじゃなくて、オディールの色香に惑わされたのだという解釈になっていて、別のダンサーが踊っていることに気がつかなかった間抜けな私でもそこのところははっきり分かる演出(そして、熊川の演技)になっていた。
 もうひとつ付け加えれば熊川のジークフリート王子は明らかにマザコンの匂いをぷんぷんと匂わせていて、「白鳥の湖」は見方を変えれば王子の嫁とりの物語ともいえるわけだが、マッツ・エック版のように振付自体を大幅に変更してしまうということはなくても、王女が王子に弓矢を与えるところなど明らかにあれは「男根の象徴」だろうなと思わせてしまうようなある種の現代性があるように思われた。
 ダンサーについて少しふれておくと、これまで康村についてはプロポーションもよく細身で身体的な条件に恵まれているのに踊りに線の細さがあって、力強さに欠けるというところからあまりよい印象がなかったのだが、オデットはある意味でその弱点と思われたところが役柄に合っていてよかった。一方、長田は前に書いた通りに切れのいい踊りで、フェッテなどの見せ場で技術の高さも十分に見せてくれ、なかなか好印象であった。