下北沢通信

中西理の下北沢通信

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dots「KZ」

dots「KZ」伊丹アイホール)を観劇。

構成・演出:桑折
振付・出演:池端美紀 石井絢子 高木貴久恵 竹内英明 服部みゆき 宮本統史
映像:山田晋平
照明:高原文江
音響:齋藤学
舞台美術:カリスマハンサム
演出補:規矩泉美
舞台監督:西田聖 川島玲子
制作:城島里実 乾実加 山口幸子

 京都造形芸術大学の学生らによって発足し、在学時代から学外公演を重ねるなど注目を集めてきたカンパニーだが、メンバーの大学卒業もあり今回の公演からは主宰の桑折現のソロユニットとなった。
 ちなみに昨年の「Marble」の時のメンバーは以下の通り。

出演:高木貴久恵 ほか 構成・演出:桑折現 映像:岸上正義 音楽:清原丈嗣 / 前田大作 音響:土井新二朗 照明:高原文江 舞台美術: 規矩泉美 / 黒田政秀 宣伝美術:新庄清二 制作:城島里実

 比較してみると映像、音楽、音響、舞台美術が入れ替わっており、それぞれのメンバーがコラボレーション的に展開するマルチメディアパフォーマンスとしてはその差はかなり大きいといわざるをえない。
 見ていてまず気になったのは若手の集団ゆえにいろんな課題はかかえていたとはいえ、これまでの公演では感心させられることの多かった空間構成の冴えが今回の舞台には感じられなかったことだ。dotsだけではなく、桑折現が中心になって采配を振るった京都造形芸術大学の卒業公演「10の地点」でもパフォーマーの若さゆえの未熟さなどは気にはなったものの大空間を照明、音響、人物の配置、舞台美術などを組み合わせて美術的にコーディネイトしていくセンスには敢然として隙がなく学生離れしたものがあって、それが作品のクオリティーの高さを生命線として支えていたというのがこれまでの桑折現の舞台の印象だが、今回はどうにも散漫な印象が否めない。映像や照明の処理の仕方にも若干の疑問があったが、人物の配置の問題などについていうとこの作品は桑折現の作品の中では一番ダンス的な要素が強かったことも関係していたかもしれない。
 ダンスとして見るとこれまでの舞台でもdotsの場合、その振付のオリジナリティーの不足やダンスとして評価するにたる身体的な強度を持たないことは最大の課題のひとつではあったが、これまでの舞台では動きからいわゆるダンス的な文法を剥ぎ取り、「歩く」「立ち止まる」「曲がる」といった極端にミニマルな動きにそのムーブメントを限定し、映像や照明効果などほかの要素と組み合わせることで、空間全体を美術的に見せていくことで、その欠点を巧みに隠してきた。ところがこの「KZ」では明らかにムーブメントにダンス的なものが取り入れられていることで、逆にパフォーマーがダンサーとして見られるほどには踊れていないという欠点が露わなものとなってしまった。
 クレジットでは「構成・演出」が桑折現、「振付」がパフォーマーとなっているが、個々のムーブメントの「振付」自体はしていないにせよ、この「演出」の部分で桑折がどこまで「振付」の方向性やそれぞれの空間配置に注文を出しているのか不明で、ここまでダンスの要素が強くなると今回の場合、舞台全体のイメージにおける振付の割合が高くなっていることから考えて、そこの部分の意思疎通がちゃんと出来ていたのかについて若干の疑問も感じざるをえないところがあった。
 もうひとつ気にかかったのは全体の構成。後半の途中で軍隊経験のある人物に当時の思い出を聞いているドキュメンタリー風のインタビューの映像が入るのだが、ここでは生に近い映像だけがかなり長時間流れるので、ここで一度舞台の流れが分断されたようになって、前半部分と後半部分がうまくつながってないように見えた。
 ここではそれだけではなくて、この舞台のように人工的に構築された舞台空間に言語テクストとして、生インタビューのような素材を持ち込む時の違和感もあって、さらにいえばドイツの収容所の問題を扱った「KZ」という作品と戦争というゆるい共通点はあるとはいえ、このインタビューがどういう風につながっているのかという意味がこの舞台からはよく分からずその意味での違和感も大きかったのである。