下北沢通信

中西理の下北沢通信

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"NEXT"「アメリカンブルースフェスティバル テネシー・ウィリアムズ一幕劇集」

"NEXT"「アメリカンブルースフェスティバル テネシー・ウィリアムズ一幕劇集」(common cafe)*1を見る。

The Lady of Larkspur Lotion" - しらみとり夫人 -
"This Property Is Condemned" - 財産没収 -
"Auto-Da-Fe" - 火刑 -
"The Case of the Crushed Petunias" - 踏みにじられたペチュニア事件 -
 上田友子("NEXT")
 曽木亜古弥
 園本桂子
 希ノボリコ(コリボの木)
 宮川サキ(pinkish!)
 宇田尚純
 赤星マサノリ(劇団☆世界一団
 橋本健司(桃園会)
 信平エステベス(遊気舎)

 "NEXT"はそとばこまち出身の演出家・都木淳平と女優の上田友子によるプロデュースユニット。小劇場系の俳優を集めたプロデュース形式の公演で翻訳劇を現代の観客にも分かりやすく提供するというのが、このユニットの特色のようだが、公式サイト*2によるとこのところテネシー・ウィリアムズの短編戯曲を連続して上演しているようだ。今回がこの集団の公演を見るのは初めてだったのだが、けっこう面白く見ることができた。関西の劇団はどちらかというと劇作家主導型が多く、この集団のように演出家中心で翻訳劇を上演するというところは珍しい*3のでその意味でも注目したいユニットである。
 テネシー・ウィリアムズといえば「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」などで知られる米国を代表する劇作家で、上記の2本については小劇場系も含む複数の演出家の作品*4で見たことがあるし、文庫で出ていたほかの長編戯曲「夏と煙」「薔薇のいれずみ」「やけたトタン屋根の上の猫」も読んではいるが、この日上演された4本の作品は未読で上演を見たのも初めてであった。
 短編(一幕劇)ゆえに長編戯曲のような物語の展開はないが、興味深かったのは最初の2本「しらみとり夫人」「財産没収」には没落した家庭に育った女性が現実逃避からか、幻想を語るという「嘘をつく女」という「欲望という名の電車」のブランチを彷彿とさせるような人物造形がこの短編戯曲からすでにうかがえることだ。ただ、ここでは現実の方からの暴力的な力がその幻想を完全にぶちこわすことで、ヒロインが壊れてしまうというところまではいかないけれど。
 また、南部的な偽善により抑圧された性的欲望というのもテネシー・ウィリアムズが繰り返し描き出す主題であるが、それをコミカルかつシニカルに描き出したのが「火刑」で、軽いタッチで描いてはいるのだけれど、これもいかにもこの人らしい作品で面白かった。
 上演に関していえば戯曲からなんらかの解釈を引き出して、それを切り口にして演出するというよりは戯曲のストーリーラインを生かしながら、それを出演している役者それぞれの持ち味に引き付けて料理してみせるというのが、どうやら都木淳平の演出スタイルなようで、それがよくも悪くも "NEXT"のスタイルとなっているように感じた。
 そのため、おそらく翻訳劇などにはあまり慣れていないと思われる俳優中心のキャスティングであっても、例えば元惑星ピスタチオの宇田尚純にしても、遊気舎の信平エステベスにしてもいつもどおりの持ち味がうまく引き出されていて、楽しめるようになっている。特に
宇田尚純などは落ち着きがなく、というよりはまるで間寛平の止まると死ぬ人というギャグを彷彿とさせうように奇妙な動きを続ける姿はそれこそ抱腹絶倒ものであった。
 ただ、今回の舞台を見た時にそこに若干の不満がなくもない。これは演出ということだけではなく、プロデュースユニットの限界ということもひょっとしたら、あるのかもしれない。今回の舞台では役者陣はこれまでそれぞれの劇団での演技を何度も見ている人が多かったために余計にそう感じたのだが、それぞれの俳優の演技スタイルの方向性にあまりにもばらつきがあるため、"NEXT"という上演ユニットの演技の規範がどこにあるのかが、この公演を見ただけでは分かりにくかったのだ。
 メンバーである上田友子の演技スタイルから考えると通常の新劇におけるリアリズムとは演技の方法論はやや違っていても、役柄に合わせて作りこむタイプの演技が規範とも思われたが、演出がそれを客演の俳優にも厳しく要求しているとは思えないところもあって、そのあたりのアンバランスが少し気になった。
 実は今回の舞台を見ていて少し懐かしい気分になったのだが、それはそとばこまちの山西惇が演出した翻訳劇の舞台*5と印象が似ていたからだ。これはひょっとしたら、都木淳平が元そとばこまちだというのを聞いて知っていたので、そんな風に思ったのかもしれないが、あの時も原戯曲を生かしながらも当時いたそとばの個性的な役者に合わせて、自由に書き換えた*6舞台であったという記憶がある。ただ、あの時の山西の大胆にデフォルメされた演出は演劇スタイルにある程度共通性のある劇団であるからこそ可能だった、という気もするのである。
 個々の俳優の演技についてはおそらく俳優が変わればまた変わるということがあると思われるので現時点ではちょっと分からないところもある。今回は連作でもあるため、それぞれの戯曲のテイストに合わせてのことであったかもしれない。この企画は第1回で同じ会場で
第2弾、第3弾の上演があるということなので、なんとかスケジュールが調整できればほかの公演も見てみたい。
 

*1:http://www.talkin-about.com/cafelog/

*2:http://www.d1.dion.ne.jp/~nextatic/

*3:新劇を除けば既存の戯曲とオリジナルの2本立てだが、あえていえばエレベーター企画がやや近いスタイルだろうか

*4:最近見たのではク・ナウカ版の「欲望という名の電車」は斬新な演出で印象的。MODEの翻案による「ガラスの動物園」も面白かった

*5:記憶があいまいになっているが、そとばこまちインターナショナルのユニット名で上演されたのじゃなかったかと思う

*6:本当に戯曲をいじったという意味ではなく、人物キャラの設定などにおいて、場合によっては大胆に改変したという意味で