下北沢通信

中西理の下北沢通信

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維新派@奈良平城京遷都祭公演

維新派@奈良平城京遷都祭公演平城宮跡特設ステージ [天平舞台] )を観劇。

■会場/平城宮跡特設ステージ [天平舞台]
■上演作品/「路地の蒸気機関車
         「ヒトカタ」
         「動く街」 
         「くさまくら」  

 維新派の公演と銘打ってはいるが、上演時間にして40分。それぞれ10分程度の4つのシーンをオムニバス風に並べたもので、ミニパフォーマンスといった方がいいだろう。どうも、以前に松本雄吉氏が「ナツノトビラ」のアフタートークで話していた「平城宮跡でやりたい」というのを今回の公演と勘違いしている書き込みがネット上などで散見されたが、これはいつかやりたいと以前から話していた本公演についてのもので、奈良平城京遷都祭というイベントの一環として行われた今回のパフォーマンスとはまったく無関係。
 維新派の責任ではないから強くは言いたくはないけれど、イベント全体の進行はまったくお粗末の一言。主催者側は維新派がなんなのかをまったく理解してないのではないかとしか思えない。それほど「ゆるーい」イベントなのだった。まあ、ある意味楽しんだからそれはそれでいいとはいえるのだが、このイベントに参加したことが維新派にとって意味があったことなのかどうかについてはやや疑問符といわざるをえない。松本氏としてはこの企画に参加することによるデモンストレーションで、平城宮跡での本公演につなげたいという意図があったとは思われるが、維新派のパフォーマンスの最中もいっさい通行制限をせずにステージの前の道を普通に人が通っていたり*1、パフォーマンスの余韻を台無しににするような「維新派のパフォーマンスでした。どうもありがとうぎざいます」のような場違いなアナウンスが入る無神経さはなんなのだろう。
 この日の進行を見る限りでは残念ながら今回の奈良平城京遷都祭の主催者にその運営能力がないことは残念ながら明白。奈良県知事や市長らも来ていたようだが、果たして挨拶の後も残っただろうか。平城京跡自体は文化庁の管轄であると思われるので、攻略すべき先が違うのではないだろうか。
 さて、公演の方はどうだっただろうか。野外にしかも真昼間の炎天下で見たせいもあるが、昨年の本公演「ナツノトビラ」などと比較するとパフォーマーの動きの精度の低さが気になった。特に梅田芸術劇場でのアンコールでも上演した「路地の蒸気機関車」は「どうしたんだろう」と思われるほどバラバラ。本公演ではないがゆえの熟練度の不足は確かではあるが、ここではっきりと分かったのは「キートン」「ナツノトビラ」のレベルの上演を見てしまうと、例え野外であってもそのレベルの身体の動きの精度のコントロールの精密さや音楽の音響的な水準を期待してしまい、また繰り返しになるようだが、野外は祝祭だから勢いがあればそういうパフォーマンスとしての精密さはいらないとはいえない。そういう風に維新派が変貌していることはこの日のパフォーマンスを見ることでいっそうはっきりしてきたことだ。
 その点では2番目の「ヒトカタ」は女性だけ8人という少人数の構成というせいもあってか、まだまとまりのあるものに仕上がっていた。昨年の「ナツノトビラ」が初舞台でいきなり看板女優、春口智美の後釜で主人公「なつ」の弟タケルに抜擢された「まる」がなかなか印象的で、春口に続き、小山加油も退団し、かなりのピンチの状態といわざるをえない維新派を支えていくには彼女ら新しい世代の頑張りが本公演「nostalgia」に向けて必要となってきそうだ。一方、「動く街」は一転して男優中心のナンバーだが、こういう風のを今やるとやはり昔と比べると迫力が不足してるんじゃないかと思われ、弱点が露呈した感じがする。これは別に役者個々のレベルが落ちているということじゃないくて純粋に人数の問題だが、やはり人数がずいぶん減ってしまったのは否めない。最後の「くさまくら」はパフォーマーが激しく動いていた「動く街」と比べると内橋和久のアンビエントな音楽に合わせて一転して動きが少ない作品だったが、この日は天気がよく強い風が吹いていたこともあり、「吹き抜ける風の下を立ち尽くす役者たち」と野外公演の興趣を一番実感できた演目であった。

*1:ネット上の伝言板で気になった、私は気にならなかったなどという議論が起こっていたが、こういうのは個人的にどう感じたというようなレベルではなく演出的意図として明確にそうしたというのじゃない限りは駄目だと思う