下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ブルドッキングヘッドロック「バカシティ たそがれ編」@こまばアゴラ劇場

ブルドッキングヘッドロックvol.28「バカシティ たそがれ編」
作・演出 喜安浩平
音楽 西山宏幸
映像 猪爪尚紀
出演 岡山誠/寺井義貴/浦嶋建太/藤原よしこ
    山口かほり/二見香帆/鳴海由莉/平岡美保
    山田桃子/石原みゆき/松本哲也(小松台東)
    今城文恵(浮世企画)

 「三人起請」「寝床」「大山詣り」「紙入れ」「死神」「夢金」など場面ごとにそれぞれ異なる古典落語の演目が下敷きになっている。例えば「らくだ」は落語として上演されるだけではなく、歌舞伎の演目としても上演されており、亡くなった先代中村勘三郎によるものなどは抱腹絶倒の面白さだったが、このブルドッキングヘッドロック「バカシティ」での「下敷き」はそういう意味での原作とは異なる。むしろ、落語特有の荒唐無稽な設定を現代(ここでは未来もあるが……)に移行することで生まれてくる馬鹿馬鹿しさをナンセンスコメディへと転嫁。そうすることで現代のコントとは質感の違う笑いを醸し出そうという狙いがあるようだ。
 「バカシティ たそがれ編」はとある企業の開発部が舞台である。そこで働く岡山誠、浦嶋建太、松本哲也は地下アイドルの追っかけをしているアイドルオタク仲間*1。3人とも推しているアイドルから「アイドルをやめるようなことがあったら個人的に付き合ってもいい」という内容のメールをもらう。ところが3人がもらったメールが同じ内容だということが明らかになり入り待ちをしてそれを抗議しようということになる。

落語「三枚起請」あらすじ(ウィキペディアから引用)

かつて遊廓では、客と遊女との間で、「遊女の雇用期間が満了すれば客と結婚することを約束する」という内容の、起請文(きしょうもん)と呼ばれる擬似的な書類を取り交わすことが流行していた。

ある男が、夜遊びが過ぎる友人をいさめている。懲りない友人は、男に自慢しようと、自分の名と遊女の名の入った起請文を見せびらかす。男は自分の煙草入れから同じ遊女の名が書かれた起請文を取り出し、「遊女がこれを書くのは客を多く取るための方便であり、本気にしてはいけない」と友人をいさめる。そこに3人目の男がやってきて、遊び自慢にやって来る。3人目の男も、ふたりと同じ遊女の起請文を取り出すのだった(3人の男と遊女の名は、一例として、上方ではそれぞれ仏壇屋の源兵衛、下駄屋の喜六、指物屋の清八、お茶屋「宇津木」の小てるなど。東京では棟梁の政五郎、建具屋の半公、三河屋の新之助、妓楼「水都楼」の喜瀬川花魁など。以下東西および演者別の混同を避けるため、「A」「B」「C」「遊女」と表記する)。

怒り、呆れるBとCをなだめつつ、Aは「この遊女に恥をかかせよう」と、ふたりに作戦を授ける。店の女将に話を通し、部屋を借りたAは、Bを押し入れに、Cを衝立の陰に隠して、遊女を呼びつけた。

AがBに起請文を書いたことについて遊女をただすと、遊女は「あんな奴に起請文を書くわけがない」と、Bの容姿をけなす。AがBの名を呼ぶとBが押し入れから出てきて、遊女は少し驚く。遊女はCについても同じようにけなし、Aの声でCが姿を現すにいたり、遊女は「女郎は客をだますのが商売。だまされる方が馬鹿だ」と居直る。

「昔から、起請文に嘘を書くと、熊野のカラスが3羽死ぬ、と言うだろう」「オホホ。私はね、世界中のカラスをみんな殺してやりたいんだ」「カラスを殺してどうするんだ」

「ゆっくり、朝寝がしてみたい(高杉晋作が品川遊郭の「土蔵相模」で作ったとされる都々逸「三千世界の鴉(からす)を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」をもじったサゲ)」

 吉原の遊女から届いた起請文を地下アイドルからのメールと現代的に置き換えてはいるが、導入はほぼ古典落語の「三枚起請」の筋立てをなぞっている。ただ、ここで引用されるのはあくまで冒頭の設定の部分のみで、落語の醍醐味でもある「サゲ」の部分はこの芝居では出てこない。これは喜安によれば落語の場合は落語家が話者として登場した客に向けて直接話しかけることで荒唐無稽な話を落として終わらせることができるが、「それを演劇として上演した場合にはなかなかそういう風には納得させられない」(喜安)ためということだ。ただ、芝居の冒頭に登場して本編へとつないでいく役割を岡山誠が演じていて、そこで突然にカラスの話をしながら「カラスの子」の歌を歌ってみせるのは「たそがれ」のイメージにつながるとともに芝居本編では触れられない「三枚起請」のサゲの「三千世界の鴉」とつながっているのも確かだろう。
 このように喜安浩平は相当の落語好きのようで元ネタの落語を知っていて初めて理解できるようなくすぐりも随所に挿入はしているが、「バカシティ たそがれ編」では落語はあくまで味付けにすぎない。話そのものはタイムリープ(タイムトラベル)もののSFコメディである。つまり喜安が劇団員として所属していて、いわば師匠筋にあたるケラリーノ・サンドロヴィッチが得意としているモチーフ*2なのだ。
 実は前作である「1995」もタイムリープが絡んだ物語であり、時代は違うがアイドルを登場させたという意味でKERAの「1979」に喜安が挑戦したのではないかと考えた。アイドルとタイムリープという2つの要素は今回の「バカシティ たそがれ編」にも登場する。ただ「1995」がかなりリアルなタッチの群像会話劇であったのに対し、今回は落語を下敷きにしていることもあってか、登場人物のキャラ造形も漫画的というかデフォルメされている色彩が強く、印象はかなり異なるが、師匠筋のKERAもこだわっていたこのモチーフへのこだわりは喜安もかなり強いようだ。
タイムリープといえば大ヒットしたアニメ映画「君の名は。」を始めとして最近のSF的趣向の定番と言ってもいいほどだ。時間軸が全体としてどのような構造になっているのかというのは物語設定のおおきな焦点であり、「君の名は。」でもネット上などで論議の的となっている。演劇作品でも「幕が上がる」でもコンビを組んだ本広克行監督の手で映画化もされたヨーロッパ企画「サマー・タイムマシン・ブルース」などはタイムマシンを使っての時間軸の流れがきわめて緻密かつ複雑に設定されていた。ところが今回の「バカシティ たそがれ編」では論理的整合性にあまりこだわらない落語のおおらかさに啓発されたかのようにそのあたりの設定がきわめてアバウトそのものであり、そこが逆に面白かったりする。この辺のタッチもKERAを彷彿とさせる。
 物語はこの後、落語「三枚起請」のように直接女郎(アイドル)を責めることにはならずに寺井義貴演じる部長が社内旅行に社員を誘うが誰も積極的には行きたがらないという次のエピソードに移る*3。そしてさらに場面が進むと今度は10年後の世界。いつのまにか松本哲也が開発部長になっていてしかも元アイドルと結婚している世界が描かれる。
 この部分は「紙入れ」が下敷き。以下のようなあらすじである。

落語「紙入れ」あらすじ

貸本屋の新吉は出入り先のおかみさんに誘惑され、旦那の留守中にせまられていた。そんな時にいきなり旦那がご帰宅、慌てた新吉はおかみさんの計らいで辛うじて脱出に成功する。

もうやめようと決意する新吉だったが、旦那からもらった紙入れを、現場に忘れてきた事に気づく。しかも、紙入れの中にはおかみさん直筆の『遊びにいらっしゃい』という手紙が入っている――絶体絶命である。

焦った新吉は逃亡を決意するが、ともかく先方の様子を探ろうと、翌朝再び旦那のところを訪れる。

出てきた旦那は何故か落ち着き払っている。変に思った新吉は、「他の家の出来事」と称して昨夜の出来事を語ってみるが、旦那はまるで無反応。ますます混乱した新吉が考え込んでいると、そこへ浮気相手のおかみさんが通りかかる。

旦那が新吉の失敗を話すと、おかみさんは「浮気するような抜け目のない女だよ、そんな紙入れが落ちていれば、旦那が気づく前にしまっちゃうよ」と新吉を安堵させる。

旦那が笑いながら続けて「ま、たとえ紙入れに気づいたって、女房を取られるような馬鹿だ。そこまでは気が付くまいて」

*1:岡山誠はモノノフ仲間なのでそれがモデルになっていることは確かなようだが、意図的なものか作家の目からみるとこう見えるのかは分からないが、彼らが相当デフォルメされて描かれているのは間違いない。偏見を助長するような行為はやめてほしいのだが(笑)。妻を連れてこなくてよかったと胸をなでおろした。

*2:「1979」「ナイス・エイジ」、後これはミュージカルで劇団公演ではないが「ドント・トラスト・オーバー30(ドント・トラスト・オーバー・サーティー)」などこうしたアイデアKERA作品は枚挙にいとまがない

*3:この部分は「寝床」が元ネタと思われる