下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

ままごと「わたしの星」@三鷹市芸術文化センター 星のホール

ままごと「わたしの星」@三鷹市芸術文化センター 星のホール

□ 作・演出

柴幸男

□ 高校生キャスト

<オーディションで選ばれた高校生>

池田衣穂 太田泉 須藤日奈子 関彩葉 田井文乃 土本燈子 成井憲ニ 日比楽那 札内萌花 松尾潤

□ 高校生スタッフ

《劇作・演出部門》 圓城寺すみれ 小笠原里 塚田真愛 松川小百合

《運営部門》 大鋸塔子 谷川清夏 鶴飼奈津美

□STAFF

舞台監督=佐藤恵・吉成生子
美術=青木拓也
照明=伊藤泰行
音響=星野大輔(サウンドウィーズ)

音響補佐=野中祐里
衣裳=藤谷香子(FAIFAI)
宣伝美術=セキコウ
宣伝写真=濱田英明
演出助手=奥萌
制作=岡田湖以(パウンチホイール)、本城円

制作統括=森元隆樹、森川健太(三鷹市スポーツと文化財団)、加藤仲葉(ままごと)

特別協力=急な坂スタジオ

企画制作=ままごと(一般社団法人 mamagoto)/公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財
主催=公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財

  高校生キャストをオーディションで集めたままごと「わたしの星」が2014年の初演
*1以来3年ぶりに再演された。初演も見てはいるが、このサイトには感想は書いていない。というのも当時「わが星」の続編的な舞台と宣伝がされていたこともあって、見た後、「わが星」とは縁もゆかりもない、この舞台をどのように受け取ればいいのかがピンとこなかったからだ。
 今回再演を見て分かったのはこの「わたしの星」という作品は「わが星」とは全く違う舞台ではあるけれどこの舞台にはこの舞台なりの上演の枠組みがあり、それが単なる演劇作品の上演以上のリアリティーをこの作品に与えているんだということが分かり、そこがいかにも柴幸男らしくて面白いと思った。
「わたしの星」は住民の火星への移住が進み学校もこの地も過疎化していく中でのスピカの転校と文化祭の発表をめぐる、高校生たちの夏休み最後の日を描き出す。作者の柴幸男自身が世界観を共有するとしているので「わが星」とは縁もゆかりもないと書いたのはいささか言い過ぎだとしても、この「わたしの星」には「わが星」よりも近親感を感じさせる作品があった。それは平田オリザ作演出の舞台「転校生」*2である。この日スピカは文化祭の発表も待たずに皆に何も言い残さず突然火星へと去ってしまうが、ちょうど同じ日に火星からの転校生ひかりがこの学校にやってくる。入ってくる、そして出て行く2人の「転校生」がいてそれが対比されるように描かれることで、生と死が象徴されるという構造を「転校生」と「わたしの星」は共通して持っている。そしてこの2つの舞台はいずれも高校生しか出てこないという点でも共通していて、「転校生」も初演以来様々な形で再演が行われたのだが、ほとんどの場合、高校生年代の出演者をオーディションにより選んで、上演されている。高校演劇部などによる独自上演を除けば「わたしの星」上演もオーディションにより集められたキャストにより上演されている。
 実はそれが「わたしの星」にとっては重要なのだ。というのはこの作品は夏休みに文化祭のために演劇を発表しようとしている高校生を描いたものなのだが、それを演じている出演者も夏休みを演劇を上演するためにオーディションで集められて、ここにいるわけだ。出会うということ、一緒に何かをやるということ、そしてやがて別れていくということ。「わたしの星」で描かれたことは演じる彼女ら(彼ら)そのものであり、この舞台は現実と劇という虚構が二重構造になっている。それゆえ、演技のうまさとかそういう技術的なことを超えたところで「いま・ここで」しかないリアリティーが感じられるものとなっている。さらに札内萌花が1人2役で演じたスピカ・ひかりだけは架空の名前を持つ登場人物であり、それはひとりはこの日転校していき、もうひとりはこの日転校してくるということにより、この作品にとって象徴的な人物といえるのだが、その他の登場人物はすべて演じる人の実名が役名となっている*3。これも作品の現実との二重性を与える大きな仕掛けといえるのかもしれない。
 実は今回のキャストには作者が仕掛けたというわけではないけれど、偶然であり、しかし運命ともいえるような出来事が起こっていたようだ。というのはスピカ・ひかりを今回演じた札内萌花は4年前に初演で同じ役を演じた札内茜梨の実妹だという。もちろん、札内が今回オーディションに応募したのはおそらく姉が演じた4年前の舞台を見ていて自分もその舞台に出たいと思ったからなのだろうし、偶然ではないのだけれど、実際そういう話を聞いた時に出会いの偶然性と運命を描いたこの舞台に相応しい出来事ではないかと思ったのだ。