下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ヨーロッパ企画「出てこようとするトロンプルイユ」@下北沢本多劇場

ヨーロッパ企画「出てこようとするトロンプルイユ」@下北沢本多劇場

作・演出 上田誠
音楽 滝本晃司

出演

石田剛太 酒井善史 角田貴志 諏訪雅 土佐和成 中川晴樹 永野宗典 西村直子 本多力

金丸慎太郎 川面千晶 木下出 菅原永二
美術=長田佳代子 照明=葛西健一 音響=宮田充規 衣装=清川敦子
ヘアメイク=松村妙子 映像=大見康裕 劇鹿展明
大道具=俳優座劇場舞台美術部(大橋哲雄) 特殊造形=中川有子
小道具=中西美穂・相澤怜美 演出部=浜村中画製作=角田貴志
演出助手=山田翠・大歳倫弘 舞台監督=大修司・磯村令子・大槻めぐみ・
山田翠・杉浦訓大 照明操作=葛西健一・加藤泉・上田耕司
音響操作=宮田充規・森永キョロ 運送=植松ライン(西村晴美・谷山正明・三瓶裕次郎)
アートディレクション=underson 宣伝写真=有本真紀 宣伝映像・記録映像=山口淳太
制作= 井神拓也・諏訪雅・本多力・吉田和睦
WEB=宇高早紀子 制作補=天恵祐子・大瀬千尋
協力=TOM company スターダス・2

 「出てこようとするトロンプルイユ」は上田誠岸田戯曲賞受賞後第1作となる。この舞台でヨーロッパ企画を初めて見た観客にある種の戸惑いを与えていたようだが、そうした反応も含めて極めて上田らしい作品だったと思う。上田の作品を三谷幸喜のようなシチュエーションコメディだと評する論者がいる。確かにそう見えるような作品もいくつか書いてはいるが、それだけでは今回のような作品は説明がつかないだろう。以前、「悲劇喜劇」にシベリア少女鉄道ヨーロッパ企画を取り上げて「ゲーム感覚で世界を構築」*1という論考を書いたことがあるが、上田の作品創作の源泉のひとつはゲームであり、2000年代までに登場した他の作家の多くがその創造の源泉を映画や小説などにとり、文学的な想像力をクリエイティブの糧としてきたのに対し、上田誠、土屋亮一の2人は明らかに違っていた。
 これは東浩紀ライトノベルなどの小説群を分析する際に用いた「ゲーム的リアリズム」の概念と明確に通底する部分があると思われるのだが、なかんずく今回の「出てこようとするトロンプルイユ」にはその色合いが強いのだ。
実はこの舞台を見ていて思い出した作品がある。それは「ロードランナーズ・ハイ」という作品でファミコンゲームの「ロードランナー」に対するオマージュから創作した作品で、その作品を見て例えば平田オリザが「東京物語」に想を得て、「東京ノート」をつくったように過去の作家にとっての小説にあたるものがゲームだったのだ。
とは言えゲームのことが共通点と言いたいわけではない。どちらの作品も芝居が始まった時点ではモノが氾濫し、チラカシ放題になっている部屋に複数の人物がやってきて、部屋の整理を始めるところから物語が始まる。「ルームランナーズ~」では片付けているうちに部屋に埋もれていたファミコンとゲームソフトが見つかり、それで遊び始めてしまうという話なのだが、ゲームを一部のメンバーがやっているうちにも、他のメンバーは片付けを続けていて、芝居が終わる2時間ほど後には部屋はすっかりと片付いているという芝居でもあった。
つまり、その芝居では部屋の片付き度合いはリアルタイムで進行していく時間の可視化であって、この同じルールが亡くなった画家の遺品を処分するために大家の命令でパリにあるこの同じ下宿に暮らす売れない画家たちがやってきて、遺品である絵を処分していくという今回の舞台にも適用されている。
トロンプルイユというのは美術に詳しい人以外には耳慣れない言葉かもしれないが「騙し絵」のことである。ネット上の「現代美術用語辞典 1.0」によれば「精緻な描写によって観者の錯覚を引き起こす絵画のことで、果物を寄せ集めて男性の横顔に見立てたアルチンボルドの《春》や、卵の載った巣を前面に描いて岩山と鷲の姿をだぶらせたR・マグリットの《アルンハイムの領地》などの例を挙げれば、それがいかなるものか思い当たる人も多いだろう」(暮沢剛巳)などとある。
 劇中では劇中登場人物によって一時もてはやされたが、一時の流行に終わって顧みられなくなった技法のように説明される。この劇の時代背景は大恐慌時代ということだから1929~30年ぐらいであろうか。
 部屋を片付けられようとしている画家が生前力を入れていたのが、トロンプルイユの技法で中でも額縁を突き破るようにして、絵の中に描かれた人物や幻獣が飛び出してくるかのような画風を得意としていた。