下北沢通信

中西理の下北沢通信

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TRASHMASTERS vol.28 『埋没』 作・演出 中津留章仁 @座・高円寺

TRASHMASTERS vol.28 『埋没』 作・演出 中津留章仁 @座・高円寺

2018/2/2 Fri — 2/4 Sun 全4ステージ @ぽんプラザホール
2018/2/6 Tue — 2/7 Wed 全3ステージ @コンパルホール
2018/2/10 Sat — 2/12 Mon 全4ステージ @インディペンデントシアター2nd
2018/3/1 Thu — 3/11 Sun 全11ステージ @座・高円寺1
出演
倉貫匡弘/森田匠/森下庸之/長谷川景/川﨑初夏/藤堂海
みやなおこ
山本亘
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 関西小劇場の雄であったそとばこまちの看板女優だったみやなおこ、山本三兄弟の末弟である老優、山本亘とそれぞれ出自を異にする俳優が集まり、みごとなアンサンブルを奏でた。優れた役者たちの熱演は見ごたえたっぷり。現在と過去、それぞれが2役を演じると言う構成も魅力的な舞台だった。
 ただ、芝居として魅力的であるがゆえに登場人物らの熱演に「そうそう」とうなずいている観客席を見ているとどうにももどかしい気持ちが湧き起こってきてやりきれなくなってくる。
  芝居では作中人物同士の議論が繰り返し描かれる。その多くはどちらが正しいとは一概に言いにくい複雑な問題なために今も解決できないわけだが、この舞台では作者が主張したい主張があらかじめ定まっていて、議論は割と簡単に相手側が言い返せなくなって、作者の考える「正しい主張」の勝利に終わる。そこにつっこみをいれたくなるし、こういう芝居を見て「そうだ、そうだ、その通りだ」などと思っている人がいるとすれば、「現実がそんなに単純なら誰も苦労はしない」と思ってしまうのだ。
 高知県大川村のダム建設問題を舞台化した。地元の関係者にも取材はしているようだが、実際にあった出来事をモデルにしているわけだから、いくらなんでも物事を単純化しすぎているのではないかと思った。「先祖代々の土地、田畑が水没してダム湖の底に沈んでしまうのはやりきれない」という立場と「水源の確保が急務」という川下の住民らの立場。相容れない2つの立場のなかで住民たちはどのようなコンセンサスを探っていくのかという内容になるのかと思って見ていくと、「地元でのダム賛成者は保証金に目がくらんだ」「お金は人間を狂わすから怖い」のような筋立てにしかなっておらず、がっかりした。しかもどうやら、作者はこの問題を沖縄・辺野古の問題と結びつけようとしているようだが、米軍基地問題と過疎地域での水源問題を同一視しどちらも国家権力の横暴のような単純な国=悪論に持っていくのは無理があると思わざるを得ない。
もうひとつの問題点。この作家はいつも家族の問題と政治的な問題をリンクさせて描いていくのだが、今回は政治的な問題に寄りすぎて重要な問題が落とされているように感じた。ダム建設に賛成したかどうかを巡って立ち退き保証をもらった夫婦のことを金の亡者になって出ていったように描いているが、本当にそうか。
 相手が包丁まで取り出して争いになった本当の理由は彼女の夫がみやなおこ演じる女性に密かに惹かれているのことに女として嫉妬しているからではないか。と書きはじめて気がついたが、登場人物は当事者も含め、誰も問題の所在に意識的には気がついていない。が、作者はもちろん意識的してそう書いている。当事者は互いに老齢になってかつての配偶者は亡くなっているが、隠れた欲望が解き放たれた時何が起こるのか? それは何かの悲劇につながりそうな予感に満ちている。 芝居としてはむしろそちらを見たいとも思ったが、そういうのを書くのは岩松了かケラか松尾スズキの仕事かもしれない。