下北沢通信

中西理の下北沢通信

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KARAS(勅使川原三郎振付)アップデイトダンスNo.58「ハリー」小説『ソラリス』より@荻窪アパラサス

KARAS(勅使川原三郎振付)アップデイトダンスNo.58「ハリー」小説『ソラリス』より@荻窪アパラサス

 

「ハリー」

タルコフスキーの映画「ソラリス」とレムの小説「ソラリス」を基にした
佐東利穂子のソロ
宇宙に浮かぶ巨大な超高度知的生命体 - ソラリス(海)に制御される
矛盾する生命体 - 人間の困惑
死者ハリーの望まれない復活  不可能な生 不可能な死 望まれない愛
死者は2度死ねない苦悩 リアリティ全てを失ったハリー
科学的悪夢 − 結晶化する愛 − 根源的矛盾
ダンス生命体 - 佐東利穂子の宇宙的極限
勅使川原三郎


アップデイトダンスNo.58
「ハリー」
小説『ソラリス』より

出演 佐東利穂子 勅使川原三郎
演出 照明  勅使川原三郎

 バレエには物語に基づいた物語バレエなるジャンルがあるが、勅使川原三郎の最近の作品には音楽などを基に構築した抽象性の高い作品と物語に基づいたダンスの2つの傾向の作品が並列されてている。タルコフスキーも映画化しているスタニスワフ・レムの小説「ソラリス」を基にした佐東利穂子のソロダンス「ハリー」は典型的な後者の系列の作品だ。
 「ソラリス」は宇宙に浮かぶ巨大な超高度知的生命体 「 ソラリス(の海)」と地球人類とのファーストコンタクト(第一種接近遭遇)を主題としたレムの思弁的SF小説で、原作の小説ではソラリスで科学者たちが遭遇する奇妙な出来事はいったいなんなのかというある種の謎解き構造となっている。遭遇する奇妙な出来事の一例が心理学者ケルヴィンが遭遇する自殺したかつての妻ハリーの姿をした「何か」なのだが、勅使川原三郎の「ハリー」は惑星ソラリスそのものの正体についての思弁ではなく、実は惑星ソラリスがケルヴィンの記憶の中から生み出したハリーの複製(コピー)であり、複製されたハリーの苦悩が主題となっているように感じられた。
 そもそも、小説に登場するハリーは惑星ソラリスによる生成物であり、小説あるいはタルコフスキーによる映画を見ながら、こうした現象はいったい何を意味するものなのか、知的生命体であると考えられる「ソラリス」の生み出す悪夢の意図は何なのかというようなことは小説を読みながら幾度も考えたが、複製されたハリーに独自の意思があるなどという発想は私には全然なかったため、このダンス作品の「ソラリス」解釈には驚かされた。
 とはいえ、それがたとえ人間ではないとしてもこの作品では明らかに佐東利穂子がハリー役を演じて踊っている。だから、作品を抽象化してソラリスという生命体の存在の形態を踊るということもできはしただろうが、それは佐東のような女優的な素養を持ったダンサーの魅力を引き出すにはあまり適役とはいえないように感じた。佐東利穂子+勅使川原三郎というデュオ作品ならば勅使川原がケルヴィンとソラリスの2役(?)を演じるということはあったかもしれないが、佐東がひとりで演じるのであれば今回のような枠組みしかありえないかもしれない。
 そしてそうした意味では佐東利穂子が演じるハリーは人間を離れたような性質と人間的な苦悩が演技を通じて、ともに立ち現れてくるように踊り、演じており、卓越したダンサーであり、演技者でもある佐東ならでは魅力が発揮されていた。アパラサスでは相次ぎ勅使川原による新作、旧作が入り乱れて上演されているが、この「ソラリス」から続く3本はドストエフスキーの小説を原作とした「白痴」(再演)、タルコフスキーの映画で知られる「ストーカー」(新作)と筋立てのはっきりした物語性、演劇性の強い作品となっている。もともとは音楽、照明、美術による空間構成を駆使した抽象性の高いダンス作品を得意としていた勅使川原三郎が物語性の強い作品を製作することが多くなっているのは芸術的なパートナーであるダンサー、佐東利穂子がダンスアクトレスという色彩が強いダンサーであり、もちろん、彼女は運動能力、柔軟性も強く抽象的なダンスも踊れるのだけれども、「白痴」のナターシャや今回のハリーなど女優的に誰かを演じた時に格別な魅力を醸し出すことができる人だからということがあるのかもしれない。