KAAT神奈川芸術劇場プロデュース 「ゴドーを待ちながら」(多田淳之介演出)@KAAT
去りゆく平成。始まる令和。
男たちはいつから待っていたのか。そして、これからも待ち続けるのか・・・
不条理劇の不朽の名作、ついに上演!日韓共同製作作品『가모메 カルメギ』に於いて韓国で最も権威のある東亜演劇賞演出賞を外国人として初受賞するなど、海外からの注目も集める多田淳之介がベケットの名作に挑戦します。
年代の異なる2バージョンにて交互に上演!
主人公のウラジミールとエストラゴンを、60歳代の昭和・平成ver.と30歳代の令和ver.の2バージョンにて交互に上演。年代の異なる2組が、同じ舞台装置のなかで、同じ台詞を語る・・・ゴドーを待ち続けた昭和・平成バージョン、これからも待つであろう令和バージョンの違いをお楽しみください。
不条理な現代に「待つ」ことについて問う!
瞬時に連絡が取れる現代では、「待つ」ことが無駄な行為のように思われつつあります。ただ、ゴドーを待つ二人。不条理劇の名作が喜劇と思える現代に、多田淳之介が切り込みます!
原作:サミュエル・ベケット
演出:多田淳之介
出演:
令和版と昭和・平成版を昼夜で観劇。岡室美奈子の新訳、多田淳之介の演出はいままでの上演よりは取っつきやすいもののやはり「ゴドーを待ちながら」は現在の基準からすれば退屈な感覚があることは否定できない。ただ、その退屈感、これ永遠に続くのかという感じがゴドー待ちの重要な要素であることも確かだ。
昭和・平成版には分かりやすい面白さがあった。企画したのが芸術監督の白井晃だが、昭和・平成版のキャストに大高洋夫と小宮孝泰を持ってきたのはいろんな意味で絶妙。ベケットによる初演以来、ウラジミールとエストラゴンにはヴァードビリアン的な要素を持ったパフォーマーによって演じられてきただけに小宮孝泰は極めて適任であると思えた。
そして、相手役に大高洋夫が選ばれたのも私の世代にとっては興味深い。大高といえば鴻上尚史の率いる第三舞台の中心俳優だったのだが、その代表作品だった「朝日のような夕日をつれて」が「ゴドー待ち」を下敷きとして、そこからの引用もふんだんに取り入れた作品だったからだ。
第三舞台は早稲田大学演劇研究会(早稲田劇研)内のアンサンブル劇団としてスタートしたから初演当時の出演者は全員20代の若者だった。