下北沢通信

中西理の下北沢通信

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「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」(2)

「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」(2)@中西理

 他の作品についてはどうであろうか。先ほど、準「過去」タイプとして取り上げた「ハロウィーン・パーティー」では冒頭でオリヴァ夫人の目の前でジョイス・レイノルズ殺しという犯罪が起こる。その意味で「過去」タイプではないのだが、準「過去」タイプと見なしたいのは殺人があった直前にジョイスがオリヴァ夫人の前で「自分は昔殺人事件を見たことがある」と言い出し、どうもそれがジョイス殺しの引き金になったらしいからだ。
 こうしてポワロとオリヴァーによる「失われた殺人探し」が行われることになる。つまり、「失われた殺人」の探求をメインと考えた場合、その犯罪は被害者も起こった時期も場所も分からず、その実在さえがあいまいであり、ホワットダニットの「何が行われたのか」に相当し、ジョイス殺しそのものが「失われた殺人」の伏線として存在しているのである。

ホワットダニットタイプの作品について
 次に「何が行われたか」を謎の中心としたタイプの作品について考えてみよう。これはマープルの3部作と一般に称されている「カリブ海の秘密」「バートラム・ホテルにて」「復讐の女神」の3作品である。これらの作品では探偵が調査すべき事件の存在自体が雲をつかむように判然とせず、そもそも何が事件で何が謎であるのかさえ、はっきりとしないという特徴を持っている。
 特に「バートラム・ホテルにて」は東山氏の定義によるホワットダニットの特徴とよく一致している。「バートラムホテルにて」では明かされるべき犯罪の存在は真相が明らかにされた時、初めて示される。ペニフェザー牧師の奇妙な失踪事件や列車大強盗などがワキ筋として示され、錯綜した人間関係の描写の裏に何らかの事件のようなものが進行していることが暗示されるのだが、これらの描写はすべて真相に対しては伏線としてのみ存在している。章末付近で殺人事件が1つ起き、その解決も示されるのだが、それもおざなりのものに過ぎず「バートラムホテルにて」のメインはバートラムホテルというホテルの正体そのものなのだ。
 物語は次のように始まる。作者クリスティーは事件の舞台となるバートラムホテルのことをこのように語りだす。

 ハイドパークから出ている、これといった目立たない通りをはなれて、左へ右へ一、二度まがると静かな街路へ出る。その右側にバートラム・ホテルがある。バートラム・ホテルはずっと昔からそこにあった。戦争中にその右側の家々が取り払われ、また少しはなれた左側の家も取りこわされたが、バートラム・ホテルだけはそっくりそのまま残った。そんなわけだから、家屋売買業者にいわせると、傷だらけよごれだらけという状態をまぬがれなかったが、ほんのわずかな費用でもとの状態に修復された。1955年にはこのホテルは1939年当時とそっくりになっていた。―高い品格であって、地味で、また目立たないぜいたくもあった。
「『バートラム・ホテルにて』(乾信一郎訳)」

 中に入ると、バートラム・ホテルにははじめての人だったら、」まずびっくりする。――もはや消滅した世界へ逆もどりしたのではないかと思う。時があともどりしている。まるでエドワード王朝時代の英国などである。「同上」

この儀式を主宰しているのがヘンリーで、壮大な身体づき、男盛りの五十歳。親しみがあって、オジサン風で態度は丁重、もはや消滅して久しい種類の人間、完璧な従僕である。そのヘンリーの謹厳な指図で、背のすらりとした若者たちが実際の仕事を執り行っている。紋章付きの銀製盆にジョージ王朝時代の銀製ティーポット。茶は本物のロッキンガムやダペンポートではないにしても、それらしく見える。無差別のサービスがまた特に好ましかった。茶は最上のインド、セイロン、ダージリン、ラプサンなどであった。おつまみとしては好きなものは何でも注文できたし……また、その注文がかなえられた。「同上」

古き良きエドワード王朝の面影を残すバートラム・ホテルに現代からの闖入者として、女流冒険家のベス・セジウィック、その娘の若いエルヴァイラ、そしてオートレーサーでベスの愛人のラジスロース・マリノスキーが現れ、この3人の三角関係を中心とした錯綜した人間関係が描かれる。
 そして、一方ではそれと並行して、クリスティー描くところの典型的なビクトリア朝人物であるペニウェザー牧師が登場し、その奇妙な失踪事件の顛末も語られることになる。そして、さらにワキ筋としては一連の強盗事件の捜査を進めているロンドン警視庁の様子も語られる。
 一見無関係に思われるこれらの出来事が同時進行で語られることにより多層的な世界が創出されるのだが、こうした別々に思われる出来事は1つの犯罪の伏線として回収されていくことになる。ここでは従来のミステリ小説でよく取られた「事件→捜査→解決」とは全く異なるプロットによって物語は進行していくのだ。
 この作品では東山氏が「第四の推理小説」の中で予言的に言及した純粋のホワットダニットは推理小説でありながら、その小説的な部分に制約を与えずに、しかも数奇な意外性を持つという特徴がある程度実現されていることが分かる。意外性という意味では初期の作品で大トリックによってスプライズドエンディングを追求したクリスティーが晩年に至って、今度はホワットダニット型の小説に到達するにいたったという流れがある程度了解されるのではないだろうか。

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