下北沢通信

中西理の下北沢通信

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青年団若手自主企画vol.84 櫻内企画「マッチ売りの少女」(別役実)@アトリエ春風舎

青年団若手自主企画vol.84 櫻内企画「マッチ売りの少女」(別役実)@アトリエ春風舎

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 五反田団「いきしたい」のことを「別役実思わせる不条理会話劇」と評した*1が、こちらはその別役実の初期作品*2である。コロナによる自粛でほとんどの演劇公演がなくなってしまったため、そうした動きはすっかりなくなってしまったが、別役実は戦後演劇界の巨匠のひとり。本来なら3月に亡くなったことを受けて、過去作品の上演など総括・再評価の動きも加速されたはずだったのにと考えながら開演を待った。
 大晦日の晩、子供を幼くして亡くした初老の夫婦が、「夜のお茶」の準備をしていると、そこへ市役所から来たという見知らぬ女が現れ、夫婦の実の娘だと告げる。そして女は「かつてマッチを売っていた」という。
 かなり謎めいた戯曲であり、「マッチを売る」「市役所から来た娘」などは寓意を含んだある種のメタファー(隠喩)のように感じられる。上演記録などを見てみると初演当時は少女の存在は忌諱されていた私たち一般国民の戦争責任などと関連付けられて解釈されていたようだ。ただ、現代の目で虚心坦懐にテキストをとらえてみるとそこに太平洋戦争やその戦争責任などを見て取るのは困難ではないか。太平洋戦争とはあまりにも距離ができ、そういうものを実感として感じ取れないと思うからだ。だから、そうした種類の解釈は現代の観客の前では成立しにくいのではないか。
 今回の上演ではこの戯曲にそうしたものを反映しての解釈はしていないと思えた。解釈してないというより、個々の要素を暗喩としてとらえ、単純な置き換えをするようなやりかたは退けていると感じた。
 「マッチ売りの少女」を寓意として捉えるのではなくて、まず作者である別役実によって配置された老夫婦とその娘と名乗る女の三人の関係性が引き起こす構図が提示されていく。そこから一意には解釈できない様々なイメージが観客それぞれの心中に喚起される。それがこのテキストの上演の意味合いではないかと感じた。
 演出的に面白いと思ったのは少女が老夫婦の部屋に入ってきて、お茶を振舞われるはずなのに少女が空間的には部屋の形に区切られた舞台装置の外側に常にいて入ってこないで会話を交わし続けることだ。さらに後半登場するはずの弟もこの舞台では声だけの存在。最後まで姿を見せない。もともと本当にいるのかどうかが不明な存在だが、この上演では「実際にはいない」感がより強調されている。
 本来は同じ部屋の中にいて、お茶を飲みながら座っているはずの夫婦もお互い離れた位置に立っている。この出演者同士の物理的な距離感が戯曲が提示しているはずの距離感と食い違っている。それが、コロナ禍のソーシャルディスタンスによる人と人の間の心理的障壁を象徴するもののように感じるが、もちろんそれもそういうことを提示するための寓意でもないのだろう。
 少女を演じた新田佑梨の微笑を浮かべた謎めいた表情が印象的であった。奇妙な存在感を漂わせるが、そこには実在感がない。そのために登場人物全員が亡霊めいて見えてくるのである。
 作品とは直接は関係ないがひさびさの観劇ということもあるが、今回のように観劇に集中が必要な作品をマスクをしたまま1時間以上見続けるのは体力的につらいと感じた。そのため後半やや集中力が散漫になり意識が飛びかけた。この舞台の解釈に重要な部分を何カ所か見逃したかもしれない。そういうわけで、観劇後予約してこの舞台をもう1回見ることにした。

作:別役 実 演出:橋本 清(ブルーノプロデュース、y/n)


晦日の雪降る晩。
初老の男とその妻が「夜のお茶」の準備に勤しんでいる。
そこへ突然、市役所からの紹介でひとりの女がやって来てーー。

1966年、早稲田小劇場の杮落とし公演で初演を迎えた本作は、「戦後不条理演劇」の金字塔とも呼ばれ、半世紀以上が経った今でも多くのカンパニーや演出家の手によって上演が重ねられている。

わたしたちにとって過去とは何か? 現代で過去を扱うとは一体どういうことなのか?

かつてマッチを売っていた、という少女の「記憶/体験」を軸に、現実と幻想、忘却と回想、招きいれるものと招かれるものの関係を再考していくための、室内劇。

櫻内企画

技術スタッフとして活動する櫻内が、公演ごとに異なる演出家とタッグを組み、既成戯曲の上演を行う個人企画。
先鋭的な手法を用いる同時代の演出家と共に、強い言葉を持つ既成戯曲を扱う事を通じて、現代における演劇と社会の繋がりについて考えていく。
出演

串尾一輝(グループ・野原)*
新田佑梨*
畠山 峻(people太、円盤に乗る派)
(*)=青年団

スタッフ

演出:橋本 清(ブルーノプロデュース、y/n)
音響・他:櫻内憧海(お布団) *
宣伝美術:得地弘基(お布団)
演出助手・当日運営:山下恵実(ひとごと。) *
制作:半澤裕彦 *
(*)=青年団

総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)<<

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:1966年、早稲田小劇場の杮落とし公演で初演