下北沢通信

中西理の下北沢通信

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発達障害もいる労働現場 丁寧な筆致で描き出す 青年団リンク やしゃご「てくてくと」(2回目)@こまばアゴラ劇場

青年団リンク やしゃご「てくてくと」(2回目)@こまばアゴラ劇場

てくてくと


 隠された関係性が登場人物の演技の微妙なトーンや発話によって明らかになっていくのが平田オリザ岩松了松田正隆長谷川孝治らが生み出した「関係性の演劇」*1と言っていいが、伊藤毅もそこに連なる作家のひとりと言っていいだろう。こうした手法をとる作家の作品は一度だけ見たのでは「あれは何だったんだろう」と見逃してしまった部分の描写が再度の観劇により明らかになってくることだ。関係性の解像度が複数回の観劇により上がってくるのだと言ってもいいだろう。
 二度目の観劇では障害をかかえる社員の上司で時折部下と軋轢を引き起こしている男(中藤奨)が周囲にはそういう困ったところのある人と思われているようなのが、実は一般採用で雇用されている発達障害を持つ人だったのが彼が部下である女性(石原朋香)を相手にする中で漏らす「クローズ」という一言から分かってくるところだ。
 「クローズ(就労)」とは、障害を持つ人が自身の障害を開示しないまま、企業に就職することだ。反対に、企業に自身の障害を開示して就職することを「オープン(就労)」という。オープンには、障害者枠で就職することに加え、障害を有することを開示し、一般枠で就職することも含まれる。「クローズ」は一般枠で応募し、他の障害を持たない人と同じ条件で仕事をする。障害を有することを開示しないということだ。
 健常者が障害者を差別するという単純な差別構造にとどまらず、クローズやグレーゾーンというカテゴリーの人も劇中に登場させることでクローズの男は自分が努力してきたという自負があるがゆえにグレーゾーンの女性やオープンの人を理解して協力するというよりは厳しく当たってしまい、そこに本人が認識している以上の軋轢を生んでいるということ。グレーゾーンの女性は人間関係から生まれるつらさに守られている発達障害の認定者(オープン)に嫉妬心を起こす。こういう複雑な関係性を伊藤は描き出す。
 平田オリザは「ソウル市民」の中で戦前の漢城に暮らす日本人の一家を描き出すことで日本人としては比較的開明的かつリベラルな考えを持つ一家に潜む朝鮮人への隠蔽された差別感情を描き出したが、伊藤は「てくてくと」は現代人に潜む障害者に対する隠蔽されたあるいは無意識の差別感情を抉り出す。もうひとつの主題は一種のコミュニケーション不全である発達障害には一般人との間に本質的な差異はなくて、両者を線引きするのは現代医学が設けたしきい値のようなものでしかないのではないかということを提示していることだ。それはいわゆる「グレーゾーン」の人から、医学の見地からは問題がなくても性格的にかなり鈍感なところがあり、自らが行っていたいじめ行為に気が付かないような人まで様々なコミュニケーションおける齟齬をはらみながら社会生活は営まれているということ。伊藤はそれをまるで細密描写のように演劇の筆で描き出しているように思われた。

作・演出:伊藤毅

仕事場、私生活。ちっとも上手くいかない。私は他の人と何かが違う。
病院で検査を受けたら、ただの性格の問題と診断された。
僕は/私はどうやら『普通』らしい。
ここからどこに向かえばいいのか。

平田オリザ主宰の劇団、青年団に所属する俳優、伊藤毅による演劇ユニット。
現実で見落としがちである(敢えて目を向けない)シーンを演劇化し、『社会の中層階級の中の下』の人々の生活の中にある、宙ぶらりんな喜びと悲しみを忠実に描くことを目的に、
登場人物の誰も悪くないにも関わらず起きてしまう答えの出ない問題をテーマにする。
団体名の「やしゃご」は、ひ孫の子供くらいになると皆きっと可愛がってくれると思って。

出演

木崎友紀子 井上みなみ 緑川史絵 佐藤 滋 中藤 奨(以上、青年団
石原朋香 岡野康弘(Mrs.fictions) 辻 響平(かわいいコンビニ店員飯田さん)
とみやまあゆみ 藤尾勘太郎 赤刎千久子(ホエイ)

スタッフ
作・演出:伊藤 毅
照明:伊藤泰行
音響:泉田雄太
舞台美術:谷佳那香
チラシ装画:赤刎千久子
宣伝美術:藤尾勘太郎
制作:河野 遥(ヌトミック)
当日運営:高本彩恵(劇団あはひ)
舞台監督:中西隆雄