下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ダムタイプ「S/N」記録映像@配信を見た

ダムタイプ「S/N」記録映像@配信を見た

ダムタイプ「S/N」(1995年)*1の記録映像がきょう(9日)までの期限付き配信されており、最終日の本日それを見た。この配信公開に関連してニューヨークと日本をリモートで結んで開かれたトークで、この作品が上演された1995年当時のことが回想されていたが、振り返ってみればとんでもない年だった。この年には阪神大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、「新世紀エヴァンゲリオン」がテレビ東京系列で初めて放送されたのもこの年の10月であった。演劇界隈では平田オリザが「東京ノート」で第39回岸田國士戯曲賞を受賞したのもこの年であり、しかも同時受賞が80年代の演劇を牽引してきた鴻上尚史であったというのもいま考えてみれば非常に興味深い。そんな臨界点にあった1995年にダムタイプ「S/N」が上演されたのは今から振り返ると非常に象徴的な出来事だった。
ダムタイプ「S/N」は実際には古橋悌二氏が亡くなる前の彼自身が舞台に立ったバージョンと亡くなった後のバージョンの二度見ている。その後も映像などでは幾度となく見ているのだが、コロナ禍以降の眼で見る「S/N」にはまた違った見え方がしてくる部分があった。感染症としての性質については違いがあるとはいえ、LIVE with AIDSという言葉が出てくる当時の状況と現在のコロナ禍の状況には重なり合う部分が大いにあると思う。コロナとの関係を意識しなくてもいまこの作品を見てみると当時日本の舞台芸術としては珍しい主題を扱っていたこの舞台だが、LGBTQなどその後一般化された性的マイノリティーの概念を先取りしていた部分もあり、当時よりも今見る人の方がそういう意味では違和感なく受け入れられるかもしれない。
ダムタイプは当時、マルチメディアパフォーマンスグループなどと評されていたが、今見れば明らかにメディアアートである。現代日本メディアアートの最先端であるライゾマティクスリサーチの活動をさかのぼればその中心人物である真鍋大渡がダムタイプ藤本隆行との共同作業からパフォーミングアートの活動をスタートさせていることを考えてもダムタイプメディアアートの源流にあるのだ。

もっともダムタイプの舞台を見てもっとも惹かれたのはそのたぐいまれな美しさであった。この「S/N」では作品を彩るモチーフとして何度も「生」と「死」をメタファー的にビジュアライズした場面が繰り返されるが、フラッシュライトのように点滅した光の中で白い壁面の向こう側にパフォーマーが落下していく場面の美しさはこの30年間見続けた幾多の舞台芸術作品のなかでも屈指の美しさであり、そうしたビジュアルイメージは30年をへた今現在映像で見ても微塵も古色蒼然を感じさせないほど新鮮なのだ。
 ダムタイプは上演された当時のことを知らない新しい若いファンを時折ある映像上映などを通じて獲得し続けている。当時最先端の表現と言われていた表現のほとんどが現在映像で見たらその魅力を失っていることが多いことを考えれば稀有なことと思う。
ダムタイプの魅力はなんといってもビジュアルや音楽などの面でのセンスのよさであり、京都市立芸術大学という東京芸術大学と並ぶ名門でアートのセンスを磨いてきた才能集団であることだと思う。以前、ダムタイプのことを「極めて京都らしい集団」と表現して周囲の人間に当惑されたことがあったが、メディアアートの先駆とされ、ハイテクパフォーマンスと呼ばれたこともあるが、池田亮司、高谷史郎らが中心となってデジタル技術が多用された後期の作品はともかく、「S/N」までの作品はハイテクノロジーのイメージは纏っているが、その内実は極めて工芸的で巧緻なアナログ技術を駆使したものである。そうした方法でまるで現代の電子技術を駆使したメディアアート(例えばライゾマティクス・リサーチ)と比べても何ら遜色のないビジュアルイメージを演出してみせたのがこの集団の素晴らしさであり、それは極めて京都的であると思うのだ。

順番に指を折り始めると増えていってしまうのだが、ダムタイプ維新派上海太郎舞踏公司ク・ナウカ(宮城聰)、そして当時その対極にあると考えていた青年団平田オリザ)と松田正隆。こうした作家(集団)との出会いがなければ私はここまで舞台芸術という分野にここまで深入りすることはなかったであろう。時間があまりないが、まだ見てなければ駆け込む価値はある作品だ。