下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

「異世界を捏造する演劇」 ロロ並びに三浦直之の新境地 東京芸術祭2021 ロロ『Every Body feat. フランケンシュタイン』 @東京芸術劇場

東京芸術祭2021 ロロ『Every Body feat. フランケンシュタイン』 @東京芸術劇場

メアリー・シェリーの小説も読んでいる。それをもとにした映画も以前に見たことはある。だが、いずれもだいぶ前で記憶があいまいではあるが「こんな話ではなかったはずだ」と思い続けながら舞台を見終わった。
ロロ『Every Body feat. フランケンシュタインと「フランケンシュタイン」を表題してているもののこれはロロの三浦直之によるオリジナルと受け取った方がいいだろう。そういうものだと考えて、「フランケンシュタイン」の存在を頭から追い払うことができさえすれば挿入されたエピソードのひとつひとつは詩的な美しさにも満ちていて、「ロロらしい」「三浦直之らしい」新作と言えるのだろうと思う。
 個々のエピソードに感情を揺さぶられるようなものが多く、特に島田桃子が演じた断食を続けることで体重のほとんどを失って、足音も失う少女や奇妙な集会を開く男たちとそこで自作の詩を朗読する少女、世の中にある音を採集している男の物語は面白くて独立した物語としてもう少し長いものを見たくなってくる。
 舞台を何かに感じが似ているなと思いながら見ていたのだが、途中で「そうか」とひらめいた。東京芸術祭の総合ディレクターを宮城聡がやっていることと関係があるのかどうかは不明だが、SPACが上演しているオリヴィエ・ピィによるグリム童話のシリーズ*1のことである。
 ロロの演劇はリアリズムではないけれど普段はここまで現実離れしていることはなくて、どこか現実世界とつながっている部分はある。ところが今回の作品は原作があるということもあってか、童話的あるいは寓話的な世界が構築されている。こういう作風は現代演劇の作家ではあまりなくて、作風はかなり違うが虚構への入り込みへの度合いではケラリーノ・サンドロヴィッチの例がある程度であろうか。ケラ作品については「異世界を捏造する演劇」と評して論考を執筆したことがあったが、ロロの作品からも似たような欲望が感じ取れるのだ。
 「フランケンシュタイン」を基にした「怪物」のエピソードもそうした奇妙なエピソードのワン・オブ・ゼムのようになっている。それが冒頭に書いたように「こんな話ではなかったはずだ」と思う大きな要因となっている。
 「怪物」は3人の俳優が身体表現を駆使していわば三位一体で表現するのだが、複数の死体を組み合わせて作ったというイメージはあるものの映画や漫画で有名な怪物のイメージとはほど遠いものだ。それゆえ、そこから観客がどのようなイメージを汲み取るのかというのはそれぞれに異なるということになり、そこにこれが演劇で上演される意味合いはあるのだと思う。いずれにせよ、ロロならびに三浦直之は新境地を開拓したということができそうだ。
 

ロロ『Every Body feat. フランケンシュタイン

死者をパッチワークしながら生きる「怪物」。その正体は──

古今東西ポップカルチャーをサンプリングし、「ボーイ・ミーツ・ガール=出会い」の物語世界を立ち上げる劇団ロロ。高校演劇活性化を目指した『いつ高』(2015〜)シリーズなど、若者たちの賑やかな喧騒、瑞々しい心模様を描いてきた彼らが、メアリー・シェリーのゴシック小説『フランケンシュタイン』を大胆に翻案、シリアスな新境地に臨む。
死者のパッチワークから生み出された怪物は「悪しき存在」だったのか。創造主・フランケンシュタイン博士の罪、皮膚のつなぎ目が露呈する死者と生者の曖昧さに迫るロロ版『フランケンシュタイン』。そこに息づく「怪物」の正体とは──。

日程2021年10月09日 (土) ~10月17日 (日) 会場シアターイース
原案メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』 脚本・演出三浦直之(ロロ)

出演
亀島一徳
篠崎大悟
島田桃子
望月綾乃
森本 華
(以上、ロロ)

緒方壮哉(libido:)
関 彩葉
名児耶ゆり
日高啓介(FUKAIPRODUCE羽衣)
松本 亮