下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ヌトミック「ぼんやりブルース」(1回目)@こまばアゴラ劇場

ヌトミック「ぼんやりブルース」(1回目)@こまばアゴラ劇場

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ヌトミック(額田大志)シェイクスピアに挑戦した一昨年ぐらいから額田の流儀での「演劇」への接近を試みてきたように思うが、音楽、美術、映像、声、言語テキストの断片をコラージュのように組み合わせた「ぼんやりブルース」のようなスタイルが彼の創作の本線なのだとはっきり感じさせた作品であった。
額田は多方面に関する才能の持ち主だが、やはり中核にあるのは音楽家としてのそれで、この作品全体の流れを規定しているのは音楽だ。それゆえ、言語テキストはあくまでもそうした構造の中での一構成物に過ぎず、通常の演劇作品のようにそこから物語やメッセージを読みとろうとすると途方に暮れるということになりかねない。つまり、「ぼんやり」していて1つのフォーカス(焦点)を結ばず、よく意味か分からないのだ。
しかし、それでもこの作品が分からないけど面白いのは意味には回収できないようなさまざまなイメージの断片に彩られていて、それが私たちの五感を刺激するからだ。
もちろん、作者本人も震災と現在のコロナ禍で感じたことが作品制作の契機となったということも明らかにしており、直接的な言及はどちらに対してもほとんどないけれどそういう空気感をこの作品がまとっていることも確かなのだ。
冒頭近くのボイスパフォーマンス的な声のフラグメントはともかくとして。その後登場する男(長沼航)の「おーい!立ってる!立ってます。立ってますか?もしもし?わたしは立ってますか?立ってしまって、いますか? T、O、K、Y、O、東京から、遠く遠く数百㌔。山!川!海!、それでもなんとか立って……」などの発話はここに置かれていることに何らかの意味がありそうだが、これだけでははっきりした意味は分からない。男が呼びかけている「みんな」とは誰のことなのか。この作品にはほかにもいくつか断片ではないまとまった台詞も存在はするのだが、いずれもモノローグでしかも浮島のように孤立して漂っているようで、はっきりとしたコンテキストが浮かび上がってこないのだ。
 女が読み上げている手紙もそうだ。福島に移住している宮本久統という人からの手紙なのだが、宮本久統とは何者なのか?電話している女の電話相手も「だれ」なのか。脳裏にはひとつの可能性は浮かんでいるのだが、それが正しいかどうかは分からない。もう一度観劇の機会があるのでそれが正しいのかどうか再確認をしてみたいと思う。

構成・演出・音楽:額田大志

未来がぼんやりとしてしまった。みんなが、自らの力で立ち上がらないといけない時代。家族や会社、都市の共同体がゆるやかに歪んできて、そんなときに「上演」でできることは何かを考える。果たして、わたしが信じられる日常はどこにあるのか。

『ぼんやりブルース』は、信じられる(かもしれない)未来を掴もうとする、途方もない(と思われる)ことに取り組むパフォーマンス。無謀かもしれないけれど、今はそれを信じながら上演をつくります。

2016年に東京で結成された演劇カンパニー。
「上演とは何か」という問いをベースに、音楽のバックグラウンドを用いた脚本と演出で、パフォーミングアーツの枠組みを拡張していく作品を発表している。俳優のみならずダンサー、ラッパー、映像作家などとのコラボレーションも積極的に行う。主な作品に『SUPERHUMAN』(2018)、『アワー・ユア・タワーズ』(2019)、『それからの街』リクリエーション(2020)など。また「ヌトミックのコンサート」と題したライブパフォーマンスも定期的に開催。

出演

朝倉千恵子鈴木健太、長沼航、額田大志、原田つむぎ、藤瀬のりこ

スタッフ

舞台監督:中西隆雄 黒澤多生
音響:山川権(MR SOFT LLC.)
照明:松本永(eimatsumoto Co.Ltd.)
舞台美術:渡邊織音
衣装:中島エリカ
映像:高良真剣
ムーヴメント指導:藤瀬のりこ
演出助手:鈴木啓佑
稽古場助手:深澤しほ
宣伝美術:三ッ間菖子
制作補佐:山下恵実 大野創
制作:河野遥<<