下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

Kawai Project 『お気に召すまま』@シタートラム

Kawai Project 『お気に召すまま』@シアタートラム

作:ウィリアム・シェイクスピア
訳:演出:河合祥一郎
出演:太田緑ロランス、玉置玲央、釆澤靖起、小田豊、鳥山昌克、山崎薫、三原玄也、遠山悠介、岸田茜、峰崎亮介、荒巻まりの、玲央バルトナー、Lutherヒロシ市村、後藤浩明(楽士)、川上由美(楽士)
※山崎薫と峰崎亮介の「崎」は立ち崎(たちざき)が正式表記。

シェイクスピアの上演には多種多様な形式がある。男優のみによる上演。女優のみによる上演。現代に時代を映しての上演。特に日本での上演ではそうした傾向は顕著であり、それには翻訳も文語体に近い文体から、さまざまな口語体での翻訳までとりどりみどりということもある。時代を経て翻訳が時代にそぐわなく感じられればより現代語に近い文体にアップデートされてもいく。そのバラエティーの多彩さでは世界屈指ではないかと思う。
 そうした中でKawai Projectの上演はシェイクスピアの研究者であり、翻訳家でもあり河合祥一郎が自ら新訳を手がけ、演出も本人が手がけているのが特色。シェイクスピアの原典を忠実に反映した上演を目指しており、変り種の上演には事欠かないが、こうしたオーソドックスな上演は日本では逆に珍しいかもしれない。
 Kawai Projectはシェイクスピアの原典に忠実な上演を目指すと書いたが、実は実際にシェイクスピア作品を上演したのはまだ旗揚げ公演の「から騒ぎ」と「まちがいの喜劇」、今回の「お気に召すまま」の3本だけだ。
 上演回数の多い「ロミオとジュリエット」や4大悲劇ではなく、いずれもコメディー。しかもこちらも有名で上演が多い「夏の夜の夢」「十二夜」ではないのに河合のこだわりが感じられて面白い。
 私が最初に自分でチケットを買って見に行った舞台がシェイクスピア・シアターの「ロミオとジュリエット」(京都府文化芸術会館)、続けて見た舞台がそとばこまちの「夏の夜の夢」(同志社大学新町講堂)だった。いずれも京都大学在学中のことだから、今から40年近くも前のことである。それにどちらかというと演劇の舞台を見に行くというよりは、それ以前にシェイクスピアの戯曲を読んだり、映像作品をも見たりしていた。シェイクスピアが好きだったので実際の舞台はどのように上演されているのだろうという興味で観劇したのだった。その意味でシェイクスピアは私の観劇体験の原点ともいえ、こだわりも強く、それゆえついつい舞台の評価も厳しくなりがちだ。
 ただ「お気に召すまま」については劇団そとばこまちの上演を映像で見たほか、ケネス・ブラナーによる映像版を見てはいるが、舞台を見る機会はそれほどなかった。国内での上演を見たことは思い出せず、観劇経験はほぼ海外でのことだったかもしれない。そして、それは思ったほどは上演例が多くはないからかもしれない。
 それはなぜかと考えたのだけれど今回見て分かったのは「十二夜」のマルヴォーリオいじめの場面や「夏の夜の夢」のアテネの森の4人の恋人たちの彷徨の場面のような演出のやり方次第では抱腹絶倒といってもいい場面は「お気に召すまま」にはない。喜劇としてはもうひとつ地味だということがあるからかもしれない。そとばこまち版で最初のレスリングの試合の場面をプロレスの試合仕立てにしてタイガーマスクまで登場させたり、笑いを求める関西の若い客を相手に大向こう受けを狙ったような演出であり、研究者の目を顰めさせるような破天荒さはあったが若いつくり手の新鮮な魅力に溢れた舞台でもあった。
 実は最初に多様な演出と言うのを強調したのはこまばアゴラ劇場の演出コンクール*1の二次審査でこの「お気に召すまま」のアーデンの森の場が課題となり、3人の演出家(額田大志=ヌトミック、和田ながら=したため、野村眞人=劇団速度)がそれぞれ上演。演出コンクールという場の性格もあろうが、こちらも正統派から奇を衒った異色の演出までいろんな顔を見せてくれた。そこではロザリンド役の永山由里恵に飛び道具的なエキセントリックな演技をさせた額田がインパクト勝ちのような形で勝利を収めたのだが、一方でその上演はその場面だけの上演としては抜群に面白かったが、全編を通した上演のなかでそれを見たらこの戯曲全体の解釈としては成り立たないのではないかとの評も一部審査員から出ており、それを受けてか額田がその後、こまばアゴラ劇場での「お気に召すまま」の全編上演を決めたという経緯もあった。
 そういうこともあり、額田による上演を見る前に一度比較的オーソドックスな演出による上演を見ておきたいと思ったのだ。
 さて、それで実際にどうなのかというとこれは恋愛コメディとしてよく出来てはいるが、笑いという点では正直言って少しもの足りないのだ。そういう意味ではやり過ぎではと思ったが、自らロザリンドを演じていた上海太郎が演技の部分でもうひと味付け加えようとした気持ちが分からないでもない。
 太田緑ロランスはいい女優だが、美人すぎてロザリンドに合っているかどうかには疑問も感じた。