下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

こまばアゴラ劇場サヨナラ公演|こまばアゴラ劇場地域貢献公演 青年団第100回公演「銀河鉄道の夜」@こまばアゴラ劇場

こまばアゴラ劇場サヨナラ公演|こまばアゴラ劇場地域貢献公演 青年団第100回公演「銀河鉄道の夜」@こまばアゴラ劇場


原作:宮沢賢治 作・演出:平田オリザ
「銀河ステーション―。」
星祭りの夜、1人寂しく夜空を見上げるジョバンニの耳に突如響く車掌の声。
親友カンパネルラとともに“本当の幸せ”を求めて様々な星座を旅し、2人の行き着く先は―。

出演
チーム蠍座:菊池佳南 富田真喜 山﨑千里佳 たむらみずほ 奈良悠加
チーム白鳥座:山田遥野 永田莉子 福田倫子 知念史麻 髙橋智子

スタッフ
舞台美術:杉山 至
舞台監督:中西隆雄
照明:西本 彩
音響:泉田雄太
映像:ワタナベカズキ
映像操作:島田曜蔵
衣裳:正金 彩 中原明子
票券:服部悦子
制作:赤刎千久子

加茂慶太郎・宮崎玲奈『実験ラボ2024年4月10日』

加茂慶太郎・宮崎玲奈『実験ラボ2024年4月10日』


『実験ラボ2024年4月10日』では加茂慶太郎・宮崎玲奈のふたりがそれぞれの作品をふたりで試演。その間の稽古も観客に公開し、将来の上演に向けての試行錯誤が行われた。
加茂慶太郎の作品を見るのは今回が初めて。逆に宮崎玲奈はこれまで何度も作品を見たことはあったが、演出およびに作品制作の過程を見るのはこれが初めてで非常に刺激的な経験であった。

加茂慶太郎と宮崎玲奈による、いま創作において問いたい命題を思いっきり実験する場。

🗓️2024年4月10日(水)
📍STスポット

こまばアゴラ劇場サヨナラ公演 青年団第99回公演「S高原から」(2回目)@こまばアゴラ劇場

こまばアゴラ劇場サヨナラ公演 青年団第99回公演「S高原から」(2回目)@こまばアゴラ劇場




作・演出:平田オリザ
高原のサナトリウムで静養する人、働く人、面会に訪れる人…。
静かな日常のさりげない会話の中にも、死は確実に存在する。
平田オリザが新たに見つめ直す「生と死」。



出演
島田曜蔵 大竹 直 村田牧子 井上みなみ 串尾一輝 中藤 奨 永山由里恵 南波 圭 吉田 庸 木村巴秋 南風盛もえ 和田華子 瀬戸ゆりか 田崎小春 松井壮大 山田遥野

【出演者変更のお知らせ】2024.02.15
出演を予定しておりました倉島聡は、体調不良のため休演させていただくこととなりました。倉島に代わり、永山由里恵が出演いたします。

スタッフ
舞台美術:杉山 至
舞台監督:中西隆雄
照明:西本 彩
衣裳:正金 彩 中原明子
宣伝美術:kyo.designworks
票券:服部悦子
制作:金澤 昭

こまばアゴラ劇場サヨナラ公演 青年団第99回公演「S高原から」@こまばアゴラ劇場

こまばアゴラ劇場サヨナラ公演 青年団第99回公演「S高原から」@こまばアゴラ劇場


青年団によるこまばアゴラ劇場サヨナラ公演の第一弾。おそらくこまばアゴラ劇場でもっとも多くの公演回数を観劇した青年団の作品が「S高原から」ではないかと思っている。これはこの作品が青年団の初期を代表する作品であるからということもあるが、現代口語演劇、群像会話劇、そして私が名付けた「関係性の演劇」の典型的な作品であることからある時期繰り返し若手公演として上演されたこともあるからだ。
これがどういう作品であるかについては何度も繰り返して評しており、それを引用すると次のようになる。

平田の芝居と最初に出合ったのは「ソウル市民」だったのだが、当時、「静かな演劇」ないし「静かな劇」と呼ばれていた平田の舞台について、その呼称には違和感があったもののそれがなにであるのかは分からず、この「S高原から」を見てその本質から平田オリザによる群像会話劇を「関係性の演劇」と呼ぶべきではないかとはっきりと確信したのもこの舞台によってであった。

 「関係性の演劇」とは登場人物の関性をそれぞれの会話を通じて提示することで、その設定の背後に隠蔽された構造を浮かび上がらせるという仕掛けを持った演劇のこと。平田の作品をこう呼ぶことにしたのは「静かな演劇」と呼ばれていながら、一部では新劇(リアリズム演劇)への回帰とも当時、解釈されていた平田の演劇は西洋近代劇の理論的支柱と目されていたスタニスラフスキー(そしてその後継であるメソッド演劇論)が前提としていた内面を持つ個人としての全人的存在である人間を否定して、人間というものはいわば複数の関係性を束ねる結節点のようなものとして存在しているにすぎないというまったく前提の異なる人間観をもとに構想されていたからだ
。そういう違いがあり、だから、一見見掛けが似ているところがあったとしても、「関係性の演劇」とリアリズム演劇(近代演劇)は別物であるということ。こういう演劇観は後に平田自身が著作のなかで明らかにしていることだから、現在時点でことさら強調するのも間抜けな感じが否めないが、要するにそういうことをはっきり感じさせた作品がこの「S高原から」だったわけだ。

 冒頭で「平田の方法論がよくも悪くも典型的な形で具現されていて」と書いたのにはちょっとしたアイロニーも実は含まれたもの言いでもあった。「関係性」ないし「関係的」というのは「記号的」と言い換えることも可能で、この戯曲には例えば「ソウル市民」ややはり平田の代表作と目されている「東京ノート」と比較してみたときに関係性の提示のありかたがあまりにも露わであり、それゆえ舞台を見終わった後の印象として個別の事象よりも全体として設計図のように描かれた骨組みがより前面にはっきり出てきて、図式的に感じられる欠点もあるということは指摘しておかなければならない。つまり、あまりにも平田の理論通りに作られていて余剰がないというか、教科書的な作品でもあるのだ。

 トーマス・マンの「魔の山」を下敷きに構想された「S高原から」は高原にあるサナトリウムの中庭にある休憩場所が舞台となる。ここには感染はしないけれど、治療の方法がなく完治することもないという病気*2に罹った患者が入院している。この芝居には大きく分類すると入院患者、病院のスタッフ、外部からこの病院への訪問者(患者の面会者)という3種類にグループ分けできる人物が登場し、それが相次ぎこの場所に現れ、さまざまなフェーズの会話を交わすことで物語は進行していく。

 「魔の山」から平田が引用してこの舞台のなかで何度も変奏されながら繰り返されるのがこの閉ざされた空間であるサナトリウムと下界との間に流れる主観的な時間の違いである。これは付き合っていた恋人との別れを経験することになる患者、「もうこんなに長くいるのだからここから降りてほしい」という婚約者と降りない患者などいくつかのエピソードによって繰り返し基調低音のように繰り返される。

 そしてそこに隠されているのはもちろん「死」ということだ。「死」は一般に私たちが暮らしている下界においては隠蔽された存在だ。だが、この患者たちにとってはいつか自分にもやってくる日常そのものでもある。ここに平田が描き出した会話を克明に観察していくと

 患者のグループは冗談などに見せかけて頻繁に「死」のことを話題にするのに対して、訪問者たちはその話題を回避する、あるいは見て見ないふりをする。そして、患者の友人たちは患者本人がいない時だけ、直接それに触れることを避けるようにして「あいつ相当悪いんじゃないか」などとそれを話題にするが、本人の前ではそれを本人が話題にしても笑ってそれを回避するような態度をとる。

 「死」とは「関係性の不在」であり、「関係性の演劇」においてそれを直接提示することはできない。繰り返される別れのエピソードは外部との関係性がしだいに希薄になってきていること、つまり、患者らが生きながら、ここで死んでいる状況を平田は象徴的に提示しているわけだ。
 平田の「関係性の演劇」には実はもうひとつ特徴がある。それは同じような関係を持つ2つの関係性がもうひとつの関係性を連想させるということ。簡単に言えば隠喩(メタファー)である。この舞台のラストは中庭に置かれたソファの上でまるで死んだように眠りつづけるある患者の姿で終わるのだが、この眠る患者の姿から観客はやがて来る「死」の姿を感じ取ることになり、そこでこの舞台は終わりを迎えるのである。


青年団「S高原から」のレビューから引用(http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20050716

 何度も見ている「S高原から」ではあるが、今回の上演についてどこか既視感があるなと思い上演記録を調べたところ、2022年4月に今回とほぼ同じキャストによる上演があり、それを3回見ていることがこのサイトの過去ログを検索して判明したのだ。

作・演出:平田オリザ
高原のサナトリウムで静養する人、働く人、面会に訪れる人…。
静かな日常のさりげない会話の中にも、死は確実に存在する。
平田オリザが新たに見つめ直す「生と死」。



出演
島田曜蔵 大竹 直 村田牧子 井上みなみ 串尾一輝 中藤 奨 永山由里恵 南波 圭 吉田 庸 木村巴秋 南風盛もえ 和田華子 瀬戸ゆりか 田崎小春 松井壮大 山田遥野

【出演者変更のお知らせ】2024.02.15
出演を予定しておりました倉島聡は、体調不良のため休演させていただくこととなりました。倉島に代わり、永山由里恵が出演いたします。

スタッフ
舞台美術:杉山 至
舞台監督:中西隆雄
照明:西本 彩
衣裳:正金 彩 中原明子
宣伝美術:kyo.designworks
票券:服部悦子
制作:金澤 昭

simokitazawa.hatenablog.com

劇団身体ゲンゴロウ5周年記念公演「ナマリの銅像」@新宿スターフィールド

劇団身体ゲンゴロウ5周年記念公演「ナマリの銅像」@新宿スターフィールド

劇団身体ゲンゴロウ5周年記念公演「ナマリの銅像」@新宿スターフィールドを観劇。1637年12月、島原・天草の農民たち(キリシタン軍)は原城(現・長崎県南島原市)に集結し、女性・子供・老人も含む総勢3万7千人が立て籠もった。これが俗にいう「天草四郎の乱」で「ナマリの銅像」はこの史実を基に製作されている。
 伝説では天草四郎ジャンヌ・ダルクのように自ら信じる思想に殉じた悲劇的な人物として描かれることも多いが、この「ナマリの銅像」ではマイクパフォーマンスの腕を買われ政治的な闘争に駆り出されることになるパチンコバイトの少年・四郎と重ね合わされ、何の変哲もない人間が状況に流されて英雄的な役割を演じざるを得なくなってしまう「普通の人の悲劇」として描かれていく。
 作品として少し分かりにくいのは最後の部分に戦争の勇士として銅像が作られた若者たちの像が戦争が終わり、用済みになったように壊されて廃棄され、ただの金属原料になってしまうというエピソードと途中でアジテーションをするパチンコ店の少年のイメージがどうもミスマッチで結びつかない感じがあることだ。ハンドマイクで反乱する闘志たちをあおる少年の姿は1960年代末の安保闘争を連想させる。それゆえ、この作品はいずれも多勢に無勢で敗北に追い込まれていく安保闘争における学生たちと幕府の武力の前に全滅に追い込まれる「天草四郎の乱」の島原・天草の農民たちを重ね合わせるというアイデアはそれなりの整合性があったとは思う*1が、これを最後の場面で太平洋戦争に従軍した若者たちに重ねあわせたのはいささか唐突な感が否めないと感じた。
 作品の表題からすれば作者が最後の場面が重要と考えているのは間違いなさそうなのだが、戦犯だとして戦時の英雄の像を廃棄するエピソードと島原の乱キリシタンのためにイコンとしての像を作り続けた少女の物語はやはりちょっと結びつきが弱いと感じざるをえない。  

《原案》菅井啓汰、武田朋也
《脚本・演出》菅井啓汰

《あらすじ》
ある日、少年は神にされたー
結成5周年を迎える「劇団身体ゲンゴロウ」の代表作、『ナマリの銅像』が大きくリニューアルして蘇る!

圧政強まる島原で、まもなく一揆と噂が走る。
パチンコバイトの少年・四郎は、口先達者の意気地なし。けれどマイクパフォーマンスの腕を買われ、神の子・天草四郎を演じることになり…

若者は、鉄砲見るまで無鉄砲。
母親は足並み揃えて改宗し、
親父がビクビクしながら竹槍を持てば、
傘連判の百姓共の右往左往の芝居の始まり。

四郎の口先は、神を人々に信じさせ始め…傘連番の人々の物語が走り出す。

運命に魅せられ、試され、殺された。
誰もが知ってる英雄の、誰も知らない物語。
教科書には描かれなかった、少年たちの青春譚再びー
《出演》
[A]初鹿野海雄、山﨑紗羅、新治龍之介、四家祐志、小林かのん、廣田直己、濵田創、越智愛
[B]初鹿野海雄、近藤璃乙、山本嵐太、四家祐志、小林かのん、廣田直己、濵田創、新治龍之介

《日程》
3/27(水) 19:00 A班 ◎
3/28(木) 19:00 B班 ◎
3/29(金) 14:00 A班 ◎ / 20:00 B班 
3/30(土) 13:00 A班 ☆A
3/31(日) 13:00 B班 ☆B / 18:00 A班 
◎…アフタートークあり。ゲストは公式SNSにて発表。
☆…本編終了後、アフターエピソードとして短編を上演。
出演:初鹿野海雄、新治龍之介(A)/山本嵐太(B)、山﨑紗羅(A)/近藤璃乙(B)、小林かのん、濵田創

上演時間:約2時間

《会場》
新宿スターフィールド
(東京都新宿区新宿2-13-6 光亜ビルB1F)
アクセス:JR新宿駅より徒歩10分、新宿三丁目駅より徒歩8分

*1:ただ、逆に言えば類似のアイデアの作品は大島渚作品など映画ですでに作られており、斬新さには欠けるかもしれない。

ミクニヤナイハラプロジェクト「船を待つ」@吉祥寺シアター (大阪キャスト)

ミクニヤナイハラプロジェクト「船を待つ」@吉祥寺シアター

▷東京公演 2024年 3月23日(土)~31日(日) 吉祥寺シアター

矢内原美邦が描く現代版「ゴドーを待ちながら
船を待つ人々の異なる想いが交差し、時のなかで運命の出会いや別れが紡がれる。永遠の船着場で彼らの孤独は謎めいた方向へ向かっていく。

ミクニヤナイハラプロジェクト最新作!
昨年12月大阪の扇町ミュージアムCUBEで初演を迎えた本作をさらにブラッシュアップし、音楽にTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDの石川智久氏、映像美術に高橋啓祐を迎え、さらに東京公演バージョンとして新たな俳優陣も加わり、大阪公演の出演者とのダブルキャスト吉祥寺シアターにて上演します。

作・演出:矢内原 美邦

出演:渡辺 梓 笠木 泉 鈴木 将一朗
ダブルキャスト
大阪公演バージョンキャスト:白木原 一仁 佐々木 ヤス子 沢栁 優大

音楽:石川 智久   美術:高橋 啓祐   照明:岡野 昌代

東京演劇アンサンブル 創立70年記念公演Ⅰ「行ったり来たり」@すみだパークシアター倉

東京演劇アンサンブル 創立70年記念公演Ⅰ「行ったり来たり」@すみだパークシアター倉


東京演劇アンサンブル 創立70年記念公演Ⅰ「行ったり来たり」@すみだパークシアター倉を観劇。東京演劇アンサンブルといえばブレヒトというイメージがあるから、創立70年記念公演の演目としてブレヒト作品ではないもののドイツ人劇作家エデン・フォン・ホルヴァートの音楽劇を選んだというのはいかにも「らしい」公演ではなかったろうか。
 エデン・フォン・ホルヴァートの作品を観劇したのは2021年に同劇団が上演した「ウィーンの森の物語」*1に続いて2回目。その公演の時には次のような感想を書いた。

「ウィーンの森の物語」の作者はエデン・フォン・ホルヴァート。第2次世界大戦の直前までオーストリアなどで活躍した劇作家である。東京演劇アンサンブルはブレヒトをはじめとしたドイツ演劇を積極的に上演していることで知られる劇団だ。ブレヒトのような古典にとどまらず最近では現代作家の紹介にも努め、ドイツ演劇上演について広いレパートリーを持っている。
そういう意味ではドイツ演劇の研究者である大塚直(訳・ドラマトゥルク)と組んで、おそらく日本にはこれまであまり紹介されたことがなかった(かもしれない)エデン・フォン・ホルヴァートの作品を上演したことは意義はあることだったかもしれない。

 前回に引き続き、演出公家義徳、翻訳・ドラマトゥルク大塚直のコンビによる上演。
 「ウィーンの森の物語」は「出来の悪い脚本家が担当したNHKの朝ドラのようで、正直言ってここまでひどいのは視聴者から総スカンを食らいそうだ。不思議なのはそれでもこれは『椿姫』のような悲劇として書かれたものでもなさそうだし、喜劇として上演されていたのかなとも思うけれど、モリエールのようにコメディとして笑えるものというわけでもないし作者の意図がよくわからない」とかなり厳しめな感想を書いたが、今回の「行ったり来たり」はそれと比べるとところどころに風刺要素は入ってはいるものの音楽要素を取り入れたコメディであるという輪郭がはっきりしていることもあり、単純に楽しく見られた。
 ドイツのオリジナル上演では音楽もクラシック要素の強い楽曲であったらしいが、今回は音楽をよりミュージカル要素の強いものとし、作品自体もリアルな表現というよりも寓話性の強いものとなっていたことで、現代のミュージカルなどになじんでいる観客にとってはより自然に受け入れられるような娯楽作品に仕上がっていたのではないか。
 今回の上演では主演のフェルディナント・ハヴリチェク(永野愛理)はじめ主要な男性登場人物の多くが女優によって演じられていた。しかもそれが役者としての歌がうまいタイプの女優が多いのも好感を持てた理由かもしれない。日本の児童演劇や小劇場演劇ではよくあることだが、原作がこういうタイプのキャスティングであったということは考えにくく、演出公家義徳、翻訳・ドラマトゥルク大塚直によるアイデアであるとするなら、リアルというよりはファンタジー要素の強い舞台の建付けであることもあり、この作品にはうまくはまった配役だったと思う。
 出生地と国籍の問題など現代日本の社会問題にもつながるような問題も描かれてはいるのだが、そういう政治風刺的な方向性に引っ張られすぎない立ち位置もよかった。

――二幕構成から成る茶番劇――
チューリヒ最終版)

上演予定時間 2時間10分(休憩なし)

Staff
作/エデン・フォン・ホルヴァート
訳・ドラマトゥルク/大塚直
演出/公家義徳 
音楽/monje
衣裳/稲村朋子
音響/島猛
照明/真壁知恵子 
宣伝美術/本多敬 永野愛
舞台監督/永濱渉 
制作/小森明子 太田昭

Cast
フェルディナント・ハヴリチェク 永野愛
トーマス・サメク 入国審査官 洪美玉 
エーファ その娘 福井奏美 
コンスタンティン 同じく入国審査官 雨宮大夢 
ムルシツカ 駐在警察官 浅井純彦
ハヌシュ夫人 西井裕美(フリー) 
X 右岸の国の政府首相 原口久美子 
Y 左岸の国の政府首相 志賀澤子 
個人教育者 二宮聡(フリー) 
その妻 鈴木貴絵 
レーダ夫人 町田聡子 
シュムッグリチンスキー 麻薬密輸団のボス 小田勇輔 

ミクニヤナイハラプロジェクト「船を待つ」@吉祥寺シアター(東京キャスト)

ミクニヤナイハラプロジェクト「船を待つ」@吉祥寺シアター



ミクニヤナイハラプロジェクト「船を待つ」@吉祥寺シアターを観劇。矢内原美邦が描く現代版「ゴドーを待ちながら」という触れ込みだが、実は最初は「ゴドーを待ちながら」そのものを上演したかったらしいが、キャストをオリジナルから変更して女性にしようとしたら、著作権保有団体から上演許可が得られなかったらしい。同団体からは上演をベケット作品ではなく、オリジナルの脚本で行うのであれば上演は可能だという許可が得られ、それで「ゴドーを待ちながら」にインスパイアされながらも完全に矢内原美邦オリジナルの脚本で「船を待つ」として上演することになった。
 「ゴドーを待ちながら」を下敷きとはしているが、二人の人物(この場合は女性)が船を待っている設定のふたりが「ゴドーを待ちながら」のウラジミールとエストラゴンを思わせるのだが、女性のうちのひとり(笠木泉)が呼びかける相手(渡辺梓)の名前がゴドーになっていて、「ゴドーを待ちながら」では待ち続けながらもこないゴドーがもう来てしまって、舞台の最初のシーンから登場しているのだ。
 一方、ゴドーではない方の女は名前が特定されていなくて、ひょっとすると彼女がウラジミールとエストラゴンのどちらかかもしれないのだが、その名前が口にされることはない。
 この2人は原作のゴドーのようにやってくるはずの「船」を待っている。そして待っている船は「ゴドーを待ちながら」同様に来ることはないのだが、代わりに謎めいた男(鈴木将一朗)がやってくる。
 ここでのまだ来ないけれどかならずいつかやってくるという船は「死のメタファー」として語られていると思われる。物語の最後でゴドーは去っていき、もう二度と会うことはないというが、見送ったふたりは「いつかどこかで」などと言葉をかける。船は舞台の表題として使われているが具体的な描写は作品の背後に基調低音のように流れている波の音のような効果音しかなく、ビジュアル的なことを考えても舞台に置かれているのは上手から下手へと帯のように引かれている映像、照明の光のラインだけだ。
 作品中にそれらしいことが触れられることはないけれど、作品全体を覆う死のついてのメタファーと光のイメージは「ゴドーを待ちながら」ではない別の作品を想起させる。宮沢賢治による「銀河鉄道の夜」だ。光の帯の映像でときおり現れる夜空の星もそのように考えさせるきっかけとなっているかもしれない。そうだとするとここではゴドーがカンパネルラ、もうひとりはジョバンニなのかもしれない。それが作品に具体的に描かれている部分はないので、それは私の脳内での妄想にすぎないのかもしれないのだが、作品をみているうちにそんな思いが強く浮かび上がってきて、やはりここではそれが具体的に触れられることはないのだが、作者にも出演した笠木泉にも近しかったある人物*1のことを思い出さずにはいられなかったのだ。

▷東京公演 2024年 3月23日(土)~31日(日) 吉祥寺シアター

矢内原美邦が描く現代版「ゴドーを待ちながら
船を待つ人々の異なる想いが交差し、時のなかで運命の出会いや別れが紡がれる。永遠の船着場で彼らの孤独は謎めいた方向へ向かっていく。

ミクニヤナイハラプロジェクト最新作!
昨年12月大阪の扇町ミュージアムCUBEで初演を迎えた本作をさらにブラッシュアップし、音楽にTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDの石川智久氏、映像美術に高橋啓祐を迎え、さらに東京公演バージョンとして新たな俳優陣も加わり、大阪公演の出演者とのダブルキャスト吉祥寺シアターにて上演します。

作・演出:矢内原 美邦

出演:渡辺 梓 笠木 泉 鈴木 将一朗
ダブルキャスト
大阪公演バージョンキャスト:白木原 一仁 佐々木 ヤス子 沢栁 優大

音楽:石川 智久   美術:高橋 啓祐   照明:岡野 昌代

note.com

*1:これに具体的に触れるのは野暮になるので、本文では触れないでおくが、もちろんそれは宮沢章夫さんのことである。

早坂彩「新ハムレット」@こまはアゴラ劇場

早坂彩「新ハムレット」@こまはアゴラ劇場



早坂彩「新ハムレット」@こまはアゴラ劇場を観劇。「新ハムレット」は表題に「ハムレット」を冠しているけれど、シェイクスピアの「ハムレット」から主要登場人物のキャラと設定を借りてはいるものの、筋立てや結末なども完全に変わってしまっており、太宰治の新解釈というよりは今風な呼び方をすれば「二次創作」に近いかもしれない。
私はシェイクスピアのファンで「ハムレット」の上演も変わったところではピーター・ブルック演出のひとり芝居から、勅使川原三郎振付・演出の「オフィーリア」まで様々な変わり種バージョンも観劇しているが、太宰版の「新ハムレット」はそういうものとも一線を画していて、これだけ変わってしまっていたら、もはや「別物」の感が強かったのである。
 原作「ハムレット」とは異なる作品との前提で見れば、クロ―ディアス役の太田宏、劇中劇でも迫真の演技を見せたポローニアス役のたむらみずほら青年団の俳優それぞれの熱演に舞台そのものは見ごたえのあるものに仕上がっていた。
 ただ、そうは言ってもシェイクスピア好きにとっては太宰の二次創作は腑に落ちないところも多く、どうしても違和感を感じてしまうのも確かなのだ。一番の不満は「新ハムレット」はクロ―ディアスやポローニアス、オフィーリアらの原作では描かれていない側面に光を当てたことで、こうした人物の見せ場は増えているのだが、その分主役(タイトルロール)であるハムレットが物語の中心から退いてしまった感があることだ。ハムレットがどういう意図に基づいて行動をしているのかが全然浮かび上がってこないのだ。
 ハムレットには原作が初演された時から「謎めいた人物」との定評があるのだが、その後の上演の歴史から伝統的な「決断できない夢想家の青年」から比較的最近の「慎重な性格ではあるが、復讐に向け着々と準備を進める行動の人」まで解釈の歴史があるが、「新ハムレット」はそのどれにも当てはまらないため首尾一貫した解釈としては浮かび上がってこなくて「いったい何がしたいの」と思ってしまうのだ。

早坂彩
ハムレット
作:太宰治 演出:早坂彩(トレモロ青年団
太宰治の長編戯曲風小説(レーゼドラマ)を、軽快にかつ濃密にお届けする一幕劇。
太平洋戦争開戦の直前・1941年初夏、太宰治シェイクスピアハムレット』の翻案(パロディ)を書きあげた。登場人物たちの懸命で滑稽な生き方は、2024年に生きる私たちにどのように響くのか。
豊岡演劇祭2022(於:出石永楽館)とSCOTサマー•シーズン2022(於:利賀山房)で好評を博した『新ハムレット』。1年半の時を経て、東京•京都で凱旋ツアーを敢行します。


早坂 彩
演出家、脚本家。トレモロ主宰、劇団青年団所属。
利賀演劇人コンクール2015『イワーノフ』にて優秀演出家賞・観客賞受賞。
シェイクスピア戯曲から現代口語まで、戯曲をつぶさに捉えた作品作りを行っている。
近年の代表作は、日韓演劇交流センター『寂しい人、苦しい人、悲しい人』、トレモロ『寝られます』、八王子市学園都市文化ふれあい財団『夏の夜の夢』など。

出演
太田宏*、松井壮大*、たむらみずほ*、清水いつ鹿(鮭スペアレ)、大間知賢哉、川田小百合、瀬戸ゆりか*、黒澤多生* (*=青年団
※出演を予定しておりました申瑞季さんは、体調不良により、川田小百合さんにキャスト変更となりました。

スタッフ
演出助手・スウィング:長順平
舞台監督:鐘築隼[京都公演]、久保田智也[東京公演]
舞台美術:杉山至*
照明:黒太剛亮(黒猿)
音響:森永恭代
音楽:やぶくみこ*   (*=青年団
衣装協力:徳村あらき
宣伝美術:荒巻まりの
制作:飯塚なな子

ムニ『つかの間の道』『赤と黄色の夢』二本立て公演・作・演出:黒澤優美(『赤と黄色の夢」)@アトリエ春風舎

ムニ『つかの間の道』『赤と黄色の夢』二本立て公演・作・演出:黒澤優美(『赤と黄色の夢」)@アトリエ春風舎


一緒に暮らしている男女のうち、女性がコロナにかかり、関り合いを避けた男性が姉と一緒にしばらく帰っていなかった実家の祖母のもとに帰省をしてしまう。なんか自分勝手で冷淡な奴だなと感じるのだが、面白いのはラストの場面でそれまで隠されていた二人の関係性が明かされるところだ。
この2人はとうの昔に別れているのに互いにお金がないために一緒に住むこの家からどちらも出ていかれず、膠着状態になっているのだ。いかにも「いま」を象徴するような状況なのかもしれないが、これに似たような出来事が作者の周辺で起こっているのかもしれないと考えるとそのことが悲しくもおかしい。

作・演出:宮崎玲奈(『つかの間の道」)、黒澤優美(『赤と黄色の夢」)
ムニは2024年から黒澤優美と宮崎玲奈の作家二人体制となります。宮崎は2020年1月に青年団若手自主企画vol.81宮崎企画として上演した『つかの間の道』をリクリエーション、黒澤は新作『赤と黄色の夢』を上演します。


宮崎玲奈『つかの間の道』あらすじ
いなくなった親友にそっくりのヒサダさんに出会うカップル。夫がいなくなり、姪と暮らしている女、近所に住むおばさん。日常がちょっと変に歪んでいく、ふたりの遠出。
遠くに行きたいけど、行けない。今いる場所に、かつていた場所が重なっていく。これは都市生活者冒険譚である。

黒澤優美『赤と黄色の夢』あらすじ
一緒に暮らしている誠と由紀子。 ある日由紀子がコロナになったタイミングで誠は母方の実家に帰省する。一人になった部屋で由紀子は黙々と編み物を編んでいく。

劇作家・演出家の黒澤優美・宮崎玲奈が作品を上演する団体。日常会話とそこからはみ出る意識の流れ、演劇における虚構とリアルとの境界を探りながら創作を行う。20代の女性を主人公とした物語を多く制作。青年団若手自主企画宮崎企画としても活動。近年の作品に『ことばにない』など。




出演
『つかの間の道』
石渡愛(青年団)、木崎友紀子(青年団)、立蔵葉子(青年団/梨茄子)、南風盛もえ(青年団)、藤家矢麻刀、吉田山羊、ワタナベミノリ

『赤と黄色の夢』
伊藤拓(青年団)、西風生子(青年団)、渡邊まな実
スタッフ
舞台監督:水澤桃花(箱馬研究所)
照明:緒方稔記(黒猿)
舞台美術:本橋龍(ウンゲツィーファ)、村上太
劇団制作:上薗誠
宣伝美術:渡邉まな実
公演制作:中條玲