ミクニヤナイハラプロジェクト「船を待つ」@吉祥寺シアター
ミクニヤナイハラプロジェクト「船を待つ」@吉祥寺シアターを観劇。矢内原美邦が描く現代版「ゴドーを待ちながら」という触れ込みだが、実は最初は「ゴドーを待ちながら」そのものを上演したかったらしいが、キャストをオリジナルから変更して女性にしようとしたら、著作権保有団体から上演許可が得られなかったらしい。同団体からは上演をベケット作品ではなく、オリジナルの脚本で行うのであれば上演は可能だという許可が得られ、それで「ゴドーを待ちながら」にインスパイアされながらも完全に矢内原美邦オリジナルの脚本で「船を待つ」として上演することになった。
「ゴドーを待ちながら」を下敷きとはしているが、二人の人物(この場合は女性)が船を待っている設定のふたりが「ゴドーを待ちながら」のウラジミールとエストラゴンを思わせるのだが、女性のうちのひとり(笠木泉)が呼びかける相手(渡辺梓)の名前がゴドーになっていて、「ゴドーを待ちながら」では待ち続けながらもこないゴドーがもう来てしまって、舞台の最初のシーンから登場しているのだ。
一方、ゴドーではない方の女は名前が特定されていなくて、ひょっとすると彼女がウラジミールとエストラゴンのどちらかかもしれないのだが、その名前が口にされることはない。
この2人は原作のゴドーのようにやってくるはずの「船」を待っている。そして待っている船は「ゴドーを待ちながら」同様に来ることはないのだが、代わりに謎めいた男(鈴木将一朗)がやってくる。
ここでのまだ来ないけれどかならずいつかやってくるという船は「死のメタファー」として語られていると思われる。物語の最後でゴドーは去っていき、もう二度と会うことはないというが、見送ったふたりは「いつかどこかで」などと言葉をかける。船は舞台の表題として使われているが具体的な描写は作品の背後に基調低音のように流れている波の音のような効果音しかなく、ビジュアル的なことを考えても舞台に置かれているのは上手から下手へと帯のように引かれている映像、照明の光のラインだけだ。
作品中にそれらしいことが触れられることはないけれど、作品全体を覆う死のついてのメタファーと光のイメージは「ゴドーを待ちながら」ではない別の作品を想起させる。宮沢賢治による「銀河鉄道の夜」だ。光の帯の映像でときおり現れる夜空の星もそのように考えさせるきっかけとなっているかもしれない。そうだとするとここではゴドーがカンパネルラ、もうひとりはジョバンニなのかもしれない。それが作品に具体的に描かれている部分はないので、それは私の脳内での妄想にすぎないのかもしれないのだが、作品をみているうちにそんな思いが強く浮かび上がってきて、やはりここではそれが具体的に触れられることはないのだが、作者にも出演した笠木泉にも近しかったある人物*1のことを思い出さずにはいられなかったのだ。
▷東京公演 2024年 3月23日(土)~31日(日) 吉祥寺シアター
◉矢内原美邦が描く現代版「ゴドーを待ちながら」
船を待つ人々の異なる想いが交差し、時のなかで運命の出会いや別れが紡がれる。永遠の船着場で彼らの孤独は謎めいた方向へ向かっていく。◉ミクニヤナイハラプロジェクト最新作!
昨年12月大阪の扇町ミュージアムCUBEで初演を迎えた本作をさらにブラッシュアップし、音楽にTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDの石川智久氏、映像美術に高橋啓祐を迎え、さらに東京公演バージョンとして新たな俳優陣も加わり、大阪公演の出演者とのダブルキャストで吉祥寺シアターにて上演します。作・演出:矢内原 美邦
出演:渡辺 梓 笠木 泉 鈴木 将一朗
※ダブルキャスト
大阪公演バージョンキャスト:白木原 一仁 佐々木 ヤス子 沢栁 優大音楽:石川 智久 美術:高橋 啓祐 照明:岡野 昌代