下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

セミネールin東心斎橋Web講義録一覧(再録)

セミネールin東心斎橋Web講義録一覧(再録)

「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.1 演劇編・チェルフィッチュ」Web講義録
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000226
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000229
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000228
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.2 ダンス編・ニブロール」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000225
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.3 演劇編・青年団」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000227
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.4 ダンス編・イデビアン・クルー」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000307
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.5 演劇編・弘前劇場」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000402
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.6 ダンス編・レニ・バッソ」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000406

[レクチャー]セミネール講義一覧(2012年、2011年)

 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。今年でいよいよ5年目になりました。最近どういうテーマを選んで実施してきたかというのを一度一覧としてまとめてみることにしました。各回の概要が分かるWEB講義録へのリンクとともにゲストとして作家自らに参加していただいた坂本公成モノクロームサーカス)と松田正隆(マレビトの会)については音声記録も収録しました。興味を持った人はぜひ聞いてください。さらに興味を持った人は参加していただけると有難いです。次回は3月20日を予定していますが、なにをやるかについては3月5日に選考結果が分かる岸田戯曲賞の動向などもにらんで選定中です。

2012年
2012-02-14
[セミネール]「ダンス×アート 瀬戸内国際芸術祭2010『直島劇場』 モノクロームサーカス×graf」in東心斎橋(ゲスト・坂本公成
ダンス×アート 瀬戸内国際芸術祭2010『直島劇場』 モノクロームサーカス×graf』音声記録(音声だけですがセミネール当日の様子を収録したものです)
Web講義録(当日も流した映像の一部やレクチャーの参考とした過去のレビューなどはこちらに) http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001126
2012-01-31
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ピナ・バウシュ」セミネールin東心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001125

2011年
2011-12-27
[セミネール]「セミネール2011年年間回顧&忘年会」セミネールin東心斎橋
2011-11-20
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ローザス=ケースマイケル」セミネールin東心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001121
2011-10-18
[セミネール]「演劇×アート 現代口語演劇を越えて マレビトの会=松田正隆編」セミネールin東心斎橋(ゲスト・松田正隆
演劇×アート 現代口語演劇を越えて マレビトの会=松田正隆編』音声記録(音声だけですがセミネール当日の様子を収録したものです)
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20111018
 
2011-09-27
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代演劇の祭典groundP★に行こう!!」
2011-09-13 セミネール特別編「ポストゼロ年代の演劇批評」
[セミネール]演劇批評誌「act」リニューアル記念セミネール特別編「ポストゼロ年代の演劇批評」
2011-08-31
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第5回 東京デスロック=多田淳之介
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001026
2011-07-09
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第4回 ク・ナウカ&SPAC=宮城聰」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001022
こちらは参考に
『宮城聰インタビュー1』音声ガイダンス 其の壱【ク・ナウカの方法論と詩の復権】
2011-06-11
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第3回 ままごと=柴幸男」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001018

2011-05-26
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る W・フォーサイス×ヤザキタケシ」セミネールin東心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001016
2011-05-15
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第2回 ロロ=三浦直之」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20111003  
2011-04-26
[セミネール]快快(faifai)上映会〈セミネール・ポストゼロ年代へ向けて 特別上映会編〉
2011-04-13
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 特別編/快快トークショー
2011-03-21
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ダンス映像を見る会」セミネールin東心斎橋
2011-02-22
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ダムタイプと音楽 山中透編」セミネールin東心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20110222
山中透インタビュー(参考) http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00001205
2011-02-08
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第1回 クロムモリブデン青木秀樹」レクチャー&舞台映像上映
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10011201                               
2011-01-12
[セミネール]「演劇の新潮流 ゼロ年代からテン年代へ」新年会&秘蔵映像上映会

KAC Performing Arts Program 2017/ Contemporary Dance 国際共同製作 『RE/PLAY Dance Edit』(多田淳之介構成・演出)@京都芸術センター

KAC Performing Arts Program 2017/ Contemporary Dance 国際共同製作 『RE/PLAY Dance Edit』(多田淳之介構成・演出)@京都芸術センター

演出多田淳之介振付・出演きたまり、今村達紀、Sheriden Newman、Narim Nam、Chanborey Soy、Aokid、斉藤綾子、吉田燦


演出 多田淳之介 / Junnosuke Tada(Director)

1976年福井県生まれ、神奈川県、千葉県育ち、埼玉県在住。演出家。東京デ
スロック主宰。古典、現代劇、ダンス、パフォーマンス作品まで、言葉、身
体、観客、時間によるその場での現象をフォーカスした作品を創作。全国
の公立文化施設教育機関でのアウトリーチや創作、アジア、ヨーロッパ
での海外共同製作など「地域密着、拠点日本」をモットーに活動する。2014
年韓国の第50回東亜演劇賞演出賞を外国人として初受賞。2010年より富
士見市民文化会館キラリふじみ芸術監督、2015年より高松市アートディ
レクターを務める。


きたまり / Kitamari

1983年岡山県生まれ、大阪府育ち、京都府在住。17歳から舞踏家・由良部正美の元で踊り始める。2001年から2005年まで「千日前青空ダンス倶楽部」のダンサー(芸名・すずめ)として活動。京都造形芸術大学 映像・舞台芸術学科 在学中の2003年より「KIKIKIKIKIKI」主宰。2013年より「Dance Fanfare Kyoto」を企画しダンスシーンの活性化や舞台芸術における身体の可能性を追求するプロジェクトを多数開催。2016年よりマーラーの全交響曲をダンス化するシリーズを開始し「夜の歌」で平成28年文化庁芸術祭・舞踊部門 新人賞受賞。


今村達紀 / Tatsunori Imamura

1981年愛媛県生まれ、京都府在住。演劇の延長上にダンスを始める。2008年から京都に移りe-danceの活動にダンサー、振付家、tuba奏者として関わる。毎日一回どこかで息を止めて踊る「無呼吸」プロジェクトでSeoul Dance Center International Artist in Residence Program に選出。


Sheriden Newman / シェリデン・ニューマン

オーストラリア出身。シンガポール在住。New Zealand School of Danceを2006年に卒業後、オーストラリアのQueensland University of Technology(舞踊学士)を2010年に修了。2011年よりシンガポールのMaya Dance Theatreに参加し、国内外で幅広く活動。中国南陽文化祭、デリー国際芸術祭(2012)、ジョグジャ国際舞台芸術フェスティバルほか、多数のフェスティバルに参加。近年ではHuman Expression Company’s CONTACT festivalの一端を担い、DiverCity2014にも参加している。


Narim Nam / ナリム・ナム

カンボジアの著名な舞踊一家に生まれ、9歳から伝統舞踊を学ぶ。2004年にプノンペンの王立美術大学で振付芸術学部学士号、2009年に韓国芸術総合学校にて振付修士号を取得。現在はカンボジア国立劇団の一員であり、プノンペンに拠点を置くコンテンポラリーダンスのプロダクション、Amrita Performing Artsの主要なメンバーである。
現代舞踊の新作に数多く参加しており、Arco Renz(ドイツ)によるカンボジア現代舞踊『CRACK』、Peter Sellarsのオペラ作品『PERSPHONE』などに参加。Amrita Performing Arts、LASALLE College of the Arts(シンガポール)、台湾の国際若手振付家のプロジェクトへの振付も行っている。


Chanborey Soy / チャンボレイ・ソイ

2002年から2011年まで芸術の中等教育課程にてLakhaon Khaol(カンボジアの古典的な男性マスクダンス)を学ぶ。2011年から2015年にThe Royal University of Fine Artsの学士過程(振付)を修了。SovannaPhum Arts Associationとともに巨大人形影絵を用いた作品を制作・出演。並行して自身の作品を発表、『Lights and Shadow』ではヨーロッパ、ベルリンへのツアーを行うほか、Amrita Performing Artsのアーティストとともに制作したコンテンポラリーダンス作品の上演等、国際的に活躍している。


Aokid / アオキッド

1988年東京都生まれ、東京都在住。14歳の頃よりブレイクダンスを始める。2008年まで日本を代表するブレイクダンスチーム廻転忍者の一員として活動。東京造形大学映画専攻在学中より、イベントやパフォーマンス、コンテンポラリーダンスとしての上演作品制作などを始める。東京ElectrockStiars作品参加などを経て、アーティスト橋本匠との共作『フリフリ』が2016年横浜ダンスコレクションコンペティションⅠ審査員賞を受賞。現在、aokid city、どうぶつえんなどのプロジェクトやイベントを室内や野外でそれぞれ進行している。


斉藤綾子 / Ayako Saitoh

1990年大阪府生まれ、大阪府育ち。現在も大阪府在住にて、関西を拠点に活動。幼少より踊り始め、大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コース卒業。在学中に望月則彦作品『カルメン』でカルメン役を踊る。卒業後は「斉藤DANCE工房」に所属しながら、サイトウマコト、高野裕子、素我螺部、今中友子、きたまり/KIKIKIKIKIKI などの作品に出演。サイトウマコト作品では振付助手を務める。2016年より益田さちとのユニット「...1[アマリイチ]」での活動を始める。


吉田燦 / Yoshida Sun

1998年静岡県生まれ、静岡県育ち、静岡県在住。6歳より前田バレエ団にてクラシックバレエを始め、15歳よりgrand-Gee-groovyにてヒップホップ・ソウルダンス・ロックダンスを始める。2013年より静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center : SPAC)主催、カメルーン振付家メルラン・ニヤカム作品『タカセの夢』『ANGELS』の2作品に参加し、カメルーン公演・韓国公演・国内公演に出演。2016年には西アフリカのブルキナファソにて、アフリカンダンスのワークショップに参加。その他、京都・福岡等で国内外の振付家のワークショップ等に参加し、国内及び海外作品出演を目指している。

 現在のコンテンポラリーダンスの最大の問題点はダンスというジャンルが「踊るダンス」と「踊らないダンス」に分離してしまい本来このジャンルが持っていた渾然とした魅力やエネルギーを失ってしまったことではないかと思っている。
 どういうことか。「踊るダンス」という表現はおかしな感じがあるが、日本のコンテンポラリーダンスの世界の大きな問題はその作家のほとんどがダンサーであり、それゆえダンスを創作した場合に往々にして「踊ること」=「作品」になってしまう。私はある時期にコンテンポラリーダンスを普及するためのNPOであるJCDN(ジャパン・コンテンポラリーダンスネットワーク)が主催する「踊りに行くぜ!!」という企画の地方選考会をいくつも見てまわった時期があった。
 そこで往々にして起こっていた問題は応募作品のうちかなり多くの作品が「自分が踊る」ということに対する問いがまったくなくて、ダンサーとして踊りたいように踊っているという類の作品であることだった。
 こうした事情の反動からか、東京で増えてきたのが「ダンスという存在そのもの」をいろんな形で問い直そうと言う作品。これにはこうした問題意識による作品を特定のダンス作家が製作し、近い考えを持った批評家ないし製作者がそれを称揚するというサークルがあり再生産により、その少数のインナーサークルに属さない大部分の観客を置き去りにしていくということが起こっていた。
  つまりここにおいて一番の問題点はパフォーマンスとしてのスペクタクル性をすべて排除してしまっていることで、アウトプットとしての作品が本来ダンスが持っていた「踊り」を見るという魅力を排除して、見世物としての根源的な面白さを失ってしまうということが引き起こされた。
 ではそのどちらにも属さないとしてどんな選択肢が残されているのか。多田淳之介は以上挙げたどちらにも組みせずに「スペクタクルとしてのダンス」をただダンスと言う行為の意味を思考せずに踊っているだけという風にはせずに観客に批評的に提示するという枠組みを創造した。

佐々木敦×環ROY×吉田雅史「日本語ラップの『日本語』とは何か?」

佐々木敦×環ROY×吉田雅史「日本語ラップの『日本語』とは何か?」

昨今のMCバトルを端緒とする日本語ラップブーム。いまだその勢いはとどまることがないが、良く考えてみれば「日本語ラップ」という表記は、少々特殊な表現ではないだろうか。かつて起こった「日本語ロック」論争は、日本語でロックを歌うことが可能かどうかという議論だった。やがて日本語のロックが世に溢れ出すと、「日本語」という修飾語は不要なものとなった。同様に「日本語ラップ」が可能であることを今さら疑う者はいないだろう。しかしながら「日本語」という修飾語がジャンル名から取り去られることは、今のところなさそうだ。

その日本語ラップのリリックを追ってみれば、いわゆるバイリンガルスタイルと言われる、英語を多く取り入れたスタイルも多く聞かれる。一方で、環ROYの最新作『なぎ』は、日本語の表現にこだわった作品だ。その詩作方法は、短歌やJ-POPを参照するなど、主にアメリカのそれを参照する多くのラッパーたちとは一線を画すものだ。またダンサーの島地保武とのライブパフォーマンス『ありか』では、即興を軸にしたダンスとラップの交点という別の角度から、日本語という言語の可能性を追求している。

そんな日本語に独自のこだわりを持つリリシストと、『ニッポンの音楽』などの著書でも日本語の歌について考察してきた佐々木敦、自身もラッパーの視線で『ラップは何を映しているのか』などで日本語ラップに着目する吉田雅史の3人が、「日本語のうた」としての「日本語ラップ」について議論する。

吉田雅史によるレクチャートークを聞くのはこれで2回目。面白いが、全体を大きく俯瞰するというよりも個別のアーティスト(この日は環
ROY)の他との微細な差異をクローズアップして照射していくようなところがあって、その分析の手つきには巧みなものを感じるし、興味深くはあるのだが、やはりそれは今回の場合だったらラップとかヒップホップの海外国内の流れにある程度は精通している人がメインのターゲットなんだろうと思った。前回はSCOOLでビートメイクについての話を聞いて「群盲、象をなでる」の感がしたと感想を書いたが、今回もそれは相変わらずで、何度かレクチャーを聴講していけば次第に空白部分が減っていくのかもしれないが、こういうのはそうでもないかもしれない。
環ROYについては以前contact Gonzoとコラボをパルテノン多摩の野外ステージで見たことはあって、ラッパーと呼ぶにはちょっと変わった感じの人だなとは思ったが、楽曲についてはあまり聞いたことがなかった。今回レクチャーでも話題になった「ふることぶみ」という曲をYoutubeで聞いて見たのだが 、曲もよかったし、いささか異端児だがこういうのラップといっていいんだというのが興味深いと思った。
このトークではいとうせいこうについては一瞬ふれはするものの具体的な言及はついになく、ブッダブランド「人間発電所」のリリックの分析から論を始める。日本語としては異常に畳語が多いほか文法的にも日本語に不適な用例が散見されるなどの特徴をあげつらっているのだが、次にくらべるのが環ROYでは飛躍がありすぎではないか。


私が知りたかったのは単純に私でも名前は知っているスチャダラパーRHYMESTERリップスライムキック・ザ・カン・クルーなどといった人たちが日本語ラップにおいてはそれぞれどういう役割を果たしてきたのかというけっこうベタな歴史だったのだが、ここはそういうことの語られる場ではなかったようだ。
 ラップについてはまったくの門外漢ではあるけれど少し以前から興味は持っていて、それには大きく分けて2つのルートがある。ひとつはままごとの「わが星」や杉原邦生演出時の木ノ下歌舞伎のようにポストゼロ年代の演劇においてラップが舞台上に登場するには珍しくなくなっていて*1、現代口語とラップの関係に興味があること*2
 もうひとつは私の好きなアイドルのももいろクローバーZがアイドルとしては珍しくラップ曲を歌い、そうでない曲の場合も歌唱を一部がラップであるという曲が数多く、そういうことがラップ本丸のファンからするとどのように見えているのかが知りたかったこと。
 実はこのうち後者はもちろんそのことが直接触れられたわけではないけれど、表を使ってラップおよびラッパーの演者が置かれている構造の分析のようなことがあって、それではラップというのは単なる音楽のスタイルやフレージングなど歌唱のスタイルをいうのではなくて、作者/演者/歌われる意味内容が3位一体のようになって成立するんだということが言われていて、そういう文脈の中では例えばアイドルだからという以前に他人の書いたリリックを別の演者が歌うということについての拒否感情からいえば、例えばももクロのラップ曲をラップファンが受け入れたりするというようなことには私が予想した以上の大きな壁があるんだなというのが分かったという意味で興味深かった。
素人の私にも分かる程度のことでももクロとラップ関係を紹介するとももクロの曲にラップパート多いのは以前在籍しいまは女優をしている早見あかりが声のキーが低く、皆と同じキーで歌えなかったため、彼女のためラップパート付け加えてもらい、そこに早見だけでなく他のメンバーも入れ替わり立ち代わり入ることになり、アイドルグループなのにどの曲にもラップが入るのが普通のことになっていたという経緯がある。
実は他の分野でもそういうことはあるのだが先に紹介した2つのこと、演劇とももクロはことラップに関しては無関係なはずだが、いくつかの結節点において関係しあっている。
最初はいとうせいこう。彼が日本におけるラップの創始者の重要なひとりであることはラップおよびヒップホップの世界では常識のようだ。そういえばラップを使った演劇の例としてリーディング公演「ゴドーを待ちながら」を演出した宮沢章夫のことを取り上げたが、いとうせいこうは宮沢が率いたラジカルガジベリンバシステムの重要なメンバーのひとりでもあった。
いとうせいこうのことを長々と書いたのはももクロにオリジナルとして提供された最初のラップ曲「5 the Power」を書き下ろしたのがいとうせいこうだったからだ。この曲はその後、ライブでも折に触れ歌われる定番曲になっている。

『5 The POWER』 ももいろクローバーZ

 とはいえ、「5 The POWER」はいとうせいこう作詞、MURO、SUI作曲の本格的ラップ曲とはいえ、まだリリックやメロディーには若干のアイドル楽曲らしさが垣間見えるが、作詞:鎮座DOPENESSの「堂々平和宣言」には最初に耳にしたときには驚いてぶっとんだ。
もともとは映画「遥かなるしゅららぼん」の主題歌だったこともあるのだろうが、女性アイドルが歌うと言うことを想定したとは到底思えない曲想である。アイドルのラップなどというと一般層にはいまだにEAST END×YURIのようなイメージが強いと思われるが、この「堂々平和宣言」は一度ライブ映像で確かめてみてほしいが、それとは対極的な楽曲なのだ。
  「5 The POWER」でももクロいとうせいこうのリリックをどのように歌いこなしたかを踏まえたうえでのこの楽曲だと思わせるが、あくまで想像だが前者にかかわったアーティストとは世代の違う若い鎮座DOPENESSに対し、レコード会社のプロデューサーである宮本純之助が「あなたならどう使う」と挑発した可能性さえあると思っている。
作詞:鎮座DOPENESS / 作曲・編曲:MICHEL☆PUNCH・KEIZOmachine! from HIFANA・EVISBEATS

Doudou Heiwa Sengen - Momoiro Clover Z (Eng Sub)


 それというのはこちらはほぼ間違いなくこの曲を受けてと考えているが、「堂々平和宣言」の後に今度は 「5 The POWER」製作に作曲者として参加していたMUROが「もっ黒ニナル果て」という楽曲を提供しているのだけれど、これが「もっ黒」という言葉に代表されるようにアフリカ系アメリカ人の音楽としてのラップをそれまで以上に感じさせる曲で、こうした楽曲のキャッチボールにはももクロを媒介としたバトル合戦のような部分が感じられ、ある意味「ヒップホップらしさ」を感じるからだ。

ももいろクローバーZ – M13「バイバイでさようなら / もっ黒ニナル果て」 試聴×視聴ビデオ with 新津保建秀 from「AMARANTHUS / 白金の夜明け」


 ももクロラップ曲の最新バージョンは「Survival of the Fittest -interlude-」(作詞:サイプレス上野 作曲:invisible manners 編曲:invisible manners、伏見蛍)。

「Survival of the Fittest -interlude-」
www.youtube.com
Blast!
www.youtube.com
「Survival of the Fittest -interlude-」はシングル「Blast!」の収録曲でタイトルの「 -interlude-」の「間奏曲」の意味通りに前山田健一によるスタート曲の「Yum Yum」とメインの表題曲「Blast!」の間に置かれて、表題曲への導入を即すような役割を果たしている。「Blast!」自体はラップ曲とは言いがたいが曲を提供したinvisible mannersは「“様式”はHIPHOP的だけれども“ポップス”という文脈で語られる楽曲」とコメントしているようで、特に玉井詩織の担当するラップ部分のフローは原曲のリリックになぞらえるなら「これをこなせる人はそう多くはない」。
 さらにいえば「Blast!」の表題も1999年~2007年に発行されていたヒップホップ専門音楽雑誌である「blast」と無関係とはいえないだろう。何といっても「blast」最終号には特別付録として、日本のヒップホップの未来を担うとされた5人(最終号の特集「THE FUTURE 10 OF JAPANESE HIP HOP」の中から選出)にDABOを加えたメンバーによるEXCLUSIVE CD(「未来は暗くない"THE NEXT" / Anarchy、サイプレス上野、COMA-CHI、SIMON、SEEDA Introduction by DABO」)が付いていて、そこにはサイプレス上野も参加していたのだから。
最後にももクロとラップの関係についてもう一度考えた時にひょっとして実は親和性が高いのではないかと考えている。というのは吉田雅史のレクチャーによれば通常ラップは作り手=ラッパー=語ることの意味内容であり、ほとんどの場合は語られる内容は「俺はいかに凄いか」というような「自分語り」である。ももクロの場合もほとんどの楽曲が何かの主題を語ると同時に実にももクロ自身のことを語っているという「自分語り」的な言説として歌われるような構造になっているのが特色なのだ。
 例えばヒャダインによる「猛烈宇宙交響曲・第七楽章『無限の愛』」。これはアニメ「モーレツ宇宙海賊」の主題歌として宇宙を冒険していく登場人物たちのことを歌っているのではあるが、それと二重写しにアリーナなど大規模な会場が増えてファンとの距離が離れてしまったという指摘が一部出てきたのに対し「何億光年離れても宇宙の彼方から愛を叫び続ける」というメッセージを呼びかける歌である。
 これと同様なことは「堂々平和宣言」にも言える。これも映画の主題歌であるとともにあるテレビ番組で百田夏菜子ももクロの究極の目標は「世界平和」であると話して、モノノフ以外全員に笑われたが、この歌はその世界平和を訴えた歌という風にも考えられるからである。

*1:最近では宮沢章夫演出のリーディング公演「ゴドーを待ちながら」にもセリフをラップで語るという趣向が登場していた

*2:日本語ラップというのでそういうことが語られるかなと勝手に期待したが、少し聞いているうちに文脈的に全然そうじゃないことが分かった

「Live to the World 2017 ~J-MELO Awards 10th Anniversary~」@豊洲PIT

「Live to the World 2017 ~J-MELO Awards 10th Anniversary~」@豊洲PIT

【出演者】
ヒダノ修一 スーパー太鼓セッション/FLOW/ももいろクローバーZ
Guest:May J. (J-MELO MC)

セットリスト(ももクロ関連)
◇w/ ヒダノ修一スーパーセッション
GOUNN
MC
ニッポン笑顔百景
MC
 *
overture
夢の浮世に咲いてみな
Believe
『Z』の誓い
MC自己紹介
MOON PRIDE
月虹
MC
BLAST!
猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」
MC

  ももクロも最近は楽曲が増えてきたので、1回のライブでやりたい曲を全部やりたいと思っても事実上不可能。それゆえ、どんなライブでもなぜあの選曲だったのかという不満の声が上がるのが恒例行事となっているが、この日のライブのように選曲の方向性がはっきりしていると納得がしやすいかもしれない。
 この日のLIVEはNHKの音楽番組J-MEROの10周年記念の番組で放送するための収録も兼ねていた。さらに対バンというか共演者もMC役ということで2曲だけを歌ったMay Jのほかはアニメ主題歌を多数歌っていて海外での人気も高いFLOWも一緒に出演することもあってNHKの国際放送であるNHKワールドの放送することも
あり、海外視聴者を意識したセットリストとなった。
 柱は2つあった。ひとつは「和」を強調した演出。ももクロのライブでも「桃神祭」などに参加しファンにもおなじみのヒダノ修一が率いるヒダノ修一 スーパー太鼓セッションがこの日は一緒に出演した。
 番組としてもこの日の主題的にFLOWのアニメ主題歌、ヒダノ修一 スーパー太鼓セッションが現代日本の音楽文化を象徴する2つの方向性として選択されたと思われるが、自らの出番パートが来る前にももクロはゲストミュージシャンとしてこのセッションに加わった。
 中でもこれは凄いと思ったのは「GOUNN」の和楽器伴奏アレンジの披露。GOUNNではオリジナルの音源では「マホロバケーション」などでもおなじみのハマ・オカモトが参加しているのだが、この日はスーパー太鼓セッションのベース奏者としてカシオペア鳴瀬喜博が演奏。得意のチョッパー奏法で弾きまくり、観客を狂喜乱舞させた。
ダウンタウンももクロバンドやKISS、マーティー・フリードマンらとのコラボもそうなのだが、キャリアは全然比べ物にならなくても世界中の一流ミュージシャンとでも渡り合うことができるがももクロの醍醐味だ。しかも以前なら頑張って一緒にやらせてもらっているの感が強かったがこの日のGOUNNは贔屓目もあるかもしれないが、歌もダンスも以前見たときとは違って抜群の安定感があり、マジで対等にやりあっているように見えた。
 ももクロが参加した2曲目は「ニッポン笑顔百景」でこちらはすでに西武ドーム津軽三味線吉田兄弟との共演もあるし和楽器アンサンブルでの演奏も何回かやっているから、攻めるんだったら「マホロバケーション」でしょうなどと現地では思いもしたが、帰宅してから冷静になって考えたら、この日のもうひとつのテーマは「アニメ」で忘れてはいたがこの曲はアニメ「じょしらく」の主題歌でもあり、そういうこともあって「和」と「アニメ」にともに関連したこの曲が選ばれたのだろうと思う。実はこの時点ではももクロ単独パートはあるはずだと思ってはいたけれども半分以上満足したようなももクロ=ヒダノコラボだった。
 一方、正規のももクロライブブロックはこの日は明らかに海外の視聴者を意識したものだった。overtureの後、最初の曲はKISSとのコラボ曲である「夢の浮世に咲いてみな」*1をやった後は「Believe」(ガンダム)、「『Z』の誓い」(ドラゴンボール)とアニメ曲を連発。直後のMCでは海外ツアーを実際にやってみた印象では「やはり海外公演で盛り上がるのは向こうの人も知っているアニメ曲。それで今回はそういう分かりやすいセットリストとなりました」と説明。今回のライブがアニメ曲縛りであることを明かしたうえで、「そしてそれなら私たちにはあの曲もあります」(夏菜子)と話して「MOON PRIDE」「月虹」と「セーラームーンCrystal」のももクロオリジナル曲を披露した。
 その後、海外公演をやりたいのでそのためには英語力を上げないといけないなどと豊富を語ったものの、れにちゃんが「寝るとすべて忘れてしまう」などと言い出しぐだぐだの展開に。海外向け番組へのリップサービスもあるとは思うが、思ってもないことは言わないのがももクロ。それでもここでこういう風に言い出したということは国内の青春ツアーが一段落する来年以降にはより規模を拡大したワールドツアーも検討しているのかもしれない*2。、
 最後は唯一の最近の楽曲である「Blast!」とやはりアニメ「モーレツ宇宙海賊」の主題歌である 「猛烈宇宙交響曲・第七楽章『無限の愛』」でしめた。
 曲のつながりからいえば最後の曲はニューヨークヤンキースの田中将投手の今期の登場曲である「いつだって挑戦者」でもよかったかなと思ったが、NHKワールドの放送圏は米国だけじゃないのと、アニメ縛りを最後まで貫こうと考えたセットリストだったのかなと思えたのである。
  それにしてもこのライブを見て最初に思ったのは最近のももクロのパフォーマンスの安定性と歌唱力の向上ぶりだ。この日もMay JやFLOWの歌を聴いたときにはさすがにうまいなと思ったのも確かだが、歌いなれた自分たちの曲に関していえばそれほどの遜色はないとも思われてきた。特に「BLAST!」などは相当な難曲であると思われるのにこともなげに歌いこなしている。ラップやフェイク、ユニゾン、ソロ歌唱と様々な方向性の曲がこの1曲の中に盛り込まれており、それを全部こういう風に歌いこなせるグループは他にもいるのかもしれないけれど私には思い浮かべることはできない*3

*1:これもMVを見れば分かるように振り付けに相撲の四股を取り入れたり、和の風味が入っている曲でもある

*2:2020年までになんとか海外の知名度を上げたらという話があるが、むしろ2020年に何らかの形で海外向けに名を売ることができたら、その勢いを買ってという方向性のような気がする。いずれにせよ現時点の海外での知名度ポール・マッカートニーエルトン・ジョンと比較したら日本のどのグループもないのも同然なのであまり意味はないのではないか

*3:普通に歌がうまいとされているアイドルやダンス&ボーカルグループでもこの分厚さで歌唱を再現するのは難しいと思わせるところがある

アニメ映画「GODZILLA 怪獣惑星」@新宿TOHOシネマズ

アニメ映画「GODZILLA 怪獣惑星」@新宿TOHOシネマズ

日本が誇る「ゴジラ」シリーズ初の長編アニメーション映画。巨大な怪獣たちが支配する2万年後の地球を舞台に、故郷を取り戻すべく帰還した人類の闘いを描く3部作の第1部。20世紀末、巨大生物「怪獣」とそれを凌駕する究極の存在「ゴジラ」が突如として地球に現われた。人類は半世紀にわたる戦いの末に地球脱出を計画し、人工知能により選ばれた人々だけが移民船で旅立つが、たどり着いた星は人類が生存できる環境ではなかった。移民の可能性を閉ざされた船内では、両親の命を奪ったゴジラへの復讐に燃える青年ハルオを中心とする「地球帰還派」が主流となり、危険な長距離亜空間航行を決断。しかし帰還した地球では既に2万年もの歳月が流れており、ゴジラを頂点とした生態系による未知の世界となっていた……。「名探偵コナン」シリーズの静野孔文と、「亜人」の瀬下寛之が監督をつとめ、「PSYCHO-PASS サイコパス」の虚淵玄がストーリー原案と脚本を担当。「シドニアの騎士」「亜人」などセルルックの3DCGアニメーションを多く手がけるポリゴン・ピクチュアズが制作。

スタッフ
監督静野孔文 瀬下寛之
ストーリー原案虚淵玄
脚本 虚淵玄
シリーズ構成 虚淵玄

キャスト(声の出演)
宮野真守 ハルオ・サカキ
櫻井孝宏 メトフィエス
花澤香菜 ユウコ・タニ
杉田智和 マーティン・ラッザリ
梶裕貴 アダム・ビンデバルト


アニメーション映画『GODZILLA 怪獣惑星』WEB CM<熱狂コメント篇>





この作品だけを単独で見ると明らかにされてない謎の部分が多すぎて「どうなのこれ」みたいな感想になりがちな出来栄えだが3部作の1作目なのだからこれだけを見て、ああだこうだ言うのは物語の設定の真意が分かる前の最初の数話だけを見て「魔法少女まどかマギカ」を評価するようなものではないかという気がする。
(以下はねたバレ嫌な人は読まないで)











 冒頭にゴジラと他の怪獣たちが突然現れたということの直後に地球を侵略しにきたという宇宙人「エクシフ」のことが出てくるわけだが、この映画ではわずか数秒程度で片付けられていて、次の場面ではゴジラにともに敗れた地球人と宇宙人たち(エクシフとブラックホールに母星を呑み込まれた種族ビルサルド)が仲良く、移住可能な惑星を探して宇宙の旅に出ているということになっている。どう考えても唐突なのだが、その間の経緯が略されすぎで全然分からない。
しかも少しだけ考えても矛盾するような記述や疑問点が多数あるのだ。第一に移民船は地球から恒星系をいくつか回って旅をしながら、居住可能な惑星を探しているのだが、その間にワープ航法のようなものを使うことはしていない。それなのに一度地球に戻るということを決意してからは実はこんな技術もあったんだとあっという間に戻ってきているのだが、このあたりどうも怪しい。
宇宙人が2種類出てくるところなどはまずアーサー・C・クラークのSF「地球幼年期の終わり」に登場する超越君主the Overlordオーバーロード)と超越精神the Overmind(オーバーマインド)を連想させる。そうだとすると高度な科学技術を持つというビルサルド(オーバーロードにあたる)は第1部ではあまり表面に出てくることはないが、彼らがメカゴジラ(機龍)を作ったことは間違いないので、第2部では彼らが中心になるというのでは言い過ぎとしてももう少し前面に出て来るのは間違いない。この2つの種族は今はともにゴジラを倒すという利害の一致から協力をしているようだが、もともとそれぞれが異なる目的のために動いているとも思われ、対ゴジラ部隊の地球派遣にもそれぞれ思惑がありそうだ。
 興味深いのはインタビューなどで虚淵玄が「エクシフ」=X星人だと明らかにしていることでX星人といえば「怪獣大戦争」(1965年)と「ゴジラ FINAL WARS」(2004年)の2度にわたって出てくるが、いずれも地球人を怪獣から救うというように甘言を弄して地球人を奴隷化して支配しようというような悪巧みを試みており、一見人類に好意的に見える「エクシフ」もどこかで豹変してその真なる姿を現すというのは大いにありうるところだ。
 もうひとつの種族ビルサルドも実はブラックホール第3惑星人だという説があり、こちらも「ゴジラ対メカゴジラ」で登場するがメカゴジラを操って地球侵略を企てる。第1部のラストシーンからしメカゴジラが登場して、第2部ではゴジラと戦うことになるのは間違いないのだけれど、過去のゴジラ作品の流れからするとビルサルドが製作したメカゴジラが人類にとっての福音なのかどうかはまだ疑念が残るところだ。ましてや相当以上のゴジラマニアとして知られる虚淵玄が「ゴジラ」の再構築である「シン・ゴジラ」への対抗軸として従来は正統派ゴジラに対する異端作品群と思われていた宇宙人が登場する「怪獣大戦争」(1965年)と「ゴジラ FINAL WARS」(2004年)、「ゴジラ対メカゴジラ」といった作品群をさまざまに参照しながらこのアニメ映画「GODZILLA 怪獣惑星」を製作したのは間違いない。そうだとすると第2部にメカゴジラが登場した後には真打としてゴジラシリーズの生んだもうひとつの千両役者、キングギドラが登場するのは間違いないだろう。そのときにゴジラキングギドラの位置づけがどうなっているのかというのは大いに興味を引かれるところであるのだけれど。善悪の位置づけについて虚淵玄がプロット上での逆転につぐ逆転を得意とすることは「魔法少女まどかマギカ」を見た人なら誰でも知っていることであろう。その意味では今後が楽しみな映画である。
いずれにせよ、この映画はゴジラシリーズはもちろんだが怪獣映画全般、SF小説・映画、漫画、アニメなどからの引用が縦横無尽に盛り込まれている。もちろん、「進撃の巨人」やハリウッド映画のようなバトルアクションとして楽しむこともできるのだが、真価が問われるのはむしろこれからだろう。
 

ポかリン記憶舎「花音」@下北沢スターダスト

ポかリン記憶舎「花音」@下北沢スターダスト

作演出 明神慈
音楽 木並和彦
照明 木藤 歩
衣裳 大西裕也
出演 井上幸太郎  みょんふぁ(洪明花)
演出助手 海老原邦希

 ポかリン記憶舎「短い声で」を2000年3月シアターアーツの「ゼロ年代の演劇ベスト10」雑誌「シアターアーツ」アンケートに答えて、8位に選んでいる。
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SPAC「変身」@静岡芸術劇場

SPAC「変身」@静岡芸術劇場

 

【演出】
小野寺修二(おのでら しゅうじ)
演出家。カンパニーデラシネラ主宰。
日本マイム研究所にてマイムを学ぶ。95年〜06年、パフォーマンスシアター水と油にて活動。その後文化庁新進芸術家海外留学制度研修員として1年間フランスに滞在。帰国後、カンパニーデラシネラを立ち上げる。マイムの動きをベースに台詞を取り入れた独自の演出で世代を超えて注目を集めている。第18回読売演劇大賞最優秀スタッフ賞受賞。
主な演出作品は『あの大鴉、さえも』『オフェリアと影の一座』『ロミオとジュリエット』(以上、2016年/東京芸術劇場他)、『変身』(2014年/静岡県舞台芸術センター)、『ふしぎの国のアリス』(2017年/新国立劇場)等。
また、瀬戸内国際芸術祭にて、野外劇『人魚姫』を発表するなど、劇場内にとどまらないパフォーマンスにも積極的に取組んでいる。2015年度文化庁文化交流使。

【音楽】
阿部海太郎(あべ うみたろう)
umitaro_portrait_RyoMitamura作曲家。幼い頃よりピアノ、ヴァイオリン、太鼓などの楽器に親しみ、独学で作曲を行うようになる。東京藝術大学と同大学院、パリ第八大学第三課程にて音楽学を専攻。自由な楽器編成と親しみやすい旋律、フィールドレコーディングを取り入れた独特で知的な音楽世界に、多方面より評価が集まる。2008年より蜷川幸雄演出作品の劇音楽を度々担当したほか、舞台、テレビ番組、映画、他ジャンルのクリエイターとの作品制作など幅広い分野で作曲活動を行う。現在放送中のNHK日曜美術館』のテーマ曲を担当。2016年に5枚目のオリジナルアルバム『Cahier de musique 音楽手帖』をリリース。 www.umitaroabe.com
 
 

 



演出:小野寺修二
原作:フランツ・カフカ
音楽:阿部海太郎
 
ある朝、自分が一匹の巨大な毒虫に変わっているのに気付いた――。
カフカの名作を、ジャンルにとらわれない多彩な活躍で話題をさらう小野寺修二が演出。マイムをベースにした身体表現に台詞を取り入れる独自の手法で、不条理な世界をスタイリッシュな舞台に変容させる。待望の再演!

 














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▲ 初演時(2014年)の舞台写真より



宮城聰のひとこと宮城聰のひとこと
 
日本が誇る「舞台芸術カフカ」小野寺さんが、
カフカそのものを演出しちゃったら、
そりゃ鬼に金棒だ!
 

 
出演:
大高浩一、貴島豪、榊原有美、鈴木真理子、たきいみき
武石守正、舘野百代、野口俊丞、宮城嶋遥加、吉見亮

木ノ下歌舞伎「心中天の網島ー2017リクリエーション版ー」@ 横浜にぎわい座 のげシャーレ

木ノ下歌舞伎「心中天の網島ー2017リクリエーション版ー」@ 横浜にぎわい座 のげシャーレ

天まで突き抜ける、
ふしだらでピュアな“愛”と“死”
作|近松門左衛門
監修・補綴|木ノ下裕一
演出・作詞・音楽|糸井幸之介[FUKAIPRODUCE羽衣]


出演|
日髙啓介 伊東茄那 伊東沙保 武谷公雄 西田夏奈子 澤田慎司 山内健司

2015年にこまばアゴラ劇場などで上演された作品の再演だが、「ー2017リクリエーション版ー」のクレジットをあえて入れたのはヒロインの小春役を入れ替えるなどキャスト変更をしたこと。さらに劇場の規模が拡大したのに伴い、演出も初演のよさは残しながらもところどころ変更を加えている。新キャストの伊東茄那がよかった。初演はロロの島田桃子が務めていてその天真爛漫なキャラがうまく生かされた見事な小春の造形であったが、この「心中天の網島」は元が近松門左衛門義太夫芝居、つまり下座音楽を存分に使った音楽劇であり、木ノ下歌舞伎版でも演出・作詞・音楽として糸井幸之介[FUKAIPRODUCE羽衣]を迎え、全編オリジナルの音楽による音楽劇として上演した。
  ただ、初演の課題は配役を原キャラのイメージに合っていることを重視して選んだせいか、ミュージカルとしての歌唱にはやや難がある出来栄えといわざるを得なかったのだ。今回は青年団山内健司が出演しており、青年団では鼻歌以上の歌はあまり聴いたことがなかったのだが、意外と歌えるんだということが分かりびっくりした。
 芝居の骨幹となるのはいずれも愛の歌でこれは日高啓介と伊東茄那、あるいは日高とおさん役の伊東沙保がそれぞれデュエットで歌う。

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映画「ブレードランナー 2049」@新宿TOHOシネマズ

映画「ブレードランナー 2049」@新宿TOHOシネマズ

スタッフ
監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ
製作 ブロデリック・ジョンソン 、 アンドリュー・A・コソーヴ 、 バッド・ヨーキン 、 シンシア・サイクス
製作総指揮 リドリー・スコット 、 ティム・ギャンブル 、 フランク・ギストラ 、 イェール・バディック 、 ヴァル・ヒル 、 ビル・カラッロ
原案 ハンプトン・ファンチャー
脚本 ハンプトン・ファンチャーマイケル・グリーン
撮影 ロジャー・ディーキンス
音楽 ヨハン・ヨハンソンベンジャミン・ウォールフィッシュハンス・ジマー
編集 ジョー・ウォーカー
キャラクター創造・原案 フィリップ・K・ディック
プロダクション・デザイン デニス・ガスナー

キャスト
Rick Deckard ハリソン・フォード
Officer K ライアン・ゴズリング
Lt. Joshi ロビン・ライト

1982年公開の映画「ブレードランナー」の続編。「ブレードランナー」が2019年11月のロサンゼルスを舞台にしていたのに対し「ブレードランナー 2049」は表題どおりにその30年後の未来を描いている。
 「ブレードランナー」の原作はフィリップ・K・ディックSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」だが、アンドロイドとは何か、人間とは何かとの哲学的な問いからアンドロイドが普及した未来社会に流布する新興宗教のようなものまで登場して、きわめて思弁的な内容の原作に対し、映画「ブレードランナー」はディック特有のそういう難解な思想のようなものをばっさりと切り捨て、物語的にはレプリカントとそれを追うブレードランナーの活劇に徹し、その代わりに美術的にはキッチュで猥雑なそれまでには見たことがないような未来社会のビジュアルを全面展開。「2001年宇宙の旅」などが定着させた機能美に溢れた清潔な未来社会像を覆して、その後のSF映画の映像に大きな影響を与えた。
 映画史、SF史的に見ていくと「ブレードランナー」はまず士郎正宗攻殻機動隊」に影響を与える。その系譜に押井守によるアニメ映画「ゴースト・イン・ザ・シェル 攻殻機動隊」があり、それがウォシャウスキー兄弟(姉妹)の「マトリックス」などハリウッド映画にも強い影響を与えた。
 先日上演された米国版「ゴースト・イン・ザ・シェル」にはビジュアル面で「ブレードランナー」の強い影響が見られ、語弊のある言い方だということを承知で言えば原色に溢れ、アジア的でかつ無国籍的な美術にはCGなど最新技術によりリメイクされた「ブレードランナー」の焼き直しの感覚が免れ得なかった。
 実を言えば逆に「ブレードランナー2049」はよりモノトーンな画面が基調となっていて、そういう既視感はなかった。

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版) (プレビュー)
街並みや雑沓、盛り場のような場所のイキイキとした光景が描かれるということはなく、画面は薄暗く、終始雨が降っているような印象がある。カリフォルニアといえば青い空だが、そういう印象は「ブレードランナー」からして少なかった。
 これは単純に明るい未来という楽観的な未来観をもはや我々が持ちにくくなったことの現れでもあり、遡ればディックが提出した未来観からしてそういうものであった。薄暗いモノトーンの街並み、主人公がひとりで住んでいる孤独感溢れるアパートとその周辺の殺伐とした空気はむしろ押井守版アニメ「ゴースト・イン・ザ・シェル 攻殻機動隊」を連想させる。
 ただ、興味深いのは今回の映画ではVR版のAI人格であるジョイが登場するのが新たな点だろうか。これは現実にもそれに近いものが近い将来に現れそうだが、アメリカだなと思わせるのはこれがバーチャルでありながら、リアルに人間と変わらない造形となっていることだろうか。もしこれが日本なら押尾はリアルな造形としているけれど、これはアニメキャラや初音ミク的なものになっているのではないだろうか? サービスを受容するのも人間ではなくてレプリカントであるため、そのあたりがどうなっているのかが分からない。

てがみ座 第14回公演「風紋 ~青のはて 2017~」@赤坂RED/THEATER

てがみ座 第14回公演「風紋 ~青のはて 2017~」@赤坂RED/THEATER

作:長田育恵
演出:田中圭
出演:福田温子、箱田暁史、石村みか、岸野健太、佐藤誓、山田百次、瀬戸さおり、実近順次、峰崎亮介、神保有輝美

宮沢賢治を描いた舞台だが、長田育恵は彼の生涯を時系列で描いたような単なる評伝劇とはしない。病に侵され、死がすぐ身近に近づきつつある賢治の数日(3夜)の物語として、豪雨による崖崩れで賢治を含む列車の客らが岩手県仙人峠にある簡易な宿泊施設に足止めされたごく短い期間を描写した群像劇に仕立て上げた。
 物語の終盤で登場人物らにより読み上げられる「グスコーブドリの伝記」をはじめ、妹としや親友である保阪嘉内あての書簡など多くの賢治自身の文章も散りばめられる。が、ここで描かれている出来事自体は虚構でもちろん実際にあった出来事ではないだろう。
 しかし、私たち観客の目にそれが単に作り上げられた空事以上のリアリティーを持ち我々に迫ってくるのは山田百次を宮沢賢治役の山田百次の存在が大きい。賢治の故郷である岩手県花巻からさほど遠くない青森県南部地方出身の劇作家・演出家を賢治役に抜擢したキャスティングの妙であろう。
 こちらも岩手出身である宿の主人役を演じた佐藤誓が方言指導を担当した。微妙に違いのある山田の言葉も微細を修正し、ほかの出演者のセリフの方言のニュアンスも指導。地域語を重視したセリフ回しを取り入れたことで、この宿屋に集められた人間たちにそれまでの舞台にはあまりないようなディティールを付加した。
 ただ、繰り返しになるようだがこの舞台の最大の殊勲者は宮沢賢治役の山田百次だ。これまでも宮沢賢治の評伝的な演劇は多くの劇作家が描いているが、多くの場合賢治の作品から逆に導き出されたような美化された存在に描かれていた。
 ここでは高い理想を持ちつつも状況に裏切られ続け、その文学的な才能も生前には広く知られることがなく、ひとり暗い修羅の道を行くようなやるせなさを、山田の都会の人間とは違う独特の存在感が造形化していたことに感心させられた。山田の方も自らも出演するといっても自分の作演出舞台ではバリバリの主役というようなことはなく、今回は役者1本で勝負できたということもあり、これまであまりなかった俳優としての新境地を発揮できた。
 これまでも震災関連主題の演劇に宮沢賢治が取り上げられたことは数多かったが、「風紋 ~青のはて 2017~」が興味深いのは賢治が生まれた1896年、生誕5日後に秋田県東部を震源とする陸羽地震が発生、同じ年に「明治三陸地震」があり、大津波で約2万2千人の犠牲者を出した。そして1933年(昭和8年)9月21日花巻の宮澤家で結核のた37歳で亡くなったが、この年の3月「昭和の三陸地震」が起きており、やはり津波のために大勢の人がなくなっている。長田育恵は賢治をどちらも東日本大震災を彷彿とさせる2つの巨大地震と関係を宿命づけられた人として描き、それゆえこの舞台の中では物語の最後には宿の主人の息子がその震災で人を救おうとして助けた人の代わりに死んだ人と設定し、実際に似たような出来事が東日本大震災ではあちらこちらであったということを想起させ、これを他人を救うために自らは火山の爆発で命を失ってしまうという「グスコーブドリの伝記」と重ね合わせていく。もちろん、それはさらに賢治が生涯をかけて追求し、様々に形を変えて繰り返された自己犠牲の精神と重なり合うことになる。そういう意味で「風紋」は震災劇として読み解くこともできる。

人間宮沢賢治と「あいまいな喪失」――てがみ座公演『風紋--青のはて2017』/野田学 – Webマガジン「シアターアーツ」