下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ダンスセレクション2000

11月29日 ダンスセレクション2000 セクションIIIプログラムA(11月23日)、プログラムB(25日)を六本木のオリベホールで見た。これについて感想を簡単に書くことにしたい。いずれも3組のグループ(ないし個人)による3作品を並べたプログラム構成である。以下にプログラムを簡単に紹介すると。

 プログラムA
1、ニブロール「駐車禁止」 振付/矢内原美邦 映像/高橋啓祐・神戸千木・山本新介 音楽/坂井俊太郎・加藤由紀・岩田智夏子 出演/小野秀則・小浜正寛・前田愛実・澁谷径代・山本浩司・本原章一

2、原田拓巳作品「スリッピーな止まり木の上で」 構成/振付/出演 原田拓

3、86B210 「ゼリー状の眼球」 構成/振付/出演 鈴木富美恵 出演 井口桂子、吉田妙子ら


 プログラムB
1、レニ・バッソ「ドレッド・サカー 〜ハイパーボリックゾーン〜」 振付・演出/北村明子 作曲/江村桂吾 映像/兼子昭彦 出演/北村明子・二見一幸・前島弥惠子・小沢剛・水内宏之
2、CAGR「オペラ・ドゥ・サーカス『太陽の第九』より」 演出・振付/若井田久美
3、上島雪夫作品「マイ・セカンド・ハート」 演出・振付・構成上島雪夫
 ここまではしょりながらもとりあえずプログラムを写してはみたものの実はかなりむなしい。一応、私がこのダンスセレクションの両プログラムを見た理由はニブロール「駐車禁止」、レニ・バッソ「ドレッド・サカー 〜ハイボリックゾーン〜」が見たかったからで、その2作品については完全に満足とまで行かなくてもそれなりに面白く見られたのだが、他の作品(振付家)はいずれも見るのは今回が初めてで、ひょっとしたら掘り出し物があるかもと思ってそれなりの期待をしていたのにもかかわらず見終わってあまりのつまらなさに唖然ぼう然で正直言って疲労困憊状態になってしまったのだ。本当はもう少し早く感想を書かなくてはいけないところを遅れてしまったのはそういう理由があった。

 まずは面白かった方から書く。レニ・バッソ「ドレッド・サカー 〜ハイボリックゾーン〜」は今年の春バニョレ横浜プラットフォームで上演した作品を練り直して35分にまとめ直した作品。バニョレの時も私個人の評価では断トツの出来栄えだったのだが、今回も振付・コンセプト・ダンサーのレベルともにこのプログラムの中では群を抜いた完成度の高さであった。北村の作品構成はダンスにおける物語性を完全に排除しているため一見、とっつきにくくも見えるが、この作品はローザスやある種のフォーサイスの作品のように純粋に抽象的なムーブメントを見せるというよりは舞台背景に写しだされる映像(兼子昭彦)によって提示されるダンサーとダンサー(つまり人間相互)の関係性と同期するような形で全体が構成されているため、北村作品としてはテーマ性が濃厚に出た舞台といえるかもしれない。

 最初、照明によって作られた長方形の光の道に2人のダンサーが現れ、これが接近しながらも決して触れあうことなく、ダンスを続けるといういくつかのシークエンスが繰り返された後、次のシーンではこれが椅子とりゲームのようなものに変化していく。いずれも最初は1対1のような比較的単純な関係性からスタートして、それがしだいに関係における複雑さを増していくとともにそれと呼応するようにミニマルで幾何学的な動きから動きの枝葉を増やして、それと同時にドライブ感も増していく。

 この作品ではそうした全体の構造が個人と共同体の関係、個人とシステムの動きとメタフォールに重ねあわされていくように作られているのだが、その構造には単純な構造が一定のルールに従って、複雑化していくことで千変万化の様相を見せていく複雑系の図形(マンデンブロ図形やローレンツアトラクタなど)を思わせるところがある。あるいは最初に提示された単純な主題が複雑に変化し展開していくモーツァルトの変奏曲を連想させるといったら言い過ぎだろうか。

 もっとも、今回のこの作品では単純な構造がしだいに複雑になっていくということはあってもそれがしだいにオーバードライブして、構造を突き抜けていくという風になりきれないで終わってしまうという感があり、本当に主題が融通無碍の展開をしていく前の前段部だけを見せられたようで、「これで終わりなの」と欲求不満を抱いたのも確かであった。

 その意味では予告編のようで物足りないところもあるのだが、念のために確かめてみるとこの作品は来年2月にアートスフィアで上演される「Finks」という作品の一部を上演したということらしく、それゆえ、この後、この作品がどのように展開していくのかについてはそこでの全編の上演を期待して待つことにしたい。

 ニブロールというダンスカンパニーを見るのは今回が2回目である。前に見たのは渋谷の小空間で上演された「東京第2プール」という作品で、その後、アビニョンで作品を見たかったのだが、残念ながらうまく滞在期間が合わずすれ違いに終わったため、今回の新作「駐車禁止」には期待していた。ただ、期待が大きすぎたのか全体として振付家、矢内原美邦のセンスのよさは感じられたものの今回の作品ではまだこの集団のやろうとしていることについてピンとこないところもあった。

 映像などを多用してコラボレーション的に作品を作っていくのはバニョレプラットフォームで見た発条トなどを思わせるところがあるが、これは最近の流行といっていいのだろう。いわゆるダンスらしいダンスを意図的に排除していく手法やはじめの方に自動車を連想させるような形で三輪車のようなものに乗った男を舞台に登場させるような遊戯的な要素を加えるところなど既存のダンスを宙づりにしてあえて距離を取るような構え方はイーストギャラリーで見た昔のキノコなどを彷彿とさせるところがあるが、そういった可愛らしさの一方で、レイプとか暴力的な現実などを連想させるような要素を挿入していったりするのが、キノコなどとはアプローチの違うところである。もっとも、そうした現実もリアルに描かれるわけではなく、コミカルな形に変容されているため、作品自体からはあまり直接的に暴力的な印象は感じられることはない。

 もっともこのカンパニーのダンスには例えばイデビアン・クルーのような歴然と分かるムーブメントのオリジナリティーというのは感じられないので、全体として見た時にはまだ2本を見ただけではその特徴をつかみかねているところがないではない。すごく表現が感覚的になって心苦しいのだが、どうも印象が淡いのである。それでは面白くないのかといえば例えばこのプログラムの他の作品と比較すると次の作品も見てみたいという気にさせられる妙な魅力はあるのだ。それは表現に対して矢内原美邦が取っている微妙な距離感覚とか、作品全体のトーンを規定していく美意識(センス)とかどうしても抽象的な表現になってしまって、それがナニなのかが具体的に指摘できないのがもどかしいのだが、重要なのはこの人が見ていて恥ずかしくならない作品を作る才能を持っていることで、日本のダンス界の現状を考えるとそれは貴重なことと考えざるをえないのだ。

 というわけで、他の作品にも少しは触れないといけないのだが、これが地雷を踏みまくることになるので困ってしまっている。全体としていえるのは上記の2作品以外では自分の作っている作品についての方法論敵懐疑が全く感じられなかったということである。惜しまれるのがCAGR「オペラ・ドゥ・サーカス『太陽の第九』より」でこれは体操とか新体操などのいわゆる芸術スポーツの経験者が集まって作った集団ということでその身体的特異性がどのように振付に生かされてそこから新たな表現が立ち上がるのかと注目して見たのだが、これが唖然とするほどなにもないのだ。確かにバク転とか側転とか体操で見られるタンブリング系の動きとかアクロバティックな要素は入ってはいるのだけど体操を舞台で見せられてもなあという感じなのである。

 群舞で踊るところなのがまるでジャズダンスの振付なのは見ていて恥ずかしくなってしまったが、どう見ても「こういうことができます」というのをつなげただけでは振付とはいえないのではないだろうか。同じ場所で車輪が回るように速い側転を続けたのは「おおっ」て思わせるところがあったけど感心させられたのはそのぐらいなのが残念だった。

 上島雪夫作品「マイ・セカンド・ハート」では劇中劇のような形で井神さゆりがバレエを踊るシーンがあって、名古屋で見た山崎広太作品では全く精彩のなかった井神だがこういうのを踊るのを見るとさすがと思わされるところがあり、ちょっと得した気分にはなったが、作品については「これってダンスじゃなくてダンスシーンの挿入された芝居じゃないの。それも完全な新劇」と思わずツッコミを入れたくなる内容。しかも、芝居と考えたら多重人格の男の心象風景をいまさらダンスで見せられてもなあ。いくらなんでも何か落ちがあるだろうと思ったらそれもないし。