上演作品
「CANARY-”S”の様相」 作・演出・構成・振付:前納依里子
(羽生圭江、石田未来、飯塚友浩、前納依里子)
「お部屋」 構成・演出・振付:矢内原美邦
(合田緑、泰山咲美、高山真美、得居幸、花島千夏、星加昌紀、真鍋美奈恵、三好直美、渡部訓子)
地元作品:
「コトブキイブキ」 作・星加昌紀
(大西幸介、来留島彩織、佐藤桃子、重松彦輝、高橋亜由美、中村仁美、樋山桃子、松山愛果、矢内原由佳、吉村理沙)
「カレイなる家族の食卓」 作・構成・演出:村山華子
(小笠原大輔、笠井晴子、中島晶子、村山華子)
ダンス作品を公募し全国の会場で巡演する「踊りに行くぜ!!」が「作品クリエイションサポート+巡回公演」企画「踊りに行くぜ!!」セカンドとして生まれ変わった。その第1弾となったのが松山での公演で今回はどのように変わったのかを実際にこの目で見て確かめるためもあって松山まで出かけてみることにした。
アーティストの公募について「あらゆるジャンルのクリエイターによる、ダンス作品のアイデアを募集するタイプA」、「開催予定地域の公募参加者とともに作品を作り上げる振付家を募集するリージョナルプロジェクトのタイプB」と、2つの異なる方向性でクリエイションを援助する、ということだったのだが、実際に見てみるまでそれぞれどういうものなのか、両者はどう異なるのかの具体的なイメージはイマイチはっきりしなかった。
実は知り合いのダンサーにタイプAとタイプBとどう違うのか、そしてどちらに募集するべきなのかを聞かれたことがあったのだが、募集要項を読んだだけではどうにも具体像が浮かび上がらず、結局「JCDNのスタッフに聞いてみるのが1番では」とのなんとも情けないアドバイスをしてしまったぐらいだ。
そして、この両者の違いというのは松山公演を見た結果、比較的明確に浮かび上がってきたように思えた。具体的には松山公演では矢内原美邦の構成・演出・振付による「お部屋」がタイプB、「CANARY-”S”の様相」(作・演出・構成・振付:前納依里子)と「カレイなる家族の食卓」(作・構成・演出:村山華子)がタイプAにあたる。
タイプBは簡単に言えばいわゆる「アーティスト・イン・レジデンス」で矢内原美邦*1は今回松山在住のダンサーと一緒に松山に滞在製作する形で新作を制作した。この「お部屋」という作品が興味深かったのはこれにより松山という土地の特殊性もあって、トヨタアワードファイナリスト常連であったYummydanceのメンバーである合田緑、得居幸、こちらも全国的に活躍している星加昌紀らトップレベルのコンテンポラリーダンサー・振付家が参加。以前に康本雅子がニブロール作品にダンサーとして参加した前例はあるけれど、矢内原にしても松山勢のようなキャリアのダンサーと振付作品を制作することはあまりない経験であり、その意味でも注目の作品であった。
2010年のダンスベストアクトに矢内原美邦の「桜の園」を選んだのだが、それはニブロールではなく、また演劇作品であるミクニヤナイハラプロジェクトでもない、矢内原個人のダンス作品であった。
今回の「お部屋」もチェーホフにイメージをとった「桜の園」とはかなり方向性の違う作品ではあったが、矢内原のソロプロジェクトによるダンス作品だった。松山の公演は1ステージだけだったのだが、この作品は1回の上演で終わってしまうのは惜しいほど。今回の松山公演の4演目の中で断トツの出来ばえだ。
「桜の園」との比較でいうと、群舞の魅力が目立っていた「桜の園」に対して、こちらは群舞の場面はたくさんあるけれど、どちらかというと短い長いの差はあってもそれぞれのダンサーにソロ部分が与えられているなどダンサー個々の個性を重視した構成になっている。特に星加昌紀の少し長めのソロダンスが素晴らしく、こういう男性のソロというのは矢内原作品では初めて見たのですごく印象的であった。
実はこの作品では実際の現地での制作期間が2週間弱(2010年12月16〜23日/2011年1月8〜13日)と短いこともあり、「部屋」という課題で参加する各ダンサーにそれぞれ短いソロ作品を作ってもらい、それをyoutubeの映像により、矢内原が見て作品のイメージに取り入れていくなどの遠隔地を逆手にとったキャッチボールを行った。作品を見て感じたのは短い創作期間の割に振付のフレーズも多く、あるいはそれぞれのダンサーがそれぞれ発していた「自分の部屋についてのモノローグ」など充実した内容だったことだ。これは矢内原がすべての振りを作って振り移すのではなく、ダンサーから出てきたものをうまく利用しながら編集的な作業で1本の作品に仕立て上げたことが矢内原作品でありながら松山の地元ダンサーとのコラボレーション的な色合いも醸し出し、豊富な内容を感じさせるものになったのではないかと思った。
企画として「真の目的はここかも」と思ったのは今回のキャストには先に挙げた十分の実績のあるダンサーに加えて、現役大学生の若いダンサーもオーディションによって選考されて参加していたことだ。実は松山でここ十数年ほどコンテンポラリーダンスをけん引してきたYummydanceはウィリアム・フォーサイスのカンパニーにもダンサーとして在籍したことがあるドイツ在住の振付家アマンダ・ミラーの松山でのアーティスト・イン・レジデンスに参加した若いダンサーたちにより、「その後も活動を続けたい」と旗揚げされたカンパニーだった。若い時にこういう第一線の創作者と作品を共同制作するということはそのダンサーの意識や能力を成長させるのに大きな経験となるであろう。
しかも若いダンサーにとっては今回は矢内原美邦という日本のトップクラスの振付家の作品に出演したというだけではなく、やはり同等の力を持つダンサー・振付家と一緒に作業することで、そのレベルや取り組み方を間近に見ることができた。
最近は地方のホールなどの主催によるワークショップ公演なども増えているが、今回の作品はそのレベルを大きく超えているもので、それを自ら感じられたという機会を与えられたことは本当に素晴らしいと思う。できるものなら、Yummydanceに続くようなカンパニーがこういうところからもうひとつ生まれるといいのだが、そんなにうまくはいかないだろう。ただ、特に地方ではソロあるいはデュオ程度の規模での活動が多いなかで、グループ作品を共同制作することで第2、第3のYummydanceを生み出すような下地を作っていくということがタイプBの狙いではないかと思ったのである。
一方、「あらゆるジャンルのクリエイターによる、ダンス作品のアイデアを募集するタイプA」では松山で2作品が上演されたが、こちらは「あらゆるジャンルのクリエイター」「アイデアを募集」の2点がミソのようだ。作品を見て「そうか」と思ったのはこの2作品はいずれも4人のダンサーが出演するグループ作品となっていたことで、これがこれまでの「踊りに行くぜ!!」との大きな違いだ。
というのは「踊り行くぜ!!」ではこれまでも地方での作品の公募をしてきたのだが、そのほとんどがソロかデュオの作品、しかも女性ダンサーにより日常的な身辺雑記的なものをJポップ的な音楽に乗せて踊るというのが多かった。これは実は特に地方ではその活動の形態からして当然の帰結であって、そういう種類のダンスのなかにももちろん秀作はあり、それが「踊りに行くぜ!!」スぺシャルに選ばれて東京、大阪で踊られるということもあった。ただ、問題はそういうものが「選ばれた」という事実が「傾向と対策」のようにそうした風潮を拡大再生産していくことにつながり、それがさらにその傾向を強めるという悪循環があり、それが次第に作品を小粒なものにしていくことになった現状が確かにあり、少なくとも今回上演された2作品は作品のクオリティーこそまだこれからという部分はあるが、そうした傾向とは一線を画すものだったのは間違いない。
なかでも興味深いと思ったのは「カレイなる家族の食卓」(作・構成・演出:村山華子)。村山華子は作品に自ら出演して踊ってはいるけれどもダンサーではなく美術家であり、ダンス作品を作るのもこれが初めて。「あらゆるジャンルのクリエイター」を体現する作品だった。
そのためか作品のテイストも同じく映像・美術などを多用するといってもこれまでの日本のコンテンポラリーダンスとはかなり色合いが違うものだ。日本のコンテンポラリーダンスの場合、多くはダンサーにより創作されていることもあって、「どんな新しい動きを開拓するか」というのが最重要な課題であったが、この「カレイなる家族の食卓」は動き自体にはそれほど新規性はなく、実は振付家本人に出演しているダンサーはバレエの人かと聞いてみたら一言のもとに「違う」と否定されたのだけれど、動きそのものは私の目にはほとんどバレエの動きと似て映り、残念ながらほとんど独自性というのものは感じられなかった。
それでは面白くないのかと言えば実は美術家としてのセンスを発揮した映像や舞台美術、衣装などそれ以外の部分が面白くて、それで見せてしまうというところがあった。コンテンポラリーダンスは今回の作品でいうと矢内原美邦作品が典型だが、踊る人がその人自身として舞台に上がることが多く、演劇のようになにかの役を演じるということは少ない。少なくとも日本ではそうだ。
この作品は「家族の肖像」を描いた作品で、出演する4人のダンサーにそれぞれ父、母、長女、次女という役があり、その家族が崩壊してしてから、再生していくまでというストーリーもはっきりとある。そのためか、普段、コンテンポラリーダンスを見慣れていない観客に対する受けがよく、その人たちの一部の感想では逆に私が「今年のベストアクトに入るかも」と思った矢内原作品に対して「話がよく分からない」などの反応もあったようだ。
私などは面白く見るには見ながらも、でもこれってセリフはないけれど、演劇であってダンス(少なくともコンテンポラリーダンス)として評価していいものかどうなのかという疑問が残ったのだが、逆に言えばこれまでのやり方では「踊りに行くぜ!!」にこの手の作品が出てきにくかったのも確かで、巡演を通じてこの作品がどのように成長を遂げていくかも楽しみだが、すでにこの時点で最初の成果は出ているともいえそうだ。
「タイプA」のもう1本、「CANARY-”S”の様相」はそういう意味で言えばこちらも映像、美術なども駆使したマルチメディアパフォーマンス的要素を含みながらもいかにもコンテンポラリーダンスらしい作品であった。荒削りながら、ダンスのムーブメント、映像・美術のクオリティーなど見るべきものがあり、今後巡演を通じて作品を練り直していけば、相当以上に素晴らしい作品へと変化をとげるかもとの可能性を感じさせた。
作者にとっての初めてのグループ作品という気負いが裏目に出たか「あれも、これも」といろんな要素を「幕の内弁当」のように詰め込みすぎた。そのため、全体としての印象がやや散漫となってしまっていた。そのあたりは自分たちの表現したいところの核、いわばセールスポイントはこれで、だからこれは絶対に見てくださいという部分を明確にして、それ以外は場合によっては削ぎ落していくような整理が必要なのではないか。ただ、この作品は一番大化けするかもとの予感を感じさせる作品でもあった。
年間ベストアクト級の充実ぶりを見せた矢内原美邦作品と比べ、「タイプA」の2作品は初演となる松山での公演では面白くなる素地はあるけどまだ海のものとも、山のものともわからぬ、との印象が強かった。だが、「踊りに行くぜ!!」の最大の長所は荒削りだった作品が各地での再演の繰り返しによる練り直しのなかでより完成度が高く、作者の意図が明確な作品へと変貌を遂げていくこと。特に今年は「タイプA」の3作品については最初の時点ですでに最後の「踊りに行くぜ!!」セカンドin東京への出演が決定しており、ここに向けどんな成長を作品が遂げていくかが、楽しみな「踊りに行くぜ!!」セカンドin松山であった。