下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第5回 東京デスロック=多田淳之介」WEB講義録

主宰・中西理(演劇舞踊評論)=演目選定
 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇を楽しんでもらおうという企画がセミネール「演劇の新潮流」です。今年は好評だった「ゼロ年代からテン年代へ」を引き継ぎ「ポストゼロ年代へ向けて」と題して現代の注目劇団・劇作家をレクチャーし舞台映像上映も楽しんでいただきたいと思います。
 今回取り上げるのは東京デスロック多田淳之介です。今年の新シリーズ「ポストゼロ年代へ向けて」では現代口語演劇の流れから少し離れた新潮流をポストゼロ年代演劇と位置づけ、柴幸男(ままごと)、三浦直之(ロロ)、篠田千明(快快)らを紹介してきました。ポストゼロ年代演劇と呼ばれる彼らには共通の特徴をまとめてみると(1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる、(2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する、(3)感動させることを厭わない——などです。 多田淳之介(ただ じゅんのすけ )は1976年生まれですから、現在33歳で、先に挙げた柴、篠田らよりはかなり年上*1なのですが もともと現代口語演劇から出発しながら世代的には少し下であるこれらの若手の作家たちと同じような特徴の作品にいち早く取り組んでいた先駆者ということができるのです。
 多田は日本大学芸術学部日芸と呼ばれる)の演劇学科の出身で、卒業後、動物電気という劇団に入り、そこで役者を続けながら、仲間たちと自分の集団である東京デスロックを旗揚げします。
 東京デスロック自体は2001年の旗揚げですから、今年で10年以上になる中堅劇団ではありますが、舞台を実際に見ることができたのは2008年と比較的最近のことでした。ガーディアンガーデン演劇フェスティバルの神戸引っ越し公演として開催されたスプリンクルシアターで上演された東京デスロック 演劇LOVE in神戸「3人いる!」@神戸アートビレッジセンターKAVCギャラリーでした。この作品はきょうこれから見ていただきたいと思います。作品自体はすごく面白かったのですが、最初の印象は奇抜なアイデアを見つけてそれを生かした作品に見えて、面白いけれどこういうのは「劇団のスタイルというよりは1回だけ使える手ではないのか」という疑問が頭をよぎったのも確かでした。これは同じ劇場でチェルフィッチュ「三月の5日間」(2004年)*2を最初に見た時との印象の差というのが大きくて、チェルフィッチュの場合*3はそれまでの演劇の形式を一変するような新しい形式が出てきたインパクトというのがあったのですが、「3人いる」にはそういうのはなかった。むしろ演技のスタイル自体は通常の現代口語演劇に近いので、そういうものに思いついた1アイデアを付け加えたという風に見えたというのもあります。
チェルフィッチュ「三月の5日間」(2004年)
 

 ところが実は1アイデアと書いたその発想には後から考えるとポストゼロ年代演劇の先駆的な特徴が出ていました。「3人いる!」という表題はもともと少女漫画の萩尾望都「11人いる!」を下敷きにした作品で、「11人いる!」について少し説明すると宇宙飛行士の選抜のために各星系から集められた若者たちに最終選抜試験が課せられます。ところが10人しかいないはずのこの試験の会場となった宇宙船になぜだか11人の人間がいたということで、彼らの中にジレンマが生じます。明らかに異常なこの事態を試験当局に伝えて危険を避けるために試験を中止すべきか(その場合は全員不合格になるリスクがあります)、このまま試験を続行すべきか。座敷わらしのようにあるいはスパイのように余分な人間がひとりいるというサスペンスなのですが、この「3人いる!」も余分な人間がひとりいるという「11人いる!」の設定を引き継いでいます。

11人いる! (小学館文庫)

11人いる! (小学館文庫)

 ある部屋で休んでいる男のもとにひとりの男が現れて、その男の名前を名乗ります。顔も体型も全然異なるのにその男が語る境遇は自分とまったく同じ。どうやらその男は男自身のようなのです。自分がこの部屋の主だからお前は出て行ってくれと主張します。果たしてこの男はだれなのか。自分を名乗る赤の他人なのか、あるいはドッペルゲンガ—なのか……。この芝居が面白いのは普段私たちが無意識に受け入れている演劇上の約束というか、虚構を駆使することで不可思議な状況を現前させてみせるところです。
 作品に使われたアイデアは一見通常の群像会話劇のように見える演技の移ろいのなかで「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されて、移動していくというものです。「3人いる!」は2006年初演ですから、ここには明らかに前述のチェルフィッチュのやはり「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が自由に移動するというスタイルへの衝撃が影響を与えたのではないかと思われます。
 この延長線上にままごと「あゆみ」、柿喰う客「恋人としては無理」、小指値(快快)「霊感少女ヒドミ」などが出てくるのですが、東京デスロック「3人いる!」とこれらの劇団の共通点は「役者」と「役」が切り離せるというアイデアだけではありません。もちろん、これらの芝居では「役者」と「役」が切り離せるというアイデアが共通しているのですが、本当に共通の特徴はいずれの集団においてもそのアイデアはその芝居に限ってのアイデアであって、集団に特有なスタイルというわけでないということなのです。
ままごと「あゆみ」

指値(快快)「霊感少女ヒドミ」

 つまり、ポストゼロ年代演劇の共通の特徴として3つを挙げているうちの(1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる、(2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行するというのがこれなわけです。「3人いる!」で具体的に示せば「メタレベルで提供される遊戯的なルール」というのが、「役者」と「役」が切り離せるから敷衍して、「役者」の間を「役」が移ろう、そしてついには「3人いる!」の表題になっているように舞台上には2人しかいないのだけれど、実は3人いる……これは話をしているだけではなかなか分かりにくい思いますの見ていただきたいと思います。
(「3人いる!」を見せる)
東京デスロック旗揚げ当初から、演劇の枠組みを揶揄するかのような作風で知られていましたが、2006年よりスタートした「演劇を見直す演劇シリーズ」で役柄を全く固定しない作品(「3人いる!」)、全編造語による作品(「別」)、全く同じストーリーを繰り返し続ける作品(「再生」)を立て続けに発表し、実験演劇の様相を強め、同世代の作家のなかでいち早く平田オリザの現代口語演劇のくびきから脱出しました。
 ですから作ほど見ていただいた「3人いる!」が東京デスロックが現代口語演劇、すなわちゼロ年代演劇的なものから、ポストゼロ年代演劇てきなものにシフトしていくきっかけになった作品ということができるかもしれません。そのため、先ほど見ていただいたようなルールは導入されながら、そこではまだ現代口語演劇=群像会話劇的な特徴は維持されていました。
 次の作品「再生」ではそこからスタイルは大きな変化をとげます。「再生」では表題の通りに同じストーリーが舞台上で3回繰り返されます。この「再生」ではかろうじて物語の設定として、当時話題になっていたネットによる集団自殺という主題があって、おそらくいろんなところから集まってきた若者たちが鍋を食べて、踊り狂った挙句に次々と倒れていってしまう。そういうことはあるのですが、実はこの舞台で重要なのはそういう表面上の筋立てだけではなくて、かなり激しい動きをともなうそれが3度繰り返させることで、それが繰り返されるうちに俳優の身体そのものが疲弊してきて、それを舞台上で生のものとして見せることで、舞台上での「死」と「疲弊」が二重写しになってくるという仕掛けがあるわけです。
東京デスロック「再生」

 これを受けて2007年よりスタートした「unlockシリーズ」では、演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」にフォーカスし、俳優の身体的な「疲れ」を前面に押し出す作風に挑戦しました。先に述べた「遊戯的なルール」などというとパソコン上で展開されるコンピューターゲームとはそういうものが連想されて、これはゲーム的リアリズムなどにもつながっていくわけですが、東京デスロックの場合、そういうゲーム的感性と同時にそれを演じるのがあくまで二次元のキャラではなくて、生身の人間なのだということからくる摩擦のようなものを舞台に載せているところが大きな特徴かもしれません。
 身体的な「疲れ」などのアンコントロールなものを舞台上で提示するというのは夢の遊眠社あるいは最近ではニブロールミクニヤナイハラプロジェクト)の前例があります。前回取り上げた宮城聰はこれを「生命の一瞬の燃焼のきらめき」などと呼び、日常性に絡み取られて社会的な存在となっている人間が失ってしまっている生きている人が持つ根源的な力を舞台上で見せることが演劇の一つの使命であると以前語ってくれたことがありますが、そのための方法論として赤ん坊とか、老齢のダンサーであった大野一雄のような特権的身体ではないひとがこれを表現するためにはなんらかの仕掛けが必要だと述べていました。そのひとつの方法として激しい身体的負荷を挙げていたように記憶しているのですがこれは例えば「エロティシズムは、死に至るまでの生の称揚である」というバタイユの蕩尽理論などにも通じるところがあるかもしれません。
インターナショナル・ショーケース2010 東京デスロック Tokyo Deathlock
「LOVE2010」 

 「再生」の後にこれは日本各地や海外でも上演されて最近の東京デスロックのなかでは代表作ともいえる「LOVE」という作品もほとんどセリフらしいセリフがないなかで、パフォーマー相互の関係性の提示のなかでこの世界の人間の関係性のありかたを抽象的、すなわち普遍的に提示することで、人間の歴史などの大きな「世界の構造」を比喩するとともに激しい動きと倒れる、また立ち上がるという構造はここでも繰り返され、「人間が生きていくこと」の根源的なあり方が想起される仕掛けとなっています。
 あるいは2010年に上演された「2001年—2010年宇宙の旅」。この作品はスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」とそれを小説化したアーサー・C・クラークの同名のSF作品を原作にしながら、そこで描かれていた人猿=人類の歴史を東京デスロックの旗揚げ(2001年)から現在(2010年)までの歴史(より正確にいえばその間の夏目慎也の個人史)と重ねあわせています。
(「2001年—2010年宇宙の旅」を一部見せる)
 2008年以降はシェイクスピア作品を手がけることが多く、本日もその一部を紹介していきたいと思ってますが、ロミオとジュリエットでは「目隠し鬼」を、マクベスでは「椅子取りゲーム」を中心に構成するなど、「遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する」というポストゼロ年代演劇の演出手法でシェイクスピアを相次ぎ手がけています。
(「WALTZ MACBETH」「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」を一部見せる)
 「WALTZ MACBETH」では着物を着た男女が円陣を組んで並べられた椅子の周りをぐるぐると回り、「椅子取りゲーム」を繰り広げます。この「椅子取りゲーム」がそのままシェイクスピアの「マクベス」に出てくるダンカン王の謀殺、ダンカンの暗殺といった権謀術策を凝らしての権力闘争を象徴しているわけですが、シェイクスピアの戯曲に書かれたセリフは変えないでそのまま語りながら、俳優たちはこの「椅子取りゲーム」を繰り返すことで多田はビジュアル的に現代の人間にも分かりやすい形で、「マクベス」を舞台化したわけです。
 一方、「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」はおそらく「恋は盲目」という比喩表現のこれままたビジュアル化と思われますが、黒い目隠しをつけられて目が見えなくなった男女(ロミオとジュリエット)が赤いハートの形のクッション状の床のうえを互いに相手を求めて手探りを続けます。そのほか今回は残念ながら映像では紹介できないのですが、渡辺源四郎商店との合同公演となった「月と牛の耳」では格闘家の父子らの相克を描いた作品を象徴する場面として「プロレス」の場面が舞台上で展開されます。このように戯曲の構造や主題の本質を原テクストから読み取り、それをそのまま表象できるようなゲーム(のようなもの)に置き換えていくというのも多田演出の特徴で、これはポストゼロ年代の演劇のひとつの特徴である「ゲーム的感性」と通底するところがあるのです。
【日時】8月31日(水) 7時半〜
【演目】「3人いる」「2001年—2010年宇宙の旅」「WALTZ MACBETH」「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」「その人を知らず」など
レクチャー担当 中西理
【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて 【料金】¥1500[1ドリンク付]

東京デスロック2001年12月、動物電気の俳優として活動していた多田淳之介を中心に活動を開始。
作・演出の多田は並行して2003年より青年団演出部に所属し、若手自主企画の作・演出、青年団リンク二騎の会の演出も手がける。

2007年より東京デスロックは青年団内のユニット「青年団リンク 東京デスロック」としての活動を開始。青年団俳優によるキャストの充実、青年団のバックアップによる制作面での充実を得て、翌2008年より青年団リンクから独立。劇団としてのポテンシャルを着実に高めていっている。

劇団は本公演と並行して、劇場以外で上演する“CARAVANシリーズ”、役・物語・言語等の既成概念を検証する“演劇を見直す演劇”を展開。

2007年より演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」と位置付け演劇の可能性を追求する “unlockシリーズ”を開始。一貫して「演劇」のあり方、自明性を疑った地点から、アクチュアルな演劇を立ち上げる活動を行っている。

2008年より「現前する身体による戯曲の現前化」という演劇の根本原理をもって演劇への再評価を目指す“REBIRTHシリーズ”を開始。
また、2008年度より埼玉県富士見市民文化会館キラリ☆ふじみを拠点として活動するキラリンクカンパニーとなり新たな活動の場を広げる、2009年よりは東京公演を休止し、演劇上演の根源、その先にあるものを見つけるべく、新展開に挑む。
 多田淳之介(ただ じゅんのすけ、1976年9月8日 - )は、日本の演劇作家、演出家、俳優。東京デスロック主宰。千葉県出身。青年団リンク二騎の会を宮森さつきと共同主宰。富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ第3代芸術監督(2010年4月〜)。

2001.12   東京デスロック第1回公演 『土足』 於:アドリブ小劇場

2002. 4   東京デスロック第2回公演 『つっぱり』 於:新宿サニーサイドシアター

2002.12   東京デスロック第3回公演 『忍法』 於:王子小劇場

2003. 3   東京デスロック第4回公演 『直面』 於:本多スタジオ

2003.12   東京デスロック第5回公演 『余力』 於:本多スタジオ

2004. 5   東京デスロック第6回公演 『別人』 於:王子小劇場

2004. 9   東京デスロック第7回公演CARAVAN#1 『ソラリス』 於:名曲喫茶ヴィオロン

2005. 3   東京デスロック第8回公演CARAVAN#2 『社会』 於:名曲喫茶ヴィオロン

2005. 7   東京デスロック第9回公演 『安心』 於:アトリエ春風舎

2005.12   東京デスロック第10回公演 CARAVAN#3 『本物』 於:下北沢CAFE PIGA

2006. 5   東京デスロック第11回公演 CARAVAN#4 『3人いる!(初演)』 於:下北沢CAFE PIGA

2006.10   東京デスロック第12回公演 『再生』  於:アトリエ春風舎

2007.2   青年団リンク東京デスロック unlock#1 『東京デスロックのアトリエ公演 inspired by アルジャーノンに花束を』 
        於:アトリエ春風舎

2007.8   青年団リンク東京デスロック unlock#2 『ソラリス』 於:こまばアゴラ劇場

2007.10  青年団リンク東京デスロック unlock#3 『演劇LOVE〜愛の3本立て〜社会・3人いる!・LOVE』 於:リトルモア地下

2008.5  第15回ガーディアンガーデン演劇フェスティバル参加
       東京デスロック unlock#LAST/REBIRTH#1 『WALTZ MACBETH』 於:吉祥寺シアター

       第4回スプリンクルシアター参加
       東京デスロック 演劇LOVE in神戸 『3人いる!』 於:神戸アートビレッジセンター KAVCギャラリー

2008.9  東京デスロック REBIRTH#2 『演劇LOVE2008〜愛の行方3本立て〜HERE I AM・ジャックとその主人・CASTAYA』 
       於:リトルモア地下

2008.12  東京デスロックREBIRTH#3『その人を知らず』 作:三好十郎 於:こまばアゴラ劇場

2009.3   東京デスロックREBIRTH#4『リア王』 作:ウィリアム・シェイクスピア   於:富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ


2009.6〜7  東京デスロック「演劇LOVE2009〜愛のハネムーン〜」
        「LOVE Fujimi Preview」  於:キラリ☆ふじみ マルチホール
        「LOVE Obirin ver.」  於:桜美林大学プルヌスホール
        「LOVE Aomori ver.」&「LOVE Aomori Work Shop ver.」  於:アトリエグリーンパーク 
        「LOVE Kobe ver.」  於:神戸アートビレッジセンター KAVCホール
2009.10  キラリンク☆カンパニー東京デスロック CONTEMPORARY SERIES #1 「『ROMEO & JULIET』」〜JAPAN ver.&KOREA ver.〜 両バージョン二本立て公演

*1:むしろ、前田司郎=1977年生まれ、三浦大輔=1975年生まれらゼロ年代演劇の作家と同世代

*2:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10010925

*3:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000226/p1