SPAC「歯車」@静岡芸術劇場
演出:多田淳之介
作:芥川龍之介
出演:大内智美 奥野晃士 春日井一平 河村若菜 坂東芙三次 三島景太会場:静岡芸術劇場
芥川龍之介の最晩年の小説を舞台化。昭和2年に自死した後に発表された本作は、ある男が知人の結婚披露式への出席のために上京し、ホテルに滞在しながら執筆を行なう数日を描いている。義兄の轢死の報せをはじめ、破滅や死への不安に襲われながらも心を平静に保とうと執筆に向かう姿は、死の直前の芥川本人の姿にも重なる。劇団「東京デスロック」主宰として国内外で活躍の場を広げ、埼玉県の富士見市民文化会館キラリふじみの芸術監督を務める多田淳之介の初SPAC演出作。
演出家プロフィール
多田 淳之介 (ただ・じゅんのすけ)1976年生まれ。演出家。東京デスロック主宰。富士見市民文化会館キラリふじみ芸術監督。古典、現代戯曲、ダンス、パフォーマンス作品までジャンルを問わず現代を生きる私たちの当事者性をフォーカスしアクチュアルに作品を立ち上げる。教育機関や地域での演劇を専門としない人との創作、ワークショップも積極的に行い、演劇の持つ対話力・協働力を広く伝える。海外共同製作も数多く手がけ、特に韓国、東南アジアとの共作は多い。2014年韓国の第50回東亜演劇賞演出賞を外国人として初受賞。2010年キラリふじみ芸術監督に公立劇場演劇部門の芸術監督として国内史上最年少で就任。主な演出作に『ハッピーな日々』『再生』『亡国の三人姉妹』『가모메 カルメギ』『奴婢訓』『ROMEO & JULIET』など。高松市アートディレクター。四国学院大学非常勤講師。セゾン文化財団シニアフェロー対象アーティスト。
東京デスロック主宰で埼玉県富士見市民文化会館キラリふじみの芸術監督の多田淳之介のSPAC初演出作品である。芥川龍之介の最晩年の小説「歯車」の舞台化だが、今作品でというのはSPAC芸術監督宮城聰からの提案ということであるらしい。多田淳之介は青年団演出部の所属でもあり、「亡国の三人姉妹」「가모메 カルメギ」などオーソドックスな会話劇の演出も手がけることはできるが、今回の小説「歯車」は全編がモノローグで描かれている。芥川の小説はこれまでも舞台化されたことはあるが、通常の作品とは異なり、なかなか難物の原テキストである。
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芥川竜之介 歯車
小説は「僕は或知り人の結婚披露式につらなる為ために鞄かばんを一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした」と「僕」という一人称からはじまる。この「僕」は小説家であり、途中で「A先生」とも呼びかけられることから作者である芥川自身ともみなし得るように作られているが、演劇においてそれをそのまま演じることは困難であるために多田は途中までは「僕」を観客自身に重ね合わせるように演出していく。ただ、今回の舞台では途中で芥川を思わせる人物も登場して、ほかの人物とダイアローグ的な会話も交わしたりするから、単純にモノローグではなく、とはいえ三人称客観描写とも言いがたい複雑な構成となっている。
そういう複雑さの中で舞台ではあくまでシンプルに忌違の対象であるレインコートや黄色をビジュアルイメージで見せていくのが分かりやすかった。
『歯車』アーティスト・トーク12月1日(多田淳之介と出演者たち)
キラリふじみ芸術監督としての作品制作や最近は韓国やアジアのアーティストとの共同制作も盛んに手掛けている多田淳之介だがSPACのスタッフ、あるいは俳優と一緒に作品作りをするのは初めて。いったいどんなものになるのかが、予想するのが難しかったが、結果的には東京デスロックの作品群ともこれまで手掛けてきた国際共同制作とも毛色の異なる作品となった。
SPACとの共同制作ではカンパニーでらしねらの小野寺修二が「変身」という優れた成果を残したが、多田淳之介も今後の可能性としては小野寺同様の豊かさを予感させるものとなった。
今回の作品が面白く感じられるのはセリフのある演劇として上演されてはいるが、小説「歯車」を元に多田が脚本を仕上げて、それを役者が演じたものに手をいれていくというような通常よくある演劇製作のやり方を踏襲していないことだ。どうやら、多田は参加した俳優との共同制作(集団制作)としてこの「歯車」の構築していったようで、全体で6つの部分に分かれている原作の構造をこの舞台も踏襲しているが、この舞台はそれぞれのパートをどういうイメージ、どういう構造で仕上げていくかを俳優との討論を交えて、多田が決定していったようなところがあるようだ。
最初に驚かされたのは巨大な舞台美術で構築された空間。舞台はかなりきつい傾斜の斜面が3つ組み合わせられているようなもので、傾斜のきつい坂道による舞台といえば多田淳之介の演出場面もあった木ノ下歌舞伎の「義経千本桜」、あるいはKAATでも上演された地点「山山」などが思い起こされるが、それらが傾斜が急とはいえ基本的にはいわゆる八百屋舞台の形状だったのに対して、これは3つの傾斜が組み合わさって全体として幾何学図形をなすようになっている。全体としての高さもかなりのものでもあり、静岡芸術劇場を持つSPACだからこそ可能な舞台美術となっている。
この深く斜めに傾いた舞台空間やそこに最後に撒き散らされる原稿用紙を思わせる紙、いくつもの透明なレインコート……。こうしたものが「不安や死」のイメージを象徴していることは間違いないであろう。この作品の表題となっている「歯車」もプロジェクターにより、舞台の背景に何度も映し出されて、ある種の圧迫感を劇世界に与えていく。