下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

DE PAY'S MAN 2019年 新作「インタラクティブ(仮)」のためのリサーチショーイング

DE PAY'S MAN 2019年 新作「インタラクティブ(仮)」のためのリサーチショーイング

2019年の作品発表に向けての新作のアイディアを14日間のリサーチを実施し、パフォーマンス形態でショーイングを行います。 当日は作品上演の後の、ゲストを招き今後の展開を議論します。

日時  2018年7月24日(火) 19:00-
             25日(水) 19:00- 

会場          山吹ファクトリー
            (東京都新宿区山吹町341-4 博龍ビル3階)
            (有楽町線 江戸川橋駅 徒歩7分 / 東西線 神楽坂駅 徒歩10分)

コンセプト・構成・演出 木皮成
リサーチ・振付・出演  
伊東祐輔(おしゃれ紳士)
岡本陽介(FUKAIPRODUCE羽衣)
齊藤コン(タバマ企画/O.F.F)
高橋ルネ(ECHOES)
田口紗亜未
山拓広 
向原徹(すこやかクラブ)
森衣里

  ダンサー・振付家の木皮成による実験的公演「インタラクティブ(仮)」のリサーチショーイング(ワーク・イン・プログレス的試演会)。音楽とダンスの関係に考えるというもので、この日のショーイングではtofubeatsの「水星」という楽曲に合わせてパフォーマンスがおこなわれるのだが、それが何度も繰り返されて、曲に対してどのように関わるのかというのが1回ごとに異なる、というのが特徴だった。

tofubeats - 水星 feat,オノマトペ大臣(PV)
 多田淳之介(東京デスロック)の「再生」を思い起こすところもあるのだけれど、「再生」のように同じ動きをリピートするのではなくて、音楽を聴いてそこから各々のダンサーがそれに合った動きでそれぞれ動く(踊る)。その踊りも原曲のそれぞれの音に忠実に反応するミニマルな動きから、ひとつながりのシークエンスとしてダンスにみえる動き。音楽に合わせてパーカッションのように音を鳴らしてみせる。バンドのように楽器のエア演奏をしてみせる――。
 木皮成はもともとストリートダンスの出身だが、ストリート系ダンスの作り手というのはほとんどの人(木皮によれば99%)が音にはめるように動きをつけていっており、「音楽→動き」という一方向の流れしか作品のアウトプットに反映されない。新作の表題を「インタラクティブ(仮)」としたのはそれが「動き→音楽→動き」というように回路のようにフィードバックするような構造のダンス作品を作れないかということで、「演奏する人の動き」=ダンスと見なせないかということからエアダンスを要素として思いついた、という。
 ただ、この日トークゲストで話した白井愛咲さんもこの日のパフォーマンスではエア楽器演奏の部分が単に楽器演奏の真似をする(マイムをする)人になってしまっていて、効果的に作品に生かされていない気がしたと指摘していたが、その指摘と似たようなことは私も思った。やはり、こういうことを実際にやるなら楽器演奏の真似ではなく、実際に楽器を演奏してみるということは不可欠ではないのか。身体を使ってやるクラッピングのシーンなどもどうせやるなら真似事とかではなく、もっと本格的にせめてローザスのクラッピングミュージック程度にはその演奏自体で見せるというレベルに仕上げることが不可欠なのではないかと思う。
 実は今回見ているうちに思ったのだが、音楽と動きの関係を追究していくというとローザス(ケースマイケル)の仕事を思い出さざるを得ない。この作品「インタラクティブ(仮)」は音楽にtofubeats のラップ音楽を使ったが、コンセプトがこのままでも例えばスティーブ・ライヒの音楽を使えばもう少し違う印象の作品になったかもしれない。
ローザス「クラッピングミュージック」

clapping music ballet

 私がもっとも初期に木皮成を知ったのはももクロの「みてみて☆こっちっち」のリミックス音源で木皮が踊っていたのを動画サイトで見つけたから(現在は削除)でtofubeatsの2012年の楽曲を使うという選択肢はいかにも木皮らしいといえなくもないのだが、これだけだともう少し洗練されたものに練り直さないとコンセプト的なところの知的な面白さが効果的に浮かび上がりにくいようなきらいを感じた。ただ、練習を繰り返して無駄な部分を削ぎ落としていくというような従来のダンス製作によくあるようなアプローチを取るとこの作品は「普通のダンス作品」になってしまっていま持っているようなラフスケッチならではの魅力がなくなってしまうような危険性もある。
 「再生」やチェルフィッチュの「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶 」のように今回の作品を作品全体の一部として、この後に違う音楽性を持つ音楽を続けて3部~4部構成にしてみるという手は一応あるかもとも思った。ただ、その場合でもエア演奏の動きの追求あたりのコンセプトについてはもう少し深く再考してみる必要があるのかもしれない。