下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

青年団第76回公演「さよならだけが人生か」(3回目)@吉祥寺シアター

作・演出:平田オリザ

2017年6月22日(木)-7月2日(日) 15ステージ

会場:吉祥寺シアター


「そのとき日本の演劇界が青年団を発見した」とも言われる劇団の出世作
待望の再演。


東京都内某所の雨が続く工事現場に、折り悪く遺跡が発見される。
遅々として進まない工事。
工事現場の人々、発掘の学生達、ゼネコン社員や文化庁の職員など、
様々な人間達がだらだらと集まる飯場に、ユーモラスな会話が、いつ果てるともなく繰り広げられる。
青年団史上、もっともくだらない人情喜劇。

1992 年に初演され、「そのとき日本の演劇界が青年団を発見した」とも言われる劇団の出世作
2000 年 のリニューアル上演以来、16年ぶり待望の再演。

 出演:
・工事現場の人々
 山内健司:宮内政人(おっさん)
 荻野友里:宮内ミカ(おっさんの娘)
 佐藤滋 :鈴本大次郎(うるさい男)
 小林智 :篠塚昭利(少し静かな男)
 大村わたる:橋本良二(バイトの警備員)
 森内美由紀:山口珠恵(掃除する女)
 井上みなみ:井出牧子(新入りの掃除する女)
 石橋亜希子:辻房枝(足を折った人)

・発掘の人々
 石松太一:岸本健三郎(助手)
 藤松祥子:高木晴美(留学する女の学生)
 前原瑞樹:藤野智明(男の学生)
 小林亮子:小野時子(女の学生)
 寺田凛 :白石桂子(歯が痛い女の学生)

・その他の人々
 太田宏 :大蔵喜一(男の社員)
 小瀧万梨子:月島郁恵(女の社員)
 串尾一輝:トカレフ(新人社員)
 伊藤毅 :門田義男(訪問者)
 立蔵葉子:星野千絵(文化庁の女)

 表題の「さよならだけが人生か」は于武陵という人の「勧酒」と題した漢詩井伏鱒二が訳した訳詩に出てくる「ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」という一節から取ったものである。

勧酒  (于武陵)      酒をすすむ 

勧君金屈巵         君に勧む 金屈卮
満酌不須辞         満酌 辞するを須いず
花発多風雨         花発けば 風雨多し
人生足別離         人生 別離足る

   直訳                    井伏鱒二
君に この金色の大きな杯を勧める         コノサカヅキヲ受ケテクレ
なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ    ドウゾナミナミツガシテオクレ
花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
人生に 別離はつきものだよ            「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二の訳詩から引用したとは書いたが平田オリザは実は表題にするにあたってちょっとした変更を加えている。「サヨナラだけが人生だ」とあったのを「さよならだけが人生か」と「だ」を「か」にしているのだ。


青年団第76回公演「さよならだけが人生か」(2回目)@吉祥寺シアター

作・演出:平田オリザ

『さよならだけが人生か』(2000)

「そのとき日本の演劇界が青年団を発見した」とも言われる劇団の出世作
待望の再演。東京都内某所の雨が続く工事現場に、折り悪く遺跡が発見される。
遅々として進まない工事。
工事現場の人々、発掘の学生達、ゼネコン社員や文化庁の職員など、
様々な人間達がだらだらと集まる飯場に、ユーモラスな会話が、いつ果てるともなく繰り広げられる。
青年団史上、もっともくだらない人情喜劇。

1992 年に初演され、「そのとき日本の演劇界が青年団を発見した」とも言われる劇団の出世作
2000 年 のリニューアル上演以来、16年ぶり待望の再演。

出演

山内健司 小林 智 太田 宏 石橋亜希子 荻野友里 小林亮子 立蔵葉子 森内美由紀 石松太一 伊藤 毅 井上みなみ 小瀧万梨子 佐藤 滋 前原瑞樹 串尾一輝 藤松祥子 大村わたる 寺田 凜

 平田オリザ作品のうち一番、玉田真也の作風と接近したのは「さよならだけが人生か」かもしれない。

2000年12月29日、シベリア少女鉄道「もすこしだけこうしていたいの」(2時半〜)、青年団「さよならだけが人生だ」(7時〜)、30日、竹中直人の会「隠れる女」(2時〜)、えんぺ大賞選考会(5時半〜)、31日、サモアリナンズ「マクガフィン」(8時〜)。1月1日青年団「さよならだけが〜」、2日「ニューイヤー華麗なるバレエ・ワルツの祭典」(3時半〜)、3日、レニングラード国立バレエ「眠りの森の美女」(2時半〜)。

 この舞台はシードホールで上演された初演は見てはいないが、2000年末から2001年始にかけて上演された再演は見ている。しかし、過去の日記風雑記帳を確認しても見たということしかなくて、内容に関する言及がまったくない。おそらく内容的に書くことがなさすぎてレビューを書くことができなかったのではないかと思われる。観客発信メディアWLに書いた玉田企画「少年期の脳みそ」論*1に「玉田の作品は平田オリザ流の群像会話劇のスタイルに近い。どちらも切り取られた一定時間の(ほぼ)一定の場所をリアルタイムで描写していくが、決定的に違うのは平田の演劇は一見切り取られたその場所に起こった微細な出来事を語っているように見えて、その射程が『切り取られたフレーム』の外側に広がる世界を描くことに向かっているのに対し、玉田にはそういう志向がまったくないことだ」と書いたのだが、この「さよならだけが人生だ」では海外留学や転勤という社会的契機にともなう「別離」というものが変奏され、幾分かの外部の存在は提示されるが、そこから社会的状況や世界のあり方に大きな広がりを見せていくことはない。
  実は昨年上演された平田オリザの新作「ニッポンサポートセンター」について演劇批評誌「シアターアーツ」Webに以下のような劇評(抜粋)を書いた。

 「クルマパソコンケイタイ電話 原発軍隊何でもあるさ 日の丸かかげて歌え君が代 ほんにこの国よい国じゃ あとはなんにもいらんいらん 余計なものはいらんいらん」という歌詞を舞台上にいる俳優が皆加わり、この部分を群唱するのだ。(中略)歌詞内容からして明らかに政府批判の歌であり、平田がこの歌を舞台上の俳優に歌わせることで現政府に対する批判を行ったという印象を与えるラストであったことは間違いない。ここでこの作品が「未来」ではなく「現代」を描いていることの意味合いが浮かび上がってくる。

 安部政権は参院選勝利を収め、改正賛成派で憲法改正の発議に必要な衆参両院で3分の2以上の議席を確保したが(この作品が書かれたのは選挙前ではあるが)平田が現在のそうした政治的な状況に大きな危機感を感じている。それがこうした異例の舞台を書かせた要因のひとつとなったのではないかと思われたからだ。

 さらに続けて無隣館との合同公演として上演された「南島俘虜記」も一部の評者は現在の政治状況とのシンクロニシティーを指摘した。ところがどうやら、作者の平田オリザはそういう政府批判な文脈で自分の作品が取り沙汰される風潮に対し、批判的なようだ。アフタートークではこういう世相だからこそあえて青年団史上もっともくだらない人情喜劇であるこの芝居を上演したなどとしたうえで、最近の若手劇団に散見されるという自らの政治的主張を作品に代弁させるような作風(ならびにそれを高く評価する一部の批評など)に対し批判的な立場を明らかにした。
 そうした立場は私自身も共有するものだが、そうであっても平田のように社会に対する批評的な視点を持つ作品の方を玉田真也の作品のように描かれた対象の外部を感じさせないような作品よりも幾分高く評価しがちな傾向は私にもある。今回の舞台を見ながらそうした見方が本当に適切なものなのかどうか、もう一度考えてみたいと思った。

*1:【劇評】純度の高い笑い 確信犯で体現 劇評テーブルvol.4―玉田企画『少年期の脳みそ』より 中西理 http://theatrum-wl.tumblr.com/post/159881055911/%E5%8A%87%E8%A9%95%E7%B4%94%E5%BA%A6%E3%81%AE%E9%AB%98%E3%81%84%E7%AC%91%E3%81%84-%E7%A2%BA%E4%BF%A1%E7%8A%AF%E3%81%A7%E4%BD%93%E7%8F%BE

青年団第76回公演「さよならだけが人生か」@吉祥寺シアター

作・演出:平田オリザ

2017年6月22日(木)-7月2日(日) 15ステージ

会場:吉祥寺シアター

チケット発売中

『さよならだけが人生か』(2000)©青木司

「そのとき日本の演劇界が青年団を発見した」とも言われる劇団の出世作
待望の再演。


東京都内某所の雨が続く工事現場に、折り悪く遺跡が発見される。
遅々として進まない工事。
工事現場の人々、発掘の学生達、ゼネコン社員や文化庁の職員など、
様々な人間達がだらだらと集まる飯場に、ユーモラスな会話が、いつ果てるともなく繰り広げられる。
青年団史上、もっともくだらない人情喜劇。

1992 年に初演され、「そのとき日本の演劇界が青年団を発見した」とも言われる劇団の出世作
2000 年 のリニューアル上演以来、16年ぶり待望の再演。

 出演:

・工事現場の人々

 山内健司:宮内政人(おっさん)

 荻野友里:宮内ミカ(おっさんの娘)

 佐藤滋 :鈴本大次郎(うるさい男)

 小林智 :篠塚昭利(少し静かな男)

 大村わたる:橋本良二(バイトの警備員)

 森内美由紀:山口珠恵(掃除する女)

 井上みなみ:井出牧子(新入りの掃除する女)

 石橋亜希子:辻房枝(足を折った人)

・発掘の人々

 石松太一:岸本健三郎(助手)

 藤松祥子:高木晴美(留学する女の学生)

 前原瑞樹:藤野智明(男の学生)

 小林亮子:小野時子(女の学生)

 寺田凛 :白石桂子(歯が痛い女の学生)

・その他の人々

 太田宏 :大蔵喜一(男の社員)

 小瀧万梨子:月島郁恵(女の社員)

 串尾一輝:トカレフ(新人社員)

 伊藤毅 :門田義男(訪問者)

 立蔵葉子:星野千絵(文化庁の女)

サンプル「ザ・ブリッジ (The Bridge)」@KAAT

【作・演出】
松井 周

【出演】
古舘寛治奥田洋平、野津あおい、羽場睦子、武谷公雄、伊東沙保、鶴巻紬、山田百次

舞台監督:谷澤拓巳
舞台美術:杉山 至
照明:吉本有輝子(真昼)
音楽:宇波 拓
音響:牛川紀政
衣裳:小松陽佳留
演出助手:池田 亮(ゆうめい)
WEBデザイン:斎藤拓
宣伝写真:momoko japan
フライヤーデザイン:京(kyo.designworks)
制作:冨永直子、富田明日香(以上quinada)

協力/ZACCO、青年団、レトル、プリッシマ、ギフト、東京デスロック、劇団野の上、青年団リンク ホエイ、至福団、六尺堂、une chrysantheme、水天宮ピット、シバイエンジン


主催:一般社団法人サンプル、有限会社quinada
提携:KAAT神奈川芸術劇場

助成:平成29年度文化庁文化芸術振興費補助金舞台芸術創造活動活性化事業)

1月のサンプルワーク・イン・プログレス公演「ブリッジ 〜モツ宇宙へのいざない〜」@アーツ千代田3331 B104*1をへての本公演。

ピンク・フロイド/ザ・ウォール(1982) @Zepp Divercity東京


PINK FLOYD THE WALL
監督アラン・パーカー

ピンク・フロイドによる「ザ・ウォール」のライブ映像は昔テレビで見たことがあったから、絶響上映とはいえライブの記録映像の上映なのだと思い込んでいたのだが、違っていた。ピンク・フロイドのLP「ザ・ウォール」の曲とコンセプトを基にしたものであるが、上映されたのはアラン・パーカー監督による映画作品なのだった。
 こんな風な勘違いをしたのは今回のチケットを購入するきっかけになったのがポール・マッカートニーウィングスのライブ映像の上映会の後にこの企画の次の作品は「ピンク・フロイド/ザ・ウォール」ですなどという紹介だったためだ。もちろん、チケットを購入する前も後もサイトなどで確かめる機会は何度もあったわけだから、単なるこちらの落ち度ではあるわけだが、この作品「PINK FLOYD THE WALL」がとてつもなくよかったのだ。

勅使川原三郎振付作品 アップデイトダンスNo.46「ペトルーシュカ」

アップデイトダンスNo.46「ペトルーシュカ
ストラヴィンスキーバレエ音楽ペトルーシュカ」。
ねじれよじれたシニカルサスペンスファンタジー。

出演 勅使川原三郎 佐東利穂子
演出/照明 勅使川原三郎

はなもとゆか×マツキモエ「WORM HOLE ワームホール」(2回目@こまばアゴラ劇場

構成 ・演出:松木萌 振付:花本ゆか 松木萌
出演 花本ゆか 松木萌 伊藤彩里 山田春江
スタッフ
舞台美術 奥中章人
照明 Yann Becker
音響 BUNBUN
舞台監督 河村都(CQ
制作 長澤慶太 山根千明
宣伝美術 KODAMA satoshi
宣伝映像 西垣匡基(ヨーロッパ企画
音楽協力 Public on the mountain
写真撮影 山口真由子

 京都造形芸術大学で同級生だったという松木萌と花本ゆか(KIKIKIKIKIKI)の2人のダンサーによるプロデュースユニット「はなもとゆか×マツキモエ」による初めての東京単独公演である。
2回目の観劇だが、最初に見た時にはどうしても花本ゆかの動きと身体に目が向いてしまうこともあり、舞台美術や演出的な仕掛けなどがところどころ気になるところはあっても、作品全体の流れや意味合いについては正直言ってつかみかねるところがあった。
 ダンス作品だからはっきりとした物語とかがあるわけではないが、宇宙の悠久の空間の広がりや時間の流れを感じさせるマツキモエにより提供されたコンセプトが親子、あるいはそのまた子と子孫に受け継がれていくような人間を体現する花本ゆかと切り結んだような作品でダンスと演劇という違いはあるが主題や作品の構造的にはままごと「わが星」を連想させるようなところが2度目の観劇では見えてきた。
実は「WORM HOLE ワームホール」を見ている時にもうひとつ連想させる作品があった。それはサンプルがワーク・イン・プログレス公演「ブリッジ 〜モツ宇宙へのいざない〜」@アーツ千代田3331 B104として上演した作品だ。これは作品自体につながりがあるというよりはその作品に出てきた新興宗教が提唱する「モツ宇宙」という概念がこの舞台の最初に出てくる腸のようにも見える半透明のホール状の膜を連想させるところがあったからだ。つまり、腸のような形態をした宇宙ということいとなのだが、舞台が始まるとこの中に花本がいて、半透明だからはっきりとは見えないのだが、うごめいているのが分かる。
 
 

「根本宗子の面談室 VOL.14」@新宿ロフトプラスワン

2017年6月16日(金)19:30〜
出演:根本宗子
ゲスト:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

 根本宗子という人の名前は劇作家、演出家、女優として聞いたことはあったのだが、これまで舞台を見たことはなかった。この日はケラの話をひさしぶりに聞きたくて出かけたのだが、根本宗子という人、面白い。今度舞台があったらぜひ見に行きたいと思う。

はなもとゆか×マツキモエ「WORM HOLE ワームホール」@こまばアゴラ劇場

構成 ・演出:松木萌 振付:花本ゆか 松木萌
出演 花本ゆか 松木萌 伊藤彩里 山田春江
スタッフ
舞台美術 奥中章人
照明 Yann Becker
音響 BUNBUN
舞台監督 河村都(CQ
制作 長澤慶太 山根千明
宣伝美術 KODAMA satoshi
宣伝映像 西垣匡基(ヨーロッパ企画
音楽協力 Public on the mountain
写真撮影 山口真由子

 京都造形芸術大学で同級生だったという松木萌と花本ゆか(KIKIKIKIKIKI)の2人のダンサーによるプロデュースユニット「はなもとゆか×マツキモエ」による初めての東京単独公演である。
きたまりの率いるKIKIKIKIKIKIにダンサーとして参加している花本ゆかは大学在学中からよく知っているが、ダンサーとしては珍しいぽっちゃり型の体型やそうであるにも関わらず幼少の頃からのバレエなどで鍛えられていることで柔軟性がありよく動く身体を持つなどきわめてユニークな個性を持っている。そうした花本特有のの魅力はこのユニットでもよく発揮され魅力のひとつにはなっているが、個性的なダンサーの特性が全面展開されるようなKIKIKIKIKIKIと比べると構成 ・演出を松木萌が担当していることもあってかかなりダンスとしての方向性が異なる。
 特に「WORM HOLE ワームホール」という作品では一種の宇宙論のようなものが展開されるのだが、マーラーの交響楽全作品を連続上演している最近のKIKIKIKIKIKIのように壮大なイメージが展開されるというわけではなくて、
クラシック曲に交じって劇中には西野カナPerfumeの楽曲に合わせて展開される場面も挿入されるなどきわめて日常的なイメージと隣り合わせなのが、今風のダンス作品といえるかもしれない。 
 

リーディングドラマ『ファンレターズ』@新宿シアターミラクル

【作・演出】じんのひろあき

リーディングドラマ『ファンレターズ』は往復書簡朗読劇『ラブレターズ』と言う、パルコ劇場で400回もやられている朗読劇のスタンダード演目

そのお芝居のスタイルを真似たものです。椅子に座った二人が交互にメールの文面などを読み上げていく。ただ、本家の『ラブレターズ』と違うところは、男女の組み合わせではなく、女性二人が交互に朗読する、というスタイルであること、そして、もう一つ大きな違いは、舞台上にいる二人のやりとりは交流していないということです。

2017/06/13(火)〜18(日)
6/13(火)  
20時   真田アサミ×清水愛
6/14(水)  
20時 倉田雅世×真田アサミ
6/15(木) 
★17時30分 二宮咲×永渕沙弥
20時     鹿野優以×田辺留依
6/16(金) 
★17時30分 植野祐美×鳥井響
20時     佐土原かおり×本多真梨子
6/17(土)  
13時     未浜杏梨×植野祐美
16時     倉田雅世×大久保ちか
20時     尾崎真実×鹿野優以
6/18(日)
14時  尾崎真実×佐土原かおり
18時  清水愛×本多真梨子

 往復書簡朗読劇「ラブレターズ」を真似てじんのひろあきが書いた朗読劇「ファンレターズ」を上演する企画。じんのが主宰する劇団「ガソリーナ」の公演となっているが、外部から大勢の出演者を招き、毎公演出演者あるいは配役が入れ替わり同じ組み合わせは一度もないようになっている。
朗読劇ということもあってか舞台女優以外に今回は声優も招き、キャスティングしているのも特徴。私が見た初日は真田アサミ×清水愛という2人の組み合わせ。2人とも普段は声優として活動している人たちで面白かったのは声優の朗読というのは初めて見た(聞いた)のだけれど、非常に興味深かったのは演技のアプローチが普段舞台で見ている俳優たちと全く違うんだということが分かったことだ。
 この「ファンレターズ」は表題の通りにとある小説家(ジュニアノベルの作家)に届く、ストーカー的なファンからの手紙とそれに対応した小説家が出版社などに送った手紙は2人の出演者によって交互に読まれていく構成となっている。「大きな違いは「ラブレターズ」が男女の組み合わせなのに対し、こちらは双方が女性であること。もうひとつは「ラブレターズ」が往復書簡で双方にやりとりがあるのに対し、こちらはそういう意味での交流はいっさいないことだ。
 ただ、その分だけ手紙の内容は個人的なやりとりにとどまらず、小説家からの作品のあとがきなどがメタ的に挿入されることで、手紙の中身として本人そのものだけではない複数のキャラが現れる。これを声優が演じるとそれぞれのキャラの台詞をただ読みあげるのにとどまらず、そこの部分だけをそれぞれ違うキャラとして演じ分けたりすることから、手紙の内容がまるでアニメのように立体的再現されてくるのだ。
 特にストーカー役の方は演じ方によってはもっとシリアスにあるいは怖く演じることもできるはずだが、かなりデフォルメされたアニメ・漫画的なキャラになっていた。おそらく、女優バージョンと声優バージョンではまったく違うものとなりそうで、個人差も大きいのでできれば他のバージョンも見てみたいのだが、スケジュール的にそれが困難なのが残念だ。