下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

映画「幕が上がる」@WOWOWを観劇し杏果卒業を想う

映画「幕が上がる」@WOWOWを観劇し杏果卒業を想う

 「幕が上がる」は映画自体は平田オリザの原作小説を基にしながらもももクロのファンにとっては過去にももクロに起こった様々な出来事を想起するように作られている(特に早見あかり脱退のエピソードとの関連性)。

 それゆえに(それなのに)この映画を今見るとこの映画の時には予想もしていなかった有安杏果の卒業との偶然の符合をそこここで感じてしまい、本当にせつなくなった。そして、それ以上にこの映画があり、この時の杏果と4人がまるでタイムカプセルのようにいまもスクリーンの向こうで輝いていてくれることに感謝したい思いでいっぱいだ。

 教師をやめて役者への道を選んだ吉岡先生はまるでももクロを卒業することを皆につげ、疾風のように去っていった杏果のようだと思った。この映画のなかで杏果は中西さんを演じていて、それは女優として素晴らしい出来栄えだと今でも思うのだけれど、手紙だけを残して皆の前から消え去ってしまった吉岡先生こそが杏果だ。残された高橋さおりら演劇部のメンバーは名状できないようないろんな思いを呑み込みながら大会に臨むのだけれど、それこそが10周年記念ライブに臨む今の4人の姿ではないか。今はこの映画はどうしてもそんな風に見えてしまう。
 ただ、有安杏果という人はいつも自分のことを過小評価しがちな人だからあえていいたいのだが、「幕が上がる」での女優、有安杏果は本当に素晴らしかった。杏果は中西悦子(中西さん)という役を演じていたのだが、私はスクリーンの中の中西さんにひと目見た瞬間に恋に落ちた。とはいえ、それは杏果が演じた人物ではあったが杏果とはまったく違う人間だった。ももクロの他のメンバーもそれぞれ魅力的に役を演じたが、こういうことが出来たのは杏果だけだった。そういうことのできる女優はそんなに多くはない。だから、この映画を見て女優「有安杏果」の活躍に大きな期待をしていたのだ。

 上に引用した駅舎の場面はこの「幕が上がる」を象徴するような場面だが、ここには2人の才能豊かな若手女優の瞬間のキラメキを見てとることができるだろう。
 百田夏菜子有安杏果夏菜子がゆっくりとではあるが、朝ドラ、声優と女優への道を歩き始めているだけに杏果がそれをやめてしまったのは本当に惜しいと思う。
 杏果が今後どんな生き方を目指すにせよ、日本を代表する女優事務所を自らやめてしまったことで、女優という選択肢はきわめて厳しくなった。そのことが残念でならない。
数年後、青年団が豊岡に移転して、東京ではあまり話題にならなくなってしまった後の欧州ツアーのキャストのなかに中西悦子という耳馴れぬ女優の名前があり、あれそんな子青年団にいたっけ、どこかで聞いた記憶があるんだけど、地元で採用した新人かな……なんていう妄想を抱いたりもするのだが、可能性は限りなく低いだろう(笑)。

矢内原美邦×山中透×高橋啓祐「源氏物語」@クリエイティブセンター大阪ホワイトチェンバー

矢内原美邦×山中透×高橋啓祐「源氏物語」@クリエイティブセンター大阪 「ASIA.ai - Dance in Asia 2018 -」@クリエイティブセンター大阪 (ブラックチェンバー&ホワイトチェンバー)

大阪市住之江区北加賀屋4丁目1番55号 名村造船旧大阪工場跡


off-Nibroll Presents「ASIA.ai -Dance in Asia -」第三弾!
今回は会場を大阪に移し、シンガポール、台湾、インドネシア、マレーシアから
日本のこれからを担う若い振付家も交えて開催します!
また、シンガポール国際芸術祭のディレクターでもあり、世界的にも著名な演出家オン・ケンセンと、
ニブロール矢内原美邦の共同作品『源氏物語』を関西を中心に活動するパフォーマーとともに上演します!


【日時】
2018年2月23日(fri) 19:00 24日(sat) 15:00 25日(sun) 15:00


【参加作品】

源氏物語矢内原美邦
   演出・振付:矢内原 美邦
   映像:高橋 啓祐  
音楽:山中 透  
照明:筆谷 亮也
   出演:生島 璃空、いはら みく、衛藤 桃子、重実 紗果
、炭谷 文葉、瀬戸 沙門、山辻 晴奈


会場:ホワイトチェンバー
主催:Nibroll
助成:おおさか創造千島財団、大阪市芸術活動振興事業助成金

  
『Dance in Asia 2018』

第3弾となる今回はインドネシア、マレーシア、台湾からアーティストを迎え、ニブロール高橋啓祐、スカンクがそれぞれ共同制作を行います。また、日本のこれからを担う若手振付家の作品も参加!

メラティ・スルヨダルモ(インドネシア)+ スカンク/SKANK
Melati Suryodarmo (Indonesia)

JS・ウォン(マレーシア)+ 高橋 啓祐
WONG JYH SHYONG (Malaysia)

世紀當代舞團(台北
Century Contemporary Dance Company (Taipei)

下村 唯 + 仁井 大志(日本)
Yu Shimomura + Masayuki Nii (Japan)

藤原 美加(日本)
Mika Fujiwara (Japan)

清水 彩加 + 竹内 桃子 + 青木 駿平 (日本)
Ayaka Shimizu + Momoko Takeuchi + Syunpei Aoki (Japan)


会場:ブラックチェンバー
舞台監督:サコ  照明:筆谷亮也、吉津果美
主催:off-Nibroll
制作:秋津ねを、竹内桃子
助成:おおさか創造千島財団、芸術文化振興基金
Special Thanks : ねをぱぁく、匿名劇団、ダンスカンパニーKIKIKIKIKIKI

この公演で主題として「源氏物語
*1を選んだのはもともと矢内原美邦と共同で作品を製作するはずだったオン・ケン・センの要望だったのではなかったか。作品は春夏秋冬と日本における四季をモチーフにしており、季節ごとにそれをイメージした楽曲を元ダムタイプの音楽監督を務めた山中透が提供。それに合わせて高橋啓祐(ニブロール)が映像を製作。パフォーマーが発する言語テクストとムーブメントなどの演出を矢内原美邦が担当した。
 矢内原はこれまでシェイクスピアチェーホフの現代演劇化に取り組んだことはあるが、日本の古典である「源氏物語」というのはいささか重荷だったのかもしれない。「源氏物語」には光源氏が住んでいる六条院という邸宅に春夏秋冬の「四季の庭」があり、そこに紫の上・明石の姫君(春)、花散里・夕霧(夏)、梅壺の中宮(秋)、明石の君(冬)の4人の姫君がそれぞれ暮らしている*2。今回の矢内原版「源氏物語」が四季をモチーフとしているのはこのことに基づいてはいるものの、「源氏物語」と今回の舞台には使用されている言語テキストなどを勘案してみても「四季」というモチーフを超えた強いつながりは汲み取ることはできなかった。この作品を「源氏物語」と題して上演することにはかなりの無理があるといわざるえないのではないか。
 場面ごとにも完成度にばらつきも目立った。最後のシーンに当たる「冬」のシーンは棘のような白い枝が伸びていってあたり一面を覆い尽くしていくことで冬のイメージを展開した高橋啓祐の映像、山中透の透明感のある音楽、映像、音楽が作り出した場と調和を見せるパフォーマーらのダンス的ムーブメント(矢内原美邦演出・振付)。これらがすべて融合してこれまでのニブロールや矢内原とは異なるオリジナリティーの高い、舞台空間が展開され、ここには大いに見るべき部分があった。
 ただ、一方でこの「冬」の場面と「春」「夏」「秋」との場面のビジュアルの精度の違いは舞台をみていて如実に感じられた。
 ニブロールは演劇からダンスまで様々なバージョンが作られた「ノート」が典型だが、これまでの作品においても再制作を繰り返すことで、作品の完成度を高めてきた経験がある。今回の作品については「当面その予定はない」ということだったが、山中氏とのコラボには大きな魅力を感じた。「源氏物語」という主題は放棄した方がいいのかもしれないが、「冬」のシーンを中核に再製作した作品を見てみたいと思った。
 

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*1:
「ASIA.ai - Dance in Asia 2018 」in osaka

*2:細かいことを言えば入内により去った後に別の姫が住むなど物語の進行にともない、それぞれの邸宅(庭)の住人に異動はある

高谷史郎(ダムタイプ)「ST/LL」@新国立劇場

高谷史郎(ダムタイプ)「ST/LL」@新国立劇場

洗練された美の極みを見て聴く至福

【総合ディレクション】高谷史郎
【音楽】坂本龍一、原 摩利彦、南琢也
【照明】吉本有輝子
【メディア・オーサリング】古舘 健
【テキスト】アルフレッド・バーンバウム
【舞台監督】大鹿展明
【舞台技術】尾﨑 聡
【映像技術】濱 哲史
【映像・プログラミングアシスタント】白木 良
【出演】鶴田真由、薮内美佐子、平井優子、オリヴィエ・バルザリーニ


Takatani - ST/LL
ダムタイプは日本におけるメディアアートの先駆的存在であり、活動の全盛期から20年近い歳月がたったいまでもその作品群はその魅力を失ってはいない。その代表作であった「S/N」で亡くなった古橋悌二とともにその創作の中核を担ったのが映像作家の高谷史郎と音楽家の山中透。2月末に近い週末にこの2人が東西でほぼ同時にダムタイプを彷彿とさせるマルチメディアパフォーマンスを上演した。このうち、高谷史郎の総合ディレクションにより、新国立劇場で上演されたのが「ST/LL」である。ダムタイプが事実上の活動休止状態になって以降も高谷はいくつかの舞台作品を制作、上演してきたがこの作品にはパフォーマーダムタイプメンバーであった藪内美佐子、平井優子を迎え、音楽にはダムタイプメンバーの原摩利彦、ダムタイプをサポートメンバーとして支えてきたsoftpadの南琢也を迎え、ダムタイプを彷彿とさせる要素の強い舞台作品となった。さらに一連の「LIFE」シリーズなどこのところ継続的にコラボレーターとして高谷史郎とかかわってきている坂本龍一も参加している。
音楽についてはクレジットされている3人のアーティストの誰がどの部分を担当しているのかははっきりは分からない。ただ、この作品の基調色となっている静かな曲調の音楽を坂本龍一が担当したことは最近坂本が高谷と共同作業で制作したインスタレーションに提供した楽曲との類縁性を考えると間違いがなさそうだ。
ダムタイプは同じマルチメディアパフォーマンスと称されたジャンルとはいえ、作品の上演時期によって作品の傾向が変容しているのも特徴。それはほぼすべての作品が参加メンバーによる共同制作とはしていたものの、中心を担うメンバーの違いによりその方向性が変化しているからだ。
 時期別に大別すると古橋悌二、山中透の音楽を中心にライブ性を重視した「PH」「S/N」までの時期が前期。古橋が亡くなり、山中透が退いたそれ以降(後期ダムタイプ)の中心を担ったのが高谷史郎と池田亮司。ここでは池田のソリッドな音楽と高谷のシャープな映像がダムタイプの作品の美学的な規範を担った。
 ダムタイプの集団としての活動が休止になって以降、高谷は個人での活動を活発にしていくが、そこで頻繁に組むことになったアーティストが坂本龍一だ。高谷+坂本のコンビは「LIFE」のオペラとインスタレーション、2016年に初演されたこの「ST/LL」、そしてこの日も新国立劇場の隣のICCで展示されていたインスタレーション坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME』@初台 NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]も2人を中心とした作品だ。一連の作品群はクレジットこそ、坂本龍一名義になっていたり、高谷史郎名義になっていたりするが、ダムタイプ2期が「高谷史郎×池田亮司」とするのであれば、これらは事実上、「高谷史郎×坂本龍一」による「ダムタイプ3期」と言ってもいいような作品かもしれない。その特徴は坂本龍一の音楽の静謐な美しさをビジュアライゼーションするかのように洗練された美的な世界で舞台芸術ではあるが、パフォーマーの置かれ方もきわめてオブジェ的でまるでパフォーマンスの形態をとったインスタレーションというような特質を持っているように思われた。

『坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME』@初台 NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME』@初台 NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

2017年12月9日(土)~2018年3月11日(日)
会場:東京都 初台 NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]


ICC企画展「坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME」トレイラー vol. 1

福島県立いわき総合高等学校 総合学科 芸術・表現系列(演劇) 第14期生 東京公演「1999」@こまばアゴラ劇場

福島県立いわき総合高等学校 総合学科 芸術・表現系列(演劇) 第14期生 東京公演「1999」@こまばアゴラ劇場

作・演出:野上絹代(FAIFAI /三月企画)


「1999年、世界は終わらなかった。だけど世界はまだ気づいていない、私たちの誕生に。
ほぼ1999年に生まれた10人の女子高生による演劇。ノストラダムスの予言によると恐怖の大王が空から降ってきて、世界を滅亡させるという1999年。しかし世界は終わらなかった。
終わらなかった世界はどうなったのか。 終わらなかっただけで世界はどうなってるのか。
その年に生まれた彼女らはいわば、「世界の終わりに誕生した希望」。JKだからってキラキラした甘酸っぱいことすると思ったら大間違いだぞ。走って転んで泥だらけでも大笑い。そんないじらしい舞台にしていきたい。



福島県いわき総合高校 総合学科 芸術・表現系列(演劇)とは


福島県いわき総合高校は、普通科から総合学科へと転換し15年目となる総合学科高校です。校是である「個性・自律・創造」という理念の下、自然科学・人文国際・情報・芸術表現・スポーツ健康・生活福祉の6系列があり、多様な科目の中から生徒一人一人が自分の興味関心・進路目標に応じて授業を選択します。その中の「芸術表現系列」の中に、学校設定教科として「演劇」の科目があり、22単位の授業を設けています。本校の演劇の授業の目標とするところは、演劇の手法を用いたコミュニケーション教育です。「人と人との関係の芸術」である演劇を授業で学ぶことにより、生徒の創造性や表現力の伸張、コミュニケーション能力の向上及び人間理解の深化など、演劇が教育にもたらす豊かな人間育成をねらいとしています。舞台人養成のための授業ではないのですが、最終的にはプロのアーティストと作品を創り、地元の劇場で公演も行います。ここ数年では、前田司郎氏、藤田貴大氏、飴屋法水氏、岩井秀人氏、多田淳之介氏、田上豊氏、危口統之氏、三浦直之氏、などを講師としてお迎えしてきました。2013年に飴屋法水氏と第10期生とで創作された『ブルーシート』は、第58回岸田國士戯曲賞を受賞しています。

○作・演出プロフィール

野上絹代

幼少よりクラッシックバレエ、高校から振付け活動を開始。大学在学中より同級生らとともに劇団小指値(現:FAIFAI)を旗揚げ。
以降、俳優・振付家として同団体の国内外における活動のほとんどに参加。
ソロ活動では俳優・振付に加え演出力を武器に演劇/ダンス/映像/ファッションショーなど幅広く活動。2016年ソロユニット「三月企画(マーチプロジェクト)」を発足。
多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン科非常勤講師


出演

相澤美咲 菅原七海 今野夢惟 鈴木奈巳 木下爽香
佐藤亜未 髙津美怜 青山千乃 鵜沼愛海 松本有生

スタッフ

舞台監督:佐藤恵
舞台美術:佐々木文美(FAIFAI)
照明:中山奈美
音響:佐藤こうじ(Sugar Sound) 泉田雄太
音楽:佐藤公俊 難波卓己
宣伝美術:廣岡孝弥
制作:齋藤夏菜子 遠藤崇 山﨑祥子
記録・映像:大倉英揮(黒目写真館)

1999年生まれの高校生たちによる卒業公演ということから「恐怖の大王」で始まった時には????と感じた。「ノストラダムスの予言」「地球の滅亡」なんていっても今の高校生は分からないだろうし、ましてや冒頭のデーモン閣下を思わせる悪魔メイク。せっかく東京までやってきて公演してもこれじゃまったく顔が分からないじゃないか(笑)。高校生たちにずいぶんかわいそうなことするなとも思った。
 悪魔メイクの女子高生がアルバイトや彼とのデート、将来への夢などそれぞれ自分たちのことを語っていく。これだけでもなにか笑ってしまう。全体にゆるい雰囲気が漂っているのだが、
「嘘をつく」というお題の中で、ひとりが震災の時の実体験を語りだすと空気が一変する。
 その後、舞台は再びまた前のようなフザケタ雰囲気に戻るのだが、そのことはのどに刺さった棘のように観客の脳裏に残っている。
 そして、ふざけちらした悪魔たちが一人去り、二人去りと舞台から去っていき、暗転。再び始まると今度は高校生たちは悪魔メイクを落とし素顔で現れるが、実はこれがとても新鮮に見える。ひとりひとりのイメージが最初の悪魔メイクの時に想像したのとは違うのも印象的で、それぞれの個性が際立つ。最初の悪魔メイクはこのためだったのかと思わず感心させられた。
 先輩が演じた三浦直之(ロロ)作品と違って、先輩たちはあんなにキラキラしていたのに私たちは「恐怖の大王」だよなどと前半には自虐ギャグも挿入されていたのだが、ここからの彼女たちは本当にキラキラしていて、さすが祝祭の演劇を得意としたFAIFAI の振付家である野上絹代だと思って感心したが、この作品の真骨頂はこの後にあった。
 祝祭的なダンスシーンが終わり、これで終わりかなと思っているところに唯一の男性出演者が登場して「これから『世界の終わり』を上演します」と客席に向かって宣言する。地球の終焉を描いた柴幸男「わが星」の冒頭部分を想起させる演出で明らかにこれは意図的な引用であろう。
 次の瞬間、衝撃音が鳴り響くと何かの大きな災害により教室(かなにか)に閉じ込められた9人の女子高生の場面がはじまる。ここはノストラダムスの言う大災害のようなものに巻き込まれたという話のようにはなっているけれども、ここには突然、彼女たちも体験した震災、津波原発事故のことがダブルイメージとして重なってこざるを得ない。そこでは「世界の終わり」が演じられるが、最後は世界が終わっても、宇宙が終わっても私たちは何かの形で甦るのだという強い意思と希望が唱和されて作品は終わる。そうだ、この舞台は絶望からの復活の物語だったのだ。そして作者がその希望を託したのが「恐怖の大王」が地球に襲来するはずだった世紀末に生まれた少女たちだったのだと思う。

オフィスコットーネプロデュース「夜、ナク、鳥」@吉祥寺シアター

フィスコットーネプロデュース「夜、ナク、鳥」@吉祥寺シアター

作:大竹野正典
構成・演出:瀬戸山美咲
プロデューサー:綿貫凜
出演:松永玲子高橋由美子松本紀保安藤玉恵 、政岡泰志(動物電気) 、成清正紀(KAKUTA) 、井上幸太郎 、藤井びん

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関西の劇作家であり、水難事故で2009年7月に物故した大竹野正典*1作品の連続上演に取り組んできたオフィスコットーネプロデュースがついに大竹野の代表作である「夜、ナク、鳥」を上演した。オフィスコットーネはまるで座付き作家かのようにこのところ大竹野作品を継続的に上演してきたが、瀬戸山美咲による大竹野正典の評伝劇「埒もなく汚れなく」を挟んでの今回の瀬戸山演出の「夜、ナク、鳥」の上演はプロデューサー、綿貫凜による大竹野正典「復活プロジェクト」の集大成的な意味合いを持つものとなったのではないか。

「夜、ナク、鳥」は1998年~1999年に実際に起こった福岡県久留米市の現役看護師らよる連続保険金殺人事件を題材にしている。もともと円形の野外劇場を会場とする「ラフレシア円形劇場祭」のために書き下ろし上演した作品だった。
 周囲を客席に囲まれた円形の舞台は、中央に四角い舞台が設置されていた。今回は円形舞台ではないがやはり舞台中央は方形に区切られ、そこにはソファが置かれていて、抽象舞台ではあるが、そこが主要登場人物それぞれのリビングルームに見立てられていく趣向はそのまま引き継がれている。

 大竹野が主宰したくじら企画のホームページに掲載されたあらすじは次のようだ。

看護婦イシイは、最近日に30回も鳴る無言電話に悩まされている。同僚のヨシダに相談したところ、夫の浮気相手に違いない、知り合いのセンセイに頼んで何とかしてやろうという。

ヨシダはイシイに、足りない資金は自分が貸すから駅前の新築マンションに皆で入ろうと持ちかける。最初、しり込みしているイシイも、やはり同僚で友達のツツミ、イケガミも既に購入を決めたと聞き、熱心に誘われた挙句その気になる。

イケガミのマンション。お茶漬けを食べている彼女に夫エイジがつきまとうように話し掛けている。無視しているイケガミだが、我慢できず、新築マンションに引っ越すからもう二度とつきまとうな、と叫ぶ。エイジは、ヨシダに騙されるな、と繰り返す。

病院の庭。ツツミがガン患者であるミチロウを車椅子で散歩させている。ミチロウはツツミに勧められた新薬を試してみる事にした、と告げる。ツツミは再度、効く可能性は五分五分だというが、ミチロウは決意する。夜中に目が覚めたとき、庭で真っ黒な小鳥が白木蓮の花を食べているのを見たという。ツツミは後日、辞典で調べて、それは小夜鳴鳥(ナイチンゲール)であるとミチロウに教える。

病院の休憩室。イケガミがヨシダに、二年前に死んだエイジの幽霊に悩まされている事を告げる。実は、ギャンブルでヨシダに多額の借金を作ったエイジを、ヨシダがそそのかして、イケガミ自身がツツミに助けられ殺害。その保険金をヨシダに返した事が明らかになる。更にツツミはイシイに、イシイの夫がヨシダに多額の借金をしている事を告げる。ヨシダは数年前夫に死別し、その時の保険金の大半を貸してしまった、という。

ヨシダのマンション。男とヨシダが密談をしている。男はヨシダに頼まれ、借用証書を偽造していた。どうやらかつてエイジの借用証書も偽造したらしい。イシイの家に無言電話をかけているのもこの男、ヒデキである。すべてはヨシダの指図である。友達を騙して保険金をせしめたヨシダをヒデキがからかうと、つまらない男に引っかかったイケガミの事を思って騙した、騙しつづける友情もある、世間知らずのお嬢ちゃんを苛め抜き、幸福は自分で掴むものだと分からせてやる、とうそぶく。

ツツミとイケガミによるエイジの殺害シーン。深酒をして寝込んでいるエイジの血管にカリウムを注射するイケガミ。ツツミは血圧計でエイジの血圧を測る。カリウムがうまく効かず、ヨシダに携帯で指示を聞くツツミ。ヨシダは血管に空気を入れろという。自分でやった事は自分で責任を取れといいながらエイジに繰り返し空気を注射するイケガミ。大きく下がるエイジの血圧を見届け、去るツツミ。放心しながらも救急車を呼ぶイケガミ。

イシイの家。女と暮らし、家を出ている夫を呼び出したイシイは、ヨシダへの2000万近い借金について問いただす。夫ゴウは、多少は借りたが、そんな大金では無いと否定する。ゴウは、子供に会いたい、女と別れるから家に戻りたいというが、イシイは借金を一緒に返そうと詰め寄る。ゴウは身に覚えのない事だ、とイシイを突き放し、家を出ていく。泣き崩れるイシイ。

ヨシダは投資していた株が駄目になり、どうしても今すぐ借金を返して欲しい、でなければ自分は破産する、とイシイに詰め寄る。ツツミとイケガミも一緒に、ゴウの殺害を説得する。頑なに拒んでいるイシイだが、やがてゴウの殺害を承知してしまう。

殺害方法の相談をしている四人に、ミチロウの危篤の知らせが入る。動揺するツツミを三人が支え、緊急手術に臨む。甲斐なく臨終を迎えるミチロウ。泣くツツミ。慰めるヨシダ。

決行の夜。制服姿の四人は、ナースキャップを捧げ持ち、ナイチンゲール誓詞を唱える。ヨシダは三人に、今夜一晩、ウチらは看護婦の精神を捨てる、と言い渡し、イシイを促してナースキャップに火をつけさせる。暗闇に燃え上がるナースキャップ。

とはいえなんといっても今回の舞台で特筆すべきなのはキャスティングの妙であろう。物語の中心となる4人の看護師役に松永玲子(ヨシダ)、高橋由美子(イシイ)、松本紀保(ツツミ)、安藤玉恵(イケガミ)といずれおとらぬ個性派実力女優が顔を揃えた。なかでも主犯格として他の3人を一連の事件に巻き込んで行く過程で関西のおばちゃんのふてぶてしさを見事なまでに演じたのが松永玲子。こういう言い方をすると若干語弊があることを承知でいえば所属のナイロン100℃などでどちらかというとコミカルな役柄が多い松永であるが、女の持つ暗黒面にも踏み込んだ今回の役は確実に女優として新たな境地を開いたといえそうだ。
 治験コーディネーターとして抗がん剤の新薬を奨めた自分の担当患者の死には号泣しながら、その直後には殺人の遂行をイシイに催促するという人間の複雑な二面性を演じた松本紀保もなかなかの好演。
 ツツミと一緒に夫のエイジを殺害するもののその後、ずっと亡霊のように自分に付きまとうエイジに悩まされながらも日常のように受け入れている安藤玉恵(イケガミ)、借金の返済を迫られて保険金殺人への加担を無理やり同意させられるものの最後まで気が進まぬイシイ(高橋由美子)とそれぞれ性格の違う4人を描き分けた脚本とそれを体現した4人には納得させられた。
 
 

多田淳之介インタビュー「Perfumeとももクロ」(改稿版)

多田淳之介インタビュー「Perfumeももクロ

中西理(以下中西) 今回は「ももクロ論壇」という批評誌に「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」という表題で論考を書くことになりました*1ももクロに代表されるような最近のアイドルのパフォーマンスが演劇の演出家の目にどのように映っているのかが知りたくて、今回の論考にもその作品が一部紹介され、アイドルにも造詣が深い演出家として東京デスロックの多田淳之介さんに話をお聞きすることにしました。きょうはどうもよろしくお願いします。
多田淳之介(以下多田) こちらこそよろしくお願い致します。
中西 多田さんはPerfumeのファンだということなんですが、まず簡単にこれまで好きになったアイドル歴からお聞きしたいのですが。
多田 SPEEDとか凄く好きでしたね。アクターズスクール系の女の子がグループになって踊るというのを見るのが好きだった。
中西 では女の子というわけでもないですが、最近でも自分の作品でパフォーマーを集団で踊らせたりすることが好きっていうのはそういうことと関係なくもないんですね。
多田 そうですね。関係なくもないです。ただ、俳優が踊るのとダンサーが踊るのではちょっと違うということはありますが。
中西 Perfumeのことからお聞きするつもりでしたが、もともとはSPEEDでしたか。それではまずSPEEDのことから話を始めたいと思いますが、SPEEDはどんなところが面白かったんでしょうか。
多田 最初はあの人員構成が衝撃的でした。4人いるのに2人しか歌わないという。じゃあ、後の2人はいったい何をやってるんだということになりますが。まあ、踊っていたのですが(笑)。より正確に表現すれば歌える2人と踊っている子と顔のきれいな子という4人だったわけです。それがけっこう好きで、僕はその中で仁絵ちゃん(新垣仁絵)という踊る子が好きだったのですが。
中西 私なんかは年を食っているからアイドルというと山口百恵とかになってしまうんですが。
多田 山口百恵は僕も好きですよ。

SPEED - BODY&SOUL

中西 SPEEDは確かに衝撃的でした。ダンスにしても歌にしてもトータルでのレベルの高さもそれまでのアイドルの歴史を更新するようなところがあった。昔はそうは思わなかったけれどSPEED以前のアイドルのダンスの振りを今、動画サイトとかの動画で見ると愕然とします。なんとなく、ひらひらしているだけで全然ダンスが踊れていない(笑)。
多田 ただ、そんななかでピンクレディーは振付にしてもレベルが高くて、Perfumeはその系列じゃないかと思います。
中西 Perfumeは何で好きになったのでしょうか。
多田 一番最初は曲を聞いていいなあというのがあって好きになりました。1枚目のオリジナルアルバム「GAME」(2008年4月16日)が出る前ぐらいですから、世間で話題になり始めたころでそんなに初期からというわけじゃありません。
中西 Perfumeはライブにも行かれているみたいですが、それはいつごろからですか。
多田 ライブに実際に行くようになったのはJPNツアー(2012年 1月〜5月)ぐらいからですからもっと最近です。Perfumeの魅力はまず大きな規模のコンサートの場合はそのコンセプトがはっきりしていること、特に震災以降のツアーは演出が効いていて演劇っぽいです。
中西 それはもう少し具体的に言うとどういうことでしょうか。
多田 JPNツアーの時には本当にまだ震災からそれほど時間がたっていなかったので、自分たちが音楽を使って人を集めることでできることというはっきりしたテーマがありました。「MY COLOR」という歌があるんですが、振りも結構特徴的で全員が手のひらを上げたところで曲が始まる。それで全国でそれをやることで「日本を何とかひとつにしたい」ということです。この前のドームツアーは「世の中大変なことばかりあるけれど、ドームの中だけは夢を見よう」。それでセットもドームのなかにドームを作ったりして、そのドームの中からPerfumeが出てきて、最終的にまたそこに帰っていく。お客さんもライブを見るためにドームに入ってきて、最終的にそこから出ていくのだけど、そういう体験とシンクロするように作ってある。
中西 Perfumeの単独ライブは僕は生で見たことはないのですが、映像などで見る限りは完全にトータルな演出がされている。最近は一種のメディアアート的なものまで含めて、映像もそうだし、美術的なものもそうだし、曲はもちろんなんだけれどダンス、衣装、美術や照明効果とかトータルコーディネイトされていて完成度が高い。演出家から見て、あれはどういう感じですか。
多田 Perfumeはチームで動いているなって感じをすごく受けます。チームで動かなきゃああはならないだろうなという。「結構うまいなと思います」といったら、えらそうなんだけれど、ちゃんと演出されている。それも静かな曲をどこに持ってくるとかそういう単純な流れではなくて、歌詞的なこととかを積み重ねてドラマを作っている。それがすごく演劇の作りに似ている。このシーンの前にはこれがあるから、このシーンは成立するみたいな組み立てがある。それは普通のコンサートにはあまりないだろうと思います。コンサートの演出も振付もMIKIKO先生がやっているのだけれど、かなり演劇的に作っていると思います。
中西 MIKIKO先生がインタビューに答えている映像を以前動画サイトで見たことがあるのだけれど、その中でPerfumeの場合は振り付けも音楽もトータルコーディネイトで、全体の調和を壊すような無理な動きはさせないというようなことを話していたのを見た記憶があります。それがPerfumeの方向性を決めているとすればここからが今回の本題に入るわけですがももクロの場合にはもちろん1つの達成形としてはPerfumeのことも意識はしているとは思いますが、あえてライブ性を重視し完成に向かわないようなまったく違う原理でライブが作られていると思います。
多田 ももクロはやはり特殊ですよね(笑)。
中西 それはどんなところをそういう風に感じますか。
多田 いわゆる「全力さ」というか。僕の演劇もそうなんですが、ダンサーと作品を作るとダンサーというのは絶対に自分が疲れているというのを見せてはいけないといわれて踊ってきている。だから、僕が疲れもちゃんと見せてくれというと、疲れを見せるイコール下手くそなダンサーに見えるので、抵抗というかやはりちょっと違和感があるようなんです。疲れをどのくらい計算してみせているのか。ももクロはどの時点でああなったのか。最初からああだったのか。それともやっているうちに誰かがこれはいけると思ったのかというにすごく興味があります。もちろん、本人たちはそういうことは意識しないでただ頑張っているんだと思うんですけど。アイドルが一生懸命やっていて応援したくなるというのはAKB48もそうですし、定番といえば定番。Perfumeでさえそういうことはあるにはありますから、ただ、ももクロはそれを身体的にライブでやるというのが特殊ですね。
中西 ももクロの後のグループはそういうのを意図的に取り入れようというところがないではないようですが、それがうまくいっているかというとやはりももクロは特別でそんなに簡単なものではないようです。たぶん、コンセプトがちがちでああなったわけでないので、やはりかなりメンバーそれぞれの固有の特性にもとづいてああなっていったわけです。極端な話、メンバーにひとりでも踊れない子がいれば成り立たないわけです。どこのグループとはいわないけれど踊れないので結局センターを差し替えたという例もあったようにも聞きますが、そういう人がひとりでもいたらあの方向性は無理だったわけです。それはでももクロがどうかという以前にどのグループもそうで、大勢いるグループは違うかもしれないですが、共通点があるとすれは3人の個性とか5人の個性がまずあって、それぞれを魅力的に見せるためにそれぞれのスタイルが生まれてきた。Perfumeはあの3人だったからああいうパフォーマンスになった、ももクロはあの5人だったからああなったということはある*2と思います。だから、振付もひとりひとり違うんだと思います。Perfumeはどうですか。
多田 違いますね。歌をとるパートとそうじゃないパートがまずあって、3人が完全にユニゾンで動く時もありますが、そんなにないし、今は特に少ないです。
中西 ユニゾンで動いてもあれぐらい個人の個性があるとその人固有の動きとかもあるので、ももクロPerfumeもどこまでが振付でどこまでが個人の動きかは腑分けできない。振付家も固定してて同じ人がやっているので、芝居で言う「あてがき」みたいなこともあるんじゃないかとも思います。
多田 Perfumeの振付はかなり正確に、難しくないように難しいことをやるみたいになっています。ニコニコ動画の踊ってみた系の動画を見るとPerfumeの踊りはできないですよね。うまい人たちもいるけどそれでも、それがPerfumeではないというのは見た目で直ぐ分かる。やっぱり、角度が絶対にそろわないとか。
中西 動きの基礎としてPerfumeの場合にはヒップホップ系ダンスのアニメーションとかと近いように思うのですが、こういう細かい動きをそれこそ微細にニュアンスを込めてやるというのは日本人の得意分野のような気もします。Perfumeのダンスにはそういう微細なダンス表現の洗練の極致のような味わいを感じます。
多田 そういう意味ではPerfumeももクロは振りの方向性が違いますよね。それぞれの世界観を作っている人たちの目指しているところがもともと違う。あとライブだとPerfumeの場合にはオタ芸がないんですね。
中西 正確に言うとももクロもオタ芸はないんですけど(笑)。もちろん、コールや振りコピはどちらも激しいものがありますから、言わんとしていることの意味は分かります。
多田 ももクロのライブはオタ芸はないんですか?
中西 それは何を「オタ芸」と呼ぶかにもよるんです。サイリウムを振るのまでオタ芸と呼ぶのであればそれはもちろんあります。しかもむしろ激しすぎるぐらいにあります(笑)。
多田 コールはありますよね。Perfumeはないんです。
中西 Perfumeはコールはないですよね。音楽性から言っても。
多田 1曲だけ、「ジェニーはご機嫌ななめ」だけあるんですが、ほとんどの場合はない。Kポップとかもコールはありますね。
中西 Kポップとかはグループダンスをやるとユニゾンがすごくそろっていたりしますよね。少女時代とか典型ですが。ただ、どこでもそうだというわけではないかもしれません。人数によるという部分も大きい。少女時代もあれだけの人数がいるとユニゾンで動かざるをえないかもしれない。
多田 それは4人組、5人組だとあそこまでがっちりやらないかもしれません。
中西 基本的にダンスとして考えた時にはバレエに例えるとバレエの場合は中心にソリストと群舞を担当するコールドバレエがいるわけです。それで1対多のような構図を作ります。だから、それを強引にアイドルに当てはめるとセンターポジションの人がソリストでそれ以外の人がコールドバレエみたいなところがありますが、ももクロPerfumeでは曲の最中にも激しく立ち位置が入れ替わるし、全員がソリストのような作り方です。もっともPerfumeでは相当厳密に振付が決まっているので、その時の感覚で即興的に動いていい分というのはほとんどないと思いますが。
多田 そうですね。即興はほぼないと思います。
中西 ももクロの場合はよくも悪くも再現性がない。
多田 はみだしてなんぼみたいなところがありますね。それを許容した振付家は確かに偉いと思います。 
中西 高城れにさんという人がいて、ほかのメンバーの2倍くらい激しく動こうとするのですが(笑)。それは普通は直されますよね。周囲と合わせなさい、そろっていないと怒られて。だけどそれをやると結局その人ならではの魅力が死んでしまう。それを許容しているから、一見下手くそみたいに見えるのだけれど、それも許容しているということはそういうルールのもとに動いているから。
多田 いわゆるそろっているようなアイドルのダンス、EXILEとか少女時代とかはあれを舞台芸術の文脈でダンスかと言われるとけっこう微妙なところがある。皆、ある振付があって踊っているけれど果たしてあれはダンスなのかということはあります。いわゆるコンテンポラリーダンス的なところから見た時にあれはダンスじゃないと思ってしまう。
中西 それもダンスと言えばダンスなんだと思いますよ。ブロードウエーのミュージカルなんかはそちら側じゃないですか。ただ、ミュージカルのダンスといってもその中には例えばフレッド・アステアみたいな人がいて、その人はそういう決められたコードに支配されずに自由に踊ったりしているということもあるわけです。ただ同じダンスといっても前者と後者には大きな違いがあるというのは私もそう思います。多田さんはダンスにせよ、そうじゃないにせよ動きのある作品を作っていて、どのように意識しているのでしょうか。
多田 ダンスと演劇はかなり明確に分けています。俳優でダンス作品のようなものを作ることもありますが、ダンサーと作るダンス作品になると彼らは身体という存在だけであって別にそこにキャラクターだったり、人だったりしなくてもいい。見ている人が彼らを人間だと思わなくてもいい。そして身体がなにかを表象してそれを見る方はそのまま受け取る。逆に演劇の場合、具体的にある人、人間のイメージを持ち続けていないといけなくて、そこが違う。
中西 変な聞き方になりますが、その基準からするとPerfumeというのはどうですか?
多田 Perfumeは基本的にアイドルなので……でも(そう言われると)人じゃないときもあるなあ。彼女たちが表象している動きはアイドルのPerfumeとして見てはいるんですが、ダンスだけをとると演劇よりもけっこうダンスっぽいですね。
中西 自分の作品にPerfumeの音楽を使うことが多いじゃないですか。その辺はどういう狙いで使っているんですか。
多田 Perfumeが好きっていうのもあるんですが、テクノ的なものと身体が持つ人間的なもののバランスがいいというのはあります。Perfumeもブレークしてすぐのころとか、ロボットになろうとしていた時期とかあるんですが、最近はそこからまた人間に戻ってきたようなところがあります。「機械と人」とか「ロボットと人」というような感覚がけっこう好きでした。実はシェイクスピアのセリフを初音ミクみたいなソフトに読ませるとけっこう面白いんですが、Perfumeにも同じような面白さがあります。
中西 ももクロは劇伴音楽としては使いづらいのでしょうか。
多田 そうですね。やっぱりちょっと強いですね。歌詞が具体的すぎるんです。歌謡曲だと漠然とした歌詞が多いので何にでもはまりやすい。恋愛のことを歌っていてもそれってどの恋愛にも当てはまるじゃないと思うことが多くて、舞台に使う時にも当てはまることが多いのですが、ももクロとかでんぱ組.incとかは歌詞が具体的なのでそこで描かれている世界そのものになってしまう。そこがけっこう強いと感じるわけです。だから、「何か日本のカルチャーを代表するアイコンとして使う」とか、そういうことであれば使えなくはないのですが。稽古場で流したことはあるんですけど実際に作品には使ったことはありません。
中西 多田さんに一番聞きたかったのは(どこまで意識的だったのかということは先ほど話したのですが)身体的な負荷をかけていったとき、ももクロであれば歌いながら踊るというのが激しさを増して行った時にコントロールできなくなってくるようなフェーズが身体的に表れてくる。そして、それは何もももクロだけでなくて最近の演劇とかダンスでそれと似たような効果を狙った舞台が目立っている気がして、多田さんも一時期そういう身体の在り方に興味を持っていろいろ実験なさっていたと感じていまして、そういう身体というのは何が魅力的なのかをお聞きしたかったのです。
多田 そうですね。僕も最初疲れていくやつをやった時は何で面白いんだろうということを考えていました。事実そういう身体というのは実際に見ていて圧倒的に面白かった。なぜか感動してしまうということがまずありました。それで、よくお客さんからもスポーツ観戦と比較されるような感想をもらいましたが、やはりスポーツとは違う。
中西 ある種のスポーツだったら似たようなものはあるとは思うのですが。今まで感動の質がももクロのそれと似ているかなと思ったのは羽生弦結の演技です。それも五輪に優勝した時のとかではなくて、まだ体力的にフリー演技におけるスタミナが持たなかったころの演技です。2011-2012シーズンの世界選手権でショートプログラムでは7位にとどまったものの、そこからフリーで挽回して3位入賞するのですが、この時に演じた「ロミオとジュリエット」が圧巻でした。最初は凄いスピードで4回転、3回転半と高難易度のジャンプを連発、好調な滑り出しを見せるのだが、途中何もないところで転倒してしまう。その後、明らかに動きが鈍ってへろへろになっている。体調が万全ではないのが観客にも分かるほどなのだが、店頭直後の3回転半3回転のコンビネーションジャンプほか、次々とジャンプを成功、最後近くのステップシークレンスではなぜだか分からないけれど、思わず涙が出てきてしまう。本人は別にわざとそういう演技をしようとしているわけではなく、必死に演技しているだけだと思いますが。

羽生結弦 2012世界選手権 FS(B.ユーロ日本語字幕)


多田 最近は若手の演出家でも疲れさせるような演出を見ることは多くなっていて、それはいいときもあればだめな時もある。というのは本当にへろへろに疲れてしまうとだめなわけです。動けなくなっちゃった人を見てもあまり面白くはない。動けなくなっているんだけれど頑張り続けている人を見るのは感動するわけです。だから、そのあるひとつの方向をキープしようというか、分かりやすく言うと頑張るみたいなことがだんだん疲れてくると強調されてくる。苦しい逆の負荷がかかっているのが分かりやすく見えている分、頑張ってキープしていこうという力が見えてくる。だからよく俳優を本当に疲れさせるひどい演出家だと言われるんだけれど、僕としては本当には疲れないでくれというのを俳優に言っています。疲れているように見せるというか、疲れているのを利用して本当はすくっと立てるのだけどゆっくり立つとか。それは作品作るときにやっています。ただ、ももクロの場合は実際に本当に疲れているのは疲れているんでしょう。ただ、彼女たちも身動き取れなくなるまではいかない。最低限動けるとか、声を出せるところは自分たちで計算してコントロールできてると思うんです。本当にへばっちゃって動けないし歌も歌えないとなっちゃうとどうなんだろうなと思いますし。
中西 確かにそれはそうです。ただ彼女たちの場合、普通だったらとっくに動けないし歌も歌えないという状態になってるような状況でもなぜだかまだ頑張り続けているというのはあります。そうなるともう甲子園の延長18回みたいなもので、何かが降りてきたようなプレイが連発されるような状況でしょうか。その意味ではあまり簡単にへばっちゃうようでは到底感動できないわけで、そのためにはある程度以上のフィジカルの能力がないと限界の近くまでもいけないわけです。先ほど挙げた羽生弦結の場合は天才的な能力はあるけど、それがスタミナがないという状況によりそれが十分には発揮できないような状況に置かれている。その中で自分の能力の100%どころか120%にも見えるような能力を発揮しようとする闘いの本能のようなものがある。
中西 にわとりか卵かの関係からすればそちらの方が先ではなく、「負荷をかけるような表現がまずあった」ということになりますが、それが今のように目立つようになったのは震災の後だということがあります。順番は間違えたらまずいと思ってはいますが、震災の後の社会、もっと具体的に言えば観客なり、ファンなりが求めているものとももクロの全力パフォーマンスのような表現がたまたま一致してシンクロしたような部分があったんじゃないかと思っているんです。例えば「再生」の震災後の再演の時とか、震災の後に黒田育世さんが上演したものとかは以前とは観客の受け取り方が変わってしまったのではないかと思うんです。
多田 今はだいぶ落ちついてきているのですが、特に関東、東京の近辺のお客さんは何かを探しているという印象がありました。
中西 身体的負荷だけではないと思いますが、何か祝祭的なものを求めているような雰囲気は感じられたのですが、どうですかね。
多田 信じられるものを探しているような感じはあります。
中西 そこで大衆の求めるものが大きく変わってきているところにアイドルとか、方向性は違うけれどもボカロもそのひとつかもしれませんが、先ほど言ったような演劇とかダンスとか音楽ライブなどがひとつの受け皿としての役割を果たした部分はあるんじゃないかと思うんです。
多田 確かにライブパフォーマンスに行くことの重要性は震災以降変わってきているという気はしています。人が集まることの意味といいますか。
中西 そういうなかでより生なものが求められているのではないでしょうか。
多田 そうですね。それはあると思います。後、逆にネットで育った子どもたちがだいぶ今大人になってきて、その反動などももしかしたらあるのかもしれません。
中西 少し強引かもしれませんが初音ミクのライブなんかでもあそこでもともと2次元でパソコン内の存在だったものが、3次元にバーチャルな存在として具現化させることで、体感としてのライブが経験できる。そこに大きな違いがあるような気がします。
多田 実感を持ちたいというような欲求がけっこう強いんじゃないかと思います。
中西 なぜそうなのかが大きな謎なんですが。明らかにこの世間の反応は阪神大震災の時とは違います。今回はただ震災だけではなく、原発事故もあったこともあるとは思いますが。
多田 地震が起きたことよりそれに付随する問題、放射能にまつわる事やメディアへの不信などの方が関東では大きかった。ライブに行く人たちは増えたのは増えたんですかね。なぜだろう。
中西 音楽でいえばCDが売れなくなったのは間違いないんで、ライブが増えたということであれば演劇にとってはいいことだと思うんですが、そうかといって演劇で動員が増えたという景気のいい話はとんと聞かないわけですが(笑)。だから、メディア的なものから生に志向が向かっていると強引に言い切るにはやや根拠が不足しているわけです。
多田 そうですね。増えているのはやはりライブで、演劇、ダンスまではまだ距離がある。
中西 ただ、こと音楽に話を限ればアイドルだけでなくエアバンドなんかもそうなんだろうけれど、ライブ性の高いものやパフォーマンス力のあるものがCDセールスが伸びないなかで人気を集めている。
多田 CDが本当に売れないですからねえ。この前、新木場で『TOKYO METROPOLITAN ROCK FESTIVAL 2014』という野外フェスがあって、Perfumeも出ていたので行ってきたのですが、トリがサカナクションだったんです。普通はロックバンドとかだとステージがあってそれに向って一番高いところが温度が高くて、だんだん温度が下がっていくというような風になるのが、当たり前なんですがサカナクションの場合だけほぼ夜で暗かったのでクラブ化しているような感じで、どんなに離れているところでも盛り上がっているという。これが今の若い人の感覚なのかとも思いました。踊れるということ、クラブ化できるかというのは重要かもしれません。彼らはステージ向いてないで100メートルぐらい離れているんだけれど、自分たちだけで輪になって音は聞こえるから、盛り上がっている。でも、たまにステージの方も見たりはしている」。だいたい、野外フェス、特にフジロックとかは値段が高いから大学生はあまりいけない。「メトロック」は新木場で都内だしなおかつチケット代も1日1万円ぐらいだったから、大学生ぐらいの人がすごいいっぱい来ていた。
中西 Perfumeはどうでした。
多田 Perfumeは僕は最前列にいったのでもみくちゃになってそれどころじゃなかったんですが、ただモッシュとかもほかのバンドの時は当たり前のように起きていたのですが、Perfumeではそれはなかった。
中西 ももクロの単独ライブではモッシュとかをしたら出禁になるので、それはないのだけれどフェスに行ったら滅茶苦茶なんですよ。それで実はももクロのライブを初めて生で体験したのは2年前のSummer Sonic(サマソニ大阪)で一部では伝説を作ったといわれていたライブだったんですが、そこでとんだ目に遭いました。ライブが始まるのを待っているとどんどん後ろから押されて前の方に行ってしまい、それで実はその時は初めて妻も一緒だったのだけれど人ごみに揉まれて死にそうになってしまい、それ以来彼女はももクロのこと自体を毛嫌いするようになって……。冗談じゃなく大変だったんです。実際、あの中に入ってしまうと右に左に揺さぶられて、だから距離的にいえばおそらくあの時が一番近くにいたのだけれど、妻とここではぐれたらどこにいるか分らなくなるやばい雰囲気もあり、ライブを見るどころじゃない状態だった。知らないで巻き込まれた小さな子供が泣いていたりして、あれはむしろドミノ倒しのようになって大きな事故にならなかったのは本当に幸運だったと思いました*3
多田 そうなりますよね。フェスのいいところでもあり、悪いところでもある。頑張れば前に行けるけど、それ相応の覚悟も試される。
中西 女子供みたいなことを言うと怒られるかもしれないけれど、サマソニ大阪の場合は本来そういうところにいるべきではないような人たちがそこにいてしまいモッシュのような押し合いに巻き込まれたことでひどい状態になった。そういえば実はその時はPerfumeも同じサマソニに参加していて、雷雨で会場到着が遅れて本編は見られなかったのだけれど、雷雨が治まった後、中断して歌えなかった2曲を披露。それを遠巻きの位置からながら見ることができた。だけど、その時の観客はすごくゆるい雰囲気だったので、ももクロもそんなものだと甘くみて油断したのがいけなかったかもしれません。
中西 身体の負荷がかかって動けなくなったりした時にかなり昔に今SPACの芸術監督をしている宮城聡さんが言っていたのはその時に生命のエッジのようなものが見えてくるというようなことを言っていて、まあ特権的な身体というのがそういうようなものだというのが宮城さんの説だった。例えば舞踏家の大野一雄さん、当時100歳に近い年齢でほとんど立ち上がるだけでも一種奇跡のようにも見える。逆に生まれてまもない赤ちゃんが必死で立ち上がろうとするとそれだけで目が釘付けになってしまう。先ほど言っていた身体的負荷をかけた時に普通の日常的な身体とは違うものが立ち現れるということがある。
多田 ドラマができるというのはあるかもしれません。
中西 ドラマというのは頑張っているということですか?
多田 生きているということでしょうか。
中西 ただ単位身体的な負荷がかかっているというだけではなくて、無理からのことをさせられたり、結果的にそうなってしまうということがももクロの場合にはあって、2時間ライブの3回回しをやったこととか、「女祭り2011」というライブではっきり理由は分らないのだけれど有安杏果が非常に体調が悪くて、途中で何度も倒れそうになってグラグラっとなったのを何とかぎりぎり持ちこたえて歌い続けていたとか、ついに声も出なくなってきてそれを他のメンバーがコーラスで埋めて、カバーしたとか、くさいといえばくさいんだけれど、ある意味ファンもそういうドラマが好きなようです。
多田 やはり何か物語っぽいものが見えますね。
中西 そういう汗の臭いがするようなドラマというのはPerfumeだとデビュー当時にはなくもないのだけれど、ある時期以降舞台裏のようなものは見せないようになっていると思います。
多田 そうですね。完全に疲れた素振りひとつ見せないですからね。Perfumeの振りは実は難しいけれどそんなに疲れないんじゃないかと読んでいるんですよ。
中西 ももクロのようには疲れないと思いますが。
多田 ハイヒールとか履いているからそれなりには疲れると思いますが……まあそうです。
中西 だけど歳とったらできないか、といえばある程度のところまでは技術があればできる振りですよね。
多田 ももクロは歌わなけりゃならない割には歌いながら踊るには振りがちょっと大変すぎるというのはあります。
中西 奇しくも先ほどSPEEDとEXILEのことを話しましたが、普通は両方できないから分けるんですね。マイケル・ジャクソンでさえ、踊っているところでは歌わないし、歌っているところでは踊らない。
多田 確かにそうです。マイケルでさえ。
中西 逆に僕なんかはアイドルにはうといから、SPEEDを昔見た時には気づかなかったんです。歌う人と踊る人がいるんだということに。もちろん、バックコーラス的な人とソロを取る人がいることには気づいてはいましたが。だけどももクロを見ているうちに両方やるのはすごく難しいんだということが分かってきて、それで逆にSPEEDはなぜできていたんだろうと動画サイトで再確認してみたら、やっていなかったということが分かった。
多田 歌って踊れるのが普通のアイドルなんだけど、ももクロは歌いながら踊れる、という珍しいアイドル。歌いながら踊るというのができているかどうかは別として歌いながら踊ろうとしているアイドル。Perfumeはもう基本口パクですからねえ。最近、歌う曲をかなり増やしてきていますけど。歌わない曲は全然歌わないし、ももクロはもう口パクでやったらなんの価値もないですからねえ。 
     

*1:インタビュー内容は興味深いが時期的には映画「幕が上がる」がすでに撮影には入っていたが、発表はされておらず、多田はその事実を知っていたが、外部の人間には漏らすことはできないという微妙な時期の収録となってしまった

*2:そういう考え方からすればあの時点での早見あかりの脱退はタイミングとして絶妙の時期だったのかもしれない

*3:もっとも、ももクロのために弁護しておくとそんな風になったのは本当にその時だけで、オールスタンディングのももクノも含めてもそんな状態になったことは2度となかった

革命アイドル暴走ちゃん TPAM 2018 in YOKOHAMA TPAMフリンジ参加作品「萌え萌え♥ハリケーン Totes Adorbs♥Hurricane」@横浜人形の家 あかいくつ劇場

革命アイドル暴走ちゃん TPAM 2018 in YOKOHAMA TPAMフリンジ参加作品「萌え萌え♥ハリケーン Totes Adorbs♥Hurricane」@横浜人形の家 あかいくつ劇場

音楽・構成・演出 二階堂瞳子
Music, Concept and Direction Toco Nikaido

日本独自に生まれたヲタク文化をアートに転化した作品を創作する二階堂瞳子率いる革命アイドル暴走ちゃんは……

なんとっ!現代アートの祭典に続き、まさかまさかの国際映画祭にスペシャルプログラムとして登場∑(゚Д゚)!!びっくりっ

この映画祭は1972年に始まり、毎年12日間の会期中に 約600作品が上映され、来場者数が30万人を記録する、近年では世界三大映画祭につぐ、重要な映画祭のひとつに数えられており、並行してさまざまなプロジェクトが開催されています。

まさか国際映画祭に招へいされるなんて、本当に驚きですが、もはや暴走ちゃんは舞台芸術の域を越えていってしまったようです。

ロッテルダム国際映画祭の特別プログラム「the thematic programme」でおはぎライブを行う予定です!
からの2月!即凱旋!?横浜でのTPAM公演を合わせた日欧ツアー!

なお、今回は男女混合、バキバキ萌えっ萌え電波キャンキャンマンパワーでの全軍突撃日欧ツアー!

キャスト/Performer
出来本泰史 (革命アイドル暴走ちゃん)
宇賀神琴音 (革命アイドル暴走ちゃん
青根智紗
江花明里 (劇団天丼)
治はじめ
窪田裕仁郎 (Voyantroupe/しもっかれ!)
鯉和鮎美 (FUKAIPRODUCE羽衣)
咲良 (-StoryDanceGroup- TAO )
菅木まほ (劇団こめの子)
立本夏山
鄭佳奈
土橋美月
中井宏美
那須野綾音
ぼたもち
松下豪
マロニー
峰ゆとり (劇団鹿殺し)
渡邊清楓

※オランダのみ
竹内純

※横浜のみ
犬吠埼にゃん (大江戸ワハハ本舗・娯楽座)
岡村峰和
加藤真悟
川島優人
芹澤采
ヒガシナオキ (gekidanU)

スタッフ/Staff
<オランダ>
照明 安藤達朗
映像製作 宮本瑛未
映像操作・カメラ 矢口龍汰
演出助手 そめかあやや(革命アイドル暴走ちゃん)・小林ありさ
舞台監督・制作 樺澤良

<横浜>
舞台監督 森下紀彦
音響 安藤達朗
照明 横原由祐
映像製作 宮本瑛未
写真撮影 Cyclone_A
演出助手 小林ありさ・佐賀モトキ (Straw&Berry)・吉田光

革命アイドル暴走ちゃんは日本の「オタク」カルチャーを象徴するアニメ主題歌(アニソン)、アイドル楽曲、ボカロ楽曲とノンストップのBGM風にかけながら、それに合わせて、歌、踊り、オタ芸などを同時多発的に展開していく。さらに言えばそうした要素に加えて、この舞台では一昨年流行した「恋ダンス」や「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」の抜粋なども挿入され、ごった混ぜなカオス状況を演出していく。
 実は日本人のオタクであっても、そうであればこそアニメオタクはアイドルのことを知らないどころか、一般に強い反感を持っているなど好みの分断があるため、個々の楽曲のすべてに詳しい人は圧倒的少数派とも思われるが、そうしたことが全部は分からなくても、お祭り的に誰もが楽しめるのが革命アイドル暴走ちゃんのワンアンドオンリーの魅力である。
 舞台がカオス的に展開するということもあって、以前は歌っている歌の歌詞などがよく聞こえないことも多かったが、意図的な重ね合わせなどでかき消されるような部分の演出は依然あるものの、中心の歌唱メンバーの歌はちゃんと聞こえるように変化してきている。音楽レビューとしての完成度は高まっている。
 もっともカオス性が生み出す祝祭性の部分にパフォーマンスの魅力の核はあるだけにうまくなっては暴走ちゃんらしさが薄まってしまうという批判もファンの一部からは出てきそうで、そのあたりをどうバランスをとっていくのか二階堂瞳子が微妙なさじ加減をどうしていくかが、今後のこの集団の方向性を大きく変えてもいきそうで、この集団が今その分岐点にいることは確かかもしれない。

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寺田みさこ「三部作」@横浜野毛シャーレ

寺田みさこ「三部作」@横浜野毛シャーレ

出演:寺田みさこ

振付:塚原悠也, チョン・ヨンドゥ, マルセロ・エヴェリン

共同製作:NPO法人DANCE BOX


寺田みさこ 『三部作』 trailer
寺田みさこは間違いなく日本を代表するコンテンポラリーダンサーのひとりだと思うが、関西在住とはいえ彼女のダンスを実際に見るのはずいぶん久しぶりのことだった。寺田みさこはバレエダンサーとして石井アカデミー・ド・バレエにて、石井潤振付の主要レパートリーに多数主演。その傍ら理と組んだダンスデュオで「トヨタ コレオグラフィーアワード2002」にて、次代を担う振付家賞(グランプリ)、オーディエンス賞をダブル受賞。
日本のコンテンポラリーダンスブームの一翼を担った。
 ところが砂連尾とのデュオ解消後は自ら振付・演出も手がけるというタイプのアーティストではなかったこともあり、京都造形芸術大学の内部で制作された作品を除けばそのダンサーとしての姿を見る機会は極端に減ってしまい、私が彼女が踊るのを見るのは笠井

TPAM 2005 (13 of 20) Osamu Jareo + Misako Terada
 

『Parade for the End of the World』@横浜赤レンガ倉庫

『Parade for the End of the World』@横浜赤レンガ倉庫


「Parade for The End of The World」 Full version

『Parade for The End of The World』Performance

音楽をエリック・サティ、衣装・美術をパブロ・ピカソ、脚本をジャン・コクトー、振付はニジンスキーの後を受け継いだレオニード・マシーンが手がけ、バレエ・リュスにより、1917年パリ、シャトレ座で上演された『Parade』。誕生から100年を迎え、ジェレミー・ベランガール、渋谷慶一郎、ジュスティーヌ・エマールにより、ダンス、音楽、映像、3つの媒体が幾重にも重なり融合し、新しい解釈で生まれ変わる。

振付・出演:ジェレミー・ベランガール
音楽:渋谷慶一郎
映像:ジュスティーヌ・エマール
共同製作:パリ日本文化会館

  団菊爺めいて嫌ではあるのだけれどこういうパフォーマンスを見るとどうしても「ダムタイプならこんな風にはしなかったのに……」などと言いたくなってしまう。渋谷慶一郎初音ミクオペラはそれなりに面白く評価したのだが、この作品はだめだ。どうしてもダムタイプの劣化した二番煎じにしか見えない。
 こういうことを言うとお前はこの手のマルチメディアパフォーマンスは皆そう見えるんじゃないかという声も聞こえてきそうだが、ニブロールはそうじゃないし、
ライゾマティクスリサーチだった明らかに違う。これがそう見えるのは渋谷慶一郎の音にせよ、映像にせよ明らかにそちらに意図的に寄せたのではないかと思わせる節があったからだ。もちろん、冒頭のピアノの演奏のようなパートとか全部がそうというわけじゃないだろうが、途中何カ所か池田亮司そのものじゃないかと思わせるところがあったし、映像だって「あれは高谷史郎じゃないか」と言いたくなるところが散見された。
 そしてそういうこと以上に気になったのはこの作品は果たして全体を統一感を持って演出した人がいたんだろうかと思わせたことだ。結局、ダンスと映像と音楽(音響)の連関性が感じられない。