下北沢通信

中西理の下北沢通信

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KIKIKIKIKIKI「ぼく」@アイホール

 KIKIKIKIKIKI「ぼく」は白い正方形のリングのような舞台を客席が4方に囲む舞台設定。ここに7人の男たちが入れ替わり立ち代わり登場して、それぞれが個人技を繰り広げる遊び場、あるいは闘技場のような空間設定を演出・振付を手掛けるきたまりは用意した。
 途中でセリフに呼応した動き(振付)を設定した場面もあるが、最初の「あいさつ」からはじまって、「自己紹介」「子供の時になりたかったもの」など登場する役者たちは誰かの役を演じるというのではなく、「ぼく=自分」のままで舞台に上がり、自分の言葉を発していく。
 注目すべきことは出演者はいずれも俳優、ダンサーであり、そのうち何人かは自ら集団を率いたり、作・演出、振付も担当するなど舞台に対する計算がきく出演者でもことだ。これで一見自分として舞台に上がり「素」の自分を出すようなドキュメンタリー演劇の体裁は装っていても実態はまったく違うものになる。

 出演者は皆「ぼく」として登場し、自分のことを話すが、そこには明らかに自分をどのように演出して演技しようかという計算が感じられる。しかもそれぞれ別々の劇団(カンパニー、個人も)から選ばれた7人だけにそこには対抗意識もあり、それゆえそこでは演技というフィールドを通じてのバトルが展開させ、その「場」におけるそれぞれの個人技が最大の見せ場なのである。
 ヒップホップ(ストリート系)のダンスにおけるバトルなどがその代表的な例だが、コンテンポラリーダンスでも複数のダンサーが即興で次々と登場して、魅力を争うような形式の公演は珍しくないが、演劇においてはその手の即興というのは珍しい。というのはダンスの動きや楽器の演奏ほどセリフの演技には自由度がないからだ。
 「ぼく」が面白いのは即興的な要素を含むといっても完全に何でもやっていいというわけではなくて、それがバトルになりえるようなルールがおそらく場面ごとに設定されているところだ。冒頭の「あいさつ」の場面でいえばそれぞれが四方の客席に向けて、お辞儀をしてまわるという約束事があり、その仕方はおそらく稽古場で出してきたもののなかで、演出家によって選ばれた(あるいは本人が選んだ)ものを順番にやっていくということをした後、次の「自己紹介」ではそれぞれが自分が「何年生まれでどこの出身である」などということを述べていくのだが、ここの場面においては2日間の公演を続けて見たところ、ここは最初の場面よりはそれぞれの裁量に任された部分が多いようで、大体の内容や順番は決まっていても細かいところでは登場の順は交代するし、話す内容もセリフのように同じではない。
 ここにそれぞれの役者の駆け引きが成立するわけで、何度も繰り返されるなかで自ずとそれぞれの得意、不得意によって役割分担が決まってくる半面、それをあえて破るようなしかけを誰がどこで繰り出すかのか、それぞれの個性とともに虚々実々の駆け引きが面白い。これはやはり舞台版プロレスなのだと思った。