下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

松井智恵展「ヒマラヤ-カイダン2003」児嶋サコ個展「repression」

松井智恵展「ヒマラヤ-カイダン2003」(MEM Gallery)、児嶋サコ個展「repression」(studio J)を見る。
 最近、人の見るという現代美術なるものを我れもみんとすという感じで現代美術の展覧会に足繁く通っているのだが、この分野に足を運べば運ぶほどある観念が私の頭のなかをぐるぐる回りはじめている。それは現代美術はひょっとしたら「しょぼい」のではないかということだ(笑い)。
 以前からなにかのついでに目にしていたことはあっても現代美術作品をジャンルとして意識して見出したのは最近のことなので、最初のうちは「私が見たものがたまたまそうなのか」と思っていたのだが、中ハシ克シゲ 、ヤノベケンジ、湊町アンダーグラウンドプロジェクト、京都ビエンナーレのいくつかの展示を生で見ていくにしたがい当初の疑いは確信めいたものに変化しつつある。このことを知人の現代美術ファンに話してみると「それは間違っている」とさとされたのだが(笑い)、私にはどうも現前のはっきりした事実がその中にすっぽりと入ってしまうと分からないのじゃないかと思ってしまうのだ。
 ただ、勘違いしてほしくないのはだからつまらないといってるのじゃなく、「しょぼさ」「情けなさ」が現代美術のひとつの方向性でそれはだからこそ面白くもあるのである。あるいは少なくとそうであっても面白いのだ。
 この日見た2つの個展も私にはそういう現代美術の典型と思われた。特に松井智恵展「ヒマラヤ-カイダン2003」はなんといったらいいか……。貞子系映像パフォーマンスとでもいえばいいのか。
 会場となっているMEM Galleryは古いビルの4階にあって、そこにはエレベーターがないため、そこのギャラリーに行く人は急な螺旋階段を息を切らせて昇っていくしかない。松井智恵のインスタレーションは螺旋階段を上方から撮影した映像で黒い服(ブラウスみたいに見える)を着た松井が髪を前方に垂らして、階段の床を約30分かけて、ずるずると床を這いながら上っていき、また下がっていくhttp://www.nomart.co.jp/~artincaso/galleryImg/B-3_2L.jpg。まさに映画「リング」に登場する貞子みたいである。
 「ヒマラヤ」っていう表題はこのギャラリーの階段が長くて、何度も通っているうちにヒマラヤのように思われたのだなと思う。しかし、なぜ「貞子」なのか。わからん。わからない。そのままギャラリーを出て、階段を降りかけた時にふと思いつき、愕然とした。表題は「ヒマラヤ-カイダン2003」である。そうだとするとひょっとしたら階段→カイダン→怪談→ホラー→「リング」→貞子ではないのか。この解釈を思いいた時、私の脳裏に思わず戦慄めいたものが起こったのである。現代美術通の人にこの解釈を話したら、松井智恵という人は深くものを考えて作品を作る人だから絶対そんなことはしないといわれたが、私はたとえ本人がどのような説明をしようと私が考えたのが正しいと信じている。
 一方、児嶋サコ個展「repression」はこの人には以前に新聞で展評を読んで興味を持っていたのだが、その時はスケジュールの関係で行けず、今回やっと個展で作品の実物を見ることができた。全体として作品の雰囲気はしょぼ可愛い感じといったらいいだろうか。その中にどこか痛々しいところもあって、その辺りが説明が難しいが私の琴線に触れてくるところがある。かわいいのだけれどそれだけじゃなくてどこか不気味だったりするというのはそれぞれ方向性は違うけれど奈良美智村上隆会田誠といった作家を考えてもらえば分かるように最近の現代美術におけるひとつの潮流ではあり、児島サコの作品もそうしたテイストを共有するところがあるのだが、若い女性の不安定さをそのまま作品にしているようなところがあり、そのアンバランスな危うさが魅力的なのである。
 ただ、この人の持ち味はぬいぐるみなどに代表される立体造形により色濃く発揮されるようで、今回の個展では小品ながらきわめて印象的な「あなたの子よ」のように思わずドキっとさせられるぬいぐるみ系の作品はあるものの、「無題」「距離」のような平面作品では性的な寓意があまりにも直接的に出過ぎていて、もうちょっとと思わせられるものも散見された。11月にはこの個展と同時開催でOギャラリーeyesの方でも個展があるらしいのでそれも楽しみ。