下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

「寿初春大歌舞伎」

 「寿初春大歌舞伎」大阪松竹座)を観劇。

〈昼の部〉
◇「相生獅子」(あいおいじし)
 [出]中村扇雀片岡孝太郎
◇「天満宮菜種御供 時平の七笑」
(てんまんぐうなたねのごくう しへいのななわらい)
 [出]中村翫雀/片岡我當/片岡進之介/上村吉弥/坂東竹三郎
◇「男の花道」
 [出]中村鴈治郎/片岡我當/片岡孝太郎/中村扇雀/片岡進之介/坂東竹三郎/上村吉弥

 昼の部演目は上記3演目だが、この日見たのは「男の花道」。今回の座組みにはそれほど私のひいきの役者が出ていないので期待が薄かったのだが、この「男の花道」という芝居は予想のほか面白かった。上方から江戸に上った歌舞伎役者と彼の目の治療をした医者との友情の物語で、誤解をおそれずにいえば歌舞伎版「走れメロス」といったところだが、面白いのは劇中で中村鴈治郎演じる加賀屋歌右衛門が「櫓のお七」を演じる場面があるのだが、ここが入れ子状の「劇中劇」になっていて、それだけだったら別にそれほど珍しいことでもないのだが、ここで大向こうから「大和屋*1」の掛け声がかかるのだ。最初はこの掛け声はいつものように客席から鴈治郎に向かってかかっているんだと思っていたのだが、ふと気がつくとちょっと変。「鴈治郎は鳴駒屋のはず」。その時にこの掛け声は劇中の加賀屋歌右衛門に向けてかかってるんだと気がつき、一瞬、「歌舞伎の観客はずいぶん意気なことをやる」と思わず感心したのだが、それもおそらく勘違い。というのはこの劇中劇の後の場面で鴈治郎が、というかここでは加賀屋歌右衛門が大事の舞台を振り捨ててでも友のもとに駆けつけねばならぬ理由を観客に向かって、語りかけるのだが、この時には客席の近くの通路入り口付近に何人かの役者が入ってきていて、歌右衛門に向けて声をかけたりしているので、これはやはり観客が舞台上の鴈治郎の七に気にとられて気がつかないうちにいつの間にか、客席近くに入ってきていてあたかも大向こうからのように声掛けをしたのか、と一度は了解したものの、もう一度見てみないと最初の方の大向こうからの声が果たして、舞台後方に潜んだ役者からだったのか、それとも演目によってあらかじめ事の分かった観客からだったのかがいまだに確信が持てないのである。
 もちろん、ここでは舞台上だけでなく大阪松竹座の客席までが、江戸三座(どこだったかは失念)で歌右衛門が「櫓のお七」をかけている芝居小屋の客席に見立てるという「見立て」の趣向が生かされているわけだが、ここで例えば大和屋に交じって、鳴駒屋の声が客席からひとことでもかかったらこの趣向のマジックは消えて舞台は台無しになるような気がするし、歌舞伎では花道から去っていくはずの歌右衛門が迫真の演技で花道ではなく、衣装である着物を振り乱して客席通路を抜けていく演出も生きなかったのじゃないかと思う。そういう虚実ないまぜの芝居の面白さを存分に取り入れた工夫が面白かった。

*1:ひょっとしたら音羽屋だったかもしれない。考えているうちにちょっと自信がなくなってきた