下北沢通信

中西理の下北沢通信

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Monochrome Circus+藤本隆行(ダムタイプ)「Refined Colors」

Monochrome Circus+藤本隆行ダムタイプ)「Refined Colors」(滋賀会館)を観劇。

ディレクション/照明=藤本隆行(dumb type)
演出/振付/出演=坂本公成(Monochrome Circus)
振付/出演=森川弘和・佐伯有香(Monochrome Circus)
振付=森裕子(Monochrome Circus)
音響/ヴィジュアル・デザイン=南琢也(Softpad)
音響/プログラム=真鍋大度

「Refined Colors」*1という作品全体の枠組みについては昨年9月の京都公演の時に詳しく書いた*2からそちらを参照してもらいたいのであるが、この作品は藤本隆行(dumb type)と若いときからdumb typeの周辺にずっといてその強い影響を受けて、育ってきた坂本公成(Monochrome Circus)、南琢也(Softpad)という2人のアーティストが参加してのコラボレーションだから、やはりいろんな意味で「らしさ」を感じさせるものとなっている。しかも、dumb typeといっても最近のというよりは「S/N」ならびにそれよれ少し前の時代のdumb typeで、藤本がどう考えているかは不明だが、振付の坂本公成、音響/ヴィジュアル・デザインの南琢也にはオマージュというか、意図的な引用があった、という。
 典型的なのは後半の最初の方でフレッシュライトが点滅するなかで3人のダンサーが激しく動き回った後、それまでの激しさとは対照的に前を向いて、配置を入れ替えるようなミニマルな振付のもとに今度は光が舞台の下手から上手に向けて走りぬけ、それとシンクロして「ピンッ」という音が一定間隔で鳴り響く。これは誰が見ても明らかなdumb typeの引用であり、南に確かめたところ意図的なものだということであった。
 もちろん、この「Refined Colors」はダンスパフォーマンスであり、パフォーマーも出てくるとはいってもダンスというよりはビジュアルアートの色彩の強いdumb typeのパフォーマンスとは明らかに異質な部分を含んでいるのだが、dumb typeのパフォーマンスにおいても全体をダンスと呼ぶことにはいささか躊躇することはあっても、「S/N」のフラッシュライトの点滅のなかに次々と壁の向こうにパフォーマーが落ちて消えていく場面のようにそこだけ取り出してダンスと呼びたくなる忘れがたい印象を残すシーンが以前はあった。そういう意味では最近のdumb typeの舞台は映像中心のビジュアルインスタレーションの色合いが強く、そういう面での印象深さには欠ける気がしていたので、そういうところを彷彿させるという意味でも「Refined Colors」は興味深い舞台なのである。
 さらに言えばこの作品にはイメージとしてこれまでのMonochrome Circusにはあまりなかったような政治的な主題を感じさせるところがある。全体としては抽象度の高いダンスパフォーマンスであり、dumb typeのように直接的に言語テキストを使用することはないのだけれど、坂本公成と森川弘和の2人が舞台の床に赤いロープか糸のようなものおいて、その糸によって作られる一種のボーダー(境界線)の両側で踊りながら、次々と糸を動かして、その領域を相手の側に侵犯して広げていったり互いに相手を挑発しあったりする暴力的な場面はきわめて象徴的。「ボーダー(境界線)」とその「侵犯」というのは「S/N」における重要なモチーフでもあったが、この場面は中東をはじめ世界各地で現在を絶えない国境をめぐる紛争のことをまず連想させるし、それだけではなく、抽象的であるがゆえに個人レベルから国家規模にいたるあらゆる「ボーダー/侵犯」に関わる事象を重層的に連想させるところがあるからだ。
 もっともそれはこれまでも坂本が好んで取り上げてきた「コミュニケーション/ディスコミュニケーション」にかかわる主題とも関係している。さらに以前にも書いたが、今回も欧州でのツアー先でそれぞれの国でサンプリングしてきた街や自然の音を作品に取り込み、それに合わせて、振付・照明も細かく手直しして、さらに作品を変容させてきているようにMonochrome Circusがこれまで行ってきた「収穫祭」の主題のひとつでもあった「旅」そしてそれを通じての「収穫」を取り込みながら、作品を変容させていくというコンセプトも生かされており、特に音に関していえば場面ごとに例えば緑色の照明のなかで雨音のような音の元で踊る森川・佐伯有香のデュオでは「アジア」、どこかの駅舎の音のようなものを採集した場面では「ヨーロッパ」とこの作品の「旅の過程」を感じさせるというところはより一層ビビッドになっており、それもこの作品に以前にも増して一層の深みのようなものを感じさせた。
 京都公演以来、ひさしぶりに作品を見て思ったのは特に森川・佐伯の2人の動きが今回の欧州ツアーをへて、また一段とソリッドで無駄なものをすべてそぎ落としたような研ぎ澄まさされたものとなっていたことだ。特に高い身体能力を存分に生かした森川弘和の動きはちょっとこの役は代替がきかないと思わせるほどのもので、聞くところによると森川が今年いっぱいでカンパニーを離れるということらしいので、この形でのこの作品の上演が見られるのはこれが最後になるかもしれないが、やむをえないこととはいえ非常に残念である。

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