下北沢通信

中西理の下北沢通信

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リクエストライブ「このジグザグジギーがすごい!」

リクエストライブ「このジグザグジギーがすごい!」

 コントは以前は演劇の隣接領域として認識していて、それゆえ、テレビでのコント番組などはあまりカバーできておらず、そういう意味ではコントファン、お笑いファンとは言えないが、下北沢周辺などで行われた演劇的コントグループの公演*1にはよく出かけた記憶がある。ジグザグジギーのことは最近AMEFURASSHIと接点を持ったことでその存在を認識していたが、コントの内容を見てみると二人だと例えばより演劇的要素が強いシティボーイズ東京03のように複雑な人物の関係性を作りづらいこともあり、1つのアイデアの敷衍になっていくきらいがあるが、単純なようなキャラによりかかった笑いではなく以前によく見ていた演劇的コントに近い作風といえるかもしれないと思った。
 「リクエストライブ」なる表題にふさわしく今回のライブにはオフローズ宮崎 , ゼンモンキー荻野 , ラブレターズ塚本 , AMEFURASSH市川 , ダウ90000蓮見と5人のゲストが参加、過去のジグザグジギーのネタのうち、それぞれが「この1本」というのを選んだものを順番に上演する形式となった。
 ラブレターズ塚本が全体の進行を担当、ゲストが選んだコントがジグザグジギーによって演じられた後、それを選んだゲストと塚本がジグザグジギーのふたりとトークを行うのだが、本編のトーク以上にこのトーク部分が面白かった。もっとも笑ったのは企画側からこの二十本の中から選んでほしいとゲストそれぞれに渡されたリストがあって、比較的最近ジグザグジギーのコントを見るようになった AMEFURASSH市川はそこに含まれた映像資料の中から推薦作品を選んだのだが、実際にイベントが蓋を開けてみるとその二十本は映像資料が手に入りやすいなどの理由で比較的最近の作品が選ばれていたこともあり、他のゲストはみなそれ以外のものを選んでいたということが分かったことだ。それでトークの流れから市川が「きょう見たリストになかったものの方が面白かった」などと言い出したために見事にその後に登場して墓穴を掘ってしまったのがダウ90000蓮見。蓮見はかなり熱心なジグザグジギーのファンだったようで、リストにある最近の作品より面白い傑作がそれ以外にたくさんあるということを言いたかったのを言い間違えて、「リストにあるようなB面作品ではなくて」と口走ってしまい、ジグザグジギー本人も含めそこにいる皆から総つっこみを受けてしまい、しかもそれを何とか挽回しようと言い訳をしようとすればするほどしどろもどろになってしまったのだが、普段は自分の集団では口が達者でメンバーを手玉に取っているだけにそれが一転窮地に追い込まれているのが面白かったのである。
 コントは本数こそ多くはないが結果的にパターンがそれぞれ違うものが選ばれていて、私のように初めてライブを見たものには入門として適したライブだったかもしれない。 

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イベント概要
INFORMATION

出演者 ジグザグジギー , オフローズ宮崎 , ゼンモンキー荻野 , ラブレターズ塚本 , AMEFURASSH市川 , ダウ90000蓮見

*1: 故林広志プロデュース「漢字シティ すりる」について。故林広志の作品は彼が上京してくる以前のガバメント・オブ・ドッグスの時代から継続的に見てきたせいで、上京後これまでの故林作品には「今夜はポピュラー」にせよ、コントサンプルにせよ、どうしてもガバメントないしMONOの土田英生、水沼健らガバメントのメンバーの影を見てしまうことが多かった。今回の「漢字シティ すりる」はそうしたことがなかった点で故林広志が新たな方向性に向けて明確に歩みだしたという印象を初めて受けた。 それはこれまでも村岡希美を起用した「薄着知らずの女」などで少しはそうした試みはあったのだが、意識的に非日常の領域に住まうものとして、それを女優に担わせることをしたことにあるのではないかと思う。ガバメントにはもちろん女優はいなかったわけだが、客演としてもその舞台に一切女優を上げることをしなかったのは故林の中に舞台における女優の存在と純粋の笑いへの志向性が抵触するとの考えがあったのではないかと思う。もちろん、女優にも優れたコメディエンヌはいるわけだが、多くの場合、そうした女優は観客との親和性を武器にしていることが多いので、ある意味で観客を突き放すような故林流の笑いとは折りあいが悪いということはあるかもしれない。それゆえ、私は故林の舞台で見事に精彩をはなった村岡希美を見るまでは故林は女優は使えないのじゃないかと考えていたのだが、村岡との共同作業を契機として、故林は新たな女優の使い方の枠組みをマスターし、それが結実したのが今回のこの舞台と思ったのである。  それが体現されたのが「気分転換の話」「彼岸花の話」「理解者の話」の3篇である。ここでは女/異世界の存在なのである。故林は異世界のものゆえ本質的に理解不可能な女とのちぐはぐな会話にふりまわされる男たちの姿をシニカルに描いていく。和風スケッチとは銘打っているがこのコントの特色は必ずしも笑いということだけを純粋には追求していない。そこから立ち上ってくるのはある種の悪意である。もっともここに登場する女性たちは特に悪意を被害者である男性に向けているわけでもなくて、その直接的な悪意の不在がかえってそこに登場する男性を翻弄していくところの怖さのようなものが浮かび上がってくるという構造になっているのだ。  特に「彼岸花の話」というのは故林によればアルフレッド・サキの短編からモチーフを取ったものらしいのだが、考え落ちのある怪談の形式を踏んでいる。もちろん、前段の寺の住職の気弱な態度など笑えるところはあるのだが、笑っているうちにいつのまにか怖い世界に巻き込まれていくわけで、笑いはあくまで最後に落とすための伏線のようなものであり、このスケッチの眼目自体はこの底知れぬ不気味さにあるといえる。  もぅとも、今回のスケッチ集では「ソンさんの話」や「憑依の話」のように故林がこれまで多用してきたネタの焼き直しと思われるものも含まれており、先ほど挙げた3篇にしても怖さとか不気味さのようなものが十全な形で表現されるとこまでいっていないきらいもある。そうであっても、こういう方向性にこれまでの故林のコントには見られなかった新たな可能性の影のようなものを感じたし、これを続けていくことで今後なにが出てくるのかが楽しみな公演だったのである。