下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

青年団リンク やしゃご「上空に光る」@アトリエ春風舎

青年団リンク やしゃご「上空に光る」@アトリエ春風舎

作・演出:伊藤毅

『生まれて初めて、母を殴った。』

東日本大震災の大津波により、町の8割が消失したと言われる町、岩手県大槌。

海に面していたにも関わらず津波の被害を受けず奇跡的に残った民宿『マスオカ』。
長女・次女を中心に、周りの人々の協力を得て経営するその民宿の泊り客は、
ほぼ復興工事業者が占めている。

大槌町の高台に実在する、亡き人へ想いを伝える『風の電話ボックス』をモチーフに製作する、青年団リンクやしゃご第一弾。

あの日を忘れられない人々の、忘れられない一日の話。

青年団リンク やしゃご

青年団に所属する俳優の伊藤 毅が、作・演出をするユニット。
伊藤毅の主な青年団出演作品に『暗愚小傳』(2014)、『さよならだけが人生か』(2017)など。
2014年、青年団若手自主企画伊藤企画を立ち上げ、今まで三作品を上演。
2018年、青年団リンクに昇格。
ユニット名のやしゃごの由来は「なんだかんだ、可愛がられると思って」。

出演

木崎友紀子 村井まどか 小瀧万梨子 緑川史絵 串尾一輝
坂倉奈津子 尾﨑宇内 中藤 奨 新田佑梨 (以上、青年団)
海老根理 岡野康弘(Mrs.fictions) 代田正彦(★☆北区AKT STAGE)

スタッフ

舞台監督:伊藤 毅 舞台美術:谷佳那香 音響:泉田雄太 照明:井坂浩
衣裳:原田つむぎ 制作:金澤 昭 ドラマターグ:河村 竜也 装画:赤刎千久子
総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)制作協力:木元太郎 (アゴラ企画)

 

  青年団の劇作家、演出家の多くは演出部に所属している。だが、それ以外の様々な形での活動も許容しているのが、青年団の面白さだ。「青年団リンク やしゃご」の作演出を手掛ける伊藤毅は演出部ではなく俳優部の所属*1であり青年団の中心俳優の一人として本公演を始め、様々な舞台に出演する傍ら、これまで1年に1本程度のペースで自らが作演出を務める舞台の上演を続けてきた。これまでは青年団若手自主公演などの枠組みでの上演だったが、今回の「上空に光る」はこれまでの実績が認められて、初めて独立した劇団への登竜門である青年団リンクでの公演となった。
 青年団の若手作家にはそれぞれが独自性を強調することもあってか、平田オリザ風の現代口語演劇を手がける作家はむしろ少数であった。ところが実は最近は若手の間に現代口語の群像会話劇を継承する劇作家、演出家も増えてきている。関係性の笑いを追求する玉田真也(玉田企画)、新たな労働者演劇を模索する笠島清剛(笠島企画)、内部圧力が高まり崩壊寸前の関係を好んで描いた田川啓介(水素74%=解散)らが、そうだが伊藤毅青年団リンク やしゃご)もそのひとりだ。
 伊藤の舞台の特徴は登場人物が置かれた厳しい状況などにリアルに切り込んでいくもので、これまでは知的障害者と家族の問題を主要モチーフとしてきたが、今回は東日本大震災から7年が経過した現在、被災者が抱えている様々な問題を取り上げた。
 今回伊藤が描いたのは東日本大震災の大津波により、町の8割が消失した岩手県大槌町である。海に面していたにも関わらず津波の被害を受けず奇跡的に残った民宿「マスオカ」が舞台。そこを切り盛りする長女、次女らの家族とそれを取り巻く人々、復興工事の従事者で民宿に滞在する男たち、その友人の劇作家、亡き夫を忘れられずそこで絵を描き続ける女性画家、この日に偶然そこを訪問した女性旅行者らを群像劇として描いていく。
 伊藤のことを平田オリザの現代口語演劇の継承者と位置づけたがなかでも今回の「上空に光る」はその色合いが強い。異なる社会的な関係性を持つ集団がセミパブリックな場所に集まるという状況は「S高原から」を思わせるところがある。「S高原から」は高原にあるサナトリウムが舞台で、そこには患者、サナトリウムに勤務する看護師や医者、そこを訪問する人という3つのグループの人々が交わり交流する空間を描き出すことで、隠蔽された死を浮かび上がらせるという構造があった。 「S高原から」とは違った意味でだがこの「上空に光る」でも7年前に起こった東日本大震災を媒介に「死」の匂いが芝居全体を覆っている。ただ、そのことは芝居の冒頭近くではそれほどあからさまに語られることはない。
 ただ、死をかなり直接的に連想させるモチーフとして「亡き人に想いを伝える『風の電話ボックス』」のことが最初の方から登場する。これはこの死を隠蔽して生き続けているこの町の人々にとっては例外的な存在であって、伊藤が震災7年後の被災地というこの主題を選んだことには「風の電話ボックス」の存在を知ったからだということだった。
震災を主題とした作品制作をする時大きな課題となるのは当事者性の壁である。実体験でないことを安易に創作物に取り込もうとするとそこに空々しさを感じざるを得ないし、実は被災当事者が作った作品にも事実そうだったからということに安易に寄りかかった場合、リアルが感じられなかったりもする。そこには繊細なバランス感覚が必要だが、伊藤は少なくとも私の目から見れば細心の注意でそれを乗り切っているように感じた。
 アイデアとしてうまく嵌ったと思うのは作中に伊藤本人を思わせる劇作家(中藤奨)を登場させたことだ。描かれた対象から完全に外部の存在として登場するこの人物は作品のために取材旅行中とされ、周囲の人間に場合によってはぶしつけになりかねない質問をして回るのだが、そのことで日常では隠蔽されている個々の人たちの心情が次第に顕になっていく、契機として機能している。
  ただ「S高原から」と「上空に光る」には「死」の描き方において大きな違いもある。「S高原から」で描かれる死は特に患者たちにとって「いまそこにある死」であり、それは近い将来に自分に降りかかってくるものでもある。
 しかし、「上空に光る」のそれは「近しいものの喪失」であって、それはその人間にとって大きな問題であるとはいえ「他者の死」には違いないのだ。
 それを事実として信じるにせよ、そうでないにせよ「風の電話ボックス」とは亡くなったものと交流が可能なツールなのであり、震災未亡人の長女と彼女と結婚を決めた男が「風の電話ボックス」で亡くなった長女の元夫に結婚を報告するのはそういうフィクションが彼女らには必要だったからだ。それは元夫の兄にとってもやはりそうなのだった。7年の時間を経ても死を受け入れるには時間の経過だけではだめで、それについての儀礼がなければならなかった。
 もうひとつ印象的だったのは仮設住宅の壁の向こうから夜毎にすすり泣く声が漏れ聞こえるというエピソードだ。「風の電話ボックス」に行って号泣しながら帰ってくる女性(小瀧万梨子)に民宿に勤める女性はこの辺の人はそんな風に人前で号泣することはないんだと説明する。それは大抵の人は家族を亡くすというようなつらい目にあった人ばかりなので、人前では自分よりもよりつらい目にあっているかもしれない人の前で泣くことはできないと考えると泣けない。けれど、他人のいない仮設住宅の中では皆涙を流しているというのだ。このことはそういうことを抱えながらも生きている7年が経過した被災地を象徴するような物語と感じられたし、だからこそ物語後半で結婚を決意した2人が電話を抱えながら声を押し殺して泣く場面には思わず感情を揺さぶられるし、いろんなことを考えさせられた。
 
 
 

*1:岸田戯曲賞を受賞しているサンプルの松井周も青年団の俳優として、作家活動を開始。現在はもう俳優として青年団本公演に出演することはないが、依然青年団俳優部の所属である。