下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

フェスティバル「これは演劇ではない」@こまばアゴラ劇場(1回目)

フェスティバル「これは演劇ではない」@こまばアゴラ劇場(1回目)

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企画プロデュース:綾門優季/カゲヤマ気象台/額田大志
青年団リンク キュイ『プライベート』 作:綾門優季 演出:橋本 清(ブルーノプロデュース)
ヌトミック『ネバーマインド』 構成・演出・音楽:額田大志
新聞家『遺影』 作・演出:村社祐太朗


オフィスマウンテン『海底で履く靴には紐がない ダブバージョン』 作・演出・振付:山縣太一
カゲヤマ気象台『幸福な島の誕生』 作・演出:カゲヤマ気象台
モメラス『28時01分』 作・演出:松村翔子

 
 フェスティバル「これは演劇ではない」3作品観劇。3本とも面白いが、それぞれの演劇へのアプローチの仕方が全く違うのが面白い。結果的に「演劇とは何か?」ということについて考えることにならざるを得ないのが最大の収穫と思う。まずきょうのところは批評というよりは単純な感想から。
 今回の上演でもっとも考えさせられたのが新聞家「遺影」。男女による二人芝居だが、会話体ではなく、ある結婚式について語られたと思われる二つの語りが男女それぞれの俳優によって連続して演じられる。一見単純に見える構造だが、二つの視点の交錯が重層的な解釈を産み出している。
それ以上に興味深いのは新聞家における俳優の発話のスタイルだ。2人の俳優は椅子に座ったまま正面観客席に正対し、身体所作やカラダのノイズ的な動きはいっさいなく、与えられたテキストをただ語るという形式。広い意味では「語りの演劇」の範疇にはいるものだとは思うが、SCOT、SPAC、地点がそうであるような語り特有のフレージングはそこには見られない。かといって現代口語演劇のような発話とも異なる。テキストに対して俳優が没入してテキストと語る主体が同一化するようなことはなく、ある種の距離が取られるが、マレビトの会のように何の抑揚もなく、与えられた文字を語るという風でもない絶妙な距離感。それがいったい何であるかもう少し考えたくなる。
 ヌトミック「ネバーマインド」。タスク系のダンスや現代美術のインストラクションと共通項はあるが、戯曲に相当するような特定の言語テキストはなくともあらかじめ用意された進行表のような台本(ルール)通りに進んでいく展開は極めて演劇的。というか私は演劇以外のなにものでもないと感じた。演劇であろうがなかろうが単純に楽しめる娯楽性もある作品でもある。
 ルール通りに展開するという点では多田淳之介の作品群との共通性を感じるが、多田の作品が多くの場合ルールが単線で単純化されているのに対し、額田大志の課したルールはより複雑。細かいサブルールもあり、ロールプレイングゲームに例えれば分岐点が多い感じ。
 青年団リンク キュイ「プライベート」。今回の公演の稽古中の出来事を再構成したように見せる作品。3作品の中では一番オーソドックスなスタイル。だが、重層的なテキストはパッと見以上に複雑で様々なフェーズでの虚構性にも満ちている。おそらく作品は厳密に規定された部分と演者の自由度が高い部分との混淆(アマルガム)と思われるが、一度見ただけでは腑分けはできないので、複数回見てみたい舞台でもあった。