下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

iaku「ハイツブリが飛ぶのを」@こまばアゴラ劇場

iaku「ハイツブリが飛ぶのを」@こまばアゴラ劇場

作:横山拓也 演出:上田一軒


越冬のためにこの場所に渡ってくるハイツブリ。次の冬まで体は持つだろうか。またハイツブリが飛ぶ姿を見ることができるだろうか。この避難所に建てられた無数の仮設住宅は、あの噴火ですべて廃屋と化し、もう私しか住んでいない。戻らない夫を待っている。段々、夫の顔が思い出せなくなってくるほどに、私は衰えている。そこに何人かの男がやってくる。被災者の想い出を絵にする絵描き。家族の遺体を捜す青年。そして、ついには私の夫だという男も現れた。人生の終焉、少し私の周りは賑やかになってきた。


iaku

劇作家・横山拓也による大阪発の演劇ユニット。アンタッチャブルな題材を小気味良い関西弁のセリフで描き、他人の議論・口論・口喧嘩を覗き見するような会話劇を発表している。ほとんどの作品で上田一軒氏を演出に迎え、関西の優れた俳優を作品ごとに招くスタイルで公演を行う。繰り返しの上演が望まれる作品づくり、また、大人の鑑賞に堪え得るエンタテインメントとしての作品づくりを意識して活動中。

出演

阪本麻紀(烏丸ストロークロック) 緒方晋(The Stone Age) 平林之英(sunday) 佐藤和駿(ドキドキぼーいず)

スタッフ

舞台監督:今井康平(CQ) 舞台美術:柴田隆弘
照明プラン:葛西健一 照明オペ:久津美太地(Baobab)
音響プラン:星野大輔(サウンドウィーズ) 音響オペ:櫻内憧海
演出助手:鎌江文子 衣装:植田昇明(kasane) 文芸協力:カトリヒデトシ
宣伝美術:下元浩人(EIGHTY ONE) 写真:堀川高志(kutowans studio)
宣伝ヘアメイク:由季 & 長田浩典(iroNic ediHt DESIGN ORCHESTRA)
制作協力(東京):佐藤美紘 宣伝:吉田プロモーション、制作:笠原希(iaku・ライトアイ)

 iakuは劇作家、横山拓也による演劇プロデュースユニット。大阪を拠点に公演ごとに俳優を募り横山作品を上演してきた。多くの作品で上田一軒が演出を務めてきた。
 今回の新作「ハイツブリが飛ぶのを」もそうした枠組みで上演。横山の作品は食肉処理場を舞台にした代表作である「エダニク」をはじめ社会的問題を取り扱ってきた作品が多かったのだが、大規模震災、相次ぐ火山噴火などで無政府状態になってしまった近未来の日本を舞台に孤立した仮設住宅に住む少人数の人物間の葛藤を描き出した。
 物語的に中心となっているのは仮設住宅にただひとり残されていた女(阪本麻紀)。女は外に出て行った夫であるアキラを待っていて、ある日ここにやってきた男(緒方晋)にアキラと呼び掛ける。男もそれに応じて2人はまるで夫婦であるかのようにここで暮らし始めるが、そこに謎の若い男がやってきたことで、男が実は別人で記憶障害の女に合わせて夫を装っているのだということが分かってくる。
 

伊藤キム×山下残「ナマエガナイ」@横浜STSPOT

伊藤キム×山下残「ナマエガナイ」@横浜STSPOT

ST Spot 30th Anniversary Dance Selection vol.1
ジャーナリストになりたかった伊藤キムのヒストリーに山下残が着目した、
ダンサーによる時事放談『ナマエガナイ』。
国内外で上演を重ねてきた本作品が、初演の会場だったSTスポットに戻ってくる。

振付・演出 山下残
出演 伊藤キム

スタッフ
テクニカル・ディレクター:ラング・クレイグヒル 照明操作:江花明里

日程 2017年10月18日(水)〜19日(木)
18日(水)19:30
19日(木)14:00 19:30

伊藤キム×山下残「ナマエガナイ」@横浜STSPOTで観劇。2014年初演(表題は「PROFILE」)の際にはこれを「ダンス作品だ」と主張する山下残の説明に納得せず「このように言語テキストを多用する表現は普通に演劇なのではないか」と反論した記憶がある。山下は「(中西さんのように)こういうものを演劇という風に普通に見なす人は珍しい」というので、私は「(当時の)例えばマレビトの会も普通に演劇と思っているのでこれはそういうものとそれほど差がないのではないか」などと応えた。そこで私にとって興味深かったのはこれが演劇であるか、ダンスであるのかということではなくて、山下残がこれを「ダンスと呼びたいのだ」ということは分かったので、さてその場合のダンスというのはどの程度の意味的広がりを持っているものなのだろうということだった。
 さて山下残によると「作品内容は変わってない」ということのようだが印象はかなり違っている。
 表題の「ナマエガナイ」は伊藤キム山下残がそうだとされているコンテンポラリーダンスがジャンルとされているにもかかわらず、ジャズダンス、ヒップホップ、サルサ、社交ダンス、バレエなどダンスの種類とされているものの外側にあって、それ自体をこういうものだと名付けることができないということを一義的には示していると思われる。
 だがもう一方で、同じようにこの「ナマエガナイ」という作品が「ダンス」とも「演劇」とも「名指しできない何ものか」であり、だからこそこの表題なのではないかとも思われた。
演劇、ダンスの両方の領域にそれぞれ「ダンスのような演劇」「演劇のようなダンス」が数多く生まれる現象はここ数年より顕著なものになっているが、この作品はそうした作品群とは一線を画して、「ダンスのような演劇」でも、「演劇のようなダンス」でもなく、「ナマエガナイ」(名付けられない領域)であることを確信犯として目指しているように見えた。伊藤キムによるひとり語りやそれにともなう身体所作は一見ゆるやかでアドリブ的なものにも見えるが、実は山下残の手により厳密に演出、振り付けられたものであり、伊藤自身の生み出す身体言語をモデルにしているように見えてもダンサーの伊藤キムが通常即興で生み出すようなボキャブラリーとは明確に異なる。そういうところが山下残らしいといえるだろう。
 4年前の初演時にはダンサーである伊藤キムをキャスティングした演劇としていわゆるフィジカルシアター的なものの一変種と見えたが、周辺領域の作品が増えたことで逆にこの作品の特異性がくっきりと浮かび上がったように見えた。
 

セミネールin東心斎橋Web講義録一覧(再録)

「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.1 演劇編・チェルフィッチュ」Web講義録
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000226
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000229
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000228
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.2 ダンス編・ニブロール」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000225
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.3 演劇編・青年団」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000227
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.4 ダンス編・イデビアン・クルー」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000307
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.5 演劇編・弘前劇場」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000402
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.6 ダンス編・レニ・バッソ」Web講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000406

[レクチャー]セミネール講義一覧(2012年、2011年)

 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。今年でいよいよ5年目になりました。最近どういうテーマを選んで実施してきたかというのを一度一覧としてまとめてみることにしました。各回の概要が分かるWEB講義録へのリンクとともにゲストとして作家自らに参加していただいた坂本公成モノクロームサーカス)と松田正隆(マレビトの会)については音声記録も収録しました。興味を持った人はぜひ聞いてください。さらに興味を持った人は参加していただけると有難いです。次回は3月20日を予定していますが、なにをやるかについては3月5日に選考結果が分かる岸田戯曲賞の動向などもにらんで選定中です。

2012年
2012-02-14
[セミネール]「ダンス×アート 瀬戸内国際芸術祭2010『直島劇場』 モノクロームサーカス×graf」in東心斎橋(ゲスト・坂本公成
ダンス×アート 瀬戸内国際芸術祭2010『直島劇場』 モノクロームサーカス×graf』音声記録(音声だけですがセミネール当日の様子を収録したものです)
Web講義録(当日も流した映像の一部やレクチャーの参考とした過去のレビューなどはこちらに) http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001126
2012-01-31
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ピナ・バウシュ」セミネールin東心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001125

2011年
2011-12-27
[セミネール]「セミネール2011年年間回顧&忘年会」セミネールin東心斎橋
2011-11-20
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ローザス=ケースマイケル」セミネールin東心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001121
2011-10-18
[セミネール]「演劇×アート 現代口語演劇を越えて マレビトの会=松田正隆編」セミネールin東心斎橋(ゲスト・松田正隆
演劇×アート 現代口語演劇を越えて マレビトの会=松田正隆編』音声記録(音声だけですがセミネール当日の様子を収録したものです)
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20111018
 
2011-09-27
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代演劇の祭典groundP★に行こう!!」
2011-09-13 セミネール特別編「ポストゼロ年代の演劇批評」
[セミネール]演劇批評誌「act」リニューアル記念セミネール特別編「ポストゼロ年代の演劇批評」
2011-08-31
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第5回 東京デスロック=多田淳之介
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001026
2011-07-09
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第4回 ク・ナウカ&SPAC=宮城聰」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001022
こちらは参考に
『宮城聰インタビュー1』音声ガイダンス 其の壱【ク・ナウカの方法論と詩の復権】
2011-06-11
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第3回 ままごと=柴幸男」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001018

2011-05-26
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る W・フォーサイス×ヤザキタケシ」セミネールin東心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001016
2011-05-15
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第2回 ロロ=三浦直之」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20111003  
2011-04-26
[セミネール]快快(faifai)上映会〈セミネール・ポストゼロ年代へ向けて 特別上映会編〉
2011-04-13
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 特別編/快快トークショー
2011-03-21
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ダンス映像を見る会」セミネールin東心斎橋
2011-02-22
[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ダムタイプと音楽 山中透編」セミネールin東心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20110222
山中透インタビュー(参考) http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00001205
2011-02-08
[セミネール]「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第1回 クロムモリブデン青木秀樹」レクチャー&舞台映像上映
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10011201                               
2011-01-12
[セミネール]「演劇の新潮流 ゼロ年代からテン年代へ」新年会&秘蔵映像上映会

「ダンス×アート 源流を探る ダムタイプと音楽 山中透編」セミネールin東京@SCOOL

「ダンス×アート 源流を探る ダムタイプと音楽 山中透編」セミネールin東京@SCOOL

 セミネールin東京「ダンス×アート 源流を探る」第1弾として「ダムタイプと音楽 山中透編」を開催します。大型プロジェクターによる舞台映像を見ながらダムタイプの音楽担当だった山中透氏*1が自らダムタイプ作品の舞台裏を語ります。2010年・2011年の2回にわたり大阪心斎橋で行い非常に好評であったレクチャーの東京版をリニューアルして開催致します。どうぞご参加ください。    
コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)
ゲスト・山中透(本編冒頭に20分程度のミニライブ予定)
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ダムタイプ「S/N」

モノクロームサーカス

 エイズで亡くなった古橋悌二*2の盟友として1980〜90年代にダムタイプ*3*4の音楽監督を務め、代表作といえる「S/N」「PH」などに楽曲を提供した山中透氏。彼をゲストに迎え、プロジェクターによる映像などを見ながらダムタイプ作品の舞台裏を語ってもらう予定です。ダムタイプのパフォーマンスは実は当時最先端のニューヨークのクラブカルチャーに触発されて製作され、それゆえ上演ではライブ演奏にこだわっていたといいます。しかし舞台を見た人にはあまりそれが正当には評価されないという悩みもかかえていたとも聞いています。そのあたりの事情を山中透氏に熱く語ってもらいたいと思っています。
 さらに残された映像を見るとクールでハイセンスな未来派パフォーマンスに見えるダムタイプですが、実は舞台裏ではショー・マスト・ゴーオンさながらのもうひとつの熱い戦いも進行していたそうです。今だから明かせる秘話が続々、こうご期待。山中氏からはダムタイプ退団後、現在までの仕事の紹介(オンケンセンとのコラボ、ニブロール、MuDA、モノクロームサーカスとの仕事など)もしていだだく予定です。

 2008年から2013年まで東心斎橋のBAR&ギャラリーで開催。レクチャー(解説)と映像で演劇やダンスを楽しんでもらおうという連続レクチャー企画がセミネールでした。私が2013年4月東京移住して以来中断していましたが、今回ダムタイプの音楽監督を担当していた山中透さんの協力を得て復活させることにしました。
 
【日時】2017年10月16日(月)p.m.7:30~
【場所】三鷹SCOOL にて
【料金】前売:2000円
当日:2500円 (+1drinkオーダー)
【予約・お問い合わせ】
●メールsimokita123@gmail.com (中西)まで お名前 人数 お客様のE-MAIL お客様のTELをご記入の上、 上記アドレスまでお申し込み下さい。ツイッター(@simokitazawa)での予約も受け付けます。
電話での問い合わせ
090-1020-8504 中西まで。

scool.jp

[演劇]山中透インタビュー「ダムタイプと音楽」

 ダムタイプ(dumb type)の音楽といえば池田亮司のイメージが強いが、代表作である「S/N」をはじめ、活動初期から中期においてその中心メンバーであった古橋悌二とコンビを組み、音楽監督として作品制作を支え、その礎を築いたメンバーのひとりが山中透であった。山中はダムタイプ結成以前からの古橋の音楽仲間としてほかのメンバーの知らない古橋の一面を知る人物でもあった。ダムタイプの系譜を巡るインタビューの第2弾では前回取り上げた照明家、藤本隆行に続き、山中を取り上げ、また違った側面から当時のダムタイプの姿に光を当ててみた。

——山中さんがダムタイプの活動に参加することになったきっかけから簡単に話していただければと思うのですが。
 山中透 高校の時から音楽をやっていて、バンドではドラムとかをやっていました。古橋(悌二)のことは大学入学時にはバンド仲間の横のつながりで知っていて、当時からドラムが天才的にうまくて目立つ存在だった。ダムタイプのほかのメンバーは京都市立芸大の出身なのですが、僕は違うのです。大学(関西大学)に入った後はそこで知り合った友人が滋賀に住んでいたために京都を中心に音楽活動をすることになったのです。京都の音楽大学の教授らが集まって作った現代音楽の同好会に入っていて、そこでジョン・ケージの作品を使ったパフォーマンスみたいなことをやっていたことがあり、そこに古橋(悌二)が見に来て知り合いになった。そこで話をしたところ、2人ともパンク・ニューウェーブロックやイギリスのアバンギャルドジャズロックのバンドである「ヘンリー・カウ」が大好きだったことなど聞いている音楽の趣味が近かったのもあり、意気投合し、一緒にバンドをやることになったのです。当初はエレクトロニックポップ系のバンドで最初は4人組でORGと言ったのですが、その後、メンバーが1人抜け、古橋のほか女性と3人でノンジャンル・アルタネーティブ系バンドのアール/スティル(R-Still)になりました。
ヘンリー・カウ

 一方、古橋は京都市立芸術大学入学後、バンド活動と並行して、学内の「座カルマ」という演劇集団に所属していて、演劇の方にも興味を持っていた。そのうちパフォーマンスの方に目が向きだして、ダムタイプの原型みたいなことをやりはじめた。その関係でビデオ作品も制作して、その音楽は自分で作っていたのだけれど、プロトタイプの作品を制作してみるとあまりにもしんどい暗い作品になってしまったため、それで手伝ってくれということになって一緒にやることになりました。
——実際に活動に参加したのはどこからですか?
 山中 古橋と一緒に音楽活動はしていたけれども、ダムタイプ(当時はダムタイプシアター)は京芸(京都市立芸術大学)の学生の集団と思っていたので積極的にかかわろうという気はなかったのです。曲を最初に作ったのが「風景収集狂者のための博物図鑑」のサウンドトラック。その後、「庭園の黄昏」から本格的に作るようになりました。ところが、本公演を見に行ってみると、僕自身が作った音楽をかけ間違っていたり、曲が途中で止まったりしたため、「僕がオペレートしようか」ということになったのです。オレンジルームでやった「睡眠の計画 #3」(1986)からは音響もやるようになりました。
 ダムタイプの音楽はほとんど山中透/古橋悌二の共同創作の形をとっていましたが、これは古橋は音楽以外のこともやっていたこともあり、原型みたいなのを僕が作り古橋のところに持っていき、それを古橋が最終的にまとめていくような形態が多かった。もっとも実際の形態は多様で音楽だけを取っても、その時作った曲がその時は使われず別の作品で使われることもあえば、僕が持っていった曲が最初から作品に取り入れられていて、パフォーマンスの土台となっていることもありました。
 ダムタイプとの関係というのは私の場合は古橋との関係で、ほかのメンバーがやるように作品制作のためのミーティングに参加したことはなかったし、そうする気もなかったのです。というのはこと音楽に関しては話ができるのは当時のメンバーのなかでは古橋だけで知らない人が多かったので、古橋以外のメンバーと話し合うことにあまり意味がないことが多かったからです。

——ダムタイプが共同創作といっても要素によって違いはあったということですね。
 山中 そうです。例えば「pH」という作品ですが、これは最初のシーンにドイツの作曲家であるマニュエル・ゲッチングという人の「E2-E4」という曲が使われているのですが、これはニューヨークのクラブシーンではよく明け方にかかっていた曲。実は「Pleasure life」(1988)のワールドツアーを通じてニューヨークやロンドンのクラブシーンにどっぷりと浸かることになったのだけれど、その当時そこで遭遇したクラブ・ダンスミュージックの方がそれまで作ろうとしていた当時実験的とされていた音楽よりも先鋭的ではないかと感じ、古橋と(パフォーマンスに使う音楽も)「このままではいけない」と思い、それで「pH」ではそれまであまり舞台には取り入れられることのない最先端のクラブカルチャーサウンドを取り入れることをひとつのテーマとしました。
マニュエル・ゲッチング「E2-E4」

 日本にはその時点でほとんどクラブシーンがなかったので、大阪で活動していたシモーヌ深雪らも誘って、後の「DIAMONDS ARE FOREVER」のようなオーガナイズしたワン・ナイト・クラブなど夜の活動をはじめたのも当時のことでした。
 87年ごろにインドのゴアに行ったメンバーが持ち帰った音源でヨーロッパのクラブで最近こんなのがよくかかっているということを知り、それが後にニュービート、あるいはハウスと呼ばれるようになる音楽だったわけですが、何が起こっているのだろうと興味を持ったのです。それで88年にはニューヨークの公演中でもクラブに行っていたのですが、初期のハウスミュージック全盛の時代でした。いろんな曲をミックスして同時に流すと個別に聴いたのとはまったく別種の音が聴こえてくる。視点を変えると同じものでも見え方が変わる。そして今これをやっておかないとと思い「pH」でこれを試そうとしました。「S/N」で「アマポーラ」の曲に合わせて、爆音をかけているところも、そういうことの延長線上にあります。
ナナ・ムスクーリ「アマポーラ」

 ただ、そういうことは舞台作品の場合あまり分かってもらえないことが多くて、音楽がたとえ先鋭化していってもあくまで舞台の一部としてしか受けとられていない。こちらとしては「pH」をひとつのライブだと思ってやっていた。しかし、いくらライブだと言ってもそう思って見てくれる人は少ないし、それまでの作品とは全然違う表現なんだということが分からない。結局、「pH」は2年以上ツアーをやってしまったのだけれど、それで内心もうダムタイプはいいだろうという風に思いはじめました。ツアーばかりで自分の作品を作る時間がないし、次第に集団にいる意味がないんじゃないかと考えはじめたからです。
——その次の作品が「S/N」で結局これにも参加なさいましたね。
 山中 「pH」の後がホテル・プロ・フォルマと共同制作した「エニグマ」でこれには最初、古橋も参加しました。ところが、途中から体調を崩して帰国。メンバーのそれぞれに「実は自分はエイズで……」というHIV感染を告知した手紙が届いたのです。それで私には「次の作品も音を一緒にやりたいからよろしく頼む」と……。これではここでやめるというわけにもいかなかったことは確かです。
——山中さんは古橋さんとはもっと近しい存在でしたから驚かれ、ショックを受けたのではないですか? 
 山中 そうですね。メンバーには衝撃的なことだったのですが、実は私は古橋になにかが起きたのではないかと薄々気がついていたのです。元々、私と古橋はツアーの最中にも頻繁にクラブに出掛けていたのですが、「pH」のツアーの時の古橋の遊び方はむちゃくちゃで尋常じゃなかったのです。ドラッグもやっているみたいで、本番中でも朝まで帰ってこなかったり、自分をコントロールできないようでした。体調もよくなくて、発熱もよくあったみたいで、僕の知り合いにも「HIVポジティブ」っていう人が出てきていたこともあり、もしやと思って心配してはいたのだけれど、僕は気をもんでいただけで何もできなかった。だから、やはりそうかとつらかったけれども意外ではなかった。ただ、そういう古橋の夜の生活を多少とも一緒したのは僕だけで他のメンバーはそれほどいかなかったからそういうことも知らず、ショックは大きかったと思います。
 
——「S/N」はどんな風に作られたのでしょうか?
 山中 「S/N」のコンセプトはゲイ/ストレートの対立項として進行していく。もともとのコアメンバーには(古橋のほかに)ゲイの人はいないし、自分の性的志向について悩んだ人もいなかったため、私自身としては理不尽な作品だと思うこともあったが、コンセプトには口をはさまなかった。ただ、(今考えると)パフォーマンスの純度を上げるためにはそういう単純化も必要だったかもしれない。
 ダムタイプをやめることにしたのはこの作品の途中で古橋が亡くなったことと、途中から池田亮司が手伝ってくれて、やめる機会が来たと感じたからです。ただ、実際にはその次の「OR」も池田亮司と私がそれぞれ曲を提供し、サウンドスケープはすべて私がやっていて、音響オペレーションも2人でやっていました。そして、「memorandam」の最初のツアーにだけ参加してそこで抜けることになりました。
ダムタイプ「OR」

ダムタイプ「memorandam」

  
——それではダムタイプから離脱したのは他のメンバーと折り合いが悪くなってというわけじゃないのですね。
 山中 それはないです。ダムタイプでやるということはなくなりましたが、今でも個々のメンバーとは付き合いがありますし、一緒にやったりもしていますから。ただ、シーンができて、それに音をつけるというようなことはやりたくなかったので、音楽について僕の個人的な手法を理解をできる人がいなくなってしまったのは大きかった。特に「OR」をやって分かったのは古橋(悌二)の不在が大きくて、それまでいかに作品を古橋を通してしか見ていなかったかというのが浮き彫りになりました。
——ダムタイプ退団後はオン・ケン・センと仕事をしていて、これは今も続いていますがこちらのきっかけは?
 山中 最初は2000年のツアーの最中に半年ぐらいヒマができて、この時に声をかけられて、シアターワークスのワークショップに参加したのがきっかけでした。指輪ホテルとグラインダーマンとのコラボレーションに参加した後、中国、タイ、スウェーデンのダンサーらが参加した「グローバルソウル」というダンス作品、谷崎潤一郎の「細雪」を原作にした「シノワズリー」という演劇作品の音楽を担当しました。

 2006年にシンガポールで制作した「ディアスポラ」という作品は今年(2009年)夏にスコットランドのモスリム系の家庭で育ったアーティストと共同制作した20分ほどのシーンを付け加えてエジンバラ国際フェスティバルで上演しました。
——高橋匡太とのコラボレーションユニット「flo+out」もありますよね。
 山中 こちらは2000年にパリでフランス人の企画したフィルムフェスティバルが最初でした。「flo+out」というのはいろんな意味にとれるようにとこうしたもので、一応、「浮遊的な」という意味ではあるのですが、「だます」「あざける」というような意味も含まれています。今年もせんだいメディアテーク高橋匡太インスタレーションの展示をした際に作曲および音響を担当しました。このところ毎年1作品ぐらいのペースで続けているのですが、こちらはパフォーマンスとしてやる時でも(舞台作品ではなくて)美術インスタレーションに近いパフォーマンスをやりたいと考えてやっています。2010年は4月にミラノで建築家の人とのコラボレーションによりインスタレーションを予定しています。

——今年はMonochrome Circusの「緑のテーブル」「レミング」の音楽も作りましたね。
 山中 「緑のテーブル」の音楽をやることになったのは振付を担当したじゅんじゅん(水と油、じゅんじゅんSCIENCE)に東京で「flo+out」の公演を手伝ってもらったことがあって、その縁で一緒にやりませんかと頼まれたのがきっかけでした。その時に坂本公成とも出会って、まあ彼の方ではダムタイプ時代から私のことを知っていたようなのですが、彼から新作「レミング」の音楽も依頼されました。こちらは急に話が来たこともあり、リハーサルが見られなかったこともあり、クリエーションは大変だったのですが、面白い状況になっています。Monochrome Circusとは来年(2010年)春にはワークショップをしようかという話も進行しています。
——ダムタイプないし元ダムタイプのアーティストとのコラボレーションもけっこう多いですよね。
 山中 ダムタイプパフォーマーの薮内美佐子とは2007年1月に芦屋市立美術博物館でやった美術家、松井智恵とのコラボレーション「PICNIC」で一緒にやりました。彼女たちは一緒に作品作りをしていてすごく楽しくて、今もっとも楽しく仕事できる美術家です。実は現代音楽のアーティスト、山本将士と共同制作で中ホール以上の規模で現代オペラ・音楽パフォーマンスを制作しようと準備を進めていて、私は演出を担当。これに彼女らも参加してもらうつもりだったのですが、これは相手の音楽家が体調を崩してしまい予定が先延ばしになってしまいました。
 パフォーマーだった田中真由美とはヴォーカルのおおたか静流による音楽ユニット「UN(ユーン)」というのをやっていて、田中はテルミンとキーボードを担当してライブ活動をしています。彼女はダムタイプには「pH」から参加してもらったのですが、元々私がよく通っていたレンタルレコード店で働いていた店員で、そこで知り合って古橋に紹介してダムタイプのメンバーに入りました。
 ——高嶺格のパフォーマンス作品にも音楽で参加していらっしゃいましたよね。
 山中 アイホールで彼が制作した3作品のうち2作品のクリエーションに参加しました。音楽を提供したりもしていますが、本当は彼の場合は全部自分でやった方が面白いと思うので、音楽も自分で作ればいかがですかと言っています。ただ、今年夏に制作した作品については「一緒にやりたい」と彼から話はあったのですが、その時にはオン・ケン・センのエジンバラ国際フェスティバルのツアーの方が先に決まっていたので手伝うことができずに残念なことをしました。

*1:ダムタイプ・山中透インタビュー http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00001205/p1

*2:雑誌「ブルータス」(1994年11月15日号)の特集 古橋悌二氏インタビューhttp://cloverbooks.hatenablog.com/entry/2015/05/30/190659

*3:ダムタイプ藤本隆行インタビュー http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000505

*4:ダムタイプ・高谷史郎インタビュー http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001210/p1

山中透インタビュー「ダムタイプと音楽」

[演劇]山中透インタビュー「ダムタイプと音楽」

 ダムタイプ(dumb type)の音楽といえば池田亮司のイメージが強いが、代表作である「S/N」をはじめ、活動初期から中期においてその中心メンバーであった古橋悌二とコンビを組み、音楽監督として作品制作を支え、その礎を築いたメンバーのひとりが山中透であった。山中はダムタイプ結成以前からの古橋の音楽仲間としてほかのメンバーの知らない古橋の一面を知る人物でもあった。ダムタイプの系譜を巡るインタビューの第2弾では前回取り上げた照明家、藤本隆行に続き、山中を取り上げ、また違った側面から当時のダムタイプの姿に光を当ててみた。

——山中さんがダムタイプの活動に参加することになったきっかけから簡単に話していただければと思うのですが。
 山中透 高校の時から音楽をやっていて、バンドではドラムとかをやっていました。古橋(悌二)のことは大学入学時にはバンド仲間の横のつながりで知っていて、当時からドラムが天才的にうまくて目立つ存在だった。ダムタイプのほかのメンバーは京都市立芸大の出身なのですが、僕は違うのです。大学(関西大学)に入った後はそこで知り合った友人が滋賀に住んでいたために京都を中心に音楽活動をすることになったのです。京都の音楽大学の教授らが集まって作った現代音楽の同好会に入っていて、そこでジョン・ケージの作品を使ったパフォーマンスみたいなことをやっていたことがあり、そこに古橋(悌二)が見に来て知り合いになった。そこで話をしたところ、2人ともパンク・ニューウェーブロックやイギリスのアバンギャルドジャズロックのバンドである「ヘンリー・カウ」が大好きだったことなど聞いている音楽の趣味が近かったのもあり、意気投合し、一緒にバンドをやることになったのです。当初はエレクトロニックポップ系のバンドで最初は4人組でORGと言ったのですが、その後、メンバーが1人抜け、古橋のほか女性と3人でノンジャンル・アルタネーティブ系バンドのアール/スティル(R-Still)になりました。
ヘンリー・カウ

 一方、古橋は京都市立芸術大学入学後、バンド活動と並行して、学内の「座カルマ」という演劇集団に所属していて、演劇の方にも興味を持っていた。そのうちパフォーマンスの方に目が向きだして、ダムタイプの原型みたいなことをやりはじめた。その関係でビデオ作品も制作して、その音楽は自分で作っていたのだけれど、プロトタイプの作品を制作してみるとあまりにもしんどい暗い作品になってしまったため、それで手伝ってくれということになって一緒にやることになりました。
——実際に活動に参加したのはどこからですか?
 山中 古橋と一緒に音楽活動はしていたけれども、ダムタイプ(当時はダムタイプシアター)は京芸(京都市立芸術大学)の学生の集団と思っていたので積極的にかかわろうという気はなかったのです。曲を最初に作ったのが「風景収集狂者のための博物図鑑」のサウンドトラック。その後、「庭園の黄昏」から本格的に作るようになりました。ところが、本公演を見に行ってみると、僕自身が作った音楽をかけ間違っていたり、曲が途中で止まったりしたため、「僕がオペレートしようか」ということになったのです。オレンジルームでやった「睡眠の計画 #3」(1986)からは音響もやるようになりました。
 ダムタイプの音楽はほとんど山中透/古橋悌二の共同創作の形をとっていましたが、これは古橋は音楽以外のこともやっていたこともあり、原型みたいなのを僕が作り古橋のところに持っていき、それを古橋が最終的にまとめていくような形態が多かった。もっとも実際の形態は多様で音楽だけを取っても、その時作った曲がその時は使われず別の作品で使われることもあえば、僕が持っていった曲が最初から作品に取り入れられていて、パフォーマンスの土台となっていることもありました。
 ダムタイプとの関係というのは私の場合は古橋との関係で、ほかのメンバーがやるように作品制作のためのミーティングに参加したことはなかったし、そうする気もなかったのです。というのはこと音楽に関しては話ができるのは当時のメンバーのなかでは古橋だけで知らない人が多かったので、古橋以外のメンバーと話し合うことにあまり意味がないことが多かったからです。

——ダムタイプが共同創作といっても要素によって違いはあったということですね。
 山中 そうです。例えば「pH」という作品ですが、これは最初のシーンにドイツの作曲家であるマニュエル・ゲッチングという人の「E2-E4」という曲が使われているのですが、これはニューヨークのクラブシーンではよく明け方にかかっていた曲。実は「Pleasure life」(1988)のワールドツアーを通じてニューヨークやロンドンのクラブシーンにどっぷりと浸かることになったのだけれど、その当時そこで遭遇したクラブ・ダンスミュージックの方がそれまで作ろうとしていた当時実験的とされていた音楽よりも先鋭的ではないかと感じ、古橋と(パフォーマンスに使う音楽も)「このままではいけない」と思い、それで「pH」ではそれまであまり舞台には取り入れられることのない最先端のクラブカルチャーサウンドを取り入れることをひとつのテーマとしました。
マニュエル・ゲッチング「E2-E4」

 日本にはその時点でほとんどクラブシーンがなかったので、大阪で活動していたシモーヌ深雪らも誘って、後の「DIAMONDS ARE FOREVER」のようなオーガナイズしたワン・ナイト・クラブなど夜の活動をはじめたのも当時のことでした。
 87年ごろにインドのゴアに行ったメンバーが持ち帰った音源でヨーロッパのクラブで最近こんなのがよくかかっているということを知り、それが後にニュービート、あるいはハウスと呼ばれるようになる音楽だったわけですが、何が起こっているのだろうと興味を持ったのです。それで88年にはニューヨークの公演中でもクラブに行っていたのですが、初期のハウスミュージック全盛の時代でした。いろんな曲をミックスして同時に流すと個別に聴いたのとはまったく別種の音が聴こえてくる。視点を変えると同じものでも見え方が変わる。そして今これをやっておかないとと思い「pH」でこれを試そうとしました。「S/N」で「アマポーラ」の曲に合わせて、爆音をかけているところも、そういうことの延長線上にあります。
ナナ・ムスクーリ「アマポーラ」

 ただ、そういうことは舞台作品の場合あまり分かってもらえないことが多くて、音楽がたとえ先鋭化していってもあくまで舞台の一部としてしか受けとられていない。こちらとしては「pH」をひとつのライブだと思ってやっていた。しかし、いくらライブだと言ってもそう思って見てくれる人は少ないし、それまでの作品とは全然違う表現なんだということが分からない。結局、「pH」は2年以上ツアーをやってしまったのだけれど、それで内心もうダムタイプはいいだろうという風に思いはじめました。ツアーばかりで自分の作品を作る時間がないし、次第に集団にいる意味がないんじゃないかと考えはじめたからです。
——その次の作品が「S/N」で結局これにも参加なさいましたね。
 山中 「pH」の後がホテル・プロ・フォルマと共同制作した「エニグマ」でこれには最初、古橋も参加しました。ところが、途中から体調を崩して帰国。メンバーのそれぞれに「実は自分はエイズで……」というHIV感染を告知した手紙が届いたのです。それで私には「次の作品も音を一緒にやりたいからよろしく頼む」と……。これではここでやめるというわけにもいかなかったことは確かです。
——山中さんは古橋さんとはもっと近しい存在でしたから驚かれ、ショックを受けたのではないですか? 
 山中 そうですね。メンバーには衝撃的なことだったのですが、実は私は古橋になにかが起きたのではないかと薄々気がついていたのです。元々、私と古橋はツアーの最中にも頻繁にクラブに出掛けていたのですが、「pH」のツアーの時の古橋の遊び方はむちゃくちゃで尋常じゃなかったのです。ドラッグもやっているみたいで、本番中でも朝まで帰ってこなかったり、自分をコントロールできないようでした。体調もよくなくて、発熱もよくあったみたいで、僕の知り合いにも「HIVポジティブ」っていう人が出てきていたこともあり、もしやと思って心配してはいたのだけれど、僕は気をもんでいただけで何もできなかった。だから、やはりそうかとつらかったけれども意外ではなかった。ただ、そういう古橋の夜の生活を多少とも一緒したのは僕だけで他のメンバーはそれほどいかなかったからそういうことも知らず、ショックは大きかったと思います。
 
——「S/N」はどんな風に作られたのでしょうか?
 山中 「S/N」のコンセプトはゲイ/ストレートの対立項として進行していく。もともとのコアメンバーには(古橋のほかに)ゲイの人はいないし、自分の性的志向について悩んだ人もいなかったため、私自身としては理不尽な作品だと思うこともあったが、コンセプトには口をはさまなかった。ただ、(今考えると)パフォーマンスの純度を上げるためにはそういう単純化も必要だったかもしれない。
 ダムタイプをやめることにしたのはこの作品の途中で古橋が亡くなったことと、途中から池田亮司が手伝ってくれて、やめる機会が来たと感じたからです。ただ、実際にはその次の「OR」も池田亮司と私がそれぞれ曲を提供し、サウンドスケープはすべて私がやっていて、音響オペレーションも2人でやっていました。そして、「memorandam」の最初のツアーにだけ参加してそこで抜けることになりました。
ダムタイプ「OR」

ダムタイプ「memorandam」

  
——それではダムタイプから離脱したのは他のメンバーと折り合いが悪くなってというわけじゃないのですね。
 山中 それはないです。ダムタイプでやるということはなくなりましたが、今でも個々のメンバーとは付き合いがありますし、一緒にやったりもしていますから。ただ、シーンができて、それに音をつけるというようなことはやりたくなかったので、音楽について僕の個人的な手法を理解をできる人がいなくなってしまったのは大きかった。特に「OR」をやって分かったのは古橋(悌二)の不在が大きくて、それまでいかに作品を古橋を通してしか見ていなかったかというのが浮き彫りになりました。
——ダムタイプ退団後はオン・ケン・センと仕事をしていて、これは今も続いていますがこちらのきっかけは?
 山中 最初は2000年のツアーの最中に半年ぐらいヒマができて、この時に声をかけられて、シアターワークスのワークショップに参加したのがきっかけでした。指輪ホテルとグラインダーマンとのコラボレーションに参加した後、中国、タイ、スウェーデンのダンサーらが参加した「グローバルソウル」というダンス作品、谷崎潤一郎の「細雪」を原作にした「シノワズリー」という演劇作品の音楽を担当しました。

 2006年にシンガポールで制作した「ディアスポラ」という作品は今年(2009年)夏にスコットランドのモスリム系の家庭で育ったアーティストと共同制作した20分ほどのシーンを付け加えてエジンバラ国際フェスティバルで上演しました。
——高橋匡太とのコラボレーションユニット「flo+out」もありますよね。
 山中 こちらは2000年にパリでフランス人の企画したフィルムフェスティバルが最初でした。「flo+out」というのはいろんな意味にとれるようにとこうしたもので、一応、「浮遊的な」という意味ではあるのですが、「だます」「あざける」というような意味も含まれています。今年もせんだいメディアテーク高橋匡太インスタレーションの展示をした際に作曲および音響を担当しました。このところ毎年1作品ぐらいのペースで続けているのですが、こちらはパフォーマンスとしてやる時でも(舞台作品ではなくて)美術インスタレーションに近いパフォーマンスをやりたいと考えてやっています。2010年は4月にミラノで建築家の人とのコラボレーションによりインスタレーションを予定しています。

——今年はMonochrome Circusの「緑のテーブル」「レミング」の音楽も作りましたね。
 山中 「緑のテーブル」の音楽をやることになったのは振付を担当したじゅんじゅん(水と油、じゅんじゅんSCIENCE)に東京で「flo+out」の公演を手伝ってもらったことがあって、その縁で一緒にやりませんかと頼まれたのがきっかけでした。その時に坂本公成とも出会って、まあ彼の方ではダムタイプ時代から私のことを知っていたようなのですが、彼から新作「レミング」の音楽も依頼されました。こちらは急に話が来たこともあり、リハーサルが見られなかったこともあり、クリエーションは大変だったのですが、面白い状況になっています。Monochrome Circusとは来年(2010年)春にはワークショップをしようかという話も進行しています。
——ダムタイプないし元ダムタイプのアーティストとのコラボレーションもけっこう多いですよね。
 山中 ダムタイプパフォーマーの薮内美佐子とは2007年1月に芦屋市立美術博物館でやった美術家、松井智恵とのコラボレーション「PICNIC」で一緒にやりました。彼女たちは一緒に作品作りをしていてすごく楽しくて、今もっとも楽しく仕事できる美術家です。実は現代音楽のアーティスト、山本将士と共同制作で中ホール以上の規模で現代オペラ・音楽パフォーマンスを制作しようと準備を進めていて、私は演出を担当。これに彼女らも参加してもらうつもりだったのですが、これは相手の音楽家が体調を崩してしまい予定が先延ばしになってしまいました。
 パフォーマーだった田中真由美とはヴォーカルのおおたか静流による音楽ユニット「UN(ユーン)」というのをやっていて、田中はテルミンとキーボードを担当してライブ活動をしています。彼女はダムタイプには「pH」から参加してもらったのですが、元々私がよく通っていたレンタルレコード店で働いていた店員で、そこで知り合って古橋に紹介してダムタイプのメンバーに入りました。
 ——高嶺格のパフォーマンス作品にも音楽で参加していらっしゃいましたよね。
 山中 アイホールで彼が制作した3作品のうち2作品のクリエーションに参加しました。音楽を提供したりもしていますが、本当は彼の場合は全部自分でやった方が面白いと思うので、音楽も自分で作ればいかがですかと言っています。ただ、今年夏に制作した作品については「一緒にやりたい」と彼から話はあったのですが、その時にはオン・ケン・センのエジンバラ国際フェスティバルのツアーの方が先に決まっていたので手伝うことができずに残念なことをしました。

『筒井康隆入門』刊行記念、極私的ツツイ長短編ベスト対決!@三鷹SCOOL

筒井康隆入門』刊行記念、極私的ツツイ長短編ベスト対決!@三鷹SCOOL

出演
佐々木敦大森望
日程
10月15日(日)19:00スタート
料金
予約1,500円 当日2,000円(+1ドリンクオーダー)
10.15 SUN 19:00
オープンはスタートの30分前になります。

拙著『筒井康隆入門』(星海社新書)の刊行記念として、大森望さんをゲストにお迎えして、トークイベントを行います。
内容は、大森パイセンと僕がそれぞれ、筒井康隆の膨大な小説群の中から、長編のマイベスト5と短編のマイベスト10を事前に選び、その場で発表するというものです。
お互い、どんな作品を選んだのかは、当日まで秘密です。
さて、いったい何が上位に来るのでしょうか?
皆さんもぜひ、ご自分のマイベスト筒井康隆を選んだ上でご参加下さい。
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佐々木敦

筒井康隆 長編ベスト5>
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大森望
1『虚航船団』
2『ダンシング・ヴァニティ』
3『ロートレック荘事件』
4『美藝公』
5『わたしのグランパ』
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佐々木敦
1『虚人たち
2『脱走と追跡のサンバ
3『大いなる助走』
4『夢の木坂分岐点』
5『ダンシング・ヴァニティ』
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筒井康隆 短編ベスト10>
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大森望
1「鍵」
2「到着」
3「関節話法」
4「遠い座敷」
5「熊の木本線」
6「フル・ネルソン」
7「蟹甲癬」
8「繁栄の昭和」
9「魚籃観音記」
10「秒読み」
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佐々木敦
1「遠い座敷」
2「驚愕の曠野」
3「東海道戦争」
4「中隊長」
5「熊の木温泉」
6「バブリング創世記」
7「上下左右」
8「デマ」
9「ペニスに命中」
10「お紺昇天」

笑の内閣「名誉男性鈴子」(作・演出:高間響)@こまばアゴラ劇場(2回目)

笑の内閣「名誉男性鈴子」(作・演出:高間響)@こまばアゴラ劇場

平成の大合併で誕生した南アンタレス市初の女性市議会議員、黄川田鈴子は女性の社会進出の象徴として活躍していた実績をかわれ、引退する市長の後継指名を受け市長選へ出馬していた。しかし、鈴子は女性の社会進出の象徴といいながら、実際はきわめて男尊女卑的な言動を繰り返す、まさに「名誉男性」だった。
笑の内閣の次回作は、アパルトヘイト時代の南アフリカの名誉白人のごとく、男社会で男以上に女性差別を繰り返す名誉男性を笑うジェンダーフリーコメディー!


笑の内閣

2005年に京都で旗揚げ。実寸リングで本当にプロレスする芝居と時事ネタコメディを得意とする。
契約した劇場から内容が反社会的過ぎると上演拒否にあった際は、表現弾圧と戦うと称して識者やメディアとスクラムを組んで問題化したり、風営法問題を扱った芝居では初演に来場した国会議員から「法案改正の説得材料のために他の議員に見せたい」と招かれ、永田町公演を実現するなど、政治面は特に強さをみせている。CoRich舞台芸術まつり!2014春準グランプリ。

出演
中谷和代(ソノノチ)
熊谷みずほ
土肥希理子
石原正一(石原正一ショー)
諸江翔大朗(ARCHIVES PAY)
髭だるマン(爆劇戦線⚡和田謙二)
しゃくなげ謙治郎(爆劇戦線⚡和田謙二)
丹下真寿美
池川タカキヨ(ピルドレン)
神田真直(劇団なかゆび)
スタッフ

舞台監督:稲荷(十中連合)
音響:島崎健史(ドキドキぼーいず)
舞台美術:栗山万葉
演出補佐:余ティムラ
宣伝美術:脇田友
制作:渡邉裕史 新原伶(劇団なかゆび) 坪井梢
広報協力:吉岡ちひろ

フェスティバル/トーキョー『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』(作・演出:柴 幸男)@東京芸術劇場シアターウエスト 

フェスティバル/トーキョー『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』(作・演出:柴 幸男)@東京芸術劇場シアターウエス

キャスト
大石将弘 (ままごと|ナイロン100℃)
岡田智代
小山薫子
串尾一輝 (青年団)
鈴木正也
椿真由美 (青年座)
野上絹代 (FAIFAI|三月企画)
端田新菜 (ままごと|青年団)
藤谷理子
森岡光 (不思議少年)
 

作・演出
柴 幸男 (ままごと)

演出助手
きまたまき

舞台監督
山下 翼、高橋淳一

舞台美術
青木拓也

舞台美術補佐
濱崎賢二

音楽
柯智 豪 -Blaire KO-

音響
星野大輔 (サウンドウィーズ)

音響操作
反町瑞穂 (Sugar Sound)

照明
筆谷亮也

照明操作
しもだめぐみ、三嶋聖子


映像
鹿野護(WOW / 未来派図画工作)、曽根宏暢(東北工業大学)、稲垣拓也(WOW)、齋藤勇樹(WOW)

映像テクニカル
須藤崇規

衣裳
TRAN 泉

衣裳コーディネーター
林 秉豪 -Keith LIN-

空間構成 [エントランス]
安藤僚子 (デザインムジカ)

宣伝写真
Ivy Chen、濱田英明

宣伝写真ヘアメイク
鷲塚明寿美

宣伝美術
原田祐馬 (UMA / design farm)

記録
陳 冠宇 -Kuan-Yu CHEN-

字幕翻訳
クリス・グレゴリー

字幕翻訳監修
水谷八也

特設WEB編集
落雅季子(LittleSophy)

広報協力
ポーラ美術館

特別協力
急な坂スタジオ

協力
株式会社オポス、レトル、青年座青年団ナイロン100℃、スイッチ総研、FAIFAI、不思議少年、三月企画

制作
荒川真由子 (フェスティバル/トーキョー)、加藤仲葉 (ままごと)

制作統括
河合千佳 (フェスティバル/トーキョー)、宮永琢生 (ままごと|ZuQnZ)

台湾コーディネーター
新田幸生

インターン
グンナレ 更、小林春菜、林美沙希、山本茉惟

フロント運営
つくにうらら

主催
フェスティバル/トーキョー、一般社団法人mamagoto

新作歌舞伎・極付印度伝「マハーバーラタ戦記」@歌舞伎座

新作歌舞伎 極付印度伝「マハーバーラタ戦記」@歌舞伎座

平成29年度(第72回)文化庁芸術祭参加公演 
日印友好交流年記念
青木 豪 脚本
宮城 聰 演出

序幕 神々の場所より
大詰 戦場まで

今回演出を担当した宮城聰は自らが芸術監督を務めるSPACでも「マハーバーラタ」を上演、こちらはかつてピーター・ブルックが同作品を上演したアヴィニョン演劇祭の石切場跡地で上演され評判をよんだが、それと今回の作品はどちらも同じ叙事詩マハーバーラタの一部からテキストをとったとはいえ、まったく別の物語だ。
とはいえ、神々の導きにより、王族の一族の間の争いを戦記として壮大に描いた今回の物語は歌舞伎という古典芸能の上演形式とも極めて親和性の高いもので、今回の舞台も再演することに値するものであったが、ちょうどスーパー歌舞伎の「三国志」で次々と続編が上演されたように歌舞伎は新たな物語の鉱脈を堀り当てたのではないかと思った。

笑の内閣「名誉男性鈴子」(作・演出:高間響)@こまばアゴラ劇場

笑の内閣「名誉男性鈴子」(作・演出:高間響)@こまばアゴラ劇場

平成の大合併で誕生した南アンタレス市初の女性市議会議員、黄川田鈴子は女性の社会進出の象徴として活躍していた実績をかわれ、引退する市長の後継指名を受け市長選へ出馬していた。しかし、鈴子は女性の社会進出の象徴といいながら、実際はきわめて男尊女卑的な言動を繰り返す、まさに「名誉男性」だった。
笑の内閣の次回作は、アパルトヘイト時代の南アフリカの名誉白人のごとく、男社会で男以上に女性差別を繰り返す名誉男性を笑うジェンダーフリーコメディー!


笑の内閣

2005年に京都で旗揚げ。実寸リングで本当にプロレスする芝居と時事ネタコメディを得意とする。
契約した劇場から内容が反社会的過ぎると上演拒否にあった際は、表現弾圧と戦うと称して識者やメディアとスクラムを組んで問題化したり、風営法問題を扱った芝居では初演に来場した国会議員から「法案改正の説得材料のために他の議員に見せたい」と招かれ、永田町公演を実現するなど、政治面は特に強さをみせている。CoRich舞台芸術まつり!2014春準グランプリ。

出演
中谷和代(ソノノチ)
熊谷みずほ
土肥希理子
石原正一(石原正一ショー)
諸江翔大朗(ARCHIVES PAY)
髭だるマン(爆劇戦線⚡和田謙二)
しゃくなげ謙治郎(爆劇戦線⚡和田謙二)
丹下真寿美
池川タカキヨ(ピルドレン)
神田真直(劇団なかゆび)
スタッフ

舞台監督:稲荷(十中連合)
音響:島崎健史(ドキドキぼーいず)
舞台美術:栗山万葉
演出補佐:余ティムラ
宣伝美術:脇田友
制作:渡邉裕史 新原伶(劇団なかゆび) 坪井梢
広報協力:吉岡ちひろ

笑の内閣は様々な社会的な問題をコメディーに仕立てあげて上演している劇団。漫画・アニメの表現規制、クラブの深夜営業規制、ネット右翼のヘイト行為、原発事故被害に遇った福島への修学旅行などビビッドでありながら、単純に面白、おかしく取り上げることが困難な対象に果敢に斬り込んでいった。
今回選んだのは性差別の問題。昨今のように政治的な正しさ(ポリティカルコレクトネス)が重要視される世の中ではこうした問題への揶揄的な表現に少しでも差別の影が見えたというだけで最近あったテレビでの出来事のように袋叩きにされかねないような危険を孕んでいるが、その中で地方の市長選に立候補する女性候補の陣営を舞台にそれこそ政治的に正しくない言葉がここぞとばかりに飛び交う。そんな状況をどういう立場の人が見たとしても思わず「あるある」として笑えるコメディーに仕立てあげた高間響の手腕は相当のものだ。