下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

マレビトの会・フェスティバル/トーキョー18『福島を上演する』(2日目)@東京芸術劇場

マレビトの会・フェスティバル/トーキョー18『福島を上演する』(2日目)@東京芸術劇場

2018/10/25(木)〜28(日)


歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする

F/Tでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆、ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳優の身体の可能性を捉え直すものとしても注目を集めています。過去2回の公演で上演された戯曲は51編。その多くは一見なんでもない日常の断片を映し取った芝居ですが、そのことがむしろ、一戯曲一回のみの上演とも相まって、「上演されゆく福島」という特異性のある時間、空間を創出してきました。今回は4日間4回にわたって、8人の劇作家による戯曲群を上演します。歴史でもない物語でもない、一度しか起こらない上演=出来事を、私たちはどのように目撃し、受け止めるでしょう。

チラシはこちらから。

◇本作品は1公演につき、複数の書き手(アイダミツル、神谷圭介、草野なつか、島崇、高橋知由、松田正隆、三宅一平、山田咲)による複数の戯曲で構成されています。
◇4公演全体で1つの作品というコンセプトのもと、各回、上演される戯曲・構成が異なります。
◇日本語上演
◇『福島を上演する』は『長崎を上演する』(13〜16)から続く長期プロジェクトです。上演戯曲・構成および関連インタビュー等、ご観劇の参考にご覧ください。(『長崎を上演する』アーカイブ

○上演戯曲:
10月25日(木)19:30
父の死と夜ノ森(松田正隆
漂着地にて(高橋知由)
座標のない男(アイダミツル)
広告を出したい男(神谷圭介

10月26日(金)19:30
草魚と亀(島崇)
峠の我が家(草野なつか)
みれんの滝(アイダミツル)
アンモナイトセンター(神谷圭介

10月27日(土)18:00
画塾(神谷圭介
福島の海辺(三宅一平)
郡山市民(山田咲)
いつもの日曜日(草野なつか)

10月28日(日)14:00
ゆきもよい(島崇)
水無月(三宅一平)
標準時周辺より(高橋知由)
いわき総合図書館にて(松田正隆


○日時:
10/25 (木) 19:30
10/26 (金) 19:30
10/27 (土) 18:00
10/28 (日) 14:00

作:アイダミツル、神谷圭介、草野なつか、島 崇、高橋知由、松田正隆、三宅一平、山田 咲
演出:関田育子、寺内七瀬、松尾 元、松田正隆、三宅一平、山田 咲
出演:アイダミツル、生実 慧、石渡 愛、加藤幹人、上村 梓、桐澤千晶、酒井和哉、佐藤小実季、島 崇、田中 夢、西山真来、三間旭浩、山科圭太、弓井茉那、𠮷澤慎吾、米倉若葉
舞台監督:高橋淳一
照明:木藤 歩
宣伝美術:相模友士郎
宣伝写真:笹岡啓子
記録写真:西野正将
記録映像:遠藤幹大
制作:石本秀一、中村みなみ、三竿文乃、森真理子(マレビトの会)
   荒川真由子、新井稚菜(フェスティバル/トーキョー)
制作協力:吉田雄一郎(マレビトの会)
インターン:円城寺すみれ、小堀詠美、山里真紀子
協力:Integrated Dance Company 響-Kyo、青年団、テニスコート、フォセット・コンシェルジュ、レトル
企画:マレビトの会
主催:フェスティバル/トーキョー、一般社団法人マレビト

今はそういうのはあまりないが、以前はネットで画像などを見ると最初ぼんやりとしか見えていなかった画像が次第に解像度が増して鮮やかに見えてくるというようなことを経験したことがある。マレビトの会の舞台は見ていてそれと同じような感覚を思い起こすことがある。
 「草魚と亀」はそんなことを強く思わせる。最初何人かどこかの施設でエスカレーターに乗って、どこかの山頂に向かっているらしい人たちが現れる。という風に書いたが実は俳優が舞台上に現れた時点では何をしている人か分からない。舞台に手前側にある何かに向かって手を合わせる人が多数いるので、何かの慰霊施設なんだなというのは分かり、「福島を上演する」だから「東日本大震災の慰霊施設なのかな」と思いながら見続けていると舞台上手に陣取る男が「飯盛山へようこそお越しくださいました」とアナウンスをするためにそこが飯盛山という場所なのは分かるが、残念ながら現地の土地に不案内でその意味合いが焦点を結ぶことはその時点でなかった。
 やがて、そこから見えるもうひとつの高台らしき場所にあるものを指差しながら、鶴ヶ城というのを聞いて初めてここが白虎隊が自刃した地として知られる飯盛山であり、慰霊していたのも震災とはまったく無関係で歴史ファンなどの観光客による白虎隊に対してのものであるのが、了解されてくるのだ。
http://www.marebito.org/fukushima/text/fukushima18-sogyo.pdf
 ところが実はこの舞台では実は飯盛山だけではなく、鶴ヶ城天守閣から飯盛山を臨んでいた観光客も描かれ両者が対比されたようなのだが、私には観察力がなく、そこまでは気がつくことはできなかった。
http://www.marebito.org/fukushima/text/fukushima18-toge.pdf
「 峠の我が家」(草野なつか作)は物語の設定としてはさらに茫洋としている。陽香と年の離れたその妹であるまひるをめぐる物語ではあるが、二人の母親はすでに亡くなっている。その死は不在として現前しその原因は語られることはないけれど、どうやら震災で亡くなったのではないだろうかということは次第におぼろげに分かってくる。「福島を上演する」では震災のことも触れられはするが、それは直接描かれるというのではなく、何らかの不在ないし欠損として描かれないことで感じられることが多い。これは意図的にそうなっているというよりは被災地での被災者の震災の受け入れ方が、そうした形をとることが多いからだろうと思っている。
 そういう意味ではこうしたとりとめのない作品とは対照的に普通の演劇らしさを感じたのが「みれんの滝」(アイダミツル作)である。この作品において特徴的と感じられたのは石渡愛の演技である。マレビトの会の演技はだいたいにして、「棒読みのような平坦なセリフ回し」「会話の相手の顔を見て話すことがない」など現代口語演劇に見られるようなリアルさを意図的に排除して抽象性を強調していることだ。ところがこの「みれんの滝」では山岳雑誌のモデルをつとめる石渡愛の演技が彼女が立教大学において松田正隆の門下であったとともに平田オリザの主催する無隣館(第3期)の所属でもあり、平田流の現代口語演劇のフレージングと近いものとなっていたからだ。そして、彼女がある意味抑制を感じさせながら感情のこもった演技をすることで「みれんの滝」はほかの作品よりも感情移入しやすく芝居としては受容しやすいものになっていることは確かなのだが、問題はマレビトの会の方向性として本当にそういう演技を許容してもいいのかという疑問を感じさせられた。

マレビトの会・フェスティバル/トーキョー18『福島を上演する』(1日目)@東京芸術劇場

マレビトの会・フェスティバル/トーキョー18『福島を上演する』(1日目)@東京芸術劇場

2018/10/25(木)〜28(日)


歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする

F/Tでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆、ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳優の身体の可能性を捉え直すものとしても注目を集めています。過去2回の公演で上演された戯曲は51編。その多くは一見なんでもない日常の断片を映し取った芝居ですが、そのことがむしろ、一戯曲一回のみの上演とも相まって、「上演されゆく福島」という特異性のある時間、空間を創出してきました。今回は4日間4回にわたって、8人の劇作家による戯曲群を上演します。歴史でもない物語でもない、一度しか起こらない上演=出来事を、私たちはどのように目撃し、受け止めるでしょう。

チラシはこちらから。

◇本作品は1公演につき、複数の書き手(アイダミツル、神谷圭介、草野なつか、島崇、高橋知由、松田正隆、三宅一平、山田咲)による複数の戯曲で構成されています。
◇4公演全体で1つの作品というコンセプトのもと、各回、上演される戯曲・構成が異なります。
◇日本語上演
◇『福島を上演する』は『長崎を上演する』(13〜16)から続く長期プロジェクトです。上演戯曲・構成および関連インタビュー等、ご観劇の参考にご覧ください。(『長崎を上演する』アーカイブ

○上演戯曲:
10月25日(木)19:30 約140分(予定・休憩あり)
父の死と夜ノ森(松田正隆
漂着地にて(高橋知由)
座標のない男(アイダミツル)
広告を出したい男(神谷圭介

10月26日(金)19:30
草魚と亀(島崇)
峠の我が家(草野なつか)
みれんの滝(アイダミツル)
アンモナイトセンター(神谷圭介

10月27日(土)18:00
画塾(神谷圭介
福島の海辺(三宅一平)
郡山市民(山田咲)
いつもの日曜日(草野なつか)

10月28日(日)14:00
ゆきもよい(島崇)
水無月(三宅一平)
標準時周辺より(高橋知由)
いわき総合図書館にて(松田正隆


○日時:
10/25 (木) 19:30
10/26 (金) 19:30
10/27 (土) 18:00
10/28 (日) 14:00

作:アイダミツル、神谷圭介、草野なつか、島 崇、高橋知由、松田正隆、三宅一平、山田 咲
演出:関田育子、寺内七瀬、松尾 元、松田正隆、三宅一平、山田 咲
出演:アイダミツル、生実 慧、石渡 愛、加藤幹人、上村 梓、桐澤千晶、酒井和哉、佐藤小実季、島 崇、田中 夢、西山真来、三間旭浩、山科圭太、弓井茉那、𠮷澤慎吾、米倉若葉
舞台監督:高橋淳一
照明:木藤 歩
宣伝美術:相模友士郎
宣伝写真:笹岡啓子
記録写真:西野正将
記録映像:遠藤幹大
制作:石本秀一、中村みなみ、三竿文乃、森真理子(マレビトの会)
   荒川真由子、新井稚菜(フェスティバル/トーキョー)
制作協力:吉田雄一郎(マレビトの会)
インターン:円城寺すみれ、小堀詠美、山里真紀子
協力:Integrated Dance Company 響-Kyo、青年団、テニスコート、フォセット・コンシェルジュ、レトル
企画:マレビトの会
主催:フェスティバル/トーキョー、一般社団法人マレビト

マレビトの会「福島を上演する」はフェスティバル/トーキョーでこれまで3年連続で上演されてきたが、今年がこの企画としては最終年度となる。
 マレビトの会としての上演・演技のスタイル(様式)にある種の方向性はもちろんあるのだが、複数の作家(戯曲執筆者)、演出家によるグループ創作の形式をとっているために個々の作品そのものは作風は一定ではなく、一定以上の多様性を備えたものともなっている。とはいえ、これまで私の見てきた舞台からすると書き手が実際に福島を訪問して、そこで見聞きしてきたものから創作するという創作上のルールからか、淡いスケッチ風の作品が多かったのだが、今回の1日目の演目では冒頭の「父の死と夜ノ森」(松田正隆作)はひとりの男が臨終を迎えるのを待つ病院での家族のシーンからはじまり、カラオケで欅坂46の「サイレント・マジョリティ*1を歌う女子高生のスケッチ、後半では連続殺人犯を登場させるなど単純なスケッチというよりはそれまで「~を上演する」のシリーズではあまりなかったような松田正隆作品らしい虚構性の色濃いドラマチックな作品となっていたのではないか。

www.youtube.com


http://www.marebito.org/fukushima/text/fukushima18-titinoshi.pdf

 その一方では短い休憩を挟んでの残りの3本はこれもそれぞれ色合いは違うが、スケッチ色の強い作品。「漂着地にて」(高橋知由作)は浜に打ち上げたらしいクジラを計測する3人の男女と海岸に流れ着く漂着物を拾うワークショップに参加している人たちのそれぞれのスケッチ。実はこの2つの場面にはタイムラグ(時間差)があるのだが、作品が始まってもそのことははっきりとはせずにシーンの最後の方でそのことが明らかになるという構造となっている。
 マレビトの会は舞台に対して自由な創造を許す範囲を普通の演劇よりは広く取っている半面、提示される事象についてのディティールをあまりすることがないため、それがどういうことなのかがよく分からない場合も出てくる訳だが、この日見た作品で一番そういう要素が強いのが「座標のない男」(アイダミツル作)である。最初、近所の子供と遊ぶ少年とその母親のシーンが出てくるが、これがいずれも外国人。そういう場所の話かなと思ってみていると次のシーンは何の説明もなく日本人だけが登場する普通の日本の情景のスケッチになっている。この場合、そこにこそマレビトの会の真骨頂があるとも考えられるが、結局この米国人の話と日本の話のシーン同士がどういう関係にあるのかはよく分からない。
 「広告を出したい男」はさらに不条理臭が強い。トイレに閉じ込められた高校生が「科学館の村上康介は既婚者でありながら、女性職員と不倫関係にある」という告発の広告を出したいと外にいる男に相談するというたわいのない話だ。神谷圭介はテニスコートというコントグループのメンバーでコント作家でもあるけれど、そういう人が作家として参加しているのもマレビトの会の懐の深さだ。おそらく、この台本にはナンセンスなところが随所にあり、笑いがとれるコントとして上演することも可能なテキストだとは思われるが、コントでも不条理劇でもないいわく言い難い鵺のような舞台として上演されているのもマレビトの会ならではといえるのかもしれない。
simokitazawa.hatenablog.com
  
 

*1:マレビトの会の棒読みのような発話と合わせたようにやる気のなさそうな感情のまったく入らない歌い方で「サイレント・マジョリティ」を歌うシーンはある意味今回の「福島を上演する」でもっとも衝撃的といえた。それにしてもなぜ「サイレント・マジョリティ」なのだろう?

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT第89夜『(生)ももいろフォーク村 第89夜 僕らの音楽』@フジNEXT

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT第89夜 『(生)ももいろフォーク村 第89夜 僕らの音楽』@フジNEXT

セットリスト
M01:Do You Wanna Dance? (HEAVEN/ザ・ビーチ・ボーイズ)
M02:全力少女 (HEAVEN/ももクロ)
M03:未来へススメ! (HEAVEN/ももクロ)
M04:あの空に向かって (HEAVEN/ももクロ)
M05:DNA狂詩曲 (HEAVEN/ももクロ)
M06:労働讃歌 (HEAVEN/ももクロ)
M07:走れ! (HEAVEN/ももクロ)
M08:ピンキージョーンズ (HEAVEN/ももクロ)
M09:Chai Maxx (HEAVEN/ももクロ)
M10:猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」 (HEAVEN/ももクロ)
M11:ドゥ・ユ・ワナ・ダンス? (HEAVEN/HEAVEN)
M12:天国のでたらめ (ももクロももクロ)
M13:星空のディスタンス (村長&ももクロ&DYWDメンバー/THE ALFEE)
M14:けんかをやめて (あーりん/河合奈保子)
M15:ZOO (しおりん/川村カオリ)
M16:一本道 (夏菜子/友部正人)
M17:悪女 (れに/中島みゆき)
Go!Go!BAND GIRLZ
M18:泣いてもいいんだよ (BAND GIRLZ/ももクロ)
M19:あんた飛ばしすぎ!! (ももクロももクロ)
M20:WE ARE BORN (ももクロ&DYWDメンバー/ももクロ)

アンコール「坂崎幸之助のフォーク村」
M1:さんま焼けたか (村長/斉藤哲夫)
M2:旅の宿 (村長/吉田拓郎)
M3:ぼくのそばにおいでよ (村長/加藤和彦)
M4:ノーノーボーイ (村長/ザ・スパイダース)
M5:鎮静剤 (村長/高田渡)
M6:主婦(かあちゃん)のブルース (村長/高石友也)

前半部分はミュージカル「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス? 」に登場したアイドルグループHEAVENが登場。実際の舞台では後方の客席だったこともあり、ダンスのフォーメーションなどは鑑賞できて楽しめてもももクロ以外のメンバーの表情などは分からなかったから、映像ソフトが出るのを心待ちにしていたが、その前にこういう機会を作ってくれたのが非常に嬉しかった。
 HEAVENはももクロのメンバーが演じているのだけれど、ももクロと重なり合うことはあってもももクロとは別のグループだ。今回の放送を見た人で「ももクロのパロディ」と書いていた人がいたが、これは最初9人いたメンバーが次第に減っていって最後に4人になるなどももクロの存在を下敷きにしているところはあっても決してももクロのパロディなどではない。川上アキラマネージャーの存在しなかったパラレルワールドももクロとはまったく別のコンセプトで設立されたグループなのだ。ももクロと同じ楽曲を歌って、似たような振付を踊ってはいるが、ももクロ以外のメンバーはもちろんももクロもHEAVENとしてももクロとは違うパフォーマンスを演じているのが面白い。

宮城聰×百田夏菜子×本広克行 トークイベント「文化芸術都市 TOKYOの未来」@東京芸術劇場 プレイハウス

トークイベント「文化芸術都市 TOKYOの未来」@東京芸術劇場 プレイハウス

出演:百田夏菜子ももいろクローバーZ)、本広克行、宮城聰、小池百合子
司会:中井美穂

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「文化芸術都市 TOKYOの未来」は、東京2020オリンピック・パラリンピック大会に向けて、さまざまな文化プログラムを展開する「Tokyo Tokyo FESTIVAL」の一環として開催されたトークショー

 “演劇”というテーマを共通項に、「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」でミュージカル作品に初挑戦したアイドルの百田夏菜子ももいろクローバーZ)、同作の演出を手がけた本広克行、東京芸術祭の総合ディレクターを務める宮城聰(SPAC芸術総監督)、小池百合子都知事が参加、東京の芸術文化についてのトークを繰り広げた。司会は中井美穂が担当。

トークの内容自体は大したものではないといえなくもないのだけれどももクロのリーダーである百田夏菜子と宮城聰がこの日同じ壇上に上がったということはある種の感慨を覚えることだった。というのはやはり壇上に上がった本広克行が映画と舞台の「幕が上がる」によってまず平田オリザももクロを結びつけたのだが、私はそれ以前に「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」という論考を書いて、そこで宮城聰の提唱する「祝祭としての演劇」とももクロとの深い関連性を論じていた
*1からだ。
 実は興味深かったのは「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」の第2部として論考「演劇とももいろクローバーZ*2を書き、こちらの最後は鈴木聰が脚本を担当したミュージカル「阿国」で締めくくっている。鈴木が「ドュ・ユ・ワナ・ダンス?」の脚本を担当したことやパンフの対談のなかで「阿国」とももクロとのイメージが重なると自ら話していることなど、4年以上の歳月をへて当時の見通しが現実として実ってきていることなどもあり、私の見方も捨てたものではなかったかもと思い始めているのだ。それでも20年近く見てきた平田オリザももクロと組むことを見破れなかったのは痛恨であった。
simokitazawa.hatenablog.com
 

病院に検査入院(10月11日~24日)

病院に検査入院(10月11日~24日)

朝日生命成人病研究所附属病院(浅草橋)に検査入院(10月11日~24日)。期間中観劇もライブ参戦もできませんが、症状の思い病気というわけではないので、基本的に検査以外のときは暇です。近くにいて暇な人は面会可能ですので以下のアドレス(simokita123@gmail.com)あるいはツイッターなどに連絡していただけるとありがたいかも。
 入院中手持ち無沙汰だったので、ひさびさにミステリ小説を読み出している。最初に読んだのがカーター・ディクスン「九人と死で十人だ」。小説だが、不可能状況もありカーらしい作品とは言える。

革命アイドル暴走ちゃん 国内公演2018・秋!『暴走桜』@しもきた空間リバティ

革命アイドル暴走ちゃん 国内公演2018・秋!『暴走桜』@しもきた空間リバティ

此処は天下の暴走ちゃん! 革命砲火の真っ只中! アイツもコイツも皆で集まれ
チャンチャン★バラバラジャポネスク!
のべつまくなし丁半博打っトン!ナン!シャー!ペー! いー!ある!さん!すー!
群雄割拠の満員御礼 大胆無敵にハイカラ革命 末は女郎か火炙りか。
一宿一飯 忘れやしねぇぜそのご恩。
貴方に捧げるローマーンース!

とーこの生首欲しけりゃおいで 暴走桜で待ってるよ。
男の仁義か 女の意地か 皆で一緒に大団円!(ヘイ)

※尚、今回は火気・水・ナマモノなしのイージーモードです!<音楽・構成・演出> 二階堂瞳子<キャスト>
江花明里
小林ありさ
出来本泰史
以上、革命アイドル暴走ちゃん

犬吠埼にゃん(大江戸ワハハ本舗・娯楽座)
折原啓太(劇団回転磁石)
河野里咲子(ででっぽ)
近藤瑛里
佐戸彰悟(劇団ひまわり
椎葉 菜々恵(ハルベリーオフィス)
菅木まほ(劇団こめの子)
千葉 慧(しもっかれ!)
ちょんかな
遠田風馬
中井宏美
那須野綾音(アルファベットプロモーション)
ぼたもち
丸橋結美(法政大学Ⅰ部演劇研究会)
水森あんり
茂原里華
和釜まこと<日程>
2018年10月10(水)~14日(日)
10日(水)19:30
11日(木)19:30
12日(金)19:30
13日(土)14:00/19:30
14日(日)13:00/17:00
受付開始:開演40分前
開場:開演20分前※変更の可能性あり<劇場>
しもきた空間リバティ
〒155-0031 東京都世田谷区北沢2丁目11-3 4F イサミヤビル4F

<アクセス(交通手段)>
京王井の頭線小田急下北沢駅南西口より徒歩5分

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 革命アイドル暴走ちゃんはアニメ、ボカロ、アイドル曲などをノンストップでかけまくる音楽に乗せてオタ芸を始めはげしい激しい動きで踊り続ける。
 今回は表題「暴走桜」から分かるようにボカロ曲の「千本桜」がテーマ曲。音楽は次から次へと流れ去るようにつながっていくなかで、この曲だけはアレンジを変えて何度も繰り返される。
 最新のサブカルを積極的に取り入れているみたいに感じていたのだが、今回気がついたのは実は作品中で流されている曲は新しいものというより、少し前のものが、多いのではないかということだった。
 これは知らない曲も数多く入っているので、絶対にそうだといいにくいのだが、「涼宮ハルヒの憂鬱」から「ハレ晴れユカイ」がはいっていたり、こちらはけっこう最近といえば最近だが「ようこそジャパリパークへ」も入っていた。一方、アイドル曲はいずれも断片に近いがももクロが「だってあーりんなんだもん」と「Chaimax」の2曲が入っていたのは嬉しかった。
 「ハレ晴れユカイ」などはバナナ学園時代からやっていた曲で最近の若者がどの程度知ってるのかと気になったりもするのだが、海外公演も多いから海外受けするものを選んでいるのかもしれない。
  

ラシッド・ウランダン(フランス)『TORDRE(ねじる)』(2014)@スパイラルホール

ラシッド・ウランダン(フランス)『TORDRE(ねじる)』(2014)@スパイラルホール

公演日時
10/6 Sat 19:00
10/7 Sun 16:00
※上演時間 約70分
※開場は開演の30分前
会 場
スパイラルホール
※12歳から入場可
ミュージカル映画『Funny Girl』の音楽とともに始まる、遊び心のある冒頭部。催眠的・瞑想的な雰囲気が舞台を包み込み、ダンサーのムーヴメントと、彼女たちの身体の親密な物語が繊細に描かれる。
コンセプト・振付:Rachid OURAMDANE
出演:Annie HANAUER & Lora JUODKAITE
照明: Stephane GRAILLOT
美術: Sylvain GIRAUDEAU
製作: CCN2-Centre choregraphique national de Grenoble – Direction Yoann Bourgeois and Rachid Ouramdane
共同製作: L’A./Rachid Ouramdane, Bonlieu – Scene nationale d’Annecy, la Batie – Festival de Geneve dans le cadre du projet PACT beneficiaire du FEDER avec le programme INTERREG IV A France-Suisse
協力: Musee de la danse, Centre choregraphique national de Rennes et Bretagne
作品制作助成: Ministere de la culture et de la communication/DRAC Ile-de- France dans le cadre de l’aide a la compagnie conventionnee et de la Region Ile-de-France au titre de la permanence artistique.

共催:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
助成:アンスティチュ・フランセ パリ本部

The CCN2 is financed by Drac Rhone-Alpes/Ministere de la culture et de la communication, Grenoble-Alpes Metropole, Departement de l’Isere, Region Auvergne-Rhone-Alpes and supported by Institut francais for international tour.

vimeo.com

Dance Performance | Loreta Juodkaite | TEDxVilnius
 まるでフィギュアスケートのような高速回転がLora JUODKAITEのムーブメント(動き)の特徴。一方、Annie HANAUEは滑らかな動きがそのことを感じさせないが、左腕が義肢のダンサーだ。舞台上にはT状になっていて横バーが回転するキネティックアートのような舞台装置が左右2種類配置されている。幾何学的に回転するダンサーLora JUODKAITEが自分の過去を語り、逆に義肢にまつわる何かの過去がありそうなAnnie HANAUEは舞台上ではそのことは一切口にせずというか、言葉はいっさいなしで踊る。
 個性のまったく異なる2人の女性ダンサーへのあてがきのようにも見えるそれぞれの振付が全く対象的でありながら、時にはシンクロして見えるのが面白い。

木野彩子 レクチャーパフォーマンス『ダンスハ體育ナリ?』@ ゲーテ・インスティトゥート 東京ドイツ文化センター

木野彩子 レクチャーパフォーマンス『ダンスハ體育ナリ?』@

ゲーテ・インスティトゥート 東京ドイツ文化センター

其ノ一 体育教師トシテノ大野一雄ヲ通シテ(2016)
其ノ二 建国体操ヲ踊ッテミタ(2018)
公演日時
10/6 Sat 15:00
10/7 Sun 12:00
※上演時間 約150分(休憩あり)
※ホール内に資料を展示いたします。開場は開演の45分前に変更させていただきます。
会 場
ゲーテ・インスティトゥート 東京ドイツ文化センター
※4歳から入場可
日本では体育の一環として教えられているダンス。健康のために音楽に合わせて清く正しく美しく。其ノ一では女子体育の歴史と大野一雄を、其ノ二では1940年幻の東京オリンピックと体操の大流行をもとに、元中高保健体育教師、ダンサー・大学講師の木野が、体操とダンス、そしてスポーツとの違いをレクチャーとパフォーマンスにより明らかにする。
其ノ一 体育教師トシテノ大野一雄ヲ通シテ
構成:木野彩子
出演:林洋子、木野彩子
初演:Dance Archive Project 2016 (2016 BankART Studio NYK)

其ノ二 建国体操ヲ踊ッテミタ
構成/出演:木野彩子
初演:Dance Archive Project 2018 (2018 明治神宮外苑聖徳記念絵画館)

作品企画制作:NPO法人ダンスアーカイヴ構想
協力:大野一雄舞踏研究所,NPO法人ダンスアーカイブ構想,鳥取大学地域学部附属芸術文化センター

 体育とダンスの関係を考察した木野彩子のレクチャーパフォーマンス。木野は横浜ソロ&デュオコンペと受賞者関連公演で見たことがあったが、それも相当以前のことで最近姿を見ない。海外にでも行ったかなと思っていたら筑波大大学院をへて、鳥取大学地域学部 附属芸術文化センターの講師を務めているということらしい。
 日本の戦前の体操やダンス(舞踊)の歴史のレクチャーであり、特にそうした歴史について興味がない人が見て作品として面白いものなのかは微妙なところで、今回のDNAにはダンスプログラムの1つとして入っているが、本来はフェスなどでは関連プログラムとしてレクチャーとして開催される内容だと思われた。「建国体操ヲ踊ッテミタ」という2本目のレクチャーのように最近、研究者が再発掘した「建国体操」というものを皆で一緒に踊ったり、踊ってみせたりと内容を立体化して分かりやすく紹介しているのはレクチャーとしては珍しく、面白いと思った。

アニメ「アトム・ザ・ビギンニング」@ニコニコ動画

アニメ「アトム・ザ・ビギンニング」@ニコニコ動画

atom-tb.com
アニメ「アトム・ザ・ビギニング」を面白かったので動画サイトで1~9回まで一気に見てしまったのだが、今気がついたのだが総監督、本広克行さんだったのね。原作の漫画手塚治虫の「鉄腕アトム」を原作に若き日のお茶の水博士と天馬博士とアトム誕生までの物語を描いた。とはいえ、「機動警察パトレイバー」のゆうきまさみがコンセプトワークに参加、作画をカサハラテツロ―が手掛けたこともあり、「PLUTO」のような哲学的な重厚さはやや薄いけれどもメカニカルの描写や工学的な考証のリアリティーなどにおいては同じく「鉄腕アトム」を原作にリメイクした浦沢直樹PLUTO」とは大きく異なるものとなっている。
 

ルーシー・ゲリン/Lucy Guerin Inc(オーストラリア)『SPLIT』(2017)@スパイラルホール

ルーシー・ゲリン/Lucy Guerin Inc(オーストラリア)『SPLIT』(2017)@スパイラルホール

公演日時
10/3 Wed 20:30
10/4 Thu 20:30
※上演時間 約50分
※開場は開演の30分前
会 場
スパイラルホール
※16歳から入場可
人生を例えているかのような時空の中で、二人のダンサーが互いに関わりあいながら、自己と他者との間に生まれるジレンマを映し出す。オーストラリアで最も果敢なダンスカンパニーによる刺激的で示唆に富んだ秀作。

振付: Lucy GUERIN
出演: Melanie Lane,Lilian Steiner
音楽: SCANNER
照明: Paul LIM
衣裳: Harriet OXLEY
音響: Robin FOX
協力: City of Melbourne through Arts House
Lucy Guerin Inc is supported by the Australian Government through the Australia Council for the Arts, its arts funding and advisory body; the Victorian Government through Creative Victoria’s Organisation Investment

白いテープが張られて正方形に区切られた空間に2人の女性ダンサーが現れる。ひとりは着衣であり、もうひとりは裸体であるが、作品が始まってしばらくの間、2人のダンサーはシンクロして全く同じ動きで踊る。最初の部分のダンサーの動きはシンプルかつエレガントで「FASE」とか初期のケースマイケルの作品を連想した。
 ただ、面白いのは裸体という仕掛けを舞台に登場させたことで、ローザスとは全然違ういろんなことを舞台を見ながら考えざるを得なくなるのが面白い。ダンスとは思考でもあるんだということを再認識した。
 ここからは私があくまで感じた感じで、こういうのは人によって大きく異なることになるのかもしれない。裸体のダンサーが肉感的というよりはすらっとした均整のとれた姿態をしていることもあるのだろうが、裸体というのは絵画によるデッサンでもそんなことがあるが、意外とオブジェ的にしか見えない。