下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

論考「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」

第1部「ダンスとしてのももクロ

ももいろクローバーZももクロ、以下ももクロと省略)は5人の女性によるアイドルグループである。柴咲コウ北川景子ら有名女優・俳優を多数かかえる大手俳優事務所スターダストプロモーションに所属するタレントの卵たち*1の育成訓練の一環としてこのプロジェクトは始まった。
グループ名の「ももいろクローバー」は「ピュアな女の子が、幸せを運びたい」という意味を込め、メンバーの一人である百田夏菜子の母親が考えたという。なんとも牧歌的なエピソードだが、当時週末に何度か代々木公園のけやき並木通りでやられていた路上パフォーマンスの光景は動画配信サイトなどにも登録されてその様子を今でも見ることができる。それが決して「大手事務所が社運を賭けてスタートさせたアイドル育成プロジェクト」などではなかったことは当時の路上ライブの内容を見ればすぐにうかがい知ることができる。

インディーズでのCDデビュー、休日のETC1,000円を利用し川上アキラマネジャー自らが運転するワゴン車に乗っての全国のヤマダ電機を回るツアーを通じてグループは次第に成長していく。2010年にはユニバーサルと契約して「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビューを果たす。その後、キングレコードへの移籍や早見あかりの脱退、それにともなう「ももいろクローバーZ」への改名をへて、11年半ば以降、急速にそのファン層を拡大させていった。結成当初からの目標だった紅白歌合戦にも2年連続で出場。ライブ会場も横浜アリーナさいたまスーパーアリーナから西武ドーム日産スタジアムと拡大の一途をたどり、ついには14年3月女性アイドルグループとして初めて2日間11万人以上を動員した国立競技場でのライブも成功させた。その後には14年7月26・27日の2日間で14万人を動員した2度目の日産スタジアムライブも続き、その快進撃はとどまるところを知らない。
路上でどちらかというと平凡に見えるパフォーマンスを演じていた少女たちが、スタジアムを超満員の観客で埋め尽くす人気グループへと急成長できたのはなぜだろう。成功への道のりはどこかできすぎた物語のようでもある。数多く存在するアイドルグループの中でなぜ彼女たちが成功を収めることができたのか。それは大きな謎ともいえる。偶然の出来事の積み重ねのようだが、その道程を詳細に眺めると、そこには偶然だけではかたづけられない摂理のようなものが感じられる瞬間もある。果たして、ももクロとは何であるのか。そのパフォーマンスの魅力の源泉は何なのか。論考ではそのことについて考えていきたい。

「全力パフォーマンス」とは何か?

ももクロのライブパフォーマンスはその特徴を称し「全力パフォーマンス」と呼ばれることが多い。それは間違いではないが、一方で他のアイドルのファンたちからは「全力というならAKB48モーニング娘。もアイドルは皆全力だ。全力はなにもももクロだけの専売特許ではない」との反論も返ってくる。私はAKBなど他のアイドルの事情に詳しいわけではないが、パフォーマンスに入れ込んで過呼吸を起こして倒れる前田敦子大島優子らの姿をドキュメンタリー映像で見れば、AKBファンの言う「全力はももクロだけではない」との指摘にも一理はあるように思われてくる。モノノフの多くも、なにかもどかしい思いを心中に抱きながらもそうした主張に対し反論しづらく感じてきたのではないだろうか。「アイドルは皆一生懸命(=全力だ)」論にそれなりの説得力はあるということだろう。それでは同じ「全力」なら、それぞれのパフォーマンスには質的な違いはないのだろうか。
ここではまず最初にももクロのパフォーマンスは他のアイドルのパフォーマンスと同じではなくももクロだけが持っている「全力」の内実があるのだということをを明らかにしていきたい。そして次にそれがほかの多くのグループのパフォーマンスとももクロのそれに大きな差異を生み出していることを示していく。さらにももクロの「全力パフォーマンス」がアイドルの世界を超えて、2010年代(ポストゼロ年代)以降に主として舞台芸術の領域に現れたパフォーマンスと多くの共通項を持つこと。それこそが震災後の閉塞した世間の雰囲気の中で待望されていたもので、そこにももクロ登場の大きな意味があった。それを以下の論考で順次明らかにしていきたいと思う。
これまで「演劇舞踊評論家」の肩書きで雑誌やネット媒体などを中心に主としてパフォーミングアートについての批評を執筆してきた。それゆえ、あらかじめ断っておくが、アイドルに関しては全くの門外漢だ。年が分かってしまうが、若いころには山口百恵をはじめ、薬師丸ひろ子らへのファン歴はあり、特に斉藤由貴は映画、テレビにとどまらず、ライブに出かけた経験もある。ここ最近はすっかり遠ざかり、せいぜいメディアアートへの接近を見せるPerfumeや各分野の批評家が相次ぎそのシステムについて論じているAKB48についても少しだけ興味を持ち、先ほど挙げたドキュメンタリーをはじめいくつかの映像を見てみたがその程度だった。
ぎりぎり状態のももクロメンバーの身体が醸しだす「切実さ」
そんな私がももクロにはついには長編論考を書いてしまうほどのめり込んでしまったのは観客のコールと一体になった一体感のあるライブの映像(2011年に開催された「男祭り」「女祭り」のDVDだった)を見たことがきっかけだった。演劇やダンスに関する批評活動を続けているのは若い時にいくつかの劇団による本当に奇跡としか思えないような瞬間を劇場で経験したことがあったからだ。映像を通してのものながらも、その時にももクロから感じた衝撃はかつて演劇やダンスで味わった奇跡の瞬間と比較してもなんら遜色のないものだった。そしてそれ以降にどんどんそのパフォーマンスに魅せられていったのは単にパフォーマンスが素晴らしいというだけにとどまらずポスト3・11の世間の閉塞感を吹き飛ばすかのように「この時・ここ」にあたかも救いの神のように待望していたものが現れたと感じられたからでもあった。
ファンの間で「伝説」と言われている「Zepp Tokyo 第3部」(2011年7月4日)の映像をぜひネットの動画などで見て確認してみてほしい。Zeppツアーのファイナルとして2時間がっつりライブ×3回つまり計6時間歌い続けたももクロのパフォーマンスには身体が極限に追い込まれたなかで技術による制御を超えた「切実さ」がたち現れてきている。

Zepp Tokyo 第3部」(2011年7月4日)
あるいはこちらはまだももいろクローバー時代のパフォーマンスだが、神聖かまってちゃん*2との対バンライブ「HMV THE 2MAN」で見せた7曲→5曲連続ノンストップでのライブにもすでにそうした「切実さ」が垣間見える。

 私が最初にその映像を見てその虜になったのは有安杏果が体調不良に襲われた「女祭り2011」の映像だった。ここではぎりぎりの状態に置かれたももクロのメンバーの身体が醸しだす「切実さ」がライブ会場の観客に伝わり、極限を超えた頑張りが会場内の熱狂を煽り、そこに他では見られないような祝祭空間を生み出していく様子を今でも映像を通して目にすることができる。
ももクロのデビュー初期に多数の楽曲を提供しその方向性を決めた前山田健一ヒャダイン)はギリギリ出るかどうか限界に近い、あるいは限界を超えた音域であえて歌わせていた。これはアイドルが魅力的であるためにはうまく歌うことよりも限界ぎりぎりでのせめぎあいから出てくるような「切実さ」の方が重要だと考えていたからだ。振付家の石川ゆみも歌うためにはきついような振付であえて踊らせることなど「負荷をかける」方法論の効能については随所で語っており、そこから出てくる「切実さ」にももクロの魅力の源泉がある。 
まず確認しておきたいのはももクロに限らずアイドルの舞台(ライブ)というのは楽曲(歌)だけにとどまらずにダンス、衣装、特に最近は映像、場合によっては演劇の要素も取り入れた総合芸術であることだ。総合「芸術」という言葉が引っ掛かるのであれば総合エンターテインメントと言い替えてもいい。だからももクロのライブも当然、総合エンターテインメントだ。総合エンターテインメントには様々なジャンルがあり、演劇の一部もそうである。そして、総合エンターテインメントの典型例としてブロードウエーミュージカルに代表されるアメリカのショービジネスの舞台がある。「しょせんアイドル」などと舞台関係者がアイドルを下に見る風潮はまだ強いのだが、土俵が違うだけで、私は日本特有のアイドルというジャンルには決して侮ることのできない水準の高さがあると考えている。
ももクロのダンスは「下手」なのか?
ももクロを例にとり具体的に検証していきたい。ネット上などの言説ではももクロのダンスや歌は「下手である」というのが定説となっている。実はそうではないということをこれから実証していく。ダンスにおいて「うまい」とは何を意味するのだろう? 西洋での伝統的なダンスの考えからすれば「うまい」とは「完璧な技術による完璧な身体のコントロール」であるということが一応できる。その基準に当てはめればももクロのダンスは下手に見える。
 世界で最高の水準とは言い難いのは例えばバレエダンサー、シルヴィ・ギエム*3のダンスと比べてみれば一目瞭然だ。ギエムのダンスは「完璧な技術による完璧な身体のコントロール」の実例である。興味を持った人はその映像のいくつかを動画登録サイトで見ることができるので、ぜひ検索して確かめてみてほしい。
そんなことは当たり前じゃないかという人は当然いるだろう。アイドルグループで比較してくれという人が思い浮かべやすい「うまい」とされているダンスには例えばEXILEや少女時代のグループダンスがある。そうしたグループのダンスは一糸乱れずという感じでユニゾンがきちんとそろっていて、素人目にも高い技術を感じさせる。そのため「ももクロは同じアイドルグループの××と比べてダンスも歌も下手だ。全然そろってないし」などと言われることも多いのだが実はそこには大きな錯誤がある。
ももクロのダンスは5人だから、同じような振りで動けば一見ユニゾンのようにも見える。だがそれは決してバレエのコールドバレエやミュージカルの群舞のようなものではない。バレエに例えるならばそのダンスは5人のソリストが同時にアンサンブルを踊るような風になっている。その動きはソロダンスに近く、ひとりひとりの個性がはっきり出ている。ももクロではデビューに近い時から振付を担当するのが石川ゆみ(ゆみ先生)に固定されていて、あたかも振付家とその振付家と同志的な関係にあるダンサーにより構成されたダンスカンパニーみたいに強い絆がメンバーと彼女の間には結ばれている。振付を担当する石川も長年のメンバーとの付き合いからメンバーごとの個性に合わせた振付を振りつけていることが多い。
これを象徴するのが他のメンバーの倍以上の激しさを見せると言われた高城れにの動きである。振付を担当する石川ゆみがラジオ番組「ソラトニワ 銀座 BODYSLAM BOYS」(2013年4月20日)出演の際に高城のダンスに対して「最初はそれをほかのメンバーとそろえようとして結構直していたのだけれど直らなかった。でも直らないのも面白いなと思った。そのままやっていたら、そのダンスを見ている観客に笑いが起こったりして、それは幸せな空間だなと思った。川上さんもこれはうちの色だからなるべく生かしていこうということになった」と証言している。
実はこの時に高城れにのダンスを他のメンバーのダンスに合わせて直さなかったことがももクロのダンスを他のグループと差別化する大きな分岐点になったのではないかと考えている。高城だけではなく、その他のメンバーも例えば有安杏果EXILEのダンス学校、EXPG(EXILE PROFESSIONAL GYM)で培ったヒップホップ系の技術を生かしたキレのある動き、佐々木彩夏=バレエ経験を生かしたダイナミックでありながら柔らかな動き、百田夏菜子=新体操の経験を生かしたえび反りジャンプに代表されるアクロバティックな動き、玉井詩織=器械体操で培った柔軟性と強靭な筋力などそれぞれが持つ個性を生かして踊り方に違いがある。これが同じ振付を踊ってもそれぞれに異なる動きを生じさせる。それが次第に激しい動きが繰り返される振付のなかで、鍛えられていった結果、5人の動きがアンサンブルでありながら、それぞれに自由奔放なももクロ特有のスタイルが生まれていった。
 こういうことはダンスの振付を個々のパフォーマーの動きよりもメンバーの配置(フォーメーション)で考えるような多人数のグループではほぼない。個性に合わせて振りを変えるといってもまず前提として個性を支える技術は必要だ。私の知る限り比較できそうなのはPerfumeのメンバーと振付家MIKIKOとの関係ぐらいであろうか。
先に挙げたEXILEや少女時代、あるいは多くのジャニーズ系のグループがそうであるように通常はアイドルやそれに類するダンス&ボーカルユニットの振付はジャズダンス系かヒップホップ・ストリートダンス系を基礎とした振付が主流なのだが、ももクロの場合はそれにいろいろな他の分野の動きの要素が挿入されていわば渾然一体となって構成されている。その原型と言っていいのがビートたけしのギャグ「コマネチ」のポーズで知られるももクロ初期のカバー曲「最強パレパレード」への振付かもしれない。「コマネチ」は実は石川ゆみが振り付けたものではない。もともとはここにはもっと可愛いアイドル風の振りが入る予定だったのをももクロのメンバーが休憩時間に遊んでいてノリで入れていたのを面白いからと採用することになったものだ。さらに他のメンバーは面白いからと賛成したのに対し、アイドル志向の強かった佐々木彩夏(あーりん)だけは「やりたくない」と駄々をこねたこともファンの間にはよく知られるエピソードだが、ここで重要なのはももクロの振付ではおそらくそれ以降アイドルの振付だからこうしないといけないというような固定概念が崩れて、面白ければ何でもありの世界になっていったと思われることだ。なかでも極端なのはChai Maxxでここではプロレスラー武藤敬司*4の決めポーズからビリーズブートレグキャンプ*5からドリフターズのひげダンスの引用まで1曲のダンスの動きのなかにこれでもか、これでもかといろんな要素の動きが盛り込まれている。
バレエやヒップホップといったジャンルダンスにはそれぞれに固有の動きやステップがあり、それはそれぞれのダンスの固有の歴史の中で構築されてきたが、米国のトワイラ・サープらポストモダンダンスといわれる振付家ではそうした固有の文脈以外の広範な動きを自由に動きに組み入れて、構成していくような振付がでてきた。そうした動きを受けてコンテンポラリーダンスでは日常のなかでのちょっとした仕草などさまざまな動きを振付に組み入れて自由に組み合わせることが行われた。石川ゆみによるももクロのダンスの振付は方法論に対して意識的だったかはともかく、珍しいキノコ舞踊団*6イデビアン・クルー*7など90年代以降の日本のコンテンポラリーダンスで多用されてきたサンプリングの手法をアイドルのダンスに応用しているようなところがある。ももクロメンバーがMCを務めたNHKEテレ「ワンセグ開発」にダンス作品を取り入れた番組企画が参加したことがあり、その時に記憶は定かではないが、「ももクロのダンスはどんなダンスか?」と聞かれて、答えに窮してコンテンポラリーダンスと答えた場面があった。この答自体はよく分かっていなくて、答えていると思うが、私はこの答をあながち完全には間違っていないかもしれないと思っている。
ももクロのパフォーマンスは歌をすべて口パク(リップシンク)ではなく、生歌でこなしていく。激しいダンスをしながら同時に歌も歌うというのは実はあまり例のないことだ。そのために歌にとっても動きにとっても単独でそれぞれを行うのに比べると大きな身体的な負荷がかかる。そのため、動きもきれいに制御してきちんと動いて踊るというよりこういう風に動くべきだという理想の形からすると制御しきれなくなって、ともするとブレたり、乱れたりする。また特に初期においては特にヒャダインが典型的だが、声が出る音域ぎりぎりの高さの音で歌をあえて歌わせている。歌でも身体的な負荷を生じさせる仕掛けを作り出した。いずれもパフォーマンスを「うまく」こなすことよりもぎりぎりの状態に追い込むことで生きているということの「切実さ」を見せることにその狙いはあった。
バレエなどがその典型なのだが、「うまい」ダンスというのは通常は動きが技術によって完璧に制御されているというところにその本質がある。つまり、うまく制御できなくなった状態のことを「下手」だとするひとつの価値観がある。バレエのみならずジャズにせよヒップホップにせよ西洋起源のダンスでは通常このことが成り立ち、そして歌の場合も同様のことがいえる。
ところが実はそうではないダンスもある。コンテンポラリーダンスなどに代表される現代表現ではこうした「上手」「下手」はかならずしも自明のこととはいえない。そして、ももクロのダンスもそういう範疇に入ると考えられる。身体制御の代わりに問われるのはその瞬間の動きがいかに魅力的かということだ。
ももクロのダンスのひとつの特徴は歌いながら踊るにはきわめて困難なほど激しい動きによって構成されていることだ。しかもライブではそうした激しい動きの曲を立て続けに5曲・6曲と連続で披露し、そうした身体的な負荷を意図的にかけ続けることで、アンコントロールな状態に追い込み、そこで出てくる「いま・ここで・生きている」というような切実さを身体のありかたにおいて表出させる。そこではいわゆる従来のような「上手」「下手」という基準はあまり意味がないものとなっている。
 舞台芸術の世界では実はももクロの登場に先駆けて2000年(ゼロ年代)の半ばから身体に強い負荷をかけることなどでアウト・オブ・コントロール(制御不能)の状況におかれた身体を舞台上に乗せる手法がポピュラーなものとなっていた。
そうした手法を取る振付家・ダンサーのひとりに黒田育世*8がいる。黒田はもともとバレエの出身でもあり、カンパニーであるBATIKの所属ダンサーにもバレエ経験者が多いが、映像を見てもらえば分かるように彼女の踊りは激しい回転を続けたり、倒れてまたすぐ立ち上がったり、身体に大きな負荷のかかる動きを持続していくことで、しだいに身体制御能力に長けたバレエ出身のダンサーを身体能力の限界、制御できない状態に追い込んでいく。そこから生きた肉体の持つ「切実さ」のようなものが浮かび上がってくる。
その手法が生まれたのは2000年代半ばだが、3・11の経験をへて黒田の表現は一層みがきこまれたものとなる。例えば2012年11月に上演された「おたる鳥をよぶ準備」はももクロの2時間×3回のライブと比べれば短いが、上演時間が約3時間とコンテンポラリーダンスの作品としてはきわめて長い。しかもラストのパートを除いて、そのうちの2時間40分以上が一度の休憩なしで上演された。冒頭近くでひとりのダンサーが叫ぶ。「私、ダンサーになるの!!」。それに呼応する黒田の「私も!!」。これが冒頭から終段まで果てがないかと思われるほど繰り返される。「おたる鳥」とは黒田の造語で「満ち足りて体が動き出すこと」ということだが文字通り「踊ること」そのものが主題(モチーフ)なのだ。長い繰り返しは舞台を見るものにとって若干の退屈さをともなうが、この舞台に限ってはそれは必要な時間でもあった。その長い繰り返しを見てはじめてこの作品のもうひとつの主題である悠久の時間のなかでの「生と死」の繰り返しが見えてくるからだ。黒田が3・11の後に踊り続けることの意味を考え直した時に自然と生まれてきたのがこの主題。つまり、太古の昔から私たちは踊り続けてきたし、これからも踊り続けていくだろう。そういう悠久の歴史のなかで私はいて、どのような絶望の淵でも踊り続けてきたからこそダンスは今もあるんだという主題だ。黒田のダンスへのストレートな思いが浮かび上がってくるように感じられた。

BATIK(黒田育世
演劇とダンスの両方の領域で活躍している作家、矢内原美邦*9も身体に負荷をかけることで生まれてくるものにこだわり、作品を創作している。矢内原の振付で特徴的なのはダンサーをその身体能力でキャッチアップできる限界ぎりぎり、あるいは限界を超えた速さで動かそうとすることだ。そうすることで既存のダンステクニックではコントロールできないエッジのようなものを意図的に作り出す。ダンスの振付と一応、書いたが、通常「振付」と考えられている「ある特定の振り(ムーブメント)をダンサーの身体を通じて具現化していく」というのとは逆のベクトルを持っている。もちろん彼女の場合にも最初にはある振りをダンサーに指示して、それを具現化する段階はあるが、普通の振付ではイメージ通りの振りを踊るために訓練によってメソッドのようなものが習得されていく(典型的にはW・フォーサイス。彼は彼の常識はずれの身体的負荷を持つ振付を具現化するためにサイボーグとさえ称される超絶技巧を身体化できるフォーサイス・ダンサーを育成した)のに対して、ここではその「振り」を加速していくことで、実際のダンサーの身体によってトレース可能な動きと仮想上のこう動くという動きの間に身体的な負荷を極限化することによって、ある種の乖離(ぶれ)が生まれ、それが制御不能なノイズ的な身体を生み出すわけだ。
一方、演劇畑でそういう試みを共有しているのが多田淳之介*10(東京デスロック)である。東京デスロックもそうした「切実さ」を身体表現として追求してきた劇団だ。「再生」という作品では劇中で集団自殺をするためにネットで知り合った人々が集まって全員で鍋をつつき、最後には激しく踊りまわりながら倒れて死んでいくという同じ芝居が3回繰り返される。3回繰り返すといっても人間の体力には限界があるので30分近くも踊る回るような激しい動きを同じように繰り返すのは無理である。人間は通常、どうしても2回、3回と繰り返すうちに生じた疲労から、動くべき動きに実際の身体はキャッチアップできず、次第に動けなくなる。この作品にはそこから「人間はどうしようもなく疲弊してしまう存在」であることを提示。一見永遠性を象徴するような繰り返しという手法をとることで、いつか年をとり、死んでいく人間という存在を逆説的に浮かび上がらせている。
実はこの「再生」は東日本大震災の後、「再/生」として再演している。「再/生」はあたかもプレイヤー上で音楽が何度も繰り返し再生されるように同じ曲に合わせて同じ動きを繰り返すという新たな作品に生まれ変わった。さらに俳優の代わりにダンサーが出演し「RE/PLAY」として再製作。2014年春には横浜での再演も果たした。「再/生」「RE/PLAY」では冒頭近くにサザンオールスターズの「TSUNAMI」が使われている。曲に合わせて舞台上に倒れていくパフォーマーたちの姿には観客に否応なく3・11で起きた悲劇、無数の死のことを想起させる。ところが実はこの曲は3・11前の「再生」初演でも使われていた。その時はこの曲はある種、若者たちの享楽の象徴のようなイメージで使われていたが、震災以後では意味合いは完全に変わってしまった。それゆえ、「再/生」の何度も倒れ、また起き上がるというような動きは「生と死」の繰り返しの象徴として我々の眼前に迫ってくる。「TSUNAMI」の後で今度はビートルズの「オブラディ・オブラダ」がこれでもかとばかり、8回繰り返された後、後半にPerfumeの「GLITTER」が流れはじめる。強く匂う「死」のイメージからはじまったこの舞台は体力的にぎりぎりに追い込まれた俳優たちが立ち上がる「GLITTER」において強い「生の称揚」のイメージに覆われる。この舞台はいろんなバージョンを複数回見ているのだが、この場面ではいつもなぜか分からないが感情が高揚し涙が出てくるのだ。
実はこの身体的な負荷をかけ続けることで立ち現れる「切実さ」こそがももクロの「全力パフォーマンス」の魅力の源泉だと考えている。3回繰り返すという一致点もあるが、多田の「再生」は私にどうしてもももクロの「Zepp Tokyo 第3部」を連想させる。そして舞台芸術を代表する3人のアーティスト(黒田、矢内原、多田)とももクロがいずれも身体的な負荷をかけ続けることで立ち現れる「切実さ」にこだわっているという事実には偶然の一致以上の符号を感じるのだ。
ここまでくれば「どのアイドルも全力だ。ことさらももクロのことだけを言うな」というほかのアイドルのファンからの批判にももクロの場合の全力は身体的な負荷をかけ限界に追い込んでいくことで生まれる「全力感」であり、ほかのアイドルの「全力」は多くの場合精神的なものであることが多く、質が違うと明確な反論が可能になる。
日本の舞台芸術の流れを1990年代から振り返ると平田オリザ*11は1990年代に「都市に祝祭はいらない」という著書を出し、80年代以前の演劇が色濃く持っていた祝祭性を否定した。当時若手演劇人としてライバル関係にあった宮城聰(静岡舞台芸術センター芸術総監督=当時はク・ナウカ主宰)はインタビューで、平田の論に抗して舞台における祝祭的な空間の復活を論じた。「死が隠蔽されることで、宗教的な場が失われてしまった現代社会において、生命のエッジを感じさせるようなものを具現できる数少ない場所が劇場。だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだ」と強調した。
90年代半ば以降、平田の現代口語演劇が現代演劇の主流となっていくにしたがい、宮城の主張はリアリティーを失ったかに見えた。ところが東日本大震災を契機に観客の多くが生と死という根源的な問題と向かい合ったことが関係してか、震災以降、人々は強く「祝祭性」を求めるようになった。
ももクロが登場したのはこういう状況の中でだった。演劇と異なり「魅惑するもの」であることをその本質とするアイドルが「祝祭性」を持つのは当たり前のことともいえる。昨今のアイドルブームもそうした時代の空気を反映しているといえるかもしれない。ただその中でも、もももクロのパフォーマンスは先に挙げた宮城聰の言う「生命のエッジ」のような全力感を前面に打ち出すという点で突出していた。それが震災後の疲弊した日常のなかで大きな大衆的な支持を集めていった大きな要因のように思われる。
ももクロはその祝祭性により、現代の祭りにおける巫女の役割を果たしている。「祭り」はももクロのライブのモチーフとしてこれまでも重要だった。これまでも「男祭り」「女祭り」「子共祭り」と「祭り」を表題に掲げたライブは数多くあった。「祭り」の表題こそはつかなかったが、国立競技場は祭壇を思わせる聖火台をはじめ、いろんな意味で祝祭の場を感じさせる特別な空間であった。そしてその先にある最初のライブ、日産競技場2DAYSに「桃神祭」と正面から「祭り」の主題を掲げ、5億円で巨大な神社のセットを建て、島根の伝統芸能・石見神楽による10体の鬼と10匹の大蛇や、岩手虎舞による2匹の虎そして、東京高円寺阿波踊り、高知よさこい帯屋町筋、岡山宮坂流傘踊り、全国各地のお祭り団体が会場を埋め尽くすなど日本最大の祝祭空間を演出した。これは決して偶然ではない。

  

 
 

*1:彼女たちは事務所の名前スターダストプロモーションにちなんで、自らのことをダスト組と自称している

*2:の子(Vo, G)、mono(Key)、ちばぎん(B)、みさこ(Dr)の千葉県在住メンバーからなるロックバンド。の子による2ちゃんねるバンド板での宣伝書き込み活動を経て、自宅でのトークや路上ゲリラライブなどの生中継、自作ビデオクリップの公開といったインターネットでの動画配信で注目を集める

*3:フランス・パリ生まれのバレエダンサー。 100年に1人の逸材とまで称される現代バレエの女王

*4:『日本マット界の至宝』と言われる。プロレスに必要なパワー、スピード、テクニック、センスを極めて高い次元で併せ持った選手として活動を続け、その素質故に「天才」「GENIUS」「平成のミスタープロレス」「Legend」「天才を超えた魔術師」などの賞賛をほしいままにして来た。アメリカでの実績から現在活躍している外国人レスラーの中にもファンは多く、彼らからは敬意を込めて「マスター」などとも呼ばれている。このことから、近年は「プロレスリング・マスター」という愛称が定着しつつある

*5:K−1のオーフレイム選手の膝蹴りからとの説もあり

*6:1990年に日本大学芸術学部の西洋舞踊コースに在籍していた伊藤千枝(主宰)、小山洋子、山下三味子により結成される。劇場公演では、休憩中にエントランスなどでもパフォーマンスを行い、「ポップでキュートな」と評されるオリジナリティあふれる作品は国内外で人気を博している。劇場公演のみに留まらず、カフェや美術館の庭などでの空間パフォーマンスや、ワークショップを精力的に開催。また、シティボーイズライブをはじめ演劇、映画、テレビ番組・CMなど・他団体、作品の振付も多く行っている

*7:1991年、井手茂太を中心としてダンスカンパニー「イデビアン・クルー」を結成。1995年に『イデビアン』で旗揚げ公演を行う。以後、独自の解釈に基づいた音楽、身振り、空間造形により、バレエから日本のお葬式まで多様なモチーフを作品にしてきた。日常の何気ない一コマや日常に潜む動きや視線、人間関係を切り取り、奇想天外なダンスでみせるイデビアン・クルーの世界は、日本のコンテンポラリーダンス の中でもひときわ異彩を放つ存在として注目を集めている。また、無音の中でのアイコンタクトが生みだす奇妙な間合いや、無表情で能動的に動くダンサーの怪しげな雰囲気、ダイナミックな音楽で縦横無尽に空間を行き交う群舞も、作品の特徴である。国内はもとより、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカなど、海外でも活躍。また、異分野のアーティストとのコラボレーションにも積極的に取り組み、2002年『くるみ割り人形』では美術家の椿昇と、2003年『理不尽ベル』ではミュージシャンのASA−CHANG&巡礼と、共同で作品創作を試みている

*8:ダンサー、振付家。「谷桃子バレエ団」に所属しながら、1997年、渡英、ラバンセンターにてコンテンポラリーダンスを学ぶ。2000年より「伊藤キム+輝く未来」のダンサーとして国内外の公演に多数出演。02年2月、「ランコントル・コレグラフィック・アンテルナショナル・ドゥ・セーヌ・サン・ドニ(旧バニョレ国際振付賞)ヨコハマプラットフォーム」に出場し《ナショナル協議員賞》を受賞。03年7月、「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2003」に出場し「次代を担う振付家賞」(グランプリ)と「オーディエンス賞」を受賞

*9:コンテンポラリーダンスの世界では映像、衣装、音楽、美術など様々な分野のアーティストが参加するニブロールのリーダー的存在として活躍。90年代以降の振付家としては前述の黒田同様日本を代表する存在であるとともに近年は演劇を上演するミクニヤナイハラの活動も行い、劇作家として岸田國士戯曲賞も受賞した

*10:日本の演劇作家、演出家、俳優。東京デスロック主宰。千葉県出身。青年団リンク二騎の会を宮森さつきと共同主宰。富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ第3代芸術監督(2010年4月〜)

*11:日本の劇作家、演出家。劇団青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人。代表作に「東京ノート」「ソウル市民」3部作など。淡々とした会話とやりとりで進行していく現代口語演劇の作劇術を定着させた