チェルフィッチュ「三月の5日間」「労苦の終わり」
クロムモリブデン「なかよしshow」「ユカイ号」
維新派「キートン」
ポツドール「ANIMAL」
トリのマーク「向島のトリのマーク 花と庭の記憶」(連作)
五反田団「いやむしろわすれて草」
ジャブジャブサーキット「しずかなごはん」
弘前劇場「背中から40分」
ポかリン記憶舎「煙の行方」
マレビトの会「島式振動器官」
2004年最大の事件はチェルフィッチュの岡田利規の登場だ。平田オリザが90年代半ばに「現代口語演劇」をひっさげ颯爽と登場して現代演劇の大きな流れを作って以降その方法論に触発されるように劇作家が次々に出現したが、その多くは群像会話劇であった。チェルフィッチュが衝撃的だったのは「口語演劇」でありながらモノローグを主体とするまったく新しいアプローチを持ち込み、演劇として再現することが難しいような若者の地口のような会話体を駆使し「ハイパーリアルな口語劇」を実現してみせたことで、岡田は平田以来の才能といっていい。渋谷のラブホテルにこもりきりの男女から、イラク戦争までを俯瞰してみせた「三月の5日間」とこれから結婚するカップルと別れたカップルそれぞれの関係性を微分したように細かく描きこみ結婚について考えてみせた「労苦の終わり」という全然違う題材を扱う2つの傑作を上演し、この方法論でできることの豊饒性を予感させた。
関西では「なかよしshow」「ユカイ号」と才気溢れる好舞台2本を上演したクロムモリブデンの青木秀樹の快進撃が続いた。なかでも劇団を題材に「メタシアター」「社会派演劇」「笑いの演劇」といった様々なスタイルの演劇を作品中に引用、それで思いきり遊んでみせた「なかよしshow」は刺激的な舞台だった。
一方、維新派「キートン」も祝祭劇からハイアート的舞台へ方向性を大きく転換したという意味でメルクマールとなる舞台であった。サイレント映画時代の喜劇王キートンへのオマージュとして作られた作品で台詞はほとんどなく、すべてが身体の動きと美術も含めたビジュアルプレゼンテーションの連鎖により進行していく。舞台は絵画が動く巨大なインスタレーションとさえ見てとることができるほどで、維新派の野外劇ならではの祝祭性をこれまで愛好してきたものとしては若干の寂しさを感じたが、クオリティーの高さ、オリジナリティー、いずれも文句のつけようがないレベルの高さであった。
方法論的刺激を感じた舞台としてはポツドール「ANIMAL」も挙げたい。最初から最後まで大音響でヒップホップの音楽が流れ、台詞がまったく聞こえない状態で舞台は進行する。それでも登場人物の関係性が分かるのミソでその実験精神に脱帽した。
トリのマークはアサヒ・アート・フェスティバル、越後妻有と2つの現代美術系の企画に参加、その活動のフィールドを広げた。演劇の枠組みだけでは捉えきれないその活動が遅ればせながら評価されてきたようで、今後の展開が楽しみだ。
群像会話劇系の舞台ではジャブジャブサーキットのはせひろいちと弘前劇場の畑澤聖悟、五反田団の前田司郎が健在ぶりを示した。ポかリン記憶舎の明神慈による「煙の行方」も独自の身体のあり方で女優の魅力を引き出した好舞台だった。
最後にまだその挑戦はトバ口であり、舞台成果としては十全のものではないが、会話劇を遠く離れ、新たなアプローチに取り組んでいる松田正隆にも注目したい。