「阿修羅城の瞳」*1(滝田洋二郎監督)を見る。
劇団☆新感線の舞台が初めて映画化されるというのでこの映画には注目していたのだが、なかなか見られずこの日やっと見ることができた。「阿修羅城の瞳」の新感線による演劇版についての感想はここ*2に書いたので興味のある人は参照してほしい*3。
映画としてよかったのはまず林田裕至の美術である。特に染五郎演じる出門がまだ鬼殺しといわれていたころの回想シーンに出てくるなんともいかがわしい江戸の見世物の光景はこの場面だけディティールを味わうためにDVDかなにかで繰り返し見たいほどで、維新派の美術監督として活躍した((代表作は「南風」「水街」)こともある林田の面目躍如といったところであった。巨大な象の張りぼてが登場する場面では(実を言うとそれがなんのためのものなのかは全然分からなかったのだが)、思わず「維新派だ」と叫びたくなってしまった(笑い)。
この場面を含め、この映画は前半部分は見どころが多く、わくわくさせられた。琴平座でロケして撮った江戸時代の中村座の様子などはまさに映画ならではの魅力にあふれたもので、その中で染五郎が演じた歌舞伎もきわめて魅力的だった。
ただ、演劇版を見てしまった身としては残念ながら後半がどうにも物足りない。それはどうしてだろうと考えたのだが、やはり、ヒロイン、闇のつばきの描き方にあると思う。演劇版の感想で書いたのだが、この舞台の最大の魅力はひとりの女優が前半の町娘つばきと後半それが「阿修羅」という等身大を超えた怪物的な存在へと化身していくさまを演じ分けるところにある。
その1点において評価するならば再演、再々演と二度見た舞台版では富田靖子よりも天海祐希が後半部分を演じきってよかったと書いたのだが、今回はどうだったか。宮沢りえは前半は健闘していて後半の演技への期待が膨らんだのだが……。なんだったんだ、あのCG処理の阿修羅は(笑い)。確かに人間を超えて巨大な存在ではあったけれど(笑い)、あの大仏のような阿修羅はどう考えても意味が分からない。しかも、最後は等身大(これは言葉どおりに大きさのこと)で登場するのだから、あれがなにだったのかというのがまったく分からない。この時にこの監督は「陰陽師」を撮っているというのを思い出したのだが、時すでに遅し。あれでは宮沢りえも役者としての見せどころがないし、可哀想であった。思わずこのままじゃすまないから、いのうえさん、次に再演する時には舞台版に使ってあげて、敗者復活戦に挑ませてよと思ったけれど、あの殺陣じゃ新感線は無理か。
ビジュアルに特化させて見せようとの判断があったためか、ストーリーや物語の背景が簡略化されすぎていて、これじゃこれを映画で初めて見る人には物語の背景が分からないのじゃないかとも思った。
「陰陽師」を撮ってるから安倍晴明は出せないとパンフには監督が対談で語っていたけれど、晴明の仕掛けた壷毒の術くだりがあるから出門と邪空の対立に意味が出てくるのにこれが映画晩ではあまり生きていなくて、なぜ出門が阿修羅に負けない力を持つのかもこれでは分からない。それとも、そういう設定はなしで、愛の力という落ちなんだろうか、まさか。
*1:映画のオフィシャルサイトはhttp://www.ashurajo.com/contents.html
*2:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20030909
*3:困ったのはその参照先がさらに初演時のレビューを参照していたのにそれが掲載されていた「下北沢通信」サイトの消滅とともにそのレビューも消えてしまったことだ