下北沢通信

中西理の下北沢通信

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南河内万歳一座「お馬鹿屋敷」

南河内万歳一座「お馬鹿屋敷」ウルトラマーケット)を観劇。

『大和屋別館』は、宿泊料がべらぼうに安く、次々と客がやってくる。しかし、安いのには理由があった。その旅館には、個室は無く大部屋が一つあるだけ。つまり、老若男女、ビジネスマンも旅行者も、日本人も外国人も、恋人も他人も、とにかく皆雑魚寝。同じ部屋で眠らねばならなかったのだ!

ひさしぶりに見る南河内万歳一座内藤裕敬の新作である。内藤とはほぼ同世代ということもあるせいか、妙なシンクロニシティが時折起こる。どうも最近、軽い睡眠障害があり、夜中に目がたびたび覚めたり、十分に睡眠時間は確保したはずなのに仕事中や観劇中に睡魔に襲われることがあって、なんとかしなくちゃならないと悩んでいる。そのせいで、睡眠問題に悩む人が登場する今回の芝居は妙にリアリティーがあって、身につまされるところがあった。この日も前日の夜の睡眠が十分に深くなかったせいか、布団がいっぱい舞台上に出てくるのを見ているうちに「ああいう布団に包まって眠ってしまいたい」と突然の睡魔に襲われたりして、それを堪えながらの観劇であった。これは別に芝居が退屈だったからとかというわけじゃなくて、睡魔といっても実際に眠ったりしたわけではない(と思う)のだが、とにかく、そういう事情で布団部屋が出てきた時に妙にそそられるところがあったのである(笑い)。
 もっとも、この芝居においては「眠り」というのはモチーフのひとつにすぎない。この芝居は基本的には不条理劇であって、迷宮と貸した「大和屋別館」の布団部屋を彷徨い続ける人々とか、行き先の分からない列車や都会のマンションの一室の孤独に不安を覚え眠れない男のエピソードとかは内藤が今、この現代に感じている漠然たる正体の分からない不安を反映しているのだろうと思う。そういう意味ではカフカ的世界といえないこともないのだが、それをシリアスなタッチではなく、布団をそのまま擬人化したキャラクターが登場したり、旅館の若女将のミスへの女将のペナルティーがプロレス技であったりとあくまでも陽性に賑々しく展開していくのが南河内ならではの持ち味である。
 舞台上にはいくつも布団が入った押入れ状の大きな箱が装置として置かれていて、それを舞台上で役者が次々と移動させて、空間構成をしていくアイデアもなかなか秀逸だった。
 ただ、この芝居で不満に思ったのはエピソードが何組かの登場人物に分散しているせいで、今ひとつ「眠り」「行き先の分からぬ列車」「布団部屋の迷宮」「眠ると馬鹿になるという伝説のある旅館」「旅館に居ついているように思われる謎めいた少女」といったいかにも意味ありげなモチーフが全体として何を意味しているのかが、はっきりとした焦点を結ばないきらいがあることだ。
 役者それぞれが舞台上で繰り出す小技や空間構成などの演劇的な趣向では十分に楽しませてもらったものの、それでは全体としてどんな芝居だったのかということになると正直言って私には???という状態であり、特に内藤が表題の「お馬鹿屋敷」ないしは「馬鹿という言葉」にこの芝居でなにを託したのかが理解に苦しみ、釈然としない印象が残った。