下北沢通信

中西理の下北沢通信

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「吾妻橋ダンスクロッシング」@浅草・アサヒ・アートスクエア

吾妻橋ダンスクロッシング(浅草・アサヒ・アートスクエア)を観劇。

SIDE A

岩淵貞太「mint(+)」
鉄割アルバトロスケット「ハエハエカカカざっぱっぱ・港町ブルース
休もうと雅子「妹」
小浜正寛「エア人間関係」
yummy dance「I like blue?」
鉄割アルバトロスケット「金をジャラジャラ落とす/どらえもの/産まれたての馬鹿/LSD

SIDE B

鉄割アルバトロスケットゆでたまご
砂連尾理「バーテンダー
シベリア少女鉄道「ニホンゴチョットワカリマス」
休もうと雅子「姉」
鉄割アルバトロスケット「わき毛でバイオリン/新しい学校」
地点「話セバ解カル」

桜井圭介氏のダンス企画。桜井氏の提唱する「コドモ身体」をはじめ、コンテンポラリーダンスの新たな息吹を紹介する企画だったはずだが……。今回は鉄割アルバトロスケットのプレゼンスが強いせいで、コントのなかにダンスが埋もれてしまった印象が強く、残念だった。
 それにしても鉄割アルバトロスケット。これが私には本当に泣きたいほどつまらなかった。ファンかと思われる観客には受けていたが、会場が受ければ受けるほど、寒々しい気分になってしまった。コントに関していえば以前にやはり「吾妻橋ダンスクロッシング」で「男子はだまってなさいよ!」を見た時にもやはりつまらなくて、つい知人に「ここっていつもこんな風なの」と聞いてしまったのだが、今回はそれにもましてひどい。これが最近の東京で流行っている笑い、なんだろうか?
 テレビの笑いやコント・漫才には詳しくないのだけれど、舞台系の笑いについてはこの十数年フォローしてきただけに自分の笑いの感覚については自分で密かな自信を持っていたのだけれど、東京だけではなくて、関西でも最近は自分の感覚と客席の反応の乖離に当惑することが増えてきている。どうしても笑いのとり方が厳しい言い方をすると安易に思えてしまう。こういうのが受けてるというのを見ると猫ニャーなき後、東京にはもはや純粋にラジカルな笑いは存在しないのだろうかと暗澹たる気分になった。
 その点、こちらもダンスとは言いがたかったもののシベリア少女鉄道は面白かった。これは私の好みの問題かもしれないけれど、いつもの公演と比べると短い時間のなかで、ちゃんとその特徴である発想の飛躍、身体を張って無意味なネタに取り組む真摯な態度に思わず笑わされてしまった。「ニホンゴチョットワカリマス」は日本ハムヒルマン監督の優勝インタビューが、ネタという時事ものだったのだが、そのインタビューでの同時通訳がいつのまのにか暴走、本来の主役であるはずの監督が発言する前にその発言を日本語で先取りしてしまったり、全然関係のないことをいいだしたりという主客逆転の面白さ。ついには監督は通訳の発言の後に身振り手振りでそれを後追いをしはじめ、挙句の果ては通訳が熱唱する「NANA」の映画挿入歌に合わせて、それを英語訳しながら、ダンスのように「当て振り」をはじめるという(笑い)。英語→日本語という最初の方向性が狂いだすと、登場人物の関係性自体が逆転してしまうという発想が抜群に面白い。コントと書かれた評もネット上であったが、同時通訳のシチュエーションを実はこれは変なのことなのかもしれないと感じた土屋亮一ならではの批評性がこの作品の生命線で、そこには笑いさえ必ずしも求めてはいないかもしれない潔さが感じられた。
 小浜正寛は今回はボクデスではなくて、小浜正寛として登場。透明人間になれる薬をもらった男のエピソードを少しシュールなコント風のひとり芝居として演じたのだが、これも今回の吾妻橋が「いったい何の企画」と思わせる一因となったかもしれない。こちらはつまんなくはないのだけれど、ボクデスに比べるとそんなにスタイルとしての新味はなくて、そこのところがやや不満。
 ダンスでは休もうと雅子(康本雅子)がよかった。作品というよりは音楽に合わせて、それぞれにキャラを作って、ラフに自由に踊った印象なのだが、こういう形式で見た方がちゃんとした作品を作ろうとした時よりも単純に魅力的に見えてしまうのはなぜなんだろう、と思わず考えてしまった。この人はやはり作家というよりは純粋にパフォーマー・ダンサーなのだろうと思う。
 岩淵貞太「mint(+)」のデュオは見ていてなかなか楽しいし、好感は持てるのだが、問題はやはりこれは結局ニブロールじゃないのかの印象がぬぐいきれないところだ。つまり、面白い部分はニブロールみたいなところなので、この作品からは残念ながら、それを超えて岩淵貞太のダンスはこうであるというのが分からなかった。
 yummy dance「I like blue?」も悪くはないのだが、全員で共同制作したような作品のせいか、作品としてのまとまりが弱い印象が残る。長くはない作品でありながら、とりあえず出来た場面を並べましたという感じになってしまっていて、場面として面白いところはいろいろあるのだが、全体を通しての印象となるやや散漫だったかもしれない。 じゃれみさの砂連尾理のソロ作品「バーテンダー」はソロになった時にどんな風になるんだろうという意味で今回もっとも気になっていた作品。予想した以上にきっちり作りこんでいて、ダンスとしての完成度も高いのだが、これを見てつくづく思ってしまったのはひとりで踊ると案外普通のダンスになってしまうのだということ。この人はやはり真面目なんだということがよくも悪くもはっきりと感じさせられた。じゃれみさのダンスにはどことなく変なところがあってそこが最大の魅力なんだけれど、最初の場面でバーテンダーに扮して踊るところで少しそういう期待をさせるものの、その後、「ダンスとして破格」の方向にいかずきれいにまとめてしまってるところが物足りない。これを見るとあの独特の変なところはどちらかというと寺田みさこの発想なのだろうかと思ってしまった。じゃれみさの作品同様、再演による作り直しで進化していく期待はあるので、今回のところは「このくらい」ということかもしれないが、もう少しびっくりするような作品を見せてくれるのではとの期待があって、そういう破綻がなかったのが残念。
 地点は例えばチェルフィッチュがそうだったようにダンス作品を作ってくるのではないかという期待があったのだが、結局そうではなくて、地点のスタイルのままだったことにがっかりした。安部聡子は優れたパフォーマーだとは思うが、緑色のスイミングスーツに足ひれをつけて最初になぜかダイバースタイルで登場した時の驚きというのは舞台の進行とともに徐々に薄れていって、通常の地点のスタイルに収斂していったのが肩透かし。地点がこの企画に参加した企画意図が分からなくなってしまった。
 コンテンポラリーダンスを普段そういうものをあまり見ない人にも見せたいということでのダンス以外の要素をこの企画に盛り込むという戦略は分からないではないけれど、今回の吾妻橋に関していえばここまで来ると本末転倒というか、本来のこの企画の意図からは逸脱してしまっているのではないか。それは桜井氏の意図に基づくものだったのか。それとも全体をコントロールできなかったのか。言いたくないけれど、最後のネギはただの悪ふざけとしか思えず面白くもなんともなかった。あれで目がやられてしまって、次に見るダンス公演でもまだ影響が残ってしまったので冗談じゃないという気持ちなのである。 
 
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