ニブロール「no direction。」(愛知芸術文化センター)を観劇。
初演、パナソニックセンター東京 有明スタジオの映像
振付 ・出演:矢内原美邦
Choreographer and Dancer: Mikuni Yanaihara
映像:高橋啓祐
Movie Director: Keisuke Takahashi
衣装:矢内原充志
Costume Designer: Mitsushi Yanaihara
照明:滝之入海
Lighting Designer: Kai Takinoiri
音楽:スカンク
Music: SKANK
美術:久野啓太郎
Art: Keitaro Hisano
制作:伊藤剛
Producer: Takeshi Ito
出演:足立智充 たかぎまゆ 黒田杏菜 原田悠 橋本規靖 福島彩子 陽茂弥(※諸事情により、出演を予定しておりました「木村美那子」から「たかぎまゆ」に 変更になりました。)
Dancers: Tomomitsu Adachi, Mayu Takagi, Anna Kuroda, Yu Harada, Noriyasu Hashimoto, Ayako Fukushima, Yo Shigeya
主催:あいちトリエンナーレ実行委員会
企画制作協力:愛知県文化情報センター
制作協力:Precog, alfalfa
有明 パナソニックセンター東京 有明スタジオ(2007/3/2-4 3ステージ)=初演(この前にワーク・イン・プログレスとして福岡での公演「no direction,everday」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20061029あり)
http://panasonic.co.jp/center/tokyo/
振付:矢内原美邦 映像:高橋啓祐 衣装:矢内原充志
照明:滝之入 海 音楽:スカンク プロデューサー:伊藤剛
舞台監督:横尾友広 美術:久野啓太郎 ヘアメイク:中村兼也
グラフィックデザイン:板倉敬子 制作:中村茜、戸田史子 制作協力:プリコグ
出演:
足立智充、木村美那子、佐川智香、たかぎまゆ、原田悠、藤瀬のりこ、陽茂弥、山本圭祐、矢内原美邦
2010年に行われるあいちトリエンナーレのプレ公演との位置づけで2007年有明 パナソニックセンター東京 有明スタジオで初演のニブロール「no direction。」を再演。初演のキャスト、クレジットは以上の通り。出演者は見た印象では大幅に入れ替わったかと思い確認してみると、初演に出演しなくて今回出演しているのは黒田杏菜、福島彩子、橋本規靖。予想した以上に前回・今回とも出演しているキャストが多いことに気が付き意外な感がしたが、印象が違ったのは山本圭祐が出ていないせいかと思う。
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.2 ダンス編・ニブロール」*1でもこの作品をメインの映像で使ったため、この作品はよく知っているはずだが、見慣れないシーン、映像がいくつかあって、どうやら、最近を桜美林大学PRUNUS HALL(淵野辺)とVictoria Theatre(シンガポール)にて再演した際に作り直したようだ。直近まで「コーヒー」の北米ツアーをしていたと聞いていたので、そこからいくつかのシーンを入れて作りなおしたのかと思ったが、それはこちらの勘違いだった。
「歩く」「走る」「転げまわる」「ジャンプする」「頭をおさえつける」「手足をバタバタさせる」……。ニブロールはダンスではあるけれど、バレエやモダンダンスに代表されるような通常のダンス的身体語彙をあまり使わないから、それに代わって最初に書いたような動きが何度も何度も繰り返され、音楽でいう主題(メインモチーフ)のようなものとなっている。
以前は基本的に俳優で専門のダンサーではない人も舞台に数多く上がっていたので、それで非ダンス的な動きのうち仕方なくこうなってしまうようなところも多かったのだけれど、この日の舞台ではほとんどのキャストがダンサーの経験がかなりある人であるといってよく、それでもいわゆる「ダンス的」と感じるようなムーブメントは排除されているから、純粋になにが志向されているのかがより分かりやすくなっているかもしれない。
ニブロールの場合、元々、パフォーマーが「わー」と叫び声を上げたり、なにか訳のわからないようなセリフをぶつぶつとつびやいたりしていることはそれまでもあったけれど、この「no direction。」では断片的という以上にけっこう長いセリフがいくつもあって、それが単にボイスパフォーマンス的な発声というのを超えて、身体の動きと並ぶ重要性を持ち、この作品のなかではそれが特に声という以上に言葉の意味性として、形式を変えてなんども繰り返されることで、大きな意味合いを持っていることもこの作品の特徴であった。
つまり、これはこの「no direction。」がこれまでのニブロールの作品のなかでもきわめて強いメッセージ性を持っている作品であるせいかもしれない。それは当日のパンフレットにも矢内原自身が書いているけれど「世界はひとつではない」ということで、「9・11を経験した世界がテロ対策、危機管理、正当防衛という名のもとにあるひとつの方向に向かおうとしているように見えた」ことに対する違和感でもあったということなのであろう。
もちろん、それはただそういう意図のもとに作られたということを言いたかっただけで、そういう重要かつシリアスな問題を取り扱っているからこの作品は素晴らしいというような陳腐な問題批評のようなことを言おうと思っているわけではない。
あえていくつかの要素に分解すれば最初の場面の男が周りにいる人間にいちいち「今何を見ているの?」と確認して回る場面とか、それと呼応するように最後の方に出てくるバラバラの方向に歩いている人を呼びとめてどこにいくのかを聞こうとしている場面などこの主題にかなり直截的にアプローチしているところがセリフというか言語テキストにはある半面、映像では逆に個々の人間の方向性がバラバラであるということを超えて、大きな集団になった時に形成されていく流れというか調和のようなものが、これはどちらかというと「単一なものへの批判」という形ではなく、肯定的なものと感じられるようなタッチで描かれている。あるいは音楽はこの作品は意図的にいろんな曲調の音楽を取り交ぜて作り、多様性を強調するように考えたと以前に音楽を担当したスカンクから聞いたことがある。
こういう風にある意味、方向性がそれぞれ微妙に異なり、「世界はひとつではない」という単一の主題に向かってシャープにフォーカスしてはいかないようにいくつかのフェーズが重層的に重ね合わせるようにして作品が成り立っているのがこの「no direction。」の面白さかもしれない。
いくつかの印象的な場面があって例えば矢内原美邦と男性ダンサー(足立智充?)とのデュオはダンスとしても魅力的なものだ。構造的にいうとかなりダンス的な要素の強いこのデュオのような場面が浮島のように作品内に散りばめられてはいるが、全体としては冒頭に書いたようなグループによる身体表現で非ダンス的な身体語彙が支配的。これに途中で登場する祖父の葬儀のエピソードなどほとんど演劇だったいってもいい場面がところどころに挿入された。
「青ノ鳥」でのwonderlandレビュー*2で以前、MIKUNI YANAIHARA PROJECTの作品を以前の山の手事情社の作品と比較し、ハイパーコラージュだと断じたのだけれど、これまで見た時には「これはダンスだ」という意識が強すぎてそういう風には全然思わなかったのだけれど、この二ブロールの作品こそハイパーコラージュといっていいのかもしれない。
*1:「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.2 ダンス編・ニブロール」Web版http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000225
*2:MIKUNI YANAIHARA PROJECT vol.2「青ノ鳥」(吉祥寺シアター)=wonderland http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=736&catid=3&subcatid=4