下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.9 演劇編・ポツドール」セミネールin東心斎橋     

VOL.9[三浦大輔と欲望の演劇]

 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというセミネール「現代日本演劇・ダンスの系譜」の第8回の日時が決まりました。これまで第1回目のチェルフィッチュを皮切りにニブロール青年団イデビアン・クルー弘前劇場レニ・バッソ五反田団珍しいキノコ舞踊団と隔月で今もっとも注目の演劇・ダンスの集団(作家)を選んで紹介してきましたが、今回取り上げるのは三浦大輔(=ポツドール)です。今回は関西ではまだあまり知られていないポツドールの全貌に迫っていきたいと思います。
【日時】2009年5月22日(金)p.m.7:30〜 
【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて
【料金】¥1500[1ドリンク付] (※学生¥1200・1ドリンク付)

ポツドール公演レビュー

ポツドール「顔よ」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20080406
ポツドール「夢の城」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060305
ポツドール「愛の渦」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20050424
インターネット演劇大賞
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20041230

ポツドール「身体検査 〜恥ずかしいけど知ってほしい〜」

ポツドール「身体検査 〜恥ずかしいけど知ってほしい〜」について感想を書く。演劇のおけるリアルとはなにかについて、見ていていろんなことを考えさせられる舞台であった。最初にまず幕が閉じられたままビデオ映像のように会場の左右に据え付けられたテレビ画面にキャバクラの面接風景が写しだされる。その後、幕が開くとそこはかなりリアルに作られた場末じみたキャバクラの一室で、ビデオ映像のように見えていたのは舞台をそのままリアルタイムで撮っていたのが分かる仕掛けである。この後舞台はあたかものぞき穴かなにかから覗いてみるようにかなりリアルな感じで、キャバクラの店のサービスの実態が再現される。私はこの種の店の実態にはうとい方なのでこれがどこまで実際のこの種の性風俗を再現したものかは不明だが(笑い)、少なくとも群像会話劇の形で展開されるこのシーンは芝居としては「本当らしさ」を感じさせるもので、見逃した前作「騎士クラブ」がやはり群像会話劇のスタイルでアダルトビデオの撮影現場を描いたものだったということを聞いているから、この劇団のひとつのスタイルが岩松了平田オリザらがスタイルとして確立したリアルな群像劇の形式を借りて、そうした手法で性風俗などの現場を描くことにあることを伺わせる。群像劇のスタイルというのは描くべき対象とは関りなく、観客に対してある種のリアル感を与えるための仕掛けであるから、そういうところからこういうことを表現する集団も現れるというのは必然といえないこともない。

 ただ、今回の舞台には別の狙いがあって、このキャバクラのシーンがしばらく続いた後、第2部というのが始って、ここではそれまで、第1部では完全に決められた台本があるわけではないのだが、それぞれ舞台上のキャバクラに登場して、客とキャバクラ嬢、店員を役柄として演じていた俳優たちが今度は素のまま登場して、「恥ずかしい本当の自分」を観客の前に晒して見せようということになる。

脚本・演出:三浦大輔
 照明:伊藤孝[ART CORE design] 音響:中村嘉宏[atSound] 舞台監督:矢島健
 舞台美術:田中敏恵 映像・宣伝美術:冨田中理[Selfimage Produkts]
 小道具:大橋路代 衣装:金子千尋 衣装:金子千春
 演出助手:富田恭史  写真撮影:曳野若菜 ビデオ撮影:溝口真希子
 制作:木下京子 広報:石井裕太 企画・製作 ポツドール
 出演:
 米村亮太朗 :男1
 富田恭史[iorro]:男2
 仁志園泰博 :男3
 古澤裕介[ゴキブリコンビナート]:男4
 小林康浩 :男5
 
 安藤玉恵 :女1
 岩本えり :女2
 小倉ちひろ:女3
 遠藤留奈 :女4
 佐山和泉[東京デスロック] :女5

 青木宏幸 :店員1
 鷲尾英彰 :店員2

 今もっとも刺激的な演劇を見せてくれるのはチェルフィッチュポツドール、と昨年から飽きるほどいろんなところで言ってきているのだが、今回のポツドールの新作「愛の渦」もそうした期待にたがわぬ舞台であった。この2劇団に共通するのは方法論的な実験性が高く、しかもそれを確信犯として追求していることだが、もちろん、それぞれの方向性はまったく異なる。チェルフィッチュについては以前少しまとめて書いたのでそちら*1を参照して、もらいたいのだが、大雑把に両者の違いに言及するとすればチェルフィッチュ平田オリザの関係性の演劇を批判的な形で継承しているのに対して、ポツドールは平田が以前に行った実験を方法論的にいえばある意味、正統的に継承しながら、平田ら過去の作家たちが取り上げなかった対象をあえて取り上げることで、その方法論において尽くされていなかった可能性を追求しようと試みていることにポツドールの演劇としての面白さがある。
 三浦大輔は舞台の登場人物による会話を覗き見させるような形でいまそこにあるそこはかとない雰囲気を追体験されていくような「リアル」志向の舞台を構築していく。今「覗き見させるような」と書いたが、これは平田が90年代に登場していた時によくこのように称せられていた言葉で、ポツドールの場合はその覗き見する場所を風俗のような悪場所に設定することで一層、「覗き見」の快楽をピュアに追求しようという確固たる意思が感じられる。
 この「愛の渦」で取り上げられたのは見知らぬ男女がそこに集まってきて、乱交パーティーをする場所を会員制のクラブをして提供しようという風俗店の一夜の出来事だ。
 舞台がはじまるとそこはフロアに低い机とゆったり座れるソファが上手に置かれていて舞台下手にはどこかの部屋に通じていると思われるドアと2階に通じる階段。舞台の奥にはカウンター席、上手寄りに狭い通路があり、その先に店の入り口が見える。セットは相当に緻密に作られたリアルなもので、一見ラウンジにも見えるこの空間が乱交パーティーを目的とした風俗店であることがしばらくすると分かってくる。店内には大音響でBGMが流れていて(今回はダンスミュージック)、上手側には4人の女性、下手側には4人の男性が座っているのだが、音楽のためにそれぞれの会話はあまり聞き取れない。
 このいろんなものに邪魔されて聞き取れない、あるいは聞き取りにくい会話というのが最近の三浦演出のひとつの特徴で、それが極限的に展開されたのが、大音響のヒップホップ音楽のために劇中の会話が一切聞き取れなかった「ANIMAL」だが、これは当然ながら役者の技術の問題でもなんでもなく、確信犯であることは説明するまでもない*2
 観客の舞台への構え方をお茶の間でテレビ番組を見ているような受動性からある種の能動性に変えようという狙いがあるわけだが、その意味では平田オリザがはじめて最近は別にそれほど珍しい演出でもなくなっている「同時多発の会話」と似たような狙いがあるわけだ。
平田は同時多発の会話によって、同時には聞き取れない会話のうちのどちらかを観客が主体的に選択させることにより、舞台に対する受動的な構えを突き崩し、それぞれの場面で観客が注意深く、その会話を聞き取ることによって、発話で直接的に提示される内容だけではない発話の構造が提示する登場人物相互の関係性に観客の目が無意識に向くようになる仕掛けを同時多発会話でつくった。三浦の場合は意図的に会話を聞き取れなくし、会話以外の仕草や役者の視線や表情のようなビジュアル情報を総合することで、その場面で展開されていることを観客が解釈や想像力がおぎなうことを強いる狙いがあるわけだ。
 このように書くと一見、観客に無理難題をしいているように感じる人もいるかもしれないが、それはこれまでの演劇が制度的に行ってきたことに縛れているわけで、こういうことは日常生活では普通の人は特別なことではなく経験していることなのである。
 会話の全体が聞こえないとしても、そこで直面すている状況に合わせて聞こえた部分の断片をつなぎあわせて解釈することで、例えばクラブや昔でいえばディスコのような喧騒空間のなかでも仲間内のコミュニケーションはある程度成立するわけだ。
 この芝居にはもうひとつ仕掛けがある。それは舞台がリアルタイムに進行していく中で何度か暗転が挿入され、その時に舞台前面のスクリーンに時間の経過が提示されることだ。これはもちろん、一晩の出来事を完全にリアルタイムで舞台上でフォローするのが無理だという物理的な事情もあるが、この描かれなかった時間の間にこの場所で起こったことを暗転前後の登場人物の関係性の変化(会話がぎごちなかったのが、うちとけた様子になっているなど)から想像させる狙いがある。
 「激情」「ANIMAL」など直近の作品ではしばらく遠ざかっていたが、これまでのいくつかの作品で三浦は「身体検査」(抜きキャバ)、「騎士倶楽部」*3(AVの撮影現場)、「メイク・ラブ」*4(ラブホテル)と性風俗の世界を好んで取り上げてきた。もちろん、そこにはある種のスキャンダリズムのような側面があって、そういう特異性がこの劇団の知名度をサブカル的に高めてきたということはある。だが、それはそれだけではない。
 この「愛の渦」では風俗店を舞台にすることで、セックスを前提とした場に集まる人間を描くことで、三浦が好んで描きつづけた性の欲望に支配された性的動物としての人間を赤裸々に描きうる場を選択するとともにそれ以外のそれぞれの背景を意図的に捨象することで
性という主題に特化した人間の姿を描き出す目的があったと思われる。
 これは実は本来は複雑な関係性をフラットなものに還元していくという意味で安易とも見えかねない危険性も含んでいるのだが、三浦が巧妙なのはこういう設定においても人というものが優れて関係的な生き物で性欲だけで生きているわけではないということをきわめて冷徹な筆致で提示していくところ。平田の演劇について以前、「あたかも動物を観察するかのようにある空間で登場人物に起こる出来事を観察させるような演劇」と書いたことが、あったが三浦のこの芝居にも作演出の三浦と舞台の間の俯瞰的な距離感に同じような印象を感じさせられた。
 それが一番よく現れたのは途中で会話が途切れてきまずい雰囲気が漂いだした時にここでするのは明らかに変な会話なのに登場人物がそれぞれの職業とか出身地を聞き始める場面。
芝居としてはこの部分は笑えるところとして機能している。
 ここで思い出したのは青年団の「冒険王」という芝居の一場面だ。それは日本を捨てた放浪者的旅行者が集まる安宿に自分の夫を探しに日本から主婦が訪れるところで、ここでこの女性だけが会う人、会う人に「なにをなさっている人ですか」のような職業や出身などを聞くので、その場の雰囲気がしだいに悪くなっていく。ここで平田は日本人の他者との関係のとり方を描写したわけだが、三浦のこの場面も日本人の会話によくある状況を観察眼鋭く取り入れた会話の切り口に感心させられた。
 もうひとつは後半の登場人物それぞれの本音が爆発して、一触即発になりそうなところで、これはこういうフラットな関係の場面にも当然、登場人物にはそれぞれの思惑があって、この場がけっして、性のユートピアのようなところではありえないということが、明らかにされる。
 こういう直視がはばかれるような人間性の嫌な部分をかなりの部分、舞台上で提示してしまうのが、三浦のもうひとつの持ち味で、これまでの舞台では舞台上で実際に男性が女性に暴力をふるうようなところもかなりリアルな演出でやってしまうところにある種の珍しさはあった。ただ、この「愛の渦」という舞台ではむしろそういうところは想像にまかせて、避けるような手法もとられていて、これは今回の舞台がいままでとはちょっと違うところを感じさせる部分でもあった。
 もちろん、暴力シーンはまだしも、いくら性を主題にしていても舞台上で実際のセックスを見せるわけにはいかないわけで、この舞台では階段の上の部屋が実際に事を行う部屋として設定されていて、そこからはかなりリアルなあえぎ声とかが聞こえてきたりするのだが、
観客のだれひとりとして、そこで実際に事が行われていると考える人はないだろうし、リアル追求といってもそれは演劇である限りは嘘がいかにリアルに見えるのかが問題なのは言うまでもない。それを考えるとこの変化はこれまでの舞台を通じてさまざまなリアルのあり方を追求してきた三浦にとっては当然に帰結なのだろうと思う。
 90年代に登場して三浦と同様に性的欲望を自らの主題としてきた劇作家に大人計画松尾スズキがいる。哲学者ニーチェの語彙を引用して、アポロン的側面の強い関係性の演劇*5に対し、松尾の劇世界はディオニッソス的と表現したことが以前にあった。松尾はこの人間の欲望により支配された世界をある種の神話的な世界を構築することで描き出した。
 これまで便宜上、三浦を平田の後継者として描写してきたが、そういう見地からすれば三浦には松尾の後継者的部分もある。実は「激情」という舞台を見たときには、その舞台の設定や世界観から松尾スズキの「マシーン日記」などを彷彿とさせるところがある舞台だとも思った。
 今回の「愛の渦」はそういう意味からすれば描かれている世界や描き出す手法は違うのだが、誤解をおそれずに言えば、ポツドール三浦大輔はディオニッソス(=松尾スズキ)的な主題(モチーフ)をアポロン(=平田オリザ)的な方法論で構築していく、という言い方もできるかもしれない。
 松尾スズキ平田オリザも演劇において刺激的な実験を行ってきたという意味では好きな作家ではあるのだが、最近の作品には舞台自体のクオリティーという意味ではなく、方法論的実験性という意味では物足りない思いがある。だからこそ、松尾や平田が90年代に行ってきた実験を踏まえて、三浦がある意味そうした前提を出発点として、今後どのような演劇的地平を開いていくのか。そこに今後も注目していきたいのだ。

 
 

*1:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10010926

*2:ネット上などでそれが分からない書き込みをしている人がいて逆にびっくりした

*3:http://ohyamaniaq.ddo.jp/%7Etaroken/potudo-ru/nightclub-1.wmv

*4:http://ohyamaniaq.ddo.jp/%7Etaroken/potudo-ru/makelove-1.wmv

*5:平田オリザに代表される