下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

別役実思わせる不条理会話劇 五反田団「いきしたい」@こまばアゴラ劇場

五反田団「いきしたい」@こまばアゴラ劇場

五反田団、前田司郎の作品には日常の生活描写からはじまり、徐々に非日常の異世界にいざなっていくような作品群*1があるのだが、新作「いきしたい」もそういう作品のひとつであるといっていいだろう。
 ある男女(岩瀬 亮、谷田部美咲 )の住む部屋から物語は始まる。部屋は荷物を詰めた段ボール箱でいっぱいで、どうやら引っ越しの準備に追われているようだ。ところがその途中で女が別の男の死体(浅井浩介)を部屋に運びこんでくる。どうやら、それは元から二人が暮らす部屋のどこかに隠してあったらしい。それで今度は何をするにしても何とかそれを処分しないと警察につかまってしまうから、旅をしてどこかにそれを捨てにいかなければならないという話の流れになる。ところがその死体を二人で運ぼうとすると死体はまず動き出し、今度は話し出す。
 男は動くということになると話は違う。「生きているでしょ」と女にいい、女は「動かないから死体なんじゃないよ、死んでるから死体なんでしょ」と反論。二人が言い争っているところに今度は死体自身がしゃべりだす。「しゃべる、、、もう生きてるじゃん」という男に死体は「死んでますよ、だって死体だもん」と話しかける。
 ここまで聞いていただければ分かるようにこれは設定は違うけれどどこか落語の「粗忽長屋」的な味わいを感じる不条理な喜劇なのだ。
 それでも男と女は旅に行くことをになるが、女が死体をひとりだけ置いていくわけにはいかないと言い出し、ここからは男と女と死体の三人(?)が男の運転する車に乗っての珍道中がスタートする。
 芝居を見ている際中はあまり気が付かなかったのだが、この「いきしたい」は最近亡くなった劇作家、別役実の作風を意図的に引用しているのではないかとしばらくして思い起こすと思われてきた。
 冒頭に書いたように前田の作品でも不条理というか現実離れした出来事が起こるが、これまでの作品では登場人物の会そのものは平田オリザの現代口語演劇的な日常会話であり、そのフェーズのままで私たちはいつのまには非日常的な出来事に巻き込まれていることが事後的に分かるというような側面が強かった。
 ところが、日常/非日常の間のようなところを描くというのは同じでもこの「いきしたい」の会話には当事者同士は論理的に話そうとしているのに全体としてはまったく論理的な脈絡が辿れないような状況に陥っている。
 死体さえまだ出てくる前の冒頭近くのパンツを巡る会話からしてもうそうなのだ。
女「何枚くらい持ってく?」
男「何が?」
女「だからパンツ、何枚持ってく?」
男「ええ、え、そんなパンツなんてそんなの二枚くらいあればいいんじゃないの?」
女「二枚って、え、どのタイミングで替えるの?」
男「そりゃもう替えたくなっら替えるよ」
女「替えたくなったら、かえるんだったら、じゃ、に、ねえ、二回しか替えたくなんないってこと?」
男「なんでだよ、二回でも、三回でも、四回でも替えればいいだろ」
女「だって二枚しかないじゃん」
男「、、三枚あるでしょ」
女「なんで?」
男「だってもともと穿いているから」……
こうした男と女のパンツを巡るどうでもいいようなやり取りは延々と続き、挙句の果てに旅先で調達すればいいという男の言葉に女が光るパンツしかなかったらどうなるのかなどと少しづつ論点がずれていくうちにいつの間にかきわめて不条理な何のための議論なのかが訳の分からないところまで持っていかれる。
 別役実がよく使う会話の手法なのだが、これが次第に話す死体自身との死体が生きているか、死んでいるかの議論となったり、どんどん不条理さがエスカレートしていくのだ。
 物語の最終盤では死んでいないはずの死体だけではなくて、夫である男も実はもうだいぶ前に家を出てしまっていないということになってきて、物語の存立基盤が完全に崩れてしまう。それでもあえて論理的に考えようとすれば二人の夫がいなくなり、ひとり残された女の狂気が生み出した幻想とも解釈できないことはない。
 だが、そうした解釈も現実世界があって、そこから狂気の生み出す幻想が生み出されるという構造を前提としているので、いわばテキストの地の文としての現実世界の存在があいまいになってしまった、この世界では混とんとしたさまざまなイメージだけが浮遊していて、何が幻想でなにが現実であるのかの腑分けができなくなっているのである。別役どころかもはや「ドグラマグラ*2的世界と言ってもいいのかもしれない。

作・演出:前田司郎

この度のコロナを語る演劇は今後、飽きるほど目にすると思うので、コロナに全く関係のない個人的な出来事について書くつもりです。 個人的な出来事については、すでに飽きるほど見ていると思いますが、僕は飽きません。
夫婦と男の話にしようと思います。どこにでもあるような普通の話、くだらない話を、夢の文法を使って描きたい。
結果変な話になるかと思いますが、難しくはないです。気軽に見てください。
こういう状況なので少数精鋭です。 稽古場には大抵4人しかいないという環境ですが、誰かがコロナにかかれば即公演中止というスリリングな状況ですので、是非見に来てくださいとは言いにくいですが、ぬかりなくやります。
よろしくお願いします。

前田司郎

五反田団

前田司郎の作品を上演する劇団として1997年に旗揚げ。
東京を中心に、ベルギー・フランス・シンガポールなど海外での上演も多数。
主宰の前田は「生きてるものはいないのか」で第52回岸田國士戯曲賞、小説家としては三島由紀夫賞シナリオライターとしても向田邦子賞ギャラクシー賞優秀賞を受賞している。
その他、自らの脚本による映画「ジ、エクストリーム、スキヤキ」「ふきげんな過去」を監督。cxドラマ世にも奇妙な物語では「ファナモ」の原作脚本監督をつとめた。


出演

浅井浩介 岩瀬 亮 谷田部美咲

スタッフ

作・演出:前田司郎
照明:山口久隆(S-B-S)
舞台監督:榎戸源胤
制作:榎戸源胤 門田美和
Webページ製作:山守凌平(青年団)

*1:典型的なのは「さようなら 僕の小さな名声」だが、岸田國士戯曲賞受賞作の「生きてるものはいないのか」もそうかもしれない。

*2:

ドグラ・マグラ(上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(上) (角川文庫)