下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

劇団ジャブジャブサーキット「月読み右近の副業」@下北沢駅前劇場

劇団ジャブジャブサーキット「月読み右近の副業」@下北沢駅前劇場

 

作・演出 はせひろいち

◆CAST

咲田とばこ

はしぐちしん(コンブリ団)

荘加真美

空沢しんか…●

中杉真弓…★

伊藤翔

まどかリンダ…●

谷川美穂…★

癲橋ケン

●と★はダブルキャストです。

中杉と、空沢が一つの役を

谷川と、まどかが一つの役を日替わりで演じます。

☽の回と、★の回のダブルバージョンで上演いたします。



◆STAFF

作・演出 はせひろいち

照明 福田恒子

音響 松野 弘

舞台美術 JJC工房

舞台監督 岡 浩之

宣伝美術 石川ゆき

制作 劇団ジャブジャブサーキット

制作協力(東京) 癲橋俊也

(THEATRE THEATER)

咲田とばこ演じる右近はテレビにも出演するような人気占い師だったが、ある時を境にそうした仕事をやめて助手役を務める若い男(伊藤翔大)やどこからかそこに迷い込んできた少女(まどかリンダ)と一緒に山奥の一軒家で隠遁生活を送っていた。

  しばらく旅に出ていたらしい車椅子の男が右近の元に戻ってくる。するとそこには今度は右近の友人らしき女(荘加真美)、政界のフィクサーと思われる老人(癲橋ケンヂ)なども現れる。どうやら登場人物らには姿が見えないらしい女(空沢しんか)も出没しなにやら怪しげな陰謀めいた事件が進んでいるようだ。

迷い込んだ若い女はどういう人なのか。老人と右近はいかなる関係にあるのか。どことなくいわくありげな女の友人は本当はどういう人なのか。正体不明の姿の見えぬ女はなんなのか。はせの舞台ではこうした謎が特に前半部分では解き明かされることなく、まるで地層をなすように次々と提示されていく。その謎の多くは後半明かされていくことにはなるのだが、通常のミステリ小説と異なるのは物語の最後の大団円を迎えても謎のいくつかは明かされることなく、残って観客にある種の余韻を残して終わる。

 平田オリザらが90年代初頭から開始した群像会話劇*1に「関係性の演劇」の呼称を使用したのはそれらの舞台の多くが複数の登場人物の会話のなかから、人物間の背後に隠された関係性を浮かび上がらせるという共通の特徴を持っていたからだった。代表的な作家としてはもちろん平田の名が筆頭に挙げられるが、同様に活発に創作活動を展開していたのが弘前劇場長谷川孝治、桃唄309の長谷基弘、そしてジャブジャブサーキットのはせひろいちだ。半分ダジャレの感もあるけれども彼らを称して関係性の演劇の三銃士ならぬ「三ハセ」と呼んでいた時期もあった。
 彼らの劇作は共通の特徴を持っていたが、もちろんそれぞれに大きな方向性の違いもあった。ジャブジャブサーキットのはせひろいちに関して言えばこの三人のなかでは特に90年代当初のスタイルにおいてはほとんどの作品が現代あるいは近未来に舞台を設定した群像会話劇であったという点で上記の三人のなかではもっとも平田と近いスタイルをとっていたともいえるが、はせの場合その作品の多くがミステリ劇風の様相を見せたように見せ続けていくことのドライビングフォースが「謎解きの構造」にあること。そして、多くの作品においてその謎によって浮かび上がってくる真相のようなものが、現実世界の事実関係のようなものではなくて、一種の「幻想にあること」。つまり、はせひろいちの劇世界は日常会話の劇のスタイルを装った幻想劇であることにその最大の特徴があった。

 ジャブジャブサーキットの場合、当初はダンスシーンなどもある第三舞台などを思わせる典型的な80年代演劇スタイルをかなりの期間経過した後、その後の基調となる群像による現代口語演劇的なスタイルにその様式を変えた。当初は日常性を提示することに重きが置かれ、リアルな手触りが特徴だったが、今回の作品などではタイトルロールを演じる咲田とばこをはじめ、その演技はリアルにと言うよりは日常と非日常が入り交じったようなデフォルメされたものとなってきている。

 さらにこの舞台では本を「朗読する」というのが芝居の内容的にも演劇の形式としても重要なモチーフとなっていて、こうした工夫で現実にはありえない「能力者」のような人が実在するリアリティーを担保するようになっている。

    「月読み右近の副業」は右近の持つ特殊能力というのが個人的なものではなく、ちょうど恩田陸の「常野物語」のように一族に繋がるものなのだ。ただ、この舞台ではその能力の実態ははっきりとはせず、本を読ませることで遠隔で人を操ったり、死体を式神のようにつかったりすることからして、陰陽師の使う術に近いもののようでもある。この舞台の物語は右近が亡くなった妹のもとに向かうところで終わるが、行方不明のようである兄の消息であるとか、明かされないままの謎も多くて、小説ならば続編が読みたいところである。

 

 

*1:当時は「静かな演劇」と呼ばれていた

ゲンロンカフェ「木ノ下裕一 × 東浩紀」とエラリー・クイーン「アメリカ銃の謎」(創元推理文庫)

[トーク]ゲンロンカフェ「木ノ下裕一 × 東浩紀

小松左京が復活する?!──SFアマチュア読者2人がそれぞれの仕事と絡めて考える偉人の現代的可能性

[本]エラリー・クイーンアメリカ銃の謎」(創元推理文庫

 エラリー・クイーンアメリカ銃の謎」(創元推理文庫)の中村有希による新訳版を読了。実はうかつなことに気がついていなかったのだが、創元推理文庫は2011年の「ローマ帽子の謎」に始まり、1年1冊のペースで中村有希によるエラリー・クイーンの国名シリーズの新訳版出版に取り組んできた。この「アメリカ銃の謎」がその6冊目にあたる。今回「アメリカ銃の謎」の新訳版を手に入れ読んでみたのはたまたま自分と同じモノノフ(ももクロファン)であるらしいミステリ作家、太田忠司さんが解説を担当しているということを知って、それがどんなものかに興味を持ったからなのだが、なんといってもクイーンの作品ということはあり、小説本編にもいろいろ興味を引かれるところはあった。
2万人収容可能な巨大なスタジアムで行われたロデオのショーでの公衆の面前で起こった射殺事件を取り上げたこの作品もそうなのだが、いかにも米国の作家らしく、クイーンという作家のそれまでの英国のミステリ作家などにはない特色は不特定多数の人間が容疑者となりうるような都市の公共空間で行われた犯罪を描き出したことかもしれない。
 処女作である「ローマ帽子の謎」はブロードウエーの大劇場の観客席が舞台だったし、「フランス白粉の謎」は百貨店の店内、「オランダ靴の謎」は患者や医者、看護師らが自由に往来する大病院で行われたものだった。以前にミステリ小説を読み出した頃にはそういうことはあまり考えなかったけれども事件の現場が大邸宅であることが多いヴァン・ダインや地方の小都市や田舎の屋敷での閉ざされた世界での犯罪を描いたアガサ・クリスティーなどと比較するとこの違いは顕著なもので、そこには風俗的なものも含めて20世紀の犯罪を描くという意思が強く反映されていたのではないかと思う。
 もうひとつは作品に「読者への挑戦」をわざわざ付けたこととも関わるが、犯人を推理するためにはフラットな開かれた空間においてそれこそそこに居合わせた不特定多数の誰もが犯人でありえる論理空間から、論理の力により、唯一無二の犯人を絞り込む。これが推理小説というものだという自負があったのではないかと思うのだ。
 もちろん、クイーンの国名シリーズのすべての作品が開かれた空間を舞台としているというわけではない。「エジプト十字架の謎」はクイーン後期以降の作品に数多く登場する舞台立てを連想させる地方の小村が舞台。「エジプト棺の謎」の舞台も美術商の大邸宅だ。ただ、バーナビ-・ロス名義の「Xの悲劇」でも広大なニューヨークそのものが舞台となっているように
都市のフラットな公開空間における犯罪というきわめて20世紀的なものを意図的にクローズアップしたのがクイーンだったということはこの作家を考えていくうえで重要なことだと思う。(以下若干ネタばれあり)










(以下ネタばれあり)
クイーンの国名シリーズは何度も繰り返して読んでいるのだが、この作品はおそらく初めての再読だ。それはたぶん、初読の時の印象があまりよくなかったからだと思われるが、ひとつにはブロードウエーの劇場や老舗百貨店に比べて米国らしいといえばそう言えるのかも知れないが、何万人も収容するような会場で開かれるロデオのショーの興業というのが全然ピンとこなかったせいもあるかもしれない。
初読の数十年前でさえ、充分にそうであるのだから、ネイティブアメリカンに対する差別的描写があるなどの理由で西部劇映画さえ、ほとんど作られなくなって久しい現代の日本の読者からしたらどこの世界だというほどリアルな実感はないだろう。
もっとも、(誰とは言わないが)日本のアイドル好きの推理作家が巨大スタジアムで開催されたライブ会場での殺人を描いたミステリ作品を書いたとして、それが翻訳されて欧米のミステリファンに読まれた時にどの程度のリアリティーをもって受け入れられるかと考えると同じようなものかも知れないが。ましてはそれが初音ミクライブだったらSF小説なんだと誤解されかねないかもしれない(笑)。
 いずれにせよ、そういうこともあって数万人の容疑者をあの図だけ(笑)で一気に除外している推理には思わず呆然としてしまい受け入れるのが困難だったんだと思う。
もっともこれもそうだし、その後の展開もいかにもクイーンというプロットで「らしい」といえばその通りなのだ。それゆえ、クイーンはその後の描写で複数回京大ミステリ研の叙述ルールではアウトなことをやっているのだが、残念ながらこの作品が書かれた方が先なので仕方がない。それどころか、私がこの作品を初読したのはミステリ研が発足するより前だったので、ミステリ研ルールへの抵触がこの作品のマイナス評価につながったかと一瞬思ったが、そんなことは論理的にあり得ないことがすぐ分かった(笑)。


カラス アパラタス 開館4周年記念公演アップデイトダンス #48「イリュミナシオン」

カラス アパラタス 開館4周年記念公演アップデイトダンス #48「イリュミナシオン


フランスの詩人アルチュール ランボーの詩集
「イルミナシオン」(1874)を基にしたダンス作品。
私自身、若い時に読後の興奮と焦燥とで胸躍らせた身体感覚が
7月の太陽の下によみがえりハートを焦がす。
今年の夏のダンス体験は、8月終わりに萩原朔太郎
「月に吠える」に移り、歪んだ太陽と鋭い月の牙へ向かう。
                    勅使川原三郎
 
 
出演 佐東利穂子 勅使川原三郎
演出 照明  勅使川原三郎

  





かえるP「スーパースーハー」@こまばア舞踊家ゴラ劇場

かえるP「スーパースーハー」@こまばアゴラ劇場

振付・演出:大園康司 橋本規靖

出演 小野彩加 金子愛帆 新宅一平 大園康司 橋本規靖


スタッフ

音響:林あきの
照明:南香織(LICHT-ER)
舞台監督:熊木進
制作:持田喜恵/飯塚なな子
衣装:小暮史人(Design Complicity)
宣伝美術:佐藤瑞季

 かえるP(Kaeru-P)は大園康司と橋本規靖が主催するダンスユニット。これまでコンペやダンスショーケースなどで短い作品を見たことはあったが、劇場での単独公演を見たのははじめて。

   部分、部分をとってみれば面白くないというわけではないのだ。むしろかなり面白い。

    例えば女性ダンサーがまず出てきて動きのシークエンスをまず見せて(この時点ではそんなにダンスっぽい感じはない)、次に男性のパフォーマーがそれに加わり、ペアでのユニゾンの動きとなり、それに音楽が同期すると急に全体としてダンスのように見えてくるところなどは秀逸と感心させられた。

     あるいはロック系の音楽に乗せて全員がユニゾンっぽい群舞を踊るところのなんともいえないインチキくささ。これもけっこう好き。このほかにもまず女性どうし、男性どうしが組み合って格闘技のスパーリングのような動きをするところから始まる一連のシークエンスも面白かった。

    ただ、見ていて次第に気になってくるのはこれはいったい何がやりたくてこういうことをやっているのかがよく分からないことだ。      確かにコンテンポラリーダンスという狭い業界(みたいなもの)でやられているダンスとされている作品に飽きたらなくてそれを壊したいんだろうというのは分かる。というか何となくそういう空気感は伝わってくる。ただ、そのためにしている方法論があまりにも場当たり的なのだ。

   とはいえ、悩ましいのはどれかひとつに絞りこんで、深く掘り下げていくことこそ従来型アプローチと考えているとすればそれも一概に否定することめできないので困る。掘り下げることで出てくる新たなものが見たいのだが。

SPAC『アンティゴネ』アヴィニョン演劇祭公演報告会

SPAC『アンティゴネアヴィニョン演劇祭公演報告会

 

[第二部]19:00~21:00
「世界レベル」を認識し、それに挑戦する若手気鋭の演劇人を育成するため、文化庁の支援を得て、今年5月の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」「ストレンジシード」に参加した若手演劇人をアヴィニョンに派遣しました。彼らの目から見た「アヴィニョン演劇祭」『アンティゴネ』公演について、世界の舞台で勝負すること、さらにはフェスティバルと都市の関係について語り合います。

◎ 登 壇 者:
タニノクロウ(劇作家・演出家・「庭劇団ペニノ」主宰)
矢内原美邦(振付家・演出家・劇作家・「ニブロール」「ミクニヤナイハラプロジェクト」主宰)
いいむろなおき(マイム俳優・演出家・振付家)
渡辺亮史(「劇団渡辺」主宰・(社)静岡アート支援機構代表・ストレンジシード事務局)
宮城聰(SPAC芸術総監督)
司会:成島洋子(SPAC芸術局長)
◎ 参 加 費:1,000円(ワンドリンク込み)
◎ 定  員:40名

 



 

マームとジプシー「あっこのはなし」@さいたま芸術劇場

マームとジプシー「あっこのはなし」@さいたま芸術劇場

作・演出|藤田貴大
音楽|UNAGICICA
出演|石井亮介 伊野香織 小椋史子 斎藤章子 中島広隆 船津健太

 

マームとジプシー常連メンバーとコミカルに30代の女性をテーマに描いた本作は、新宿に新しくできた劇場、LUMINE0のオープニング作品として、2016年に発表。また、本作品は会場や会場のスペックに合わせて、作品をフレキシブルに変更していきます。劇場での上演のほかに、リハーサル室など劇場以外の場所で上演予定。

 

 地方都市に住む30歳代の女性の日常をコミカルなタッチで描くこの作品は生と死を主題にした詩的な作品が多い最近のマームとジプシーのなかでは異色作かもしれない。登場人物はもちろん出演する俳優そのままではないが、表題の「あっこのはなし」のあっこがおそらくあっこ役を演じた斎藤章子の実際のニックネームでもあるように齋藤以外も伊野香織、小椋史子ら登場人物は全員本名のまま登場してくる。

 そういうのもいつもの作風とは少し違うが、作品中に斎藤の幼少期からの写真が実際に出てきて、家族や飼っていた犬の写真まで出てくる。主人公のあっこは最後に東京に出て演劇をやることを決めるから実際の斎藤の経験がかなり作品に投影されているのかもしれない。

   ちなみにそんなに演劇をたくさんは見ない妻にこの芝居を見せたら30台以上の独身女性あるあるがたくさん出てきて面白かったと喜んでいた。 通常のマームとジプシーの作品とは感触がかなり違うが、ロロの「いつ高」シリーズのように何らかの形でシリーズ化することがあったらぜひ見たくはある。

BiSH NEVERMiND TOUR RELOADED THE FiNAL “REVOLUTiONS“ @ 幕張メッセ イベントホール

BiSH NEVERMiND TOUR RELOADED THE FiNAL “REVOLUTiONS“ @ 幕張メッセ イベントホール

 

(18:02開演)

・OP煽り映像

1 オーケストラ

2 社会のルール

3 DEADMAN

4 Marionette

5 ウォント

6 本当本気

-自己紹介MC-

7 DA DANCE!!

8 ヒーローワナビー

9 VOMiT SONG

10 Nothing

 11 スパーク

12 サラバかな

13 ALL YOU NEED IS LOVE

-MC(アツコ劇場)-

14 MONSTERS

15 OTNK

16 beautifulさ

17 GiANT KiLLERS

18 BiSH-星が瞬く夜に-

(19:32アンコール)

アンコール:
19 BUDOKANかもしくはTAMANEGI

20 プロミスザスター

21 生きててよかったというのなら

 

ライブは本当によかった。単独のライブは3回しか見たことがないからファン(清掃員)とは言いがたいが、勢いを感じた。スーパーなボーカル(アイナ・ジ・エンド)とそれに肉薄するもうひとり(セントチヒロ・チッチ)がいるのが最大の強みだが、何と言っても曲がいい。このグループのアンセムともいえそうな代表曲「BiSH-星が瞬く夜に」はやはりよくてこういう歌があるのはいいなと今回も思わせられたが、今回はそれをあえてアンコール前に歌い、しかももうひとつの代表曲である「オーケストラ」も冒頭に回し、それでも「プロミスザスター」「生きててよかったというのなら」と繋いだ最後は見事なフィナーレだった。次の目的地である日本武道館にも近いうちに届きそう。

朗読劇「『陰陽師』~藤、恋せば 篇~」

朗読劇「『陰陽師』~藤、恋せば 篇~」

 

原作:夢枕獏  脚色・演出:岡本貴也
陰公演

2017年7月14日(金)~17日(月・祝) 東京都 新宿FACE

キャスト安倍晴明諏訪部順一矢崎広池田純矢、橘輝源博雅矢柴俊博、河原田巧也、石橋直也、反橋宗一郎蜜虫:森口瑤子南里侑香山村響田上真里奈
陽公演

2017年7月19日(水)~23日(日)東京都 六行会ホール

キャスト安倍晴明津田健次郎桑野晃輔西山宏太朗、有澤樟太郎

源博雅:松本慎也、石橋直也、鐘ヶ江洸、高崎俊吾(「高」ははしごだか「崎」はたちざきが正式表記)

蜜虫:釘宮理恵柏木ひなた私立恵比寿中学井上理香子フェアリーズ)、石川由依

 夢枕獏の「陰陽師」を朗読劇として再構成。予想以上に面白かった。朗読劇だから地の文にあたるような「語り」的な部分を3人の主要キャスト(有澤樟太郎、鐘ヶ江洸、柏木ひなた)がそれぞれ分担したり、メインではない役柄も次々と演じ分けたりする。シアターシュリンプの時のような会話劇と比べて少女から老女までを声色を変えて演じるなど演技のハードルは高いが、演技経験が少ないながらも柏木ひなたの演技は他の出演者と比較しても遜色がなく、驚かされた。

 さすが女優事務所とも思ったが、こういうのは事務所うんねんよりも個人的な資質が大きいのかもしれない。どういう経緯で出演することになったのか、どの程度の稽古日程がとれたのかは不明だが、ひなたがこういう形で演劇に挑戦できるならももクロももっと積極的に舞台に挑戦してほしいとも思った。ただ、この日は劇場はファミリーに占拠されるという風でもなかったがもし玉井詩織が出演してたらこの程度の規模の劇場では客席はモノノフばかりになってしまいかねないのでそこがやっかいなところだ

 

 

 

TRASHMASTERS vol.27 「不埒」 @下北沢駅前劇場

TRASHMASTERS vol.27 「不埒」@下北沢駅前劇場 
 

2017年7月15日 [土] >>7月23日 [日]@下北沢駅前劇場 [全11回公演]
作・演出 中津留章仁

出演
カゴシマジロー
星野卓誠
倉貫匡弘
髙橋洋介
龍坐
川﨑初夏

乙倉遥 [演劇集団 円]

 「 緻密に組み立てられたリアルな政治劇」「社会の状況に対する批判を作品に大胆に盛り込み権力に対する鋭い批判を演劇に組み込んだ」などの評価の声をこの劇団の舞台に対して寄せる批評家あるいは観客もいるのだけれどもそうした言説に対してどうもしっくりこないものを感じていた。 

  今回は東芝を思わせる一流企業に勤務する夫とその家族とそれぞれの親族、友人が登場する。夫はどうやら不倫していて妻と息子はそれが許せない。マンション前にある鉄道(鉄道路線は特定されないが、小田急がモデルだろうか)では現在高架工事が進んでおり、そのプロジェクトには夫の会社も参画している。工事への反対運動への参加の件で妻、息子と激しく対立するが、単純に政治的な対立を描くだけではなく、ここではその対立の背後に人間関係のいざこざがあることが分かってくる。家族の家庭内の不和を描くことが、現代社会で様々な問題での対立軸に重なっていくというのがTRASHMASTAERS=中津留章仁のいつものやりかたでこの作品もそれを踏襲している。

 問題の設定はかなり極端に単純化され、分かりやすく改変されている。例えばこの作品では私鉄の高架工事について高架工事自体が開発企業と政治権力が結びついた利権構造のうえにあるなどと描いているが、マンションが立地している場所を世田谷区と措定しているから、これは小田急京王電鉄のことに思われる。実際に高架化も何カ所も実施された場所はあるが、正直言ってこういう工事は利権のためというよりは列車の本数を増やして高速化するためとか実際に高架化される場所より遠隔地の住民の利便向上などの企業収益上の合理的な理由があるのではないだろうか。

 こういう問題は単に私企業=もうけ主義=悪などという単純な構図は当てはまらない。結局のところ「都心に近い住民の利益」対「郊外の住民の利便性」という「公共」対「公共」の利益対立の構図となり、全体としてどちらの利益をより重視するのかということ政治的な判断が迫られる案件とならざるを得ない。

 この作品は会社を悪として描くだけではなく、退職後の夫が工事阻止のために市会議員にまでなり、反対運動を初期から展開していた学校教師と組み、自らの主張を有利にしようと会社に戻った友人を脅し、会社の機密情報を探らせようと強要しようとするところまでも描く。その後には警察官になった息子の手で「共謀罪」の容疑で逮捕されるという顛末があり「正義を掲げるものこそ危うい」とのメッセージも見受けられるのだが、どうもこれも「共謀罪」の事例としては全くリアリティーがない。

 ただ、この劇団の作品を「リアルな政治劇」と見なす見方そのものが根本的に間違っているのではないかという風に考え直したときTRASHMASTAERSが一定数以上の観客から支持を受け続ける理由が分かったようにも思えた。ここでの議論はよくも悪くもショーアップされたものだ。展開される論理は「朝まで生テレビ」的な政治的なショーの趣きに近い。息子の警察官としての登場なども大向こう受けを狙ったお芝居としてなら理解できなくもないのだ。

 この劇団の作品を「リアルな政治劇」と見なす見方そのものが根本的に間違っているのではないかという風に考え直したとき同時にTRASHMASTAERSが一定数以上の観客から支持を受け続ける理由が分かったような気がした。ここでの議論はよくも悪くもショーアップされたもので、展開される論理は「朝まで生テレビ」的な政治的なショーの趣き、つまり政治劇的なエンターテインメントなのかもしれない。   

 

オフィス コットーネプロデュース「怪談 牡丹燈籠」@すみだパークスタジオ倉

えオフィスコットーネプロデュース「怪談 牡丹燈籠」 @すみだパークスタジオ倉

 
原作:三遊亭円朝
脚本:フジノサツコ
演出:森新太郎
プロデューサー:綿貫凜
出演:柳下大山本亨、西尾友樹、太田緑ロランス松本紀保青山勝松金よね子 
 
 
 
 
 
 
 
「怪談  牡丹燈籠」といえば歌舞伎としても上演されている古典ではあるけれど元来は三遊亭円朝の怪談噺。落語が原作である。これまで演劇では新三郎、お露の悲恋に焦点を当てた脚色が上演の主流てなってきたが、今回はより原作に忠実な戯曲をフジノサツコが書き下ろし、森新太郎が演出し群像劇として上演した。