劇団ジャブジャブサーキット「月読み右近の副業」@下北沢駅前劇場
作・演出 はせひろいち
◆CAST
咲田とばこ
はしぐちしん(コンブリ団)
荘加真美
空沢しんか…●
中杉真弓…★
伊藤翔大
まどかリンダ…●
谷川美穂…★
癲橋ケンヂ
●と★はダブルキャストです。
中杉と、空沢が一つの役を
谷川と、まどかが一つの役を日替わりで演じます。
☽の回と、★の回のダブルバージョンで上演いたします。
◆STAFF
作・演出 はせひろいち
照明 福田恒子
音響 松野 弘
舞台監督 岡 浩之
(THEATRE THEATER)
咲田とばこ演じる右近はテレビにも出演するような人気占い師だったが、ある時を境にそうした仕事をやめて助手役を務める若い男(伊藤翔大)やどこからかそこに迷い込んできた少女(まどかリンダ)と一緒に山奥の一軒家で隠遁生活を送っていた。
しばらく旅に出ていたらしい車椅子の男が右近の元に戻ってくる。するとそこには今度は右近の友人らしき女(荘加真美)、政界のフィクサーと思われる老人(癲橋ケンヂ)なども現れる。どうやら登場人物らには姿が見えないらしい女(空沢しんか)も出没しなにやら怪しげな陰謀めいた事件が進んでいるようだ。
迷い込んだ若い女はどういう人なのか。老人と右近はいかなる関係にあるのか。どことなくいわくありげな女の友人は本当はどういう人なのか。正体不明の姿の見えぬ女はなんなのか。はせの舞台ではこうした謎が特に前半部分では解き明かされることなく、まるで地層をなすように次々と提示されていく。その謎の多くは後半明かされていくことにはなるのだが、通常のミステリ小説と異なるのは物語の最後の大団円を迎えても謎のいくつかは明かされることなく、残って観客にある種の余韻を残して終わる。
平田オリザらが90年代初頭から開始した群像会話劇*1に「関係性の演劇」の呼称を使用したのはそれらの舞台の多くが複数の登場人物の会話のなかから、人物間の背後に隠された関係性を浮かび上がらせるという共通の特徴を持っていたからだった。代表的な作家としてはもちろん平田の名が筆頭に挙げられるが、同様に活発に創作活動を展開していたのが弘前劇場の長谷川孝治、桃唄309の長谷基弘、そしてジャブジャブサーキットのはせひろいちだ。半分ダジャレの感もあるけれども彼らを称して関係性の演劇の三銃士ならぬ「三ハセ」と呼んでいた時期もあった。
彼らの劇作は共通の特徴を持っていたが、もちろんそれぞれに大きな方向性の違いもあった。ジャブジャブサーキットのはせひろいちに関して言えばこの三人のなかでは特に90年代当初のスタイルにおいてはほとんどの作品が現代あるいは近未来に舞台を設定した群像会話劇であったという点で上記の三人のなかではもっとも平田と近いスタイルをとっていたともいえるが、はせの場合その作品の多くがミステリ劇風の様相を見せたように見せ続けていくことのドライビングフォースが「謎解きの構造」にあること。そして、多くの作品においてその謎によって浮かび上がってくる真相のようなものが、現実世界の事実関係のようなものではなくて、一種の「幻想にあること」。つまり、はせひろいちの劇世界は日常会話の劇のスタイルを装った幻想劇であることにその最大の特徴があった。
ジャブジャブサーキットの場合、当初はダンスシーンなどもある第三舞台などを思わせる典型的な80年代演劇スタイルをかなりの期間経過した後、その後の基調となる群像による現代口語演劇的なスタイルにその様式を変えた。当初は日常性を提示することに重きが置かれ、リアルな手触りが特徴だったが、今回の作品などではタイトルロールを演じる咲田とばこをはじめ、その演技はリアルにと言うよりは日常と非日常が入り交じったようなデフォルメされたものとなってきている。
さらにこの舞台では本を「朗読する」というのが芝居の内容的にも演劇の形式としても重要なモチーフとなっていて、こうした工夫で現実にはありえない「能力者」のような人が実在するリアリティーを担保するようになっている。
「月読み右近の副業」は右近の持つ特殊能力というのが個人的なものではなく、ちょうど恩田陸の「常野物語」のように一族に繋がるものなのだ。ただ、この舞台ではその能力の実態ははっきりとはせず、本を読ませることで遠隔で人を操ったり、死体を式神のようにつかったりすることからして、陰陽師の使う術に近いもののようでもある。この舞台の物語は右近が亡くなった妹のもとに向かうところで終わるが、行方不明のようである兄の消息であるとか、明かされないままの謎も多くて、小説ならば続編が読みたいところである。
*1:当時は「静かな演劇」と呼ばれていた