下北沢通信

青年団リンク キュイ「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」@小竹向原・アトリエ春風舎

青年団リンク キュイ「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」@小竹向原・アトリエ春風舎

作:綾門優季青年団) 演出:得地弘基(お布団/東京デスロック)

この世には、決して受け入れられないひとがいるということ。
決して近寄ってはいけない場所があるということ。


ある日、夜の公園で突然起こった無差別殺人事件。誰かを狙った犯行というわけでもなく、その日、たまたま犯人に出くわした人物という共通点しか被害者たちには存在しない。悪い人物も良い人物も、等しく殺されている。マスコミはそのような事件を起こした動機を必死に探ろうとするが、最近も遠い昔も、何も出てこない。家庭環境に原因も特になさそうだ。その事件を目撃した市民は、あの犯行が何の動機もないものだということを確信していたが、それを証明する術はなく、ただ沈黙した。


出演

大竹 直(青年団) 岩井 由紀子(青年団) 西村 由花(青年団) 矢野 昌幸(無隣館)
井神 沙恵(モメラス) 中田 麦平(シンクロ少女) 船津 健太 松﨑 義邦(東京デスロック)
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿) 音響:櫻内憧海、渡邉藍
映像:得地弘基(お布団/東京デスロック) 舞台監督:篠原絵美
舞台美術:山崎明史(デザイン事務所 空気の隙間)  衣裳:正金彩(青年団
演出助手:三浦雨林(青年団/隣屋) 制作:谷陽歩

総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

公園で突然起こる無差別連続殺人事件、教室への連続射殺犯人の乱入、喫茶店で起こる大量毒殺、バスジャック犯による運転手も含む乗客全員射殺、爆死……。
 突然事件が起こり、そこにいる登場人物はあれよあれよと全員が死んでしまう。綾門優季の新作は立て続けに起こるそんな暴力的な場面の連鎖で始まる。
 舞台下手には「1-1」という謎の数字が映写されている。全員が死に暗転すると次の場面に移り、数字は「2-1」「3-1」「4-1」と変わっていく。どうやらこの数字は場面のカウントを表しているようだ。
 これらのシーンを立て続けに見せられて最初何が起こったのかがまったく分からずに混乱させられた。暴力的な場面はあるときは舞城王太郎の小説やともに漫画で後に映像作品にもなった「GANTZ」や「ジョジョの奇妙な冒険」などを彷彿とさせる。どことなくリアルではなく絵空事めいた感覚があるのだ。
この奇妙な暴力的場面は感情移入できず、物語の世界に入って行きにくい。殺人のシーンが続くことで最初のうちはそれなりの刺激があっても、バイオレンス系のゲームや映画のようにすぐにそれには慣れてしまう。時には退屈も感じ始まる。
 冒頭に挙げた4つのシーンが終わった後で暗転があり、舞台下手に提示された数字が「2-2」となると舞台は一番最初の公園の場面に戻っている。どうやら、この世界はループしているようだという構造的な仕掛けが見えて出してきて以降は俄然面白くなってくる。物語の主眼が登場人物が他の誰かを殺すというような出来事そのものではなく、いかにしたら殺人の連鎖によって引き起こされている(らしい)この出来事のループから離脱して抜け出すことができるのかということに対する試行錯誤に重点が移っていくからだ。
 これは東浩紀が考えていたような典型的なループ構造のゲーム的リアリズム
*1の世界ではないだろうか。ただ、ここには少なくとも4つの世界があるので、全体の構造はなかなか複雑。主人公(というか視点人物)は登場人物のうちの男のひとりで、なんとか連続殺人を阻止することでこのループから抜け出そうともがくがなかなかうまくいかない。
 ゼロ年代あるいはポストゼロ年代(2010年代)にはこれに類似したようなループ構造のゲーム的リアリズムの作品がかなり多く作られた。
 例を挙げていけばアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」のほぼ同じループを8回繰り返す「エンドレスエイト」と呼ばれる部分。アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」も類似するループの構造を持っている物語である。ただ、そうした物語とこの「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」が決定的に違うのは先述の物語にはこのループの外側、つまり、入れ子の外の描写があり、それが小説でいう地の文のような役割を果たして、なぜこのようなことが起こるのかと言う世界全体の構造のなかでループの意味が解き明かされるのだが、この芝居で提示されるのはループの中の世界だけなので、ループ構造全体を客観的に解き明かすような場がないのである。
 ただ、実はひとつの仕掛けはあり、それは視点人物と思われていた男が最後に登場人物のひとりにすぎないと思っていた女が視点人物の座を乗っ取るような形になって物語は一応終わる。
 そしてこれだけだとその女が実は視点人物だったということのようなのだが「本当にそうなのか」が誰も確定できないような一種の開かれた構造になっているようで、確信は持てないのだ。
 本当なら戯曲を読んで確認したいところであったが、販売はしていなかった。後、何回かは観劇の機会を持てそうなのでそのあたりを確認してみたい。

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