下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

AYAKANATION2018(ももクロ佐々木彩夏ソロコン)@横浜アリーナ

AYAKANATION2018(ももクロ佐々木彩夏ソロコン)@横浜アリーナ


佐々木彩夏「AYAKA NATION 2018 in 横浜アリーナ」Digest Trailer

佐々木彩夏ももクロあーりんayakanationセトリ
1.early Summer
2.夏の扉 松田聖子
3. Glitter 浜崎あゆみ
4. ペコリナイト ゴリエ
5.mickey ゴリエ
6. Summer Girl 西野カナ
7.キューティーハニーたまやバージョン
8.my hamburger boy
9. My Cherry Pie
10.POISON 布袋寅泰
11. Pandemoniac Frustration布袋寅泰
12.Forever MAN エリッククラプトン
13.Layla エリッククラプトン
14.rimenba rein 神田沙也加
15.桃色空
16. Sunset LOVE is ALL浜崎あゆみ
17. Grenade ブルーノ・マーズ
18.流星 神田沙也加
19. 一千一秒物語 松田聖子
20.花火
本編終了
ニールセンのあーりん講座
アンコール
1.あーりんは反抗期
2.あーりんはあーりん
3.ヘンな期待しちゃ駄目だよ
4.ゴリラパンチ
5.Link Link
6.だってあーりんなんだもん

 ももクロライブ「桃響導夢」でも4人のももクロの成長力の半端なさに驚かされたが、今回のあーりんソロコンにはそれにも増して感心させられた。あーりんの歌唱力については「灰とダイヤモンド」に代表されるように杏果が担ってきた高音領域をまかされるなどその潜在能力(キャパシティー)の高さは徐々に浸透しつつあるが、今回のソロコンの最初の3曲を聞いて、その歌唱の安定度には驚いた。
 これは現在は卒業している有安杏果のソロコンや高城れにのソロコンにも同じく感じたことだが、月1回の真剣勝負(フォーク村)とある意味その成果としての他流試合(ソロコン)を2年~3年続けるというももクロが生み出した育成ノウハウがいかに人間をひとりのパフォーマーとして成長させるのかというのが、この3人を見ているとよく分かる*1。特に定点観測ではないけれど松田聖子の歌はあーりん=アイドルのイメージもあってフォーク村でも何度となく挑戦させられて、コスプレなどで誤魔化してはいるものの松田聖子の伸びのある声にはなかなか寄せられずてこずっているのを見てきているので今回の「夏の扉」を聴いた時には「あーりん、うまくなってる」というのがはっきり分かる出来栄えだった。
 あーりんのソロコンの魅力といえばおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさ。今回は前回の「50年代」のような凝った主題はなく「夏」というシンプルな題目だったが、グアムで撮影してきた冒頭のVから始まり、衣装替えをバンドによる夏曲メドレーや3Bjuniorのダンスでつなぐなど全体の進行が本当に流れるようで、今回も共同演出的にお手伝いをしているとはいえ、ももクロライブでの佐々木敦規演出と比較すると、これが文字通り佐々木彩夏構成・演出なのだとしたら「ひょっとしたら、あーりんのが上じゃないのか」と思ってしまうほどだ。振付家と相談はしているようだが、あつのりんよりもダンスのことがよく分かっているのが大きいのかもしれない。さらにいえばすべて細部まで自分の美学だけで統一しようとしていた杏果と異なり、あーりんの場合は基本的な流れを決めたうえで、「餅は餅屋」というようにバンドのことはバンドにダンスのことは振付家になどとそれぞれのことを人に任せる度量が大きいのではないか。
 ゴリエの2曲はあまりよく知らなかったのだが、ゴリエというのがあーりんとももクロ加入前におはキッズとして出ていた「おはスタ」でレギュラーとして共演していたお笑いコンビ、ガレッジセールのゴリの演じた別名キャラクターであり、同じ番組にMCとして出演していた大沢あかねとはももクロとして番組で共演しているが、ガレッジセールとの絡みは彼らが地元、沖縄中心の活動になり、東京でのレギュラー番組が減っていることもあり、これまでほとんどなかった。
 とはいえ、こういう縁を忘れないのがももクロのよさであり、「ゴリラ・パンチ」を受け継ぎ、2代目ゴリラを襲名したあーりんにぴったりの選曲といえた。
 
 

*1:杏果は成長しすぎて、アイドルの範疇に嵌まらなくなり、卒業してしまったが。

HEADZプレゼンツ「スワン666」作・演出:飴屋法水たち@北千住 BUoY

HEADZプレゼンツ「スワン666」作・演出:飴屋法水たち@北千住 BUoY

2018年6月19日(火)~7月1日(日)
東京都 BUoY

作・演出:飴屋法水たち
美術・音楽:中原昌也
振付:山縣太一
装置群:渋谷清道、飴屋法水
出演:山縣太一、加藤麻季(MARK)、小田尚稔、飴屋法水 / 中原昌也

元テキストがロベルト・ボラーニョという作家の「2666」という小説作品らしいのだが、それだけでなく、女性を襲う男のモノローグやヒヨコを殺した女性の体験談など「暴力」あるいは「性暴力」についての様々なテキストのコラージュのような構成となっている。
  最近はポリティカルコレクトネス(PC)のせいかこのように直線的に暴力の描写に向かう作品はあまり見なくなっている。このため、若い観客には衝撃を与えているようだが、環境を支配するノイズ音楽、聞いていて圧迫感を感じるような絶叫を思わせるセリフ、金属バットを振り回したりといった暴力的趣向といった方向性は以前は他にもあったし、幾分かの既視感は感じざるを得ない。
 まず思い出したのはまだ大阪にいたクロムモリブデン(偶然、先日活動休止を発表)が最初に東京公演として持ってきた「カラビニラダー雪22市街戦ナウ」@神楽坂die platze(1999年11月)だ。実はこの時はまだ東京では無名の劇団だったこともあり、ノイズの劇伴音楽にセリフがまったく聞こえなかったこととそれが神経を逆なでするような音であったこともあって、観客に異常に評判が悪かった記憶があるが、その時に一部の東京のカルトな演劇ファンから飴屋法水の「MMM」を想起させるという評価のされ方をされていて、残念ながら私が飴屋法水を認識したのは特異な作風の現代美術作家としてであって、東京グランギニョルやMMM時代の作品を生で観劇はしていないので詳しい人がいれば教えてほしいのだが、この「スワン666」という作品は最近の飴屋作品の中では一番当時の作品と作風が近いのかもしれない。
 そんな風に考えると東京グランギニョルには後に映画「帝都物語」で加藤を演じて一躍有名になった怪優、嶋田久作がいてそれが大きな役割を果たしていたから、それと同じような役割を山縣太一に期待したのかもしれないと考えさせるものがある。その独特の存在感で山縣はチェルフィッチュの時とはまた違うこの舞台のアクセント役をみごとに果たしていた。
 それ以上に驚かされたのは普段、オーソドックスな会話劇を演出、自らが俳優として出演した舞台でも自然体の演技体を発揮することの多い小田尚稔が妄想に動かされる男の異常性をみごとに演じていたことだ。彼は演出家としても俳優としても確実に新たな引き出しを手に入れたのではないだろうか。
 それにしてもこういう直接的な暴力性を感じる作品は以前は先に挙げたクロムモリブデンだけではなく、ある時期までのBABY-Q(東野祥子)など以前は感じられる集団やパフォーマーがいたか最近はあまり主流になりにくい類のものだ。それがこれほどのポピュラリティーでもって公演できるということには飴屋法水だからこそと思うが、日本の社会におけるアクチャリティーを感じるという意味ではちょうど前日に観劇していた犬飼勝哉「木星のおおよその大きさ」@こまばアゴラ劇場 の方に軍配を上げたくなる。もちろん、この2作品は両極端といってもいいほど違う立ち位置にいるので、ここであえて比較するということはそれほどの意味はないのであるが。

犬飼勝哉「木星のおおよその大きさ」@こまばアゴラ劇場

犬飼勝哉「木星のおおよその大きさ」@こまばアゴラ劇場

作・演出:犬飼勝哉

宇宙は社会の縮図である
「(株)ジュピター」を舞台に、喫煙所でのマナー、目に見えにくいジェンダー・バイアス、バレンタインのチョコ配布、ランチタイムの人間模様など、職場で起こる些末で根深い問題をユーモアと皮肉を込めて描く。ミニマルな作風で知られるわっしょいハウス犬飼勝哉による新作長編。

2007年-2015年、演劇カンパニー「わっしょいハウス」にて主宰・劇作・演出として活動。現在は個人名「犬飼勝哉」として作品を発表している。
「過去と現在、一人語りと対話を融通無碍に行き来する。舞台上の人物がとぼけた表情と何食わぬ調子で語る物語は時間を越え、空間を越え、そしていつしか虚構と現実の境界を越える。少しだけ現実をはみ出した出来事が飄々と語られる様は奇妙にチャーミングだ。」
(山﨑健太 SFマガジン2015年8月号)


出演

浅井浩介 近藤強 西山真来 深澤しほ 前原瑞樹 松竹史桜 本橋龍 山科圭太 山村麻由美 渡邊まな実

スタッフ

演出部:井場景子 犬飼勝哉 小林毅大 小宮山菜子 関田育子 冨田粥 浜田誠太郎 松竹史桜 宮崎莉々香
照明:中西美樹
宣伝美術:内田圭
制作:黒澤健
芸術監督:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

モメラス 第3回公演 利賀演劇人コンクール2017優秀演出家賞受賞作品『青い鳥 完全版』 提携@横浜STSPOT

モメラス 第3回公演 利賀演劇人コンクール2017優秀演出家賞受賞作品『青い鳥 完全版』 提携@横浜STSPOT

2018年6月20日(水)-7月1日(日)

”貧しい家に生まれた兄弟チルチルとミチルは、幸福の青い鳥を求めて冒険の旅へ出た。”
世界中の人々に親しまれた童話劇を幼少期のメーテルリンクが運河の底で体験した「光」の記述をもとに再構成した、モメラス版『青い鳥』。

「時」の陰影を恐れて耳が卑屈にすぼまる寸前、私たちは「あ」と言う。
それは始まりの合図か、終わりの合図か。
光と闇、過去と未来、生と死。
全てを飛び越えて青い泡沫と化すとき、
いったいここには何が残るだろう。

作:モーリス・メーテルリンク
訳:堀口大學
演出:松村翔子(モメラス/青年団演出部)

出演:
海津忠(青年団) 吉田 庸(青年団) 和田華子(無隣館) 安藤真理 中野志保実 井神沙恵(モメラス) 黒川武彦(モメラス) 上蓑佳代(モメラス)

 青年団演出部の松村翔子(モメラス)が利賀演劇人コンクールで優秀演出家賞1位に入選した作品の再演である。課題作品ということもあり、戯曲は堀口大學訳のテキストをそのまま使ってはいるようだが、童話の印象の強いメーテルリンクの「青い鳥」*1がいってみれば冥界巡りのような死のイメージに満ちていることに驚いた。 
 これは既存のテキストを使っているため、余計そうなのかも知れないが、今回は安藤真理らチェルフィッチュにも出演している俳優も使っているのにも関わらず、同じくチェルフィッチュ出身の山縣太一のオフィスマウンテンがポストチェルフィッチュというかチェルフィッチュの方法論を批判的に継承しているように感じられるのに対し、モメラス(少なくともこの日のモメラス)にはそうした印象は皆無だ。
 ではそれがどういうものなのかというと、岸田戯曲賞候補になった前回公演とあまりにタッチが異なるためにいまだ掴みかねているところがある。
 今回の公演は日常性のあまり感じられない幻想味の強いイメージをある種の身体表現を交えた手法で描いたものだが、その技法の使い方に演出家としての巧みさを感じる部分はある。
 ただ、チェルフィッチュやオフィスマウンテンのように一目見て感じる身体表現の独自性の高さは感じられない。舞台は十分に楽しむことはできたけどやはり、モメラスの目指すべき方向性は松村のオリジナルの戯曲による作品にあるのじゃないかと思ってしまった。次回作品はオリジナル戯曲の作品を見たい。 

*1:山の手事情社「印象 青い鳥」。 「青い鳥」は山の手事情社のものを観劇した記憶があると思い調べてみるとなんと18年も前のハイパーコラージュ期の上演であった。 simokitazawa.hatenablog.com

W杯サッカー ロシア大会 日本代表VSコロンビア代表

W杯サッカー ロシア大会 日本代表VSコロンビア代表 日本2-1コロンビア

 2-1で日本が勝利。大変嬉しいが、これからが勝負だ。振り返ってみればアトランタ五輪に出た日本代表は初戦ブラジルを1-0で撃破するマイアミの奇跡を実現しながらも1次リーグで敗退。それは第2戦のナイジェリア戦で0-2と敗れたからだ。
 実は応援していた我々サポーターも選手もそしてひょっとしたら西野監督自身さえも舞い上がってしまい第2戦で勝てば1次リーグ突破だなどと興奮していて、第2戦は0-1の負けまでなら負けも許されるということなどは眼中になかった。しかし、実際にはナイジェリア戦で1点失点した後、無理に挽回しようとして攻めにいって2点目を取られたのが敗退の原因だった。
 というのもこれで得失点の勝負になり、第3戦が勝てば抜けられるという戦いではなくなったからだ。
前回と今回で共通するのは日本が奇跡の勝利を挙げたが、グループ実力最強はそれでもブラジル、そして今回はコロンビアの可能性が強いということだ。つまり、ブラジルがそうだったように今回もコロンビアが残り2戦を2勝で終え、結果的に2勝1敗の3チームによる得失点差の勝負になる可能性が強いということだ。
 この場合、第2戦が0-1の負けなら、コロンビア対ポーランドでコロンビアが勝ちさえすれば、日本はコロンビアもしくはセネガルとの得失点差の勝負になる。
 まず、セネガルが勝てばその時点でコロンビアの勝ち点は3にとどまるから、日本は引き分け以上で抜けることができる。 
 問題はコロンビア勝ちの場合でこの場合は少なくとも第2戦を終わって得失点差0のセネガルは第3戦でマイナスに。日本は勝てばプラスになるからセネガルを上回ることができる。
 ところが第2戦で0-2の場合だとセネガルは1点差負けなら日本を上回るので、コロンビアと示し合わせて日本の試合経過を見ながらコロンビア1-0セネガルの両方満足の試合を演出することができ、アトランタ五輪で日本はみごとにここに嵌められた。ポイントは日本が大量点差で勝利しないかぎり、勝っているチームは無理に2点目を取りにいかないし、負けているチームもリスクをおかさない。その意味で第2戦に1点差負けと2点差負けは天と地ほどの違いがあるのだ。

木ノ下歌舞伎舞踊公演「三番叟」「娘道成寺」@まつもと市民芸術館

木ノ下歌舞伎舞踊公演「三番叟」「娘道成寺」@まつもと市民芸術館

監修:木ノ下裕一 美術:杉原邦生[KUNIO]

『三番叟』 
演出:杉原邦生 振付:北尾 亘[Baobab] 音楽:Taichi Master
出演:北尾 亘、坂口涼太郎、内海正考

娘道成寺
演出・振付・出演:きたまり[KIKIKIKIKIKI]

木ノ下歌舞伎「三番叟」「娘道成寺」@まつもと市民芸術館観劇。きたまりの「娘道成寺」はよりソリッドにブラッシュアップ。北尾亘振り付けの新版「三番叟」はヒップホップダンス、ラップととにかく楽しい。近いうちに東京か横浜でも見たい。
 木ノ下歌舞伎の舞踊公演は前回は「隅田川」「娘道成寺」の2本立てだったが、10年前の初演(京都アトリエ劇研)は「三番叟」と「娘道成寺」の2本立て。今回は「三番叟」を北尾亘の振付により徹底的に作り直し、キャスト(北尾 亘、坂口涼太郎、内海正考)も一新、カップリングを元に戻した。

日本最初のアイドル、松井須磨子とももクロ~5色のペンライトはいかにして「日本文学盛衰史」に登場したのか 青年団第79回公演「日本文学盛衰史」@吉祥寺シアター(2回目)

日本最初のアイドル、松井須磨子ももクロ~5色のペンライトはいかにして「日本文学盛衰史」に登場したのか

青年団第79回公演「日本文学盛衰史」@吉祥寺シアター(2回目)
f:id:simokitazawa:20180325194839j:plain

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

原作:高橋源一郎 作・演出:平田オリザ
出演 山内健司 松田弘子 志賀廣太郎 永井秀樹 小林 智 兵藤公美  島田曜蔵  能島瑞穂 大塚 洋 鈴木智香子 田原礼子 大竹 直 村井まどか 山本雅幸 河村竜也 長野 海 堀夏子 村田牧子 木引優子 小瀧万梨子 富田真喜 緑川史絵 佐藤 滋 藤松祥子

文学とは何か、人はなぜ文学を欲するのか、
人には内面というものがあるらしい。そして、それは言葉によって表現ができるものらしい。しかし、私たちは、まだ、その言葉を持っていない。
この舞台は、そのことに気がついてしまった明治の若者たちの蒼い恍惚と苦悩を描く青春群像劇である。高橋源一郎氏の小説『日本文学盛衰史』原作、青年団2年ぶりの新作公演。

原作:『日本文学盛衰史』(講談社文庫刊)

高橋源一郎の長編小説。『群像』に1997年〜2000年にかけて連載。
日本近現代文学の文豪たちの作品や彼らの私生活に素材を取りつつ、ラップ、アダルトビデオ、伝言ダイヤル、BBSの書き込みと「祭」、たまごっち、果ては作者自らの胃カメラ写真までが登場する超絶長編小説。第13回伊藤整文学賞受賞作。

原作者:高橋源一郎

1951年広島県生まれ。小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学教授。
1981年デビュー作、『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作受賞。1988年『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞受賞。2002年『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞受賞。2012年『さよならクリストファー・ロビン』により第48回谷崎潤一郎賞を受賞。
著書に『「悪」と戦う』、『恋する原発』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』他多数。


舞台化に向けて原作者よりメッセージ
平田オリザさんから、「『日本文学盛衰史』を劇にして上演してもいいですか」と訊かれたときには、ほんとうに驚きました。そして、あの小説がほんとうに劇になるのか、と思い、同時に、あの小説の登場人物たちが舞台の上で生身の人間になって動き、しゃべるところを見てみたい、と強く思ったのでした。
日本人にとって、あるいは、何かを造り出そうとする者にとって、日本語や言葉や表現というものに関心を抱かざるを得ない者にとっての特別な時代、それを描こうとした小説が、舞台の上で生まれ変わる。
その瞬間をいちばん楽しみにしているのは、作者であるわたしかもしれません。

高橋源一郎

出演

山内健司 松田弘子 志賀廣太郎 永井秀樹 小林 智 兵藤公美  島田曜蔵  能島瑞穂 大塚 洋 鈴木智香子 田原礼子 大竹 直 村井まどか 山本雅幸 河村竜也 長野 海 堀 夏子 村田牧子 木引優子 小瀧万梨子 富田真喜 緑川史絵 佐藤 滋 藤松祥子

スタッフ

舞台美術:杉山 至
美術アシスタント:濱崎賢二
照明:井坂 浩 西本 彩
音響:泉田雄太 櫻内憧海
衣裳:正金 彩
舞台監督:小林朝紀 
宣伝美術:工藤規雄+渡辺佳奈子 太田裕子
宣伝写真:佐藤孝仁
宣伝美術スタイリスト:山口友里
制作:石川景子 太田久美子

撮影協力:momoko japan
タイトルロゴ制作資料協力:公益財団法人日本近代文学館

日本文学盛衰史」は平田オリザ作品としては珍しい4場の構成となっており、明治を代表する4人の文学者(北村透谷、正岡子規二葉亭四迷夏目漱石)の葬儀が取り上げられている。
今回の舞台「日本文学盛衰史」では平田オリザいわく全部で80近くの小ネタが散りばめられているということなのだが、その中のひとつでモノノフ(ももクロのファン)をざわつかせているのが登場する文学者たちが5色のペンライトを振る演出である。
 映画と舞台の「幕が上がる」や平田自身も行政側に働きかけた埼玉県富士見市での「ももクロ春の一大事2017 in 富士見市」の開催など平田オリザももクロ陣営には浅からぬ縁があるということもありはするけれど、なんにも理由がなくて突然ここでペンライトが登場したわけではないのである。
 実はこのシーンではこの前に島村抱月が登場して、芸術座を旗揚げし、『復活』(トルストイ原作、抱月訳)が大ヒットしたことなどが話題にされる。あからさまに語られることはなくても「復活」でヒロインを演じたのが松井須磨子で、劇中で歌った主題歌『カチューシャの唄(復活唱歌)』(抱月作詞・中山晋平作曲)のレコードも当時2万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。
 つまり、女優ではあるけれど松井須磨子は今でいえばアイドルといってもいい存在であって、日本のアイドル第1号とでもいってよい人物なのだ。
 そういう背景があって劇中で登場人物ら皆によって唱和される「カチューシャの唄」に合わせて、アイドルの象徴ともいえるペンライトが振られるという一連の意味的なつながりがあるのだ。
 もっともそれが5色のペンライトであるということからもしかもそのうち緑のペンライトが途中でそっと消されることからしてもただ「アイドル」というだけでなく、ももクロであるということに意味を込めていることも確かで、それはももクロが女優として平田オリザと出会い、元祖アイドルの松井須磨子も女優にして歌手(アイドル)だったからなのであろう。 
 実はただアイドルというだけなら、最近総選挙で1位となった人が松井だからそちらと関連づけてもおかしくないはずだが、松井須磨子は愛人である島村抱月後追い自殺をしてしまったスキャンダルがあるから、これはイメージ的にもまずいか。
あれ? だったら本当はももクロもだめじゃんか。
 平田オリザ自身はアフタートークで「色と配置は考えたが、配役には特段の意味はない」と話しているようであるが、「源氏物語」(紫式部作)を現代語訳した与謝野晶子が紫、宮本百合子らと交友があった野上弥生子が赤、永井荷風がピンクならコメントしにくいだけで意味はたぶんあるんじゃないかと思う。黄色(北原白秋)はよく分からないけれど、高村光太郎=緑は二刀流を捨てたということなんだろうな。劇中で「詩作はやめて、彫塑に専念する」と宣言しているんだけど実際の高村光太郎は最後まで詩作はやめないんだよね。ただの妄想かもしれないがももクロを卒業した有安杏果へのエールだと感じてしまう。
 7月1日「日本文学盛衰史」に出演中の河村竜也、大竹直をゲストに三鷹SCOOLでレクチャー「セミネール」を開催。同日「日本文学盛衰史」昼公演観劇とのはしごも可能です。予約申し込みお願いします。
simokitazawa.hatenablog.com

青年団若手自主企画vol.73 宮部企画「サルサ踊る田端、真ん中」@アトリエ春風舎

青年団若手自主企画vol.73 宮部企画「サルサ踊る田端、真ん中」@アトリエ春風舎
f:id:simokitazawa:20180615163214j:plain

作・演出:宮部純子

田端さんという人がいて、サルサを踊る話をします。 田端さん役は川隅さんにやってもらおうと思っています。 川隅さんがなにか踊ってるところが見てみたいなと思って、 サルサってどんなだろうと思い、このタイトルにしました。
たぶん川隅さんはサルサを踊ったことがないと思うので、なんらかの踊りになるかと思います。
それでもご本人にはそれがサルサだってことで踊ってもらいたいです。
とても緻密な現代口語演劇になります。愛と友情と希望の物語です。全然ちがうことをするかもしれません。見に来て下さい。
よろしくどうぞ。

宮部企画

五反田団青年団の宮部純子が作・演出をする。青年団所属初の作・演出作品。無隣館時に自主企画公演「ウズベキスタンにムラムラする」を上演し、作・演出作品は今回で2回目くらい。



出演 川隅奈保子 坂倉奈津子 折舘早紀(以上青年団) 宮部純子(青年団五反田団) 石渡愛 木村トモアキ 黒澤多生(以上無隣館) 有吉宣人(無隣館・青☆組) 坊薗初菜(無隣館・ぱぷりか) 西田麻耶(五反田団) 仁村俊祐

スタッフ
イラスト:大橋裕之
照明:山口久隆(S-B-S)
舞台監督:黒澤多生(無隣館)
制作:北村恵(青年団


 我々はまだ真の川隅奈保子を知らなかった。宮部純子、川隅奈保子のタッグは最強だった。

青年団第79回公演「日本文学盛衰史」@吉祥寺シアター(1回目)

青年団第79回公演「日本文学盛衰史」@吉祥寺シアター(1回目)


原作:高橋源一郎 作・演出:平田オリザ
出演 山内健司 松田弘子 永井秀樹 小林 智 兵藤公美  島田曜蔵  能島瑞穂 大塚 洋 鈴木智香子 田原礼子 大竹 直 村井まどか 山本雅幸 河村竜也 長野 海 堀夏子 村田牧子 木引優子 小瀧万梨子 富田真喜 緑川史絵 佐藤 滋 藤松祥子

文学とは何か、人はなぜ文学を欲するのか、
人には内面というものがあるらしい。そして、それは言葉によって表現ができるものらしい。しかし、私たちは、まだ、その言葉を持っていない。
この舞台は、そのことに気がついてしまった明治の若者たちの蒼い恍惚と苦悩を描く青春群像劇である。高橋源一郎氏の小説『日本文学盛衰史』原作、青年団2年ぶりの新作公演。

原作:『日本文学盛衰史』(講談社文庫刊)

高橋源一郎の長編小説。『群像』に1997年〜2000年にかけて連載。
日本近現代文学の文豪たちの作品や彼らの私生活に素材を取りつつ、ラップ、アダルトビデオ、伝言ダイヤル、BBSの書き込みと「祭」、たまごっち、果ては作者自らの胃カメラ写真までが登場する超絶長編小説。第13回伊藤整文学賞受賞作。

原作者:高橋源一郎

1951年広島県生まれ。小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学教授。
1981年デビュー作、『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作受賞。1988年『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞受賞。2002年『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞受賞。2012年『さよならクリストファー・ロビン』により第48回谷崎潤一郎賞を受賞。
著書に『「悪」と戦う』、『恋する原発』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』他多数。


舞台化に向けて原作者よりメッセージ
平田オリザさんから、「『日本文学盛衰史』を劇にして上演してもいいですか」と訊かれたときには、ほんとうに驚きました。そして、あの小説がほんとうに劇になるのか、と思い、同時に、あの小説の登場人物たちが舞台の上で生身の人間になって動き、しゃべるところを見てみたい、と強く思ったのでした。
日本人にとって、あるいは、何かを造り出そうとする者にとって、日本語や言葉や表現というものに関心を抱かざるを得ない者にとっての特別な時代、それを描こうとした小説が、舞台の上で生まれ変わる。
その瞬間をいちばん楽しみにしているのは、作者であるわたしかもしれません。

高橋源一郎

出演

山内健司 松田弘子 志賀廣太郎 永井秀樹 小林 智 兵藤公美  島田曜蔵  能島瑞穂 大塚 洋 鈴木智香子 田原礼子 大竹 直 村井まどか 山本雅幸 河村竜也 長野 海 堀 夏子 村田牧子 木引優子 小瀧万梨子 富田真喜 緑川史絵 佐藤 滋 藤松祥子

スタッフ

舞台美術:杉山 至
美術アシスタント:濱崎賢二
照明:井坂 浩 西本 彩
音響:泉田雄太 櫻内憧海
衣裳:正金 彩
舞台監督:小林朝紀 
宣伝美術:工藤規雄+渡辺佳奈子 太田裕子
宣伝写真:佐藤孝仁
宣伝美術スタイリスト:山口友里
制作:石川景子 太田久美子

撮影協力:momoko japan
タイトルロゴ制作資料協力:公益財団法人日本近代文学館

  平田オリザの2年ぶり*1新作。高橋源一郎の小説「日本文学盛衰史」を原作に明治の文学者たちの群像を自由闊達に描いた異色作だ。
 それまで平田が劇作・演出において自ら禁じ手としてきたこと*2を一挙に試みている。それまでの平田の作風を知るものには驚きを禁じえない部分も多いが、かつて「東京ノート」で披露された「作品として世界を写し取るというのはどういうことなのか」という平田の根源的主題に回帰したという意味ではどこを切っても平田オリザというきわめて平田らしい作品だともいえる。
 ただ、これだけの大作(出演者24人、登場人物はそれ以上)を群像劇として今上演できるのはベテランから若手までこの劇団の俳優たちの充実振りがあればこそだと思う。青年団は来年(2019年)以降、兵庫県豊岡市への本拠地の移転を発表しており、まだ詳細は不明だが、こまばアゴラ劇場や演出部などおそらく、東京に残る機能もあるだろうことを考えると、現体制での集大成的な意味合いもあったのではないかと思われた。
 志賀廣太郎山内健司青年団を代表する俳優たちの存在感はもちろんではあるのだが、今回はそれぞれ男性役も演じ、樋口一葉(小瀧万梨子)をチェルフィッチュで、宮澤賢治(兵藤公美)をラップでなどと、下手をするとただのコントになってしまいかねないようなタスクをアクロバティックにこなしてみせた女優陣の達者さにも舌を巻かされた。
 葬儀の親族として挨拶を行うのが必ず能島瑞穂、来賓挨拶が必ず志賀廣太郎なのだが、2人とも役柄はそれぞれ毎回違うのだけれど、その声が音楽的に感じられるほど素晴らしくて感心させられた。
 明治のヒロイン、中村屋相馬黒光を演じた藤松祥子もまさに「青年団のヒロイン」を感じさせ魅力的だった。 
 演劇からの引用も多い。大竹直と島田曜蔵はある文豪の役*3を演じるのだが、「ゴドーを待ちながら」のウラディミールとエストラゴンのように舞台に居残り続ける。ゴドーとは違い最後の最後に待ち人はやってくるのだが、さらにその先に河村竜也演じる「ある人」*4がやってくる。平田オリザ版メタシアターの極致。
 7月1日「日本文学盛衰史」に出演中の河村竜也、大竹直をゲストに三鷹SCOOLでレクチャー「セミネール」を開催。同日「日本文学盛衰史」昼公演観劇とのはしごも可能です。予約申し込みお願いします。
simokitazawa.hatenablog.com

*1:歌の効用――青年団『ニッポン・サポート・センター』/中西理 – Webマガジン「シアターアーツ」

*2:1、俳優は基本的に1人1役そのひとがそのままそう見える役柄のみを演じる。2、時事問題は取り上げない。3、正面を向いてモノローグなど演劇的な趣向は使わない。

*3:島崎藤村田山花袋

*4:原作の作者の高橋源一郎である

コトリ会議「しずかミラクル」@こまばアゴラ劇場

コトリ会議「しずかミラクル」@こまばアゴラ劇場

作・演出:山本正典

25世紀。
地球は、無くなる一年前を迎えていた。
干上がった海を眺めて語り合う人間の男と宇宙人の女。
宇宙人は今日、人間から名前をもらった。
水のない、静かな海からとった名前「しずか」
宇宙人は喜んで、人間のことをたくさん尋ねた。人間の男はたくさん話した。
人間の戦争の歴史。日本の四季。神さまのこと。科学の発展。有名な小説。
ほとんどがもう、この世界からなくなったものだけど、一年後には、本当に全てがなくなってしまうけれど、人間の男は宇宙人の女に聞かせてやった。
なんでも、無くなってしまって構わない。
この宇宙人の女は、今、ここで喜んで聞いてくれた。それが、男にとって大切なことだった。
宇宙人の女が死んだところから、物語は始まる。

<作者の山本より>
コトリ会議は次で3回目の東京です。
家から離れて過ごす街の華やいだこと。それに比べて僕の暮らす街の平らかなこと。
背伸びは疲れますが、東京は楽しい。
だからこそ、ゆっくりと腱をほぐせる僕の街の嬉しいこと。
そんな気持ちにまたなれること。
楽しみです。



コトリ会議
2007年結成。ほぼ全作品を作・演出の山本正典が手がける。ふつうの人々の生活を、軽妙な会話で丁寧に描くことを得意とする。素朴さを装いながらも、人の心に巣食う“嫌らしさ”を、寓話的な表現を織り交ぜて立ち上げていく。
シアトリカル應典院演劇祭「space×drama2010」優秀劇団を受賞。
2017年に5都市をまわった『あ、カッコンの竹』は演劇批評誌「紙背」二号に収録されている。



『あ、カッコンの竹』(2017)撮影:山口真由子


出演

牛嶋千佳 要小飴 まえかつと 三村るな 若旦那家康(以上、コトリ会議)
石英史 中村彩乃(安住の地/劇団飛び道具) 原竹志(兵庫県立ピッコロ劇団) 山本瑛子

スタッフ

舞台監督:柴田頼克(かすがい創造庫)
音響:佐藤武
照明:石田光羽
照明オペレーション:木内ひとみ
舞台美術:竹腰かなこ
衣装:山口夏希
演出助手:吉村篤生(劇の虫)
音楽:トクダケージ(spaghetti vabune!
宣伝美術:小泉しゅん(Awesome Balance)
制作:若旦那家康、竹内桃子(匿名劇壇)
制作協力:大石丈太郎、劇団 短距離男道ミサイル


 コトリ会議の舞台についてSFだということになっているようだし、前回公演の後、そう書いたような気がするが、それは宇宙人が出てくるからであって本質はファンタジーなのではないかと思った。
 とはいえ、それはジブリに例えると宮崎駿のようなリアリティーのある異世界ではなくて、高畑勲のようなふんわりした世界。この「しずかミラクル」にせよ、前作「あ、カッコンの竹」にせよ、あのアンテナのついた宇宙人が出てくるから、B級SFみたいに見えるけど、それがなければ竹林の中に山姥がいる話、今回は神の怒りにより、世界が滅んでしまう話と極めてファンタジー的な想像力により紡ぎ出された物語に感じる。
 あのとぼけた宇宙人は確かに魅力的なキャラではあるのだが、コトリ会議=宇宙人の出てくる劇団ではないようだし、そういうイメージが固定化するのは劇団にとってもあまり得策ではない気がする。
 とはいえ、舞台のテイストなら宮崎駿でなく、高畑勲と書いたのは独特の下手うまテイストが魅力だからだ。そして、イメージに余白を残して、観客の想像力に委ねるようにしている。それでいて、いくつかのシーンのイメージは鮮やかに美しい。本人がアフタートークでそこからこの舞台は始まったと語ったが、もう死んでしまった恋人と二人で手をつないで地球最後の日を待つ、ラストのシーンの切なさ、儚さはこの作家の才能と言えよう。