下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

匿名劇壇「笑う茶化師と事情女子」(2回目)@こまばアゴラ劇場

匿名劇壇「笑う茶化師と事情女子」@こまばアゴラ劇場

作・演出:福谷圭祐

ーお前なんか絶対に茶化してやる

男「事情女子ってなに?」
女「事情があるの。え、なに、チャカシ?」
男「そう、茶化師」
女「美容師、薬剤師、漫才師、茶化師」
女「なにそれ。なにする仕事?」
男「ターゲットの価値観とかとかに干渉して、からかって、依頼人の留飲を下げる仕事」
女「変な仕事してる」
男「要は“なに本気になっちゃってんの?”屋さんだよ」
女「第三者委員会みたいなこと?」
男「違うよ。第三者委員会は、全然違うよ」
とある編集プロダクションでデザイナーとして働く事情女子。
どうやら浮気されたらしい。世界が終わる。
敬遠に抗議の意味を込めて、空振りをしたバッター。
明日も野球がしたいみたい。
胡麻卵黄の健康効果は全部プラシーボでしたとさ。
台無しだよ。全部。
笑ってんじゃねーよ。


2011年5月に結成し大阪を中心に活動。メタフィクションを得意とする。作風はコメディでもコントでもなく、ジョーク。

space×drama2013優秀劇団、次世代応援企画 break a legなどに選出。福谷圭祐 作『悪い癖』が第23回OMS戯曲賞にて大賞受賞。


出演

石畑達哉 佐々木誠 芝原里佳 杉原公輔 東千紗都 福谷圭祐 松原由希子 吉本藍子
スタッフ

舞台監督:ニシノトシヒロ
舞台美術:柴田隆弘
音響:近松祐貴
照明:加藤直子(DASH COMPANY)
衣裳:安達綾子(劇団壱劇屋)
演出助手:北村侑也
宣伝美術:二朗松田(MADZOODAD216)
舞台写真・舞台映像・パンフレット写真:堀川高志(kutowans studio)
制作:竹内桃子
制作協力:徳永のぞみ

大阪的な笑いとはいえず、関西演劇の主流にもなりにくい作風だが、関西からしか出てこないような劇団だとは思う。一番勢いがあったころの遊気舎、クロムモリブデンデス電所を思い出させた。
 基本的な構造はレイ・クーニーのような緻密なシチュエーションコメディを彷彿とさせる。複数の場所、人物による各種のトラブルが最終的には雪だるまのように膨らんで大勢の人を巻き込んでとんでもない状況が引き起こされていく。
 緻密なコメディと書いたが、この集団の作品がユニークなのは終盤における巨大なちゃぶ台返しなど緻密な伏線の回収とそれに収まりきらない破綻した構造が共存していて、最後に濁流のよかうに流されていくことだ。京都勢に押されっぱなしだった大阪劇団のひさびさの有望株であるのは間違いない。

匿名劇壇「笑う茶化師と事情女子」(1回目)@こまばアゴラ劇場

匿名劇壇「笑う茶化師と事情女子」@こまばアゴラ劇場

作・演出:福谷圭祐

ーお前なんか絶対に茶化してやる

男「事情女子ってなに?」
女「事情があるの。え、なに、チャカシ?」
男「そう、茶化師」
女「美容師、薬剤師、漫才師、茶化師」
女「なにそれ。なにする仕事?」
男「ターゲットの価値観とかとかに干渉して、からかって、依頼人の留飲を下げる仕事」
女「変な仕事してる」
男「要は“なに本気になっちゃってんの?”屋さんだよ」
女「第三者委員会みたいなこと?」
男「違うよ。第三者委員会は、全然違うよ」
とある編集プロダクションでデザイナーとして働く事情女子。
どうやら浮気されたらしい。世界が終わる。
敬遠に抗議の意味を込めて、空振りをしたバッター。
明日も野球がしたいみたい。
胡麻卵黄の健康効果は全部プラシーボでしたとさ。
台無しだよ。全部。
笑ってんじゃねーよ。
LINEで送る

2011年5月に結成し大阪を中心に活動。メタフィクションを得意とする。作風はコメディでもコントでもなく、ジョーク。

space×drama2013優秀劇団、次世代応援企画 break a legなどに選出。福谷圭祐 作『悪い癖』が第23回OMS戯曲賞にて大賞受賞。

2017年「悪い癖」(再演)
撮影:堀川高志(kutowans studio)
出演

石畑達哉 佐々木誠 芝原里佳 杉原公輔 東千紗都 福谷圭祐 松原由希子 吉本藍子
スタッフ

舞台監督:ニシノトシヒロ
舞台美術:柴田隆弘
音響:近松祐貴
照明:加藤直子(DASH COMPANY)
衣裳:安達綾子(劇団壱劇屋)
演出助手:北村侑也
宣伝美術:二朗松田(MADZOODAD216)
舞台写真・舞台映像・パンフレット写真:堀川高志(kutowans studio)
制作:竹内桃子
制作協力:徳永のぞみ

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT第87夜『フツーのももいろフォーク村』

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT第87夜『フツーのももいろフォーク村』

2018年8月30日(木)

セットリスト
M01:ワニとシャンプー (ももクロももクロ)
M02:暑中お見舞い申し上げます (詩織&あーりん&れに/キャンディーズ)
M03:旅立ちはフリージア (ももたまい/松田聖子)
M04:カナダからの手紙 (村長&あーりん/平尾昌晃・畑中葉子)
M05:ひまわり娘 (しおりん/伊藤咲子)
M06:ひまわり (しおりん&加藤いづみ加藤いづみ)
M07:渚のシンドバッド (れに&加藤いづみ/ピンクレディ)
M08:夏のお嬢さん (あーりん&いづみ&Ruppa/榊原郁恵)
M09:最愛 (夏菜子&いづみ/KOH+)
M10:人生を語らず (ももクロ&いづみ/吉田拓郎)
GO! GO! BANDGIRLS
M11:僕の人生は今 何章目くらいだろう (BANDGIRLS/ウルフルズ)
M12:早春の港 (あーりん&村長/南沙織)
M13:窓ガラス (れにちゃん&村長&しおりんギター/研ナオコ)
M14:星降る夜 (しおりん&村長/かぐや姫)
M15:僕の胸でおやすみ (れにちゃん&村長&しおりんギター/かぐや姫)
M16:氷の世界 (夏菜子&村長/井上陽水)
M17:メリーアン (村長&ももクロTHE ALFEE)
M18:Re:Story (ももクロももクロ)

 実はフォーク村が始まった時からももクロキャンディーズやピンクレディといった昭和歌謡史を彩るようなアイドルの曲をやってもらいたいと考えていたのだが、山口百恵松田聖子はいっぱいやるのにキャンディーズ、ピンクレディはやらないから、何かの権利関係でできないのかなと思っていたのだが、今回何の特別なコメントもなくさらっとやったので驚いた。ただ、ピンクレディがメンバー同士ではなくれに&加藤いづみだったのは少しだけ残念。今度はぜひ、あーりんとだれかで衣装も用意してやってほしい。
 とはいえ、今回は好演が多かった。夏菜子は「最愛」「氷の世界」がよかった。ひさびさのヒットだったのではないだろうか。とはいえ、個人的にはこの日の目玉は今やフォーク村でのももクロのエース的存在になりつつある高城れにの「窓ガラス」と「僕の胸でおやすみ」。どちらもまさしくフォーク村という番組名にもふさわしいわけだが特にやさしい曲調の「僕の胸でおやすみ」はれにの声の美しさが存分に味わえて絶品。杏果のようにすぐ分かるような技術ではないけれど、素朴のなかに飾りのないこの歌を最近の歌手でよくあるような技巧がないから下手だなどという人がもしいたとしたなら、どうかしていると思う。
 しかし、地味ながら驚かされたのは「Re:Story」の生放送での歌唱での完成度の高さだ。テレビの音楽番組でこの歌を披露する機会があれば、ももクロのイメージが変わると思うのだけれど、配信だけだし地上波での披露はまたないのだろうなあ。
  

「誰が漱石を甦らせる権利をもつのか?――偉人アンドロイド基本原則を考える」

「誰が漱石を甦らせる権利をもつのか?――偉人アンドロイド基本原則を考える」

オープニングアクトとして平田オリザ氏作・演出の漱石アンドロイド演劇
青年団二松學舍大学大阪大学)初上演
プログラム
Opening Act 漱石アンドロイド演劇『手紙』(13時~13時20分)
作・演出:平田オリザ、出演:漱石アンドロイド、井上みなみ
第一部 漱石を甦らせるとはどういうことか(13時40分~15時)
石黒浩
開催にあたり
山口直孝
漱石アンドロイドプロジェクトの目指すもの
福井健策「アンドロイドに権利はあるのか?それは誰が行使するのか? ――著作権、肖像権、ロボット法――」
島田泰子「漱石アンドロイドの発話行為、どこまでホンモノに近づけるか」
第二部 偉人アンドロイド基本原則を考える(15時20分~17時40分)
平田オリザアーティストトーク漱石アンドロイド演劇について」
石黒浩/谷島貫太/福井健策「偉人アンドロイド基本原則案の提起」
石黒浩×福井健策×平田オリザ×夏目房之介×谷島貫太「偉人アンドロイド基本原則はどうあるべきか」
夏目房之介夏目漱石の声になるということ」

平田オリザ(ひらた・おりざ)劇作家・演出家  大阪大学COデザインセンター特任教授(常勤)
福井 健策(ふくい・けんさく)弁護士  骨董通り法律事務所 for the Arts 代表パートナー
島田 泰子(しまだ・やすこ)二松學舍大学大学院文学研究科兼文学部教授
石黒 浩(いしぐろ・ひろし)大阪大学大学院基礎工学研究科教授
夏目房之介(なつめ・ふさのすけ学習院大学大学院身体表象文化学専攻教授
山口 直孝(やまぐち・ただよし)二松學舍大学大学院文学研究科兼文学部教授
谷島 貫太(たにしま・かんた)二松學舍大学文学部専任講師

 生前の夏目漱石に似せたアンドロイドを使って演劇を作ることに何か特別な意味合いはあるのであろうか。平田オリザのロボット演劇やアンドロイド演劇の舞台をいくつも見てきたので、実は今回の「手紙」を見る前の期待値はそれほど高くなかった。ところが実際に舞台を見て、シンポジウムも聴取してみると「漱石アンドロイド」をめぐる問題群は予想以上に広がりがあり、興味深いものであるのが分かった。
 シンポジウム冒頭で平田オリザ作演出によるアンドロイド演劇「手紙」が上演された。これには漱石アンドロイドのほかに青年団の女優、井上みなみが出演し正岡子規を演じた。この芝居に登場するのは漱石役を演じる漱石そっくりのアンドロイドと井上の2人(?)のみで、漱石が英国に留学中に病床の子規とやりとりした往復の書簡を互いに朗読するという形式で舞台は進行した。実は漱石と子規は平田が先日上演したばかりの「日本文学盛衰史」にも登場し、その中でも子規の葬儀の場面で漱石との手紙のやりとりのことは重要なエピソードのひとつとして触れられている。その意味ではこの「手紙」と「日本文学盛衰史」は姉妹編のようなものと考えることもできる。大勢の人物が登場する「日本文学盛衰史」と違いこの「手紙」はきわめてミニマルなものではあるが、平田はこの上演時間30分程度という短い芝居のなかにいろいろな仕掛けを仕込んだ。
 実は平田オリザが上演したこれまでのアンドロイド演劇のアンドロイドの発話と今回の漱石アンドロイドには大きな違いがある。それはこれまでのアンドロイドでは舞台の背後にアンドロイドのセリフを担当する俳優がいて、その人がリアルタイムでする場合とあらかじめセッティングされた場合があるとはいえ、遠隔制御でアンドロイドの表情やセリフを演じていた。ところが今回の漱石アンドロイドの声は夏目房之介の声のサンプリングを元に初音ミクのような音声合成ソフトで作成されたもので、実はセリフのニュアンスを実際に体現するためにはソフトウエアの能力自体に若干の問題があるので、それを実際にセリフとして発話させるために平田自身が調整を行っているということのようだった。
 短い作品ながらこの作品にはいくつかの仕掛けがあると書いたが、そのひとつは往復書簡をそのまま抜粋したように思われるこの戯曲の中の書簡はすべてが子規宛の書簡というわけではなく、子規以外に書いた書簡などをもとに平田が文面を書き換えたものも含まれている。この「手紙」という舞台では正岡子規らが作り出した「写生文」という文体が夏目漱石らの言文一致体の小説の成立に大きな役割を果たしたのではないかという仮説が示されるのだが、この舞台で読み上げられる漱石の手紙の文章がやりとりの進行の過程で次第に正岡子規の書く柔らかな手紙の文体に近づいていくことが示される。
 さらに言うと漱石アンドロイドの話す口調も最初はあえて手を加えずに人間の話し言葉としては違和感のあるものとしておいて、ここから調整(ボーカロイドで言うところの調教)を加えて、滑らかな話し言葉に近づけていくという工夫を凝らしている。
 平田のアンドロイド演劇ではそれを見始めた最初の方では人間とは異なるという違和感を感じるが、そうしたものに人は慣れるということなどもあって次第にそれに人間に近いものを感じ取るようになる。この「手紙」ではそれに加えて、先に挙げたようなテキスト、アンドロイドの発話の調整という2つの仕掛けをすることで、効果がより鮮やかに見えるようになっている。
 そして、最大の工夫はそうした全体の仕掛けが文語から言文一致へ、写生文から口語体小説へという正岡子規から夏目漱石へと受け継がれた文学的な遺産を象徴的にビジュアル化されるようにしたということだろう。
 

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」(4回目)+菊池佳南一人芝居「ずんだクエスト」@こまばアゴラ劇場

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」(4回目)+菊池佳南一人芝居「ずんだクエスト」@こまばアゴラ劇場

劇団野の上「不識の塔」 山田百次作・演出・主演

不識の塔ダイジェスト

f:id:simokitazawa:20180820115716j:plain

プロデュース:河村竜也(ホエイ|青年団) 作・演出:山田百次(ホエイ|劇団野の上)
一人の妄想が引き起こした集団ヒステリー。戦慄の再演。

河の上中学校は複式学級。生徒が少なく、全学年が一つのクラス。少人数ならではの、ほのぼのスクールライフ。 担任の先生は新採用。いつも優しく、時には熱血指導。そんな中、学校間交流から帰ってきたアイツ。覚えてきたばかりの楽しい遊びを、学校のみんなに教えてあげる。

ホエイ

ホエイとは、ヨーグルトの上澄みやチーズをつくる時に牛乳から分離される乳清のことです。
産業廃棄物として日々大量に捨てられています。でもほんとは飲めます。
うすい乳の味がしてちょっと酸っぱい。
乳清のような、何かを生み出すときに捨てられてしまったもの、のようなものをつくっていきたいと思っています。

出演

大竹 直(青年団) 斉藤祐一(文学座) 鈴木智香子(青年団) 武谷公雄 永宝千晶(文学座
赤刎千久子(ホエイ) 河村竜也(ホエイ|青年団)  山田百次(ホエイ|劇団野の上)
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿) 演出助手:楠本楓心 当日運営:太田久美子(青年団
制作:赤刎千久子 プロデュース・宣伝美術:河村竜也

青年団には平田オリザの作品を上演する「劇団」としての活動と並行して、多くの劇作家、演出家が所属している「青年団演出部」という組織がある。
 青年団演出部は柴幸男、岩井秀人岸田戯曲賞受賞歴のある気鋭の作家や綾門優季、玉田真也ら有望な若手作家ら多数の演劇の作り手が所属しているが、山田百次もそこに集う次世代を担う所属、劇作家、演出家、俳優である。特に今年に入ってからの活動の充実振りには特筆すべきものがある。
 「郷愁の丘 ロマントピア」(こまばアゴラ劇場1月)は北海道・夕張の炭鉱町を舞台に、数十年にわたるその盛衰をそこで働く男らの人生をからめて群像劇として描きだした好舞台であった。いまのところ年間ベストアクトでもトップではないかと考えている。だが、今回上演された「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」も雰囲気はまったく違うがそれに匹敵する水準の好舞台だったと考えている。私としては「郷愁の丘 ロマントピア」は岸田國士戯曲賞の受賞に十分値するものだと考えているが、昨年も予想をはずし、今回も最終候補にノミネートされるかどうかさえ定かではないため、ここで予想めいたことをいう資格はないかもしれない。
 実は山田百次は劇作家、演出家としては「遅れてきた新人」とも言える。1978年生まれ。1998年に弘前劇場に入団、演劇活動を開始。青年団内での世代で言えば前田司郎、松井周よりは下だが、柴幸男よりは年は上になる。
 2008年に同劇団を退団、上京して10年。ようやく、2018年の今年になって自分の劇団「ホエイ」を青年団の河村竜也と共同主宰、劇作家、俳優として複数の依頼を受ける存在に成長した。
 山田百次は上京後、弘前劇場出身の女優らを主たるメンバーとする劇団野の上をホームグラウンドとしていたこともあり、津軽弁青森県の方言)を駆使した作品を得意としていた。そんななかで活動の中心をホエイに移し、方言を使わない最初の作品として書き下ろしたのが「スマコミュ」だった。これはプロデューサー役の河村竜也の意向もあったのではあろうが、この舞台でセリフを津軽弁にしてしまうとよりリアルを匂わせるものにはなるかもしれないが、どうしても「東北のどこか周縁エリア」に起きた土俗的な出来事(いわば現代版遠野物語)のようなものにどうしても見えてしまい、それは彼岸の出来事に感じられ、今そうであるような普遍的な怖さは感じられないと思われるからだ。
 ホエイの最大の強みは俳優の素晴らしさである。ホエイの所属俳優は山田百次、河村竜也と劇団制作も兼ねる赤刎千久子の3人のみだが、青年団リンクからは独立したが元の所属先である青年団からは大竹直、鈴木智香子と芸達者なふたり、文学座からもはやホエイ常連の斉藤祐一に加え、美人なのに飛び道具もこなすという永宝千晶も山田の演技に惚れ込んで初参加。木ノ下歌舞伎などでの活躍でいまや

山田百次短編集 -同時上演-

▼ 『SFすし屋』
[出演] 斉藤祐一 武谷公雄 永宝千晶 成田沙織
愛を握る男と男を信じた女の行く末は……。マグロをめぐる純愛ストーリー。
上演時間(予定):15分

● 『ずんだクエスト』
[出演] 菊池佳南
宮城の平和は私が守る! ずんだ姫子の大☆︎奮闘記!!!
上演時間(予定):25分

◆ -落語-『天井』
[出演] 河村竜也
男が目覚めると、住み慣れた部屋は何かがおかしかった。
上演時間(予定):15分 

 
www.hituzi.co.jp

無隣館若手自主企画 vol.24 升味企画「あの子にあたらしいあさなんて二度とこなきゃいいのに」@アトリエ春風舎

無隣館若手自主企画 vol.24 升味企画「あの子にあたらしいあさなんて二度とこなきゃいいのに」@アトリエ春風舎

作・演出:升味加耀
演劇部の夏合宿は三泊四日。生憎全日嵐が続く。メグの初めての彼氏・「あさだくん」は美人の転校生・「よるかわさん」といい感じ。親友のユキは、新しい友達・サーちゃんと仲良くなって、ちょっとだけ変わった。顧問の鯉沼先生は前にもまして無表情でタバコを吸っている。変わり者の黒澤先輩は百物語をしようとうるさい。一年前に爆死した中村先輩のことを、みんなどこかで気にしている。おかしなことが何度も起こる。毎日起きて、寝る。けど、どれもほんとな感じがしない。まっくらな夜が続くようでいつまでたっても「あさ」が来ないと思ったらどうやら太陽は消えてしまってそれはもう、ずいぶん前のことらしい。



升味加耀  Masumi Kayo
1994.9.30 東京都生まれ。2017年より無隣館三期演出部所属。2013年以降、早稲田大学学内・外で主に作・演出として活動。2015年演劇学を学ぶためベルリン自由大学留学。2016年ベルリンにて主宰ユニット「果てとチーク」を旗揚げ。大きな世界とちっぽけな人々の絶望的に変わらない状況をせっせと描きつつも、精神と肉体が健やかな生活を送れるよう努力している。

出演
黒澤多生
鯉沼トキ
名古屋愛
堀紗織
(以上、無隣館)
鴨居千奈
スタッフ
舞台美術:鬼木美佳(無隣館)
照明:井坂浩(青年団
照明操作:石神静香
音響:櫻内憧海(無隣館/お布団)
音響操作:鬼木美佳(無隣館)
映像:升味加耀(無隣館)
映像操作:山下恵実(無隣館)
舞台監督:黒澤多生(無隣館)
宣伝美術:間宮きりん
制作:半澤裕彦(無隣館)
制作助手:山下恵実(無隣館)
制作補佐:有上麻衣(青年団
総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

無隣館がただの養成所ではなく、若き才能の宝庫であることはすでに1期2期を見てきた経験からはっきり分かっていることではあるが、第3期も同様に侮れない。いきなり、1期の綾門優季を髣髴とさせるアンファンテリブルが出てきた。升味加耀という女性作家の舞台を少し見ただけでそんなことを痛感した。
 以前、ポツドール三浦大輔の作風を「松尾スズキ的な主題を平田オリザの手法で描いた」*1と書いたことがあったが、三浦とはまったく異なる作風ながらも升味加耀の舞台にも同じような印象を受けた。もっとも男性女性の差違は大きく、
松尾フォロワーの名前を出すならむしろ本谷有希子の名を挙げるべきなのかもしれないのだが、強調しておきたいのはこの2人に匹敵しうる才能のきらめきを感じたということだ。
今回の舞台の演技スタイルは平田オリザ流の群像会話劇(現代口語演劇)に近い。劇場に入ると非常にリアルにしつらえられたセットがあり、長方形の舞台空間のうち、奥に畳敷きの部屋、手前側に狭い方形の中庭のような空間がある。客席は長方形の舞台空間の短い辺とそこから直角に奥に続く、2方向に配置されているが、舞台の最中に手前の庭側で会話がなされている時に奥でも同時多発の会話がされると奥の会話の内容は手前の観客にはほとんど聞こえないというつくりになっている。
 ネット上の感想では会話が聞こえくく発声がなっていないなどと批判している人がいたが、もちろん、これは意図的なものだ。聞こえない会話は聞こえなくてもかまわないということがこの舞台では確信犯として作られているからだ。
 直接の影響関係はどう考えてもないと思われるが、ポツドール三浦大輔も2002年の「男の夢」では大音響のカラオケのなかでの会話劇、「ANIMAL」では河川敷の高架下で大音量でかかる音楽の下での群像劇を上演。いずれも多くの観客からセリフがまったく聞こえないとの苦情が出たのを思い出したが、設定から言ってもどちらもセリフが聞こえないのは当たり前。むしろ、聞こえないのが当然でむしろそういうものとして上演しているのは明白なのになぜどういう意図でこういう風にしているのかを考えるのではなく、セリフが聞こえないということに対して、苦情をいうのだろうと考えたのだが、今回そういう意見が再び散見されたのを見て、ポツドールの上演から20年近い年月が経過したのにいまだにそういう認識だということに逆に呆然とさせられた。
 とはいえ、セリフが聞こえないというのは升味企画にとってそれほど大きな問題というわけではない。升味加耀の舞台の特徴は舞台上では直接は触れられることのない隠された部分にどうもこの舞台の核心はあるようなのだが、それはあくまでも断片的な記述から想像されるだけで浮かび上がるのはおぼろげな輪郭だけではっきりしたことは分からないということなのだ。
 この物語の中心人物は演劇部の女子高生3人組なのだが、そこに微妙な陰を落としているのが、前年にこの合宿で謎の爆死を遂げた中村先輩。一応、主人公的な役割を割り当てられているメグはあさだ君と付き合っているのだが、もともとは中村先輩と付き合っていて、いまは少しだけ中村先輩に似ているかもしれない転校生の「よるかわさん」ともいい関係にあるらしい。
 物語の進行にともないどうやら中村先輩の謎の死がいろんな出来事とつながっているようなのだが、それは途中までは伏せられていて明らかになることはない。この物語では大団円を迎える終盤近くに隠されていたいろんな事実関係が一気に明らかになっていくという怒涛の展開となる。
 3人娘のうちの一人である転校生、サーちゃんは実は中村先輩の妹で、この合宿に参加したのはその謎を探る目的もあったらしいこと。
 あさだくんというのは実はとんでもない人間で、彼女である中村先輩やメグ以外にもさまざまな人間と性的関係を結んでおり、顧問の鯉沼先生やメグの親友のユキとも関係があったこと。
 しかも、メグとの関係は酔った彼女を意識のない状態でレイプしていたらしいこと。鯉沼先生もレイプされていたらしいこと。
そしてこの物語は最後まで解明されないいくつも謎を残して終わりを迎える。百物語の途中で離れに出掛けたサーちゃんはどうなってしまったのか。サーちゃんがいなくなった後、出現した中村さんは彼女の霊なのか、それともサーちゃんなのか。あさだくんに忘れられないように命を絶つの言葉も本当なのか。メグが彼女を殺したんじゃないかとの疑いも完全に否定はされない。黒澤先輩の携帯にあった写真はあさだによるメグのレイプ写真というように解釈したのだがそれで本当にいいのか。まっくらな夜が続き、「あさ」が来ないというのはメグらの心象風景の象徴のようでもあるが、一方で「百物語」が終わってないからともされており、いかなる解釈が可能なのか。
 この作品については解明できないでいる疑問をまだ考え続けているのだが、次の公演も絶対に行きたいと思った。
 ただ次回作品ではドイツ留学時代の経験が生きるポストドラマ演劇的な作品をやってみたいとも語っていて、個人的にはこの作品のような作品が見たいのだけれど、再びこちらの方に戻ってくるのであれば次回作も別の期待をして見ようと思う。
 
 

関田育子『夜の犬』@SCOOL

関田育子『夜の犬』@SCOOL

公演日時

8月24日(金)19:30
8月25日(土)14:00/18:00
8月26日(日)15:00

アフタートーク・ゲスト

松田正隆(24日)
佐々木敦(25日14:00の回)
桜井圭介(25日18:00の回)
宮沢章夫(26日)

料金

2,500円

8.24 - 19:30
8.25 14:00 18:00
8.26 15:00 -
開場は各回とも30分前から
関田育子の「発見」は小さな衝撃だった。
「演劇」の、ある角度における実験の、最新にして最良の取り組みが、そこにあった。
それが、大きな驚き、となるのも時間の問題だと思っている。
佐々木敦


【作・演出】
関田育子
_
【出演】
新井絢子
青谷奈津季
黒木小菜美
小久保悠人
長田遼
我妻直弥
【制作】
紺野直伸、長山浩子、馬場祐之介

関田育子「夜の犬」を観劇。関田の舞台はなかなか面白くはあったが、佐々木敦、桜井圭介、宮沢章夫松田正隆という諸氏が絶賛しているようで、どうしても「そこまで優れた作品なのか」と思ってしまう*1
 関田が松田正隆の薫陶を得て、現在の活動をしているためにマレビトの会と似ていることをことさらに指摘することにどこまでの意味があるのかというのはあるのだが、私には演劇の手法としての関田の面白さがマレビトの会と大きく違うという風には見えず、「マレビトの会」系の作家の中での優等生とは思うけれどもそれ以上の彼女の独自性がどこにあるのかが、正直よく分からないのだ。
 というか、前述の作家、批評家らが関田を評価するときの言説のうち多くが、マレビトの会にもそのまま当てはまるものと感じてしまう。もっとも、複数の作家、演出家による共同制作であるマレビトの会*2ではなく、松田正隆というのであれば確かに違いはある。それはどちらかというと評価を受けている演出、演技の部分ではなくて戯曲(言語テキスト)にある。
 「夜の犬」は主人公と目される女性のお見合いを巡る顛末と犬を巡るさまざまなイメージの交錯に作品のベースがあるのだが、家族を巡る顛末と言うのは複数の人が小津安二郎的なものを認識したように松田と共通点がある。だが、何者なんだかがよく分からない犬についてのイメージを作品中に突然闖入させるような作劇を松田はやらない。
 「夜の犬」の最大の謎はいきなり物語の冒頭に出てくるケージから犬を出して放つ男の存在だ。これはいかにも何かを象徴していそうに思うが、それが何かはやはりよく分からない。単純に考えれば犬というのは飼い主の愛情により拘束され、支配された存在であり、犬を放つと言う行為はその拘束のくびきを断ち切るという意味合い。親の命令によりお見合いをするというのはそうした被拘束的な立場に自らを置くと言うことだし、それ以前に主人公の女性は母親を亡くした後、家事などを引き受け、家族のためにその後を担っている。
ちょっとした家出的行為と男によって放たれた犬たちのイメージが重なり合うなどと考えることもできるが、こんな風に意味を分析していったとしても、たくさんの犬が放たれてどこかに逃げていくというシュールなイメージそのものの面白さというのはそれでは分析の網の目から逃れてしまうし、そうした意味づけが作品の面白さということもない。
「夜の犬」でもっとも面白いのはその奇妙な演技体で例えば最初ひとりの俳優が舞台に出てきて、壁に向かって何かを取り出すような仕草を続けるのだが、その時点ではそれが何を示すのかはよく分からない。一見、それは演劇としては無対象演技やパントマイムのようにも見えるが、そうだとするとそこからは技術のあるマイムなら見えてくるはずの行為のディティールが全然示されない。つまり、情報の量が圧倒的に欠如しているのだ。
 結局、その仕草がケージ(檻)から犬を取り出して放しているのだということが物語の進行にともない分かってくるのだが、観客からアフタートークで「犬の重さが感じられない」と指摘を受けたのに「(虚構の)犬には重さはない」と関田は答えた。つまり、この身体所作は記号的なもので、そこには実際に犬をどのように取り出したかという詳細なディティールはない。それゆえ、逆に言うと実際には観客はそこから無数の異なる解釈を生み出すことも可能になる。
 ただ、こうした面白さは実は関田の作品だけではなく、マレビトの会全般に当てはまるともいえる。関田もそこのメンバーだから、そこを評価することのどこがおかしいとも言えなくはないが、やはり関田個人の評価においてそこの部分を挙げつらうことにも違和感はあるのだ。

*1:とはいえ、優れた若手作家のほとんどが青年団演出部ないしその周辺に偏在している現況を鑑みるとき彼女に肩入れしたくなる気持ちも分からないではない。

*2:マレビトの会は「福島を演劇する」をフェスティバルトーキョーで上演するが、その演出メンバーに関田も名を連ねている

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」(3回目)+落語「天井」@こまばアゴラ劇場

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」(3回目)+落語「天井」@こまばアゴラ劇場

f:id:simokitazawa:20180820115716j:plain

プロデュース:河村竜也(ホエイ|青年団) 作・演出:山田百次(ホエイ|劇団野の上)
一人の妄想が引き起こした集団ヒステリー。戦慄の再演。

河の上中学校は複式学級。生徒が少なく、全学年が一つのクラス。少人数ならではの、ほのぼのスクールライフ。 担任の先生は新採用。いつも優しく、時には熱血指導。そんな中、学校間交流から帰ってきたアイツ。覚えてきたばかりの楽しい遊びを、学校のみんなに教えてあげる。
LINEで送る

ホエイ

ホエイとは、ヨーグルトの上澄みやチーズをつくる時に牛乳から分離される乳清のことです。
産業廃棄物として日々大量に捨てられています。でもほんとは飲めます。
うすい乳の味がしてちょっと酸っぱい。
乳清のような、何かを生み出すときに捨てられてしまったもの、のようなものをつくっていきたいと思っています。

出演

大竹 直(青年団) 斉藤祐一(文学座) 鈴木智香子(青年団) 武谷公雄 永宝千晶(文学座
赤刎千久子(ホエイ) 河村竜也(ホエイ|青年団)  山田百次(ホエイ|劇団野の上)
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿) 演出助手:楠本楓心 当日運営:太田久美子(青年団
制作:赤刎千久子 プロデュース・宣伝美術:河村竜也

ホエイの「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」は4年前に上演された作品の再演だが、実は昨年上演された「小竹物語」と物語の構造が非常に似ている、というかほぼ同型だということに気がついた。片方は周縁の複式学級、もう一方は怪談を語る人たちのサークル(のようなもの)という違いはあるけれどもいずれも閉じた同じ共同幻想を持つ共同体に起こるコップの中の嵐のようないさかいが共同体の外部から侵入者によって攪乱され、そこでついには犠牲者が出て共同体自体が崩壊してしまうという構造を持っている。
山田百次は日本における辺境的な性格を持つ青森県のなかでも中心である青森市弘前市を離れた地域の出身であることもあってか、山田が好んで描く場所は周縁的*1な場であることが多い。
 ただ、両者の違いというのもはっきりあって「小竹物語」で山田百次が演じた外部からの闖入者というのはまったく属性のわからない絶対的な他者のようなもので、中心的なものではないことは間違いないのだが、「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」の女性教師は中心(中央)を象徴する校長の失踪の後、権力不在の真空地帯に現れた共同体権力の簒奪者という側面があり、最後に共同体内におけるよそ者であった山田(山田百次)を生贄の山羊として殺し排除して、共同体の安定を守る。
  実は最後に山田が共同体のための生贄の山羊とさせるのには必然性があるというのは登場人物の名前から分かる。というのはわずか生徒7人の複式学級であり、こういう地域の周縁ではよくあることなのだが、山田以外の6人(守康、健太郎、ナナ子、祐一、シンジ、舞)は全員名前で呼ばれているのに山田だけが姓で呼ばれている。これはどうしてなのか。たまたまそうだったという場合も現実にはあるだろうが、より論理的な解答は6人の姓が同じだからということである。
 つまり、ここであるのは村落レベルの共同体のなかで全員が広い意味で一族であるなかで、山田だけがそうではないということだ。そうだとすれは村にあると思われる寺社仏閣は彼ら一族に関係するものである可能性が高く、そこから仏像や卒塔婆を持ち出すというのは村八分で殺されても仕方のないようなタブーへの侵犯があったという理屈になる。
 もちろん、この物語ではそうしたことは隠蔽されていて、山田の集団リンチによる死の理由も皆が心を捨てていく中で山田だけがそれをしなかったからだという表向きの理屈はあるのだが、裏にはいまのようなことが暗示されていて、少なくとも山田百次がそういうこととしてこの世界を設計したんだということは間違いないだろう。
 ここまで考えてきたときにこの世界におけるもうひとりの外部者である女性教師はどう位置付けられるのだろうか。前にツイッターにこんな極端な人は左翼´リベラル陣営の支持者にはさすがにいないと書いた。この人のイメージに一番近いイメージを探せばそれはネトウヨも含む、右翼・保守陣営の人が思い描く「左翼」ということになるかもしれない。ただ、ここではもうひとつの解釈も成立するのかもしれない。すなわち、彼女は舞台に安倍首相を思わせる輪郭でありながら顔の部分が意図的に消された肖像画によってイメージされた校長、そして、女性教師はその校長とすべて反対のことを主張するネガ的な存在なのではないか。そうであるとすれば女性教師は実際にはいないような人なのだが、校長に象徴されるような人物は各分野に大勢存在し作者の批判が向かっているのがこの世の中にはびこる様々な「校長的存在」に対してではないかと思ったのである。

*1:中心と周縁の対立の構造というのは文化人類学者の山口昌男による文化研究の主要な分析概念で著書「文化と両義性」で山口は、社会の中心性及び周縁性に関して先行する論考を整理し、その上で「中心/周縁」という、より二項対立的思考の枠組みと、特に積極的な意味を十分に論じられてこなかった『周縁』の側にあらためて意義を見出す視点を独自に提示した。社会は「中心」と「周縁」の有機的な組織化の上に成り立っており、すべての政治的宇宙は「中心」を持つと同時に「周縁」を持つという。それまで否定的な側面を担わされ、排除されるべきものと考えられていた「周縁」という概念は、山口によって他者性をはらむことで多義的な豊穣性を再生産し続けるという一面が意味付けられ、先行的な論考よりも大きな比重を置いて語られている。この発想は国内外の文化人類学に留まらず、大江健三郎が『叢書文化の現在4 中心と周縁』(岩波書店、1981)を編集し、その中で「周縁」の概念に基づいて小説家としてのあり方を自問しているように、20世紀後半の人文世界や各芸術にも強い影響を与えている。 

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」(2回目)+「SFすし屋」@こまばアゴラ劇場

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」(2回目)+「SFすし屋」@こまばアゴラ劇場

f:id:simokitazawa:20180820115716j:plain

プロデュース:河村竜也(ホエイ|青年団) 作・演出:山田百次(ホエイ|劇団野の上)
一人の妄想が引き起こした集団ヒステリー。戦慄の再演。

河の上中学校は複式学級。生徒が少なく、全学年が一つのクラス。少人数ならではの、ほのぼのスクールライフ。 担任の先生は新採用。いつも優しく、時には熱血指導。そんな中、学校間交流から帰ってきたアイツ。覚えてきたばかりの楽しい遊びを、学校のみんなに教えてあげる。


ホエイ

ホエイとは、ヨーグルトの上澄みやチーズをつくる時に牛乳から分離される乳清のことです。
産業廃棄物として日々大量に捨てられています。でもほんとは飲めます。
うすい乳の味がしてちょっと酸っぱい。
乳清のような、何かを生み出すときに捨てられてしまったもの、のようなものをつくっていきたいと思っています。

出演

大竹 直(青年団) 斉藤祐一(文学座) 鈴木智香子(青年団) 武谷公雄 永宝千晶(文学座
赤刎千久子(ホエイ) 河村竜也(ホエイ|青年団)  山田百次(ホエイ|劇団野の上)
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿) 演出助手:楠本楓心 当日運営:太田久美子(青年団
制作:赤刎千久子 プロデュース・宣伝美術:河村竜也

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」でもっとも奇妙な存在は極左思想の持ち主のように描かれているクラス担任の女性教師の存在かもしれない。この生徒以上にエキセントリックな人物を4年前の初演では青年団の木引優子が演じて強い印象を残した。今回は木引がキャストにおらず、大丈夫かとも危惧したが、文学座の永宝千晶がこの難しい役柄を好演した。
 中国(つまり中華人民共和国)を礼賛するようなプロパガンダを生徒たちに連呼させることから、日教組の教師を揶揄しているように感じて反発する人もいるようだが、さすがに昔はともかく現在はここまで教条的なことを言う人は左翼・リベラル系の人にはいないのじゃないか。それゆえ、この人物は私にはどちらかというと日本会議の賛同者やネット右翼に近いような物言いを左右反転させたように思われ、揶揄というのがあるとすればこれは園児に教育勅語を連呼させた森友学園の幼稚園などが対象ではないかと思われるのだ。
 

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」@こまばアゴラ劇場

ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」@こまばアゴラ劇場

f:id:simokitazawa:20180820115716j:plain

プロデュース:河村竜也(ホエイ|青年団) 作・演出:山田百次(ホエイ|劇団野の上)
一人の妄想が引き起こした集団ヒステリー。戦慄の再演。

河の上中学校は複式学級。生徒が少なく、全学年が一つのクラス。少人数ならではの、ほのぼのスクールライフ。 担任の先生は新採用。いつも優しく、時には熱血指導。そんな中、学校間交流から帰ってきたアイツ。覚えてきたばかりの楽しい遊びを、学校のみんなに教えてあげる。
LINEで送る

ホエイ

ホエイとは、ヨーグルトの上澄みやチーズをつくる時に牛乳から分離される乳清のことです。
産業廃棄物として日々大量に捨てられています。でもほんとは飲めます。
うすい乳の味がしてちょっと酸っぱい。
乳清のような、何かを生み出すときに捨てられてしまったもの、のようなものをつくっていきたいと思っています。

出演

大竹 直(青年団) 斉藤祐一(文学座) 鈴木智香子(青年団) 武谷公雄 永宝千晶(文学座
赤刎千久子(ホエイ) 河村竜也(ホエイ|青年団)  山田百次(ホエイ|劇団野の上)
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿) 演出助手:楠本楓心 当日運営:太田久美子(青年団
制作:赤刎千久子 プロデュース・宣伝美術:河村竜也

 中学生だけど中学生じゃない。学校だけど学校じゃない。ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」の特徴は舞台上で俳優たちによって演じられているフェーズとそれが暗示というか表象している社会的な事象が二重かさね、三重かさねになって、異なるレイヤー(層)が同時に提示されていくことにある。それは演劇でないと表現できないことで、そういう表出の構造がきわめて刺激的なのだ。
 観劇後の感想で中学校の話なのに全然中学生っぽく見えないとか、表現にリアリティーが感じられないというようなものがあったが、山田百次の演出も出演する俳優の演技もこの舞台では意図的にそうした種類のリアルは目指していない。むしろ、物語も演技もどちらかというとデフォルメされた寓話的なもので、舞台を見た誰もが感じるのはここで演じられていることには何となく隠された裏の意味もあるようだけれどそれは何なのだろうという違和感である。
それではこの舞台ではどんなことが演じられるのか。描かれるのは複数の学年が同じ教室で学ぶ複式学級を採用する中学校の1日。どこか学校を舞台にしたモダンホラーのような冒頭の雰囲気だ。他校との交流事業に派遣されたこのクラスのリーダー的な存在である守康(大竹直)はクラスの友人に奇妙な遊びを伝える。皆の背後にはそれぞれ守護メンという神様のようなものが憑いていて、その人を助けているというのだ。
 このたわいのない「ごっこ遊び」のようなものは最初はたぶん始めた守康自身も単なる遊びとして始めたもので、誰もが本気で信じているわけではない。ところがそれはいつの間にか教室内に蔓延する同調圧力のような目に見えない力によって次第に皆への支配の度を強め、暴走していく。
ここまではよくある話でもある。閉ざされた集団の指導者の権力の暴走を描いた作品の前例としてゴールディングの「蝿の王」なども連想されるし、ある出演者はジョージ・オーウェルの「動物農場」を挙げていた。
 ただ、そうした物語よりホエイの「スマートコミュニティアンドメンタルヘルス」をより恐ろしく感じるのは憑依的な性格を持つ2人の女性(ナナ子、舞)が介在してくるところだ。最初に物語を始めた守康とその仲間たちの場合は遊びに自分も乗っかることで、クラス仲間の中での自分の立場を強化するといういわば功利的な動機もないではなかった。つまりこれはあくまでもクラスの仲間と一緒にやる「遊び」であり、教室の外にいて彼らを脅かすものとして守康が「あいつら」の存在を言い出した時も守康の取りまきだった祐一(斉藤祐一)やシンジ(河村竜也)は実際には見えていないのにリーダーの守康におもねって、「そういうことにしよう」ということにしていたのが、こうして生まれた異常な興奮状態になにか影響を受けたのか、女子2人が突然トランス状態になっておかしなことをつぶやきだすに至って、少年たちの「ふり」は次第に「ふり」ではなくなっていき、そこで実際に何か異常な現象が起こっているのか、皆がそうじゃないのにそうであるルールで動き続けているのか観客の目には区別がつかなくなる。
 守護メンなどのアイデアは日本の伝統的な呪術的な世界観というよりはゲームを思わせるものであり、そこに例えば遠野物語のような土俗的なものがあるわけではないがこういう非日常的な出来事が起こる場所として辺縁的な地方を舞台にしたのはけっこう意図的なものだと思う。実際、それぞれの人に守護神がおり、それを人形のようなものに移して宿らせることができるというゲームのようなものは山田百次自身の実体験だというし、もちろん、こんな陰惨な事件は実際に起こってはいないが、複式学級の雰囲気も山田の実体験に基づき創作されたようだ。
 さらに言えばこの物語で女生徒のひとり(赤刎千久子)が何か悪いものが憑いていると残りのメンバーにより、教卓の中に閉じ込められるといういじめを受けるのだが、山田の故郷の近くには熊本県芦北郡で起こった狸憑き殺人事件*1のきっかけとなったような民間伝承も残っているようだ。そういう民俗学的な伝承の匂いはこの作品からはすべて拭い去られているけれど、そうしたものが発想の根幹にあるということは十分に考えられることだ。
 ただ、こうした当初の設定から閉じ込められていた女性が逆に権力を握り、もうひとりの女性を落としいれ、彼女からラブレターをもらい通じ合っていたという秘密の暴露からリーダーの守康がその地位を失脚するのを境に物語の雰囲気は一転する。ここで引き起こされる集団的ヒステリーはオウム真理教事件連合赤軍事件のように閉ざされた集団が集団での無意識的な思い込みに突き動かされてカタストロフィに突き進む様子が語られていくのだ。これは現実に起こった事件だけではなく、ドストエフスキーの「悪霊」などかつて起きた事実に基づいて書かれた小説なども参考にしているかもしれない。
 現実の出来事として考えるとここに登場している女性教師は日教組などの左翼的な見解の持ち主としてもデフォルメされすぎていて、リアリティーがないなどの批判もあるようだが、彼女の行為自体は文化大革命の際の毛沢東の戯画として取ることも可能だ。「悪霊」に登場する破滅に向かい突き進んでいく革命家たちに準えることもできそうだ。
 そして、むしろここからがホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」のもっともビビッドな現代的な意味なのだが、閉ざされた集団が狂気にかられた指導者の下で破滅に向けて突き進むという構図はもっと身近ないろんな集団において毎日のように起こっていることの縮図でもあるのだ。それは破綻寸前のブラック企業であるかもしれず、最近話題の日本大学日本ボクシング協会も類似なことが起こっていたのではないかと思わせる。さらに卑近な例を考えると活動が破綻に窮している劇団の中にもそういうところがあるのかもしれない。そうした実例がそれぞれの層で重なりあって受容できるのがこの舞台の魅力だ。

蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

悪霊 (下巻) (新潮文庫)

悪霊 (下巻) (新潮文庫)


 
 

 

*1:<タヌキ憑き殺人事件>熊本県芦北郡で、3月中旬から精神状態がおかしくなった長男を母親が祈祷師に見せたところ、「タヌキが憑いている」と言われた。母は体調を崩し、姉2人が看病に来るようになった。1979年5月6日、長男が家を飛び出そうとしたため、父、姉2人、弟が話し合い、タヌキを追い払うために叩き出そうした。弟が長男の体を押さえ、父、姉二人が手や薪、パイプなどで約3時間、長男の首の後や肩を殴りつけ、長男は死亡した。同町ではタヌキや狐などが人に乗り移る“つきもの”の俗信が一部に残っていた