下北沢通信

中西理の下北沢通信

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関田育子『夜の犬』@SCOOL

関田育子『夜の犬』@SCOOL

公演日時

8月24日(金)19:30
8月25日(土)14:00/18:00
8月26日(日)15:00

アフタートーク・ゲスト

松田正隆(24日)
佐々木敦(25日14:00の回)
桜井圭介(25日18:00の回)
宮沢章夫(26日)

料金

2,500円

8.24 - 19:30
8.25 14:00 18:00
8.26 15:00 -
開場は各回とも30分前から
関田育子の「発見」は小さな衝撃だった。
「演劇」の、ある角度における実験の、最新にして最良の取り組みが、そこにあった。
それが、大きな驚き、となるのも時間の問題だと思っている。
佐々木敦


【作・演出】
関田育子
_
【出演】
新井絢子
青谷奈津季
黒木小菜美
小久保悠人
長田遼
我妻直弥
【制作】
紺野直伸、長山浩子、馬場祐之介

関田育子「夜の犬」を観劇。関田の舞台はなかなか面白くはあったが、佐々木敦、桜井圭介、宮沢章夫松田正隆という諸氏が絶賛しているようで、どうしても「そこまで優れた作品なのか」と思ってしまう*1
 関田が松田正隆の薫陶を得て、現在の活動をしているためにマレビトの会と似ていることをことさらに指摘することにどこまでの意味があるのかというのはあるのだが、私には演劇の手法としての関田の面白さがマレビトの会と大きく違うという風には見えず、「マレビトの会」系の作家の中での優等生とは思うけれどもそれ以上の彼女の独自性がどこにあるのかが、正直よく分からないのだ。
 というか、前述の作家、批評家らが関田を評価するときの言説のうち多くが、マレビトの会にもそのまま当てはまるものと感じてしまう。もっとも、複数の作家、演出家による共同制作であるマレビトの会*2ではなく、松田正隆というのであれば確かに違いはある。それはどちらかというと評価を受けている演出、演技の部分ではなくて戯曲(言語テキスト)にある。
 「夜の犬」は主人公と目される女性のお見合いを巡る顛末と犬を巡るさまざまなイメージの交錯に作品のベースがあるのだが、家族を巡る顛末と言うのは複数の人が小津安二郎的なものを認識したように松田と共通点がある。だが、何者なんだかがよく分からない犬についてのイメージを作品中に突然闖入させるような作劇を松田はやらない。
 「夜の犬」の最大の謎はいきなり物語の冒頭に出てくるケージから犬を出して放つ男の存在だ。これはいかにも何かを象徴していそうに思うが、それが何かはやはりよく分からない。単純に考えれば犬というのは飼い主の愛情により拘束され、支配された存在であり、犬を放つと言う行為はその拘束のくびきを断ち切るという意味合い。親の命令によりお見合いをするというのはそうした被拘束的な立場に自らを置くと言うことだし、それ以前に主人公の女性は母親を亡くした後、家事などを引き受け、家族のためにその後を担っている。
ちょっとした家出的行為と男によって放たれた犬たちのイメージが重なり合うなどと考えることもできるが、こんな風に意味を分析していったとしても、たくさんの犬が放たれてどこかに逃げていくというシュールなイメージそのものの面白さというのはそれでは分析の網の目から逃れてしまうし、そうした意味づけが作品の面白さということもない。
「夜の犬」でもっとも面白いのはその奇妙な演技体で例えば最初ひとりの俳優が舞台に出てきて、壁に向かって何かを取り出すような仕草を続けるのだが、その時点ではそれが何を示すのかはよく分からない。一見、それは演劇としては無対象演技やパントマイムのようにも見えるが、そうだとするとそこからは技術のあるマイムなら見えてくるはずの行為のディティールが全然示されない。つまり、情報の量が圧倒的に欠如しているのだ。
 結局、その仕草がケージ(檻)から犬を取り出して放しているのだということが物語の進行にともない分かってくるのだが、観客からアフタートークで「犬の重さが感じられない」と指摘を受けたのに「(虚構の)犬には重さはない」と関田は答えた。つまり、この身体所作は記号的なもので、そこには実際に犬をどのように取り出したかという詳細なディティールはない。それゆえ、逆に言うと実際には観客はそこから無数の異なる解釈を生み出すことも可能になる。
 ただ、こうした面白さは実は関田の作品だけではなく、マレビトの会全般に当てはまるともいえる。関田もそこのメンバーだから、そこを評価することのどこがおかしいとも言えなくはないが、やはり関田個人の評価においてそこの部分を挙げつらうことにも違和感はあるのだ。

*1:とはいえ、優れた若手作家のほとんどが青年団演出部ないしその周辺に偏在している現況を鑑みるとき彼女に肩入れしたくなる気持ちも分からないではない。

*2:マレビトの会は「福島を演劇する」をフェスティバルトーキョーで上演するが、その演出メンバーに関田も名を連ねている